2019年11月18日

クリスマスはヴッシュ・ド・ノエル

パリブッシュドノエル.jpg

 日本ではラーメン・コンテストとご当地B級グルメ争いが盛んに開かれる。
 フランスは食べ物のコンテストといえば、毎年決まったようにエリゼー宮に届けるバケットと、チョコレートのコンテストが開かれる。それにコンテストではないが、9月初めに一斉に発表されるクリスマスのためのヴッシュ・ド・ノエルがパリジェンヌ達の話題になる。

 12月の雑誌のグラビアや話題になるためには、9月に発表しないと、締切に間に合わないという都合もある。今年のクリスマスのために、といっても丸いカタチのホールケーキはパス、丸いクリスマスケーキは、お子様ようのケーキであって大人の味覚、感性に対応したケーキとはみなされていない。
 話題になるのは伝統的なヴッシュ・ド・ノエルのみで、高級ホテルやら有名ショコラティエ、パティスリーで発表会が開かれている。

 プラザ・アテネ、ムーリス、ジョルジュ・サンク、ホテル・リッツ、マンダリン・オリエンタル、などの五つ星ホテルからピェール・エルメ、クリストス・ミシャラク、セドリック・ゴレ、ピエール・マルコニーニなどの作家たち、あるいはラ・デュレやコレット、プーシキンなどのパティスリー、バリ市内だけでも数十ヶ所でヴッシュ・ド・ノエルのプレゼンテーションが開かれる。

 チョコレートplusワンだけのシンプルなケーキ、あるいは作家のモチーフにこだわったキツネ型、グレーカラーに星だけ、月のかたちの四重唱、アートアートの前衛派、ヴュシュにチョコレートのリボン等々、シンプルな伝統の造形にほんの少し大人のセンスを加えたものが圧倒的に多い。
 グルメ記者たちは見た目だけではなく、食べた印象まで記事にしなければならず、糖尿の危機にさらされなかせら、ヴッシュからヴッシュへと飛び回っている。
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2019年11月17日

麻薬がないと生きられないエリカ様

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 あのエリカ様が麻薬所持で逮捕された。
 テリー伊藤は、日本芸能界の宝だとか、明日の吉永小百合とか、女優として唯一無二の存在だとか、しきりに残念がっていたが、彼女の日頃の行動をみれば、薬物常用者のいかがわしい芸人としてしか存在はなかった。

 かの映画クローズド・ノートの完成記者会見に於ける「……別に、……別に、」の態度は、高慢無礼を絵にかいたような思い上り会見だった。
 高城剛との結婚でも明治神宮からハワイ、そしてスペインへと、まるで犯罪者の逃避行のごとき様相をていしていた。何年かの休養を挟んでひさしぶりの仕事復帰、映画ヘルタースケルターでの、精神を病み、心身ともに破滅に向かう役柄への傾斜ふりも異常者としかおもえない没入ぶりだったといわれている。

 彼女が持っていた「合成麻薬MDMA」は、俗にエクスタシー、バツ、タマと呼ばれ、あちらではゲートウェイ・ドラッグと認識されている入門薬だ。皮膚感覚が極端に鋭敏になるため、性行為時に用いられることが多く、乱用しつづけると精神錯乱、記憶障害を引き起こし、ときに死にいたるという薬物である。興奮作用と幻覚作用を併せ持った陶酔感をえられることから、クラブなどで若者の集団乱用が密かに広がっていると言われ、パーティドラッグの地位を確立していると伝えられる。

 いずれにしても薬物使用は精神の軟弱な芸能人に多々みられる病根なのだ。仕事のストレスは誰にでもある。
 芸人だけが異常なストレスにまみれて薬物に走るという言訳は、性格破綻者の甘ったれた理屈である。
 この薬が伝説になるかもしれない、そう発言するテリーもまた共に刑務所にはいったらいいだろう。
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2019年11月16日

16歳の少女を動かしている裏社会

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 「……私たちは大量絶滅の始まりに直面しています。……裏切るなら絶対許さない! 」
 16歳の少女涙と怒りの訴え! 北欧スェーデンのグレタ・トゥーンベリ嬢は英国プリムスの港からヨットに乗ってニューヨークに乗り込んだ。ヨットはソーラー・パネルと水中タービンを供えたCO2の排出をしないレーシング・ヨットだといわれている。

 少女は国連気候行動サミットに登場して、華々しく演説を行った。
 オーストラリアのスコットモリソン首相は出席しなくてよかった。ヒスを起こして地球の終りを絶叫する子供のレクチュアは要らない、と言い捨てている。
 気候のための学校ストライキとか、二酸化炭素排出量の少ないライフスタイルを実践している間は良かったが、行動が世界規模になるとともに彼女の後ろにいる人物・団体が話題にのぼるようになった。

 ひとつは反政府系極左組織アンティファを疑うもの、そしてもうひとつは中国系アメリカ人の工作にのっているというものである。
 グレタ・トゥーンベリが口を極めて責めるのがアメリカで、現在世界一の温室効果ガス生産国の中国についてはひとことも触れない。これはとても不自然なことで背後に控えているのは中国とみずから告白しているようなものだという説がある。
 ヨットに乗った三人の乗員は飛行機で往復しているし、メンテナンスを含めれば莫大な経費が掛かっている。今後のグレタ・トゥーンベリの行動計画をみてもとても16歳の少女の計画とは思えないというのが、その筋の推測である。
 アメリカ大統領選への思惑が、CO2を武器に蠢いて国際政治の暗部が透けて見えるという話なのだ。ヒステリックな少女の演説に素直に反応している日本人はまんまとピエロになっているかもしれない。
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2019年11月15日

花見の嫌いな野党のオバサン

内閣花見.jpg

 日本人も随分ギスギスしてきたものだと思う。
 花見の会にケチをつけて追及するという野党のおばさんには、「花を愛でる」日本人の心がないのだろう。この際、内閣が新宿御苑なら、野党は飛鳥山で花見をする、ぐらいの風流心をもてば、すこしは左翼にも賛同する日本人がふえることだろう。
 花見は四季に恵まれた日本人にとって、春を祝う貴重な通過儀礼だし、国家に殉じた人を供養したいひとは靖国神社で、天皇とともにのひとはお堀端で、色恋沙汰なら目黒川、単純に桜にかこつけて飲みたい人々は隅田堤でというふうに、それぞれ楽しく花見をしたらいい。
 ひねくれた孤独のマスコミ人にはガード下の飲み屋が似合う。

 税金を使うのが許せないのなら、内閣府の金だけでなく、政党助成金の用途にも厳しい眼をむけるべきだ。離合集散を繰り返すたびごとに何億もの金が行方不明になり、勝手に足が生えてどこかにいっている。

 どうしても金を使わせたくないのなら、それこそ電通、博報堂に依頼して、同じ場所、同じ時刻に「全国おでん市」やら「日本酒大顔見世市」でも立ちあげて競わせたらいい。そこで総理盃でも立憲杯でも出して景気付けをしたらいいだろう。
 日本中が花見に浮かれている間に、尖閣に国籍不明の上陸があったりして、初めて国防の重要性に気がつくのだろう。
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2019年11月14日

武蔵小杉タワマン糞尿譚

武蔵小杉タワマン.jpg

 あの武蔵小杉が汚水にまみれてしまった。おりから水の都ヴェネチアでも異常な高潮におそわれたが、ふたつの浸水を比べてみるとあきらかに印象がことなる。
 武蔵小杉は多摩川の満水で、下水が逆流し武蔵小杉自慢のタワマンが機能不全におちいった。ヴェネチアも下水処理は目の前の海なのだから、条件はおなじようなものだが、サンマルコの広場は臭くない。武蔵小杉は臭かったのだ。
 その上、地下にあった送電施設もやられ、エレベーターは止まり、超高層の住人たちは途方にくれた。いま住みたい街のベストテンに入り、意気軒高だった武蔵小杉は思いもかけぬ災難にまみれた。

 多摩川の河川敷にあったこの街が、急速にタワーマンション街になったのは、鉄道のおかげだつたともいえよう。東急東横線とJR南武線しかなかったところへ、各社の思惑から東横線と目黒線が接続され、さらにJR横須賀線の新駅ができ、湘南新宿ラインもとまるようになり、実に13路線が利用できるところから、急速に郊外都市として伸びてきた。
 中原街道の宿場だった武蔵小杉が、もとは河川敷という地相を忘れてつぎつぎとタワマンを建て、天井川といわれていた多摩川との高低差を甘くみたツケがまわってきた。

 開発業者の群がった証明はタワマンの名前を見ただけでもよく判る。
 パークシティ武蔵小杉ザ・ガーデンタワーズ イースト&ウェスト(53階建て)
 プラウド・タワー武蔵小杉(45階建て)
 エクラス・タワー武蔵小杉(39階建て)
 パークシティ武蔵小杉ザ・グランドウィングタワー(38階建て)
 シティ・タワー武蔵小杉
 リェトコート武蔵小杉ザ・クラッシータワー&イーストタワー(45階建て)
 ザ・コスギタワー(49階建て)
 パークシティ武蔵小杉ミッドスカイタワー(59階建て)
 パークシティ武蔵小杉ステーション・フォレストタワー(49階建て) さらに建築予定5棟
 駅前に突如現れた人口3万人のタワマン街だが、年寄りはまず迷子になる。願わくば下水が多摩川に放流できる設計をお願いしたいし、多摩川の越水があっても停電にならない、エレベーターの動くタワマン街であってほしい。 
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2019年11月12日

「独身の日」のナンセンス

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 11月11日 この日中国では「独身の日」、正式には「光棍節」の日、もともとは独身を揶揄するところから始まったようだが、いまではパーティをひらいたり、結婚相手をさがしたり、転じて贈り物を盛大にするという商業的な祭事になってしまった。

 生涯環境について考える日が、商売振興にすり替わったあたり、中国共産党はどう理屈をつけるのか興味がもたれる。

 独身の日は、中国ネット・ショッピング最大のイヴェントになった。
 この日ネット通販最大手の「アリババ集団」は、開始一時間で、売上1000億元、日本円に直すと 1兆6000億円に達したと発表した。
 つまり独身の日は、爆買いの日となった訳である。

 この中国の狂騒曲を横目でみていたソフトバンクは、「いい買い物の日」と銘打った輸入祭事を始めた。物の溢れた日本で、いくらソフトバンクが煽っても、消費増大にはつながらないだろうというのが、市場筋の見方でもある。
 車はイラナイ。テレビもいらない。結婚式もしたくない。贅沢はしたくない。マンションも買いたくない。日々健康に暮らせればそれが一番。
という醒めた日本の若者に火をつけるのは、社会構造そのものに手をつけるしか方法はないのかもしれない。

 注意しなければいけないのは、人民元の金額がいくら大きくとも、国際的にはまったく通用しないお金であるということだ。
 中国はいまやドルが枯渇して、国際的な流通市場では最大の不良資産国になっている。共産党政府はうしろに15億の人口市場をひかえた最大のマーケットだと宣伝して外資誘致を展開しているが、その罠に引っかかったら最後、中国市場でかせいだ金はすべて抑えられて持ち出し禁止になる、恐ろしい国である。
 日本の財界人のなかには、体制の違う中国への理解が乏しく、正常なビジネスができる大きな市場だとカン違いしているオバカが存在している。
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2019年11月11日

中国人花嫁に占領された雲場池

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 ひさしぶりに晩秋の紅葉をもとめて、軽井沢町内をうろうろした。
 観光案内の紅葉はまず「雲場の池」なので、日の出後30分ぐらいの木漏れ日を期待して訪れた。すでに3組の花嫁さんが中国からお出ましになり、それぞれカメラマン、スタイリスト、美容師をつけてポーズをなさっているのに驚いた。
 中国の花嫁達の結婚式前の写真に対する情熱には感服のほかない。
 パリ・エッフェル塔のまえでも、モンマルトル・サクレキュールの丘でも、ルーブル宮の中庭でも、とにかく中国の花嫁姿に出会う。
 一様に伝統的中国衣裳ではなく世界標準の貸衣裳風なところが面白い。日本も中国もそれぞれに素晴らしい民族衣装をもちながら、自己のアイデンティティーを失い、白い貸衣裳風を選択しているのが、グローバルとやらの戦略なのだろう。
 若い世代が自国文化への執着を失い、一律に安手のグローバルに向かっているのは、不思議な風景である。

 ところで今年の紅葉は著しく美しくない。いつもならヤマウルシやナナカマドの深紅から始まるのに、そこがとても曖昧なのだ。
 軽井沢ならではのドウダンツツジも赤に鮮やかさがない。すすきの穂もそろって風を受ける風情にかけている。イロハモミジの紅葉もあっという間のできごとで、いつもながらの秋の景色にならずぼろぼろと落葉している。
 枯れ始めた黄葉と中途半端な紅葉と晩秋の落葉松の黄葉が無秩序にみだれている。こんなに美しくない晩秋は初体験だ。

 テレビでは、ついこの間まで適応障害ででてこれなかった雅子皇后が奉祝行事に涙していると、評判をよんでいる。嵐のファンと令和天皇ファンが合体して祝賀御列の儀に感動しているが、これで日本の明日は本当に大丈夫なのか、少しばかり不安である。

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2019年11月10日

即位礼祝典曲のポピュリズム

宮城前国民式典.jpg

 …君が笑えば 世界は輝く
  誰かの幸せが 今を照らす
 
 ジャニーズのコンサートのフィナーレ曲かと思った。即位の礼祝典曲ときいて驚いた。

 …大丈夫 鳥は歌っている 大丈夫 空は輝いている
  大丈夫 水は流れている 大丈夫 海はひかっている
  大丈夫 君と笑っている 大丈夫 君と歩いていこう

 パラリンピックの応援歌としてはいいかもしれない。令和の新しい御代に捧げる祝典曲に…大丈夫と歌いかける目線はなんだろう。
 不安があまりにもおおきいので、大丈夫、大丈夫と歌いかけているのか。それとも自信過剰なのか。
 即位礼祝典曲のレベルの低さに呆れた。

 作詞が岡田恵和と聞けば致し方なしともおもうが、令和時代への祝典曲としてあまりにも世界観がない。安っぽく耳障りのいい言葉をならべただけの低次元の祝典曲だった。音楽史のうえには数々の祝典曲があるが、これほど志の低い祝典曲はない。
 1999年の即位10年のX JAPAN、2009年 即位20年のEXILE 2019年三浦太知と続いた祝典演奏もそろそろこの辺で、世界レベルの祝典演奏に切り替えたらいいだろう。
 いつまでもポピュリズムに迎合した祝典曲はうんざりである。
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2019年11月06日

天然コンブ絶滅の危機

天然昆布.jpg天然昆布.jpg

 北海道の海に危機が迫っている。天然コンブが絶滅状態で、とってもとっても十二分にあったコンブの姿がみえなくなったのだ。
 ついこの間まで漁場は自宅のまえの海といっていたのに、目の前の海からコンブが姿を消したというのだ。コンブが林をなしていた海の底は真っ白になった岩肌がつづき、小型船で遠く知床半島の付け根までいってようやくコンブをみつけるといった悲惨な状態になっている。

 目の前の海はコンブの宝庫、獲りに行く人手がないのでホッてあるといっていたのは、つい十二、三年前のことだったが、いまやコンブ漁師は漁協への借金も返せない、どうしたらいいかと茫然自失している。

 海水温の上昇、集中豪雨、大型台風、地震、津波、そして猛暑と漠然としたこころあたりはあるものの、ちゃんとした説明はつかず、この状態がつづくと北海道のコンブは消失の運命にあると、北大の研究室はいっている。ホタテ、サケに続く北海道の特産品が姿を消す。

 北海道のコンブがなくなるということは、日本料理の崩壊につながる。出汁の食文化でいま世界中のグルメから注目をあびている日本料理の土台を失うことを意味している。カツオとコンブがなくなったら日本料理の職人たちは手足をもがれたも同然といえよう。
 ダシ用の最高級コンブ羅臼昆布も、海底湧水にそだてられてきた利尻昆布も、みな突然に姿をかくしてしまった。

 日本人は結婚、正月、誕生などお目出度い時には、必ずと言っていいほど縁起物として昆布を飾ってきた。命の長からんことを願い、共にヨロコブという民間信仰のシンボルを務めてきたのが、昆布だった。
 その昆布が北の海からきえるのは、日本人の暮らしの明日を予感させて、なんとも暗い気分になる。
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2019年11月05日

祇園切通しの進々堂さん

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 祇園町北側切通しの進々堂さん……といえば祇園のお女将さんから芸妓、舞妓さんにいたるまで足を向けて寝られない。進々堂さんが無かったら、祇園町は機能麻痺におちいるかもしれない。

 朝食はティファニーならぬ、進々堂さんというのが祇園町の当然である。朝起きたらまず進々堂さんに電話をかける。「コーヒーにトースト」あるいは「コーヒーにサラダにサンドウィッチ」トーストはバターなのか、ジャムなのか、サンドウィッチは玉子なのかハムなのか、サラダはコロッケサラダか、ハムサラダか、それぞれの好みを全部のみこんで、洗顔が終わった頃には「おはようさん」とポットに入ったコーヒーと暖かいサンドウィッチが届けられる。
 祇園町では朝食は電話でというやかたが多い。筆者も祇園に泊まった朝はたいてい進々堂さんの世話になっている。

 一年の締めくくりと歳のはじめの「まり」と呼ばれる舞妓さんへの配りものも、この進々堂さんでつくられている。ご主人の藤谷攻さんによって祇園町で配られるすべての「まり」がつくられている。
 ご挨拶まわりを済ました舞妓さんがいくつもの「まり」を下げておこぼの音とともにやかたに帰ってくる風情はなんとも可愛らしい。「まり」のなかには紅、簪、アクセサリーから干支人形、あるいは茶道具、貯金箱までいろいろと入っているが、若い舞妓さんにとってお茶屋のおかあさんからいただく、この贈り物は楽しみいっぱいの幸せなのだ。

 作家の先生方の新作展覧、舞のおさらい会の楽屋見舞い、あるいは南座の歌舞伎公演など、楽屋見舞いのアイス・コーヒー100人前とか、裏方衆へのサンドイッチ150人前、即座に対応してくれる祇園ならではのカフェである。今日の観世さんの演能にサンドイッチと飲み物とどけて、といえばなにもきかずに能楽堂の楽屋にとどいている、という「おもてなしの匠」ともいうべきカフェなのだ。

 筆者もパリ展の折、いち早くパリのフジネットワークのボスに連絡をとってくださり、大変世話になった。切り通しの小さな喫茶店とおもったらとんでもない間違い、祇園町の裏のネットワークを司る進々堂さんなのだ。
posted by Kazuhiko Hoshino at 17:38| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする