2018年08月17日

文科省に始まる腐敗のドンダケー

 霞が関の三流官庁といえば、昔から文部科学省と相場は決まっていた。生産活動は一切なく、ひたすら予算を配ってバリアを築くのが目的のお役所なので、利権とワイロにまみれて権限を振り回す三流役人の巣窟になっても不思議はない。
 1998年の大蔵省ノーパン・シャブシャブ事件の反省から、「国家公務員倫理法」が生まれ、接待やワイロは根絶されたと国民は思っていた。ところがどっこいこの法律を踏みつぶし無視していたのが文部科学省だった。

 前川喜平前事務次官は、女性の貧困調査と称して新宿の出会い系バーに通い、役人の天下り禁止を破って天下りの地下ルートを確立、先輩後輩の絶大な信頼をえていた。座右の銘が「面従腹背」ときいて、こんな腐りきった男が、教育行政のトップではとても駄目だと絶望した。
 佐野太科学技術学術局長は、バカ息子の東京医科大学入学にさいし、私学研究助成金を支出して目的を果たした。大学側は学生ひと枠で何千万円もの助成を受けられるのだからこんな美味い話はない。
 川端和明国際統括官は、医療コンサルティング会社からの接待ワイロ疑惑で逮捕され、ただいま裁判係争中であるとか。文科省はドンダケー腐った役所であるか、この数例をみただけでも判る。

 教育行政元締めの腐敗は、当然の如く国公立私立大学すべての教育機関への腐敗も喚起する。
 東京大学の研究費詐取事件を先頭に、日大アメフト事件、女子学生セクハラ事件、さらに明治学院大学授業盗聴解雇事件、広島大学パワハラ教員再任拒否裁判、都留文科大学組合教授排除事件、そして東京医科大入試差別事件と上げ連ねたらキリがない。象牙の塔はいまスキャンダルの温床になっている。

 文科省の腐敗は、スポーツの世界にも影響する。
 日本アマチュア・ボクシング協会終身会長山根明の実態をみて、久しく忘れていた裏社会がふたたび現れたと実感。日本レスリング協会前技術強化委員長栄和人の凄みを忘れかけていたのに、スポーツに於けるパワハラの怖さをふたたび国民に思い出させた。日本大学アメリカン・フットボール部、さらに女子柔道界に於ける「死ね」「ブス」「ブタ」の罵詈雑言、など、スポーツ団体の派閥争いや、出世競争など、スポーツは国を亡ぼすところまできている。

 2020東京オリンピックはいま、東京都と、国と、スポーツ団体と、建設業者と、スポーツ器具メーカーと、小池百合子と、森元首相と、文科省と、旅行業者と、カジノ業界、そして不動産業者、代理店が入り乱れて、素人アンタッチャブルの闇の世界になつている。
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2018年08月15日

石破茂は正直ではない

 「正直・公平・石破茂」なんのこっちゃ、このキャッチは。
 町内の教育委員選挙レベルのキャッチ・フレーズだ。自民党総裁選挙に打って出るベテラン政治家のキャッチ・フレーズとは悲しい。政権政党である自民党の総裁候補であれば、政治を語って欲しい。小学校の修身レベルのキャッチで登場とは、よほど体調をこわしているのか、世界政治の一角を担う日本の総理大臣の職域が判っていないのか、いずれかだろう。
 「保守とはおのれに厳しく、身内に厳しく……」とも演説しているが、あきらかに旧メディアの論調に乗った世論操作のやり方にそっくりなのだ。事実を語らず、世論誘導に力をいたす朝日、毎日、NHKの語り口にそっくりだ。自民党員ならば安倍首相のモリトモ問題など、実態のない冤罪であることははっきりしているのにもかかわらず、説明責任を果たしてないと、くどくど申し立てる立憲民主の枝野あたりと相似形、こんなのを身中に抱えて走る安倍さんも大変だなと思う。

 かって軍事オタクといわれていたころの石破茂は、それなりに存在価値はあった。がオスプレーや、イージス・アショアといった兵器、装備になるとまったく声が聴こえない。兵器の進歩や国土を守るということについて積極的な発言が聴こえない。防衛大臣までやった身だから、尖閣をどう守るか、北の核からどう日本国民を守るか、さらに中国の拡大政策やロシアの極東政策についての対応策など、第一線の政権政党のボスとしての発言がみえない。

 中国の帝国主義的拡大策に対しても、唯々諾々と従う親中親韓の議員になりさがっている。靖国神社にも参拝しない議員で、保守の皮を被ったリベラル左派とさえ呼ばれている。獣医師会から献金を受けて、獣医学部新設のための4条件なるものをつくって学部新設を阻止した罪は、安倍さんのお友達よりよほど不公正、収賄に当たるのではなかろうか。

 斜にかまえネチネチと屁理屈をならべて相手を責める、あのスタイルが国際的に通用する総理大臣に相応しい、と考える参議院竹下派というのも信用できない。内閣府特命大臣として国家戦略特区の担当をした石破茂が、9条改憲は後回し、えこひいきのない政治をめざしてでは、政治家としての姿勢に疑念をもつし、政策不在のアマチュアとしかみえない。
 自民党の政治家なら、メディアと左翼におもねた世論誘導は止め、堂々と経済政策、国際外交、そして世界観を語るべきだ。
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2018年08月13日

大文字・五山の送り火とは

 絽の黒紋付きで御茶屋やご贔屓を挨拶廻りする「八朔」が終わると、まもなくやってくるのが、8月16日の「五山の送り火」である。

     20時・東山如意ケ嶽・「大文字」……胡麻木受付/銀閣寺門前
     20時05分・松ヶ崎・西山、東山・「妙法」
     20時10分・西賀茂船山・「船形万灯篭」
     20時15分・大北山・「左大文字」……胡麻木受付/金閣寺門前
     20時20分・北嵯峨水尾山・「鳥居形」……胡麻木受付/化野念仏寺

 近所の屋上のビアホールから見て、今日は晴れてて良かったというのも一興だが、胡麻木を納めて願いをこめ、それぞれの火床で焚き上げてもらうのもいい。
 京都の町では、送り火に着火したとき、ネオン、屋外灯、広告灯などすべて消して祖霊の無事に帰るのを見守る。
                                                                  古来、送り火の消炭は疾病除け、魔除けに効くと伝えられ、器に注いだ水に送り火を映して飲めば、中風にかからないと信じられてきた。祖先の御霊を信じて、現世に生きるという信仰心は何時の間にか、失われてしまった。葬式も墓もいらない現代で、イベント化した送り火だけが生きているというのも皮肉なことだ。

 大文字の麓、旧浄土寺村では念仏踊りを、松ヶ崎では題目踊りを、船形の西芳寺では六斎念仏が躍られ、送り火に限らない祖霊祭事がともに開かれている。こうした盆行事に参加することによって、日本人の世界観が肌を通して判ってくる。
ちなみに送り火の間、ドローンによる撮影は禁止される。            
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2018年08月12日

黒幕たちが表舞台に

 日本ボクシング界の騒動以来、黒幕たちへの関心が高まっている。黒幕とは本来おもてには登場せず、裏から特定の業界に対し、影響力を行使する人のことを指すが、情報化時代を迎え情報の多角化から情報のダダモレ時代になっている。

 戦後いち早く登場した黒幕といえば、まず東日貿易の「久保正雄氏」だ。
敗戦によって発生した賠償にまつわって多くの利権を確保した。とくにインドネシアへの賠償について絶対的なコントローラーだった。スカルノ大統領がインドネシアの権力者の地位につくやいなや大統領を日本に招待、接待攻勢をかけた。
 赤坂の高級ナイトクラブ「コパカバーナ」では、いちはやくスカルノ大統領の「根本七保子」への執心を見抜いた。久保正雄は彼女に会い、「コパを辞めなさい、準備のための支度金はここに、今後金のしんぱいは一切させないから」と、彼女の肉体改造にとりかかった。一年近くの時間と金をかけ、当時最高の技術で根本七保子を見事にリメークして、インドネシアへつれていった。19才の「デビ・スカルノ第三夫人」の誕生であった。
 また久保正雄は芸能界への発言力も大きく「高倉健、長嶋茂雄」に対する庇護は有名で、週刊誌は彼の許可なくスキャンダルを書けなかった。ムード歌謡の「松尾和子」には六本木にリヴィエラという高級クラブをもたせ、彼の好きなジャズをうたわせていたという粋人でもあった。大野伴睦、河野一郎、児玉与志夫ら政界のフィクサー達とも近く、当時は自民党の裏資金は久保正雄にきけといわれていた。

 芸能界の黒幕といえば、バーニング・プロの周防郁雄、イザワ・オフィスの井澤健だが、最近では田辺エージェンシーの田辺昭知が目立つ。
 夏目三久への異常ともいえる関心で、有吉との妊娠、結婚報道を見事にもみ消した。スマップ独立騒動でもマネージャーの反旗に加担し、ジャニーズに文句を言わせなかった。直近では「タモリと中園ミホ」との不倫報道があったが、一誌のみで他の新聞雑誌の報道をいっさい差し止めた。タモリと美人脚本家中園との不倫愛はほおっておけば、かなりのメディアが参入したであろうネタだったが、田辺は全力で阻止し、タモリに大きな貸をつくった。

 そして今一番の黒幕は日本ボクシング連盟終身会長「山根明」だ。会長のボクシング愛は初めから不思議だった。日本の歴史に生まれ、日本の歴史を愛してボクシングに一生を捧げます。なんだか変な日本語だとおもっていたら韓国釜山生まれの文甲明、文沢明さんとわかってきた。 暴力団小田秀組の若頭が舎弟だったと発言するに及んで、奈良判定も立派な黒椅子もふっとんでしまった。



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2018年08月11日

「山の日」には山を語れ

 今日は「山の日」だ。
 自然に親しみ、山の恩恵に感謝する記念日となっているが、現状ははなはだ疑わしい。山の日が制定された2016年には上高地と松本で、2017年には栃木の那須町で、そして今年は鳥取米子の大山町で、公式記念大会を開いている。
 そもそも超党派110名の議員連盟によって制定推進が行われたのだが、中心になった丸川珠代や衛藤征士郎には山に関する知識や思想はあまり感じなかった。お盆休みと連携させた経済効果やら、観光推進ばかりに眼がむけられ、山岳国家であるこの国の信仰や歴史にはまったく関心をしめさなかった。

 今年の大山における記念式典のプログラムを見てもその幼稚な内容にあきれる。
 観光カリスマやら女優によるトークセッションで、山を語るにはおよそ不釣り合いなキャストになっている。霞が関は実施内容に深くかかわらず、どこかの代理店に丸投げでやっているであろうことが想像できる。大山という開山1300年に及ぶ山岳修行最古の山を会場に選びながら、何故そこに一山三院42坊が営まれているかについて全くふれられていない。
 日本人にとって暮らしのよりどころであった山を語らないのだ。そこにある原始信仰こそが民族の財産であるし、現代の宗教をこえたアイデンティティなのだが、せっかく山の日を設けても、観光登山やスポーツ登山だけでは経済活動のための山にしかならない。
 なぜ日本人は山を信仰してきたのか。なぜ日本人は山で修行してきたのか。そのあたりにはっきりとした命題をあたえてこその「山の日」ではないか。
 現状の山の日では、災害の源流だったり、金儲けのための山の日におわってしまう。山の日に観光業者を集めて山を語るのでは、悲しい山の日だ。

 戦後決められた「成人の日」「昭和の日」「みどりの日」「こどもの日」「海の日」「山の日」「敬老の日」等々、もう一度再検討して、記念日のそもそもを問いただすのも一案かと。

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元気甲斐のその後……

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 夏になると「ひまわり」の写真が撮りたくなる。
 八ヶ岳南麓の北杜市明野のひまわり畑は中日本随一のスケールと手入れで、60万本のひまわりが咲き誇る。先年デスクが現地へいき、細かい情報を入手してきたので、夏休み前急遽撮影にいくことになった。デスクは毎日、開花状況をチエックし、お天気を気にして金曜日なら大丈夫、午前中明野は晴天ですと、結論をだした。 朝6時軽井沢出発、8時に明野につけば、駐車場も確保できます、とのこと。

 どうせ山梨までいくのだから、もうひとつ何か欲張ろうということになった。
 ふとひらめいたのが、33年前テレビ朝日が「探検レストラン」なる番組でプロデュースした、小淵沢の駅弁「元気甲斐」のその後であった。その番組でかかわったいろいろのなかでも、元気甲斐はかなり話題をよび、駅弁を超えた駅弁として人気を呼んだ。があれから33年も経っていれば、消滅しているかもしれないし、残っていてもなんの面影もない別のものになっている可能性もある。
 ネットでみたところどうやら元気甲斐は生き残っていた。電話をすると小淵沢の駅弁売り場で朝10時30分以降なら受け取れるということだ。ひまわり撮影を9時半に終わらせ、小淵沢駅に直行、駅弁を手に入れて軽井沢に戻れば、12時半には冷房完備でゆっくりと元気甲斐を、という予定をたてた。

 ヘタウマの画家安西水丸による包み紙はそのままにのこっていた。八ヶ岳の麓をヤッホーとばかり走る機関車、八つの山の海抜と名前が丁寧に描かれたイラストは、心温まる素朴で稚拙なタッチが嬉しい。製造元は山梨唯一、大正7年創業の駅弁屋丸政。
 田舎では珍しい二段の折詰め弁当、一の重は京都の料亭菊乃井さんの工夫、二の重は東京味処吉左右の工夫、東西それぞれの料理人が競っている。

 蓮根のきんぴら、山女の甲州煮、ふき・椎茸・人参の旨煮、こんにゃく味噌煮、カリフラワーのレモン酢漬、ぜんまいとお揚げの胡麻和え、セロリの粕漬を添えたくるみご飯の一の重は、さすが京都の料亭らしく、薄味ながらそれぞれの食材の味が際立って、これは美味いの評価だった。
 二の重では栗とシメジのおこわがベースなのだが、鶏の柚子味噌和えがやたらに大きくバランスを崩し、豚肉巻きのアスパラも細いくせに固く、神経が行き届いていなかった。わかさぎの南蛮漬けと山午房の味噌漬けは無難。
 これなら一の重だけをさらに工夫してして元気甲斐を存続させたほうが、いいのではないか、というのが結論だった。

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2018年08月09日

幸せをレイアウト出来なかった大塚久美子

幸せをレイアウト出来なかった大塚久美子

 春日部の箪笥職人から身を起こし、徹底的なオーダー、クチュール方式で高級家具のレジェンドとなった大塚家具の躍進ぶりに眼をみはった。が、目まぐるしく動く時代のなかで父大塚勝久氏と娘の大塚久美子氏との間には、のっぴきならない隙間ができ、結局娘は父を追放して、社長となった。
 傷心の父は創業の春日部にかえり、匠大塚を立ち上げ、静かに再起をはかっていた。

 無責任なメディアは、娘大塚久美子を革新の担い手として持ち上げ、メディアのスターに仕立てあげた。
 が所詮父の成功の本質を理解していなかった娘の経営力では、大塚家具の屋台骨を維持することはできず、百十億もあった資金も10億までへらしてしまった。TKPと業務提携するも経営は好転せず、ついにヨドバシカメラへの身売り話まで登場している。

 大塚久美子が父を追い出してからの企業理念は「幸せをレイアウトしよう」、父が創り出した徹底的なマン・ツー・マン方式による販売方式を棄て、耳障りのいいキャッチで経営をすすめた。所詮お嬢さん芸であることが如実にわかる。

 時代はすでに、使う、買う立場で考える「お、ねだん以上。」に移りつつあった。
 ニトリはスウェーデン発祥の世界一の家具量販店イケアを注意深く観察し、その欠点をカバーした商品企画で着々と足場をかためた。価格帯もイケアより安く、組立、配送などのサービスを充実させて、家具の世界でのユニクロをめざした。2022年には1000店売上げ1兆円をめざし、2030年には3000店舗3兆円を売り上げ目標にしている。
 こうした市場動向をまったく学ばなかったのが、大塚久美子だった。
「幸せをレイアウトしよう」にまったく心動かなかったユーザーは、ぞくぞくと「お、ねだん以上。」に押し掛けた。

 日本人のライフスタイルを徹底的に研究し、うるさいまでのマン・ツー・マン方式で、大塚家具を成功させた父親のやり方は、娘にはダサク映ったのだろうが、「幸せをレイアウトしよう」と訴えても青汁とたいして変わらないと、大衆はソッポを向いた。

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2018年08月06日

8月6日の新型爆弾

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 「敵、新型爆弾を広島に投下」
  中学二年の夏、初めて眼にした新聞の大見出し、8月8日の朝刊だった。 はじめシンガタの意味が判らなかった。爆弾の形はすでにいろいろの本や靖国神社の展示物から理解していたが、シンガタ爆弾といわれて、それがどんな形の爆弾か理解できなかった。ひょっとして丸い爆弾、それとも長い爆弾、それがよもや原子爆弾という想像もできない破壊力をもった爆弾だったとは、何日後かに報道管制が解かれてから眼にした言葉だった。

 8月6日、広島にウラニウム爆弾・リトルボーイ 投下
 8月9日、長崎にプルトニウム型原子爆弾・ファットマン投下
アメリカ軍は爆弾のおなかにヌードを描いたり、ペットネームをつけたり、不謹慎な兵隊と思っていたが、結局それだけ余裕のある軍隊だつた。

投下に至るまで、米軍は4.774キロのパンプキン爆弾で、原子爆弾の投下予備訓練を日本の30都市の上空で、49回も繰り返していた。さらにV600番台のB29が、テニアン島から日本まで頻繁に飛行していたにもかかわらず、日本軍情報部は特別任務機としてしか認識していなかった。 情報戦で日本は完全に破れていた。

 8月11日 防空総本部から発表「新型爆弾への心得」
横穴式防空壕が有効である。初期防火、火傷に注意。退避壕の入口はできるだけふさぐのが、よろしい。なお蛸壺型の防空壕でもいいが なるべく出入り口に板などを置いたほうがいい。(当時原爆に対する認識はこの程度だつた)

 8月10日、トルーマン大統領、これ以上の原爆投下を中止せよ。と命令をだす。

 ここでようやく軍司令部は報道管制をとき、広島の取材を許可した。東京の大新聞は被災地に殺到し、写真をとり、被災者をインタビューし、記事を本社に送った。そしてみずからも被爆し、多数犠牲者となった。

 新潟市はこの隙をついて、全市民に原爆疎開命令を発令、新潟市は9月半ばまで無人都市となった。嘘のような本当の話である。
 新型爆弾は、近未来の架空兵器として、少年科学雑誌の口絵を飾っていた。



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2018年08月05日

浅利慶太を検証する

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 浅利慶太は同世代の演劇人だった。
 彼が慶応演劇部にいた当時、予科の講師となった加藤道夫は、三島由紀夫や岸田國士らとともに「文学立体化運動の担い手」として世間から注目されていた。慶応の演劇大好き学生たちは、加藤道夫のアイコンのもとに集まっていた。浅利慶太もまたそのひとりだつた。

 加藤道夫はジロウドウとアヌイの世界に入り込み、「加藤道夫の神話」とも言われる演劇観を残している。
 「描写」を偏重してはならない。描写は実証的な客観的知性だけで出来るつまらないものだ。
 「表現」せよ。表現には強烈な主観的知性が働かなければならない。
 俳優が芸術家なら、詩人が内面に詩的世界をもっているように、役者もまた己の言葉と、ヴィジョンをもっていなければならない。

 浅利はこの加藤道夫の神話に強烈な示唆をうけ、劇団結成当時はかなり忠実にジロウドウ、アヌイの芝居を実践していた。が加藤が木下順二などの民族演劇論にインスパイアーし、日本の創作劇に舵をきったあたりから、全く違う方向に走り始めた。

 彼は「芝居で食べる」という商業演劇の魅力にはまってしまったのだ。
バラエティ誌上興行収入の上位にある作品に次々と手をだし、ミュージカル上演の先輩たる東宝をけちらし、商売一辺倒のミュージカルに手を染めた。電通と組み、仮設劇場をつぎつぎとつくり、ロングラン興行を打って利益をあげるというブロードウェイの下請けになった。その為、ミュージカルの後発国ながら確実に上演権を獲得するため、世界で一番高いローヤリティを払い、一時は四季って一体何者?あんなに高いローヤリティを払ってペイするか、とブロードウェイの裏話題になっていた。
 浅利慶太はまったく脚本、オリジナリティに関心はなく、いかに上演して観客動員をはかるか、という興行師として一流になった。

 浅利は国立劇場をミュージカル専門劇場にするべく、中曽根、石原慎太郎などに近かずき霞が関に日参していた時期もあったが、黛敏郎らの猛反対にあい失敗したこともあった。
 数班のチームを作り、同時多発的な興行システムも結局、俳優の三分の一ちかくが中国人となるに及んで、内部からも劇団のアイデンティティーを疑う超えがあがり、ブーメランのごとく彼に批判が集中した。
 彼を失った今、劇団四季のレパートリーはすべてディズニー・プロダクションの下請けとなっているが、この状態でいつまで興行をつづけるのか、残されたスタッフのエネルギーと知性にかかっている。
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2018年08月04日

阿波おどり商業化のむくい

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 阿波おどりがもめている。
 市長と観光協会と地元徳島新聞の利権争いのようにも見える。南内町の演舞場に人気が集中し、ほかの三つの演舞場の人気がいまいちなので、四つすべての演舞場に観客がいきわたる様に、今年から総踊りの連の配分をし直す。
 もはや阿波おどりは、夏の巨大な興行に成り下がってしまった。阿波おどり本来の目的は雲散霧消し、チケットが売れたか、売れないか、のみが話題になり、新聞社が取り仕切っても、ヤクザがとりしきっても、まったく変わりのない状態になってしまった。かえってヤクザが仕切ったほうが、赤字がどうの、黒字がどうの、がなくなって庶民の税金が狙われることもない。

 阿波おどりの始まりは徳島城のお城工事の完成祝いといわれるが、踊りの様式からいえば、それ以前の精霊おどり、御霊しずめの念仏踊りに原点があったことは明らかだ。盆踊りとして、帰ってきた新しい精霊を慰めるための踊りである。
 むかし徳島の郊外の田園風景のなかでみた阿波踊りは最高だった。観客のひとりもいない田圃の畔を、10人足らずの連がひたむきに踊っていく。祖霊を慰めるということは、こういうことなんだ。という魂の祈りが見えた。ライトもなく、マイクの喧騒もない阿波の念仏踊りとは、こういうことか、と感動した。
 おどりに観客はいらない。あの世の祖霊と、現世の子孫がいれば、それで充分成り立つまつりだ。
新聞社やら、観光業者やら、代理店やら、よってたかって商売にしようとする輩がいて、祭を堕落させている。

 信州にもいろいろな盆踊りがある。
 長野びんずる、飯田リンゴン、丸子ドドンコ、上田わっしょい、小諸ドカンショ、そして松本ぼんぼん等々……松本ぼんぼんにいたっては、それまでお城の周りの少女たちがささやかにやっていた盆の唄めぐりを横取りし、行政と財界が金のちからでイベント化してしまった。松本ぼんぼんという可愛らしい名前まで収奪し、盛大に市民祭松本ぼんぼんとしてやっている。

 軽井沢では宿場の盆行事としていろいろあったが、明治から大正にかけてのキリスト教牧師たちの来軽によって、弾圧されてしまった。キリスト教関係の神父や牧師たちの夏休みと、盆行事がぶつかったことで、日本人の伝統的習俗を失ってしまったのだ。
 あの頃の布教団はいまでは美化されているが、当時は決してそんなものではなく、日曜は安息日だから商店を開けるなとか、仏教催事はするなとか、暴力団のような一面をもっていた。

posted by Kazuhiko Hoshino at 14:31| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする