2026年01月12日

成人式は芸人衣裳の陳列会ではない。

 どこかの町の成人式、30人程の新成人の前でディズニーランドご出張のキャラクターが踊っていた。
 オメデタイ新成人達は大喜びではしゃいでいる。オイオイ成人してもディズニーかよ、とガッカリする視聴者!!!!だが、来賓の町長さんやら、議員さんたち祝辞係は、モーニング姿に造花の名札をつけて真面目に座っている。なにかが間違っているテレビ画面……。
白襟2.jpgごて襟1.jpg
 女子の多くはキモノ姿、母親がついてきていちいち帯のかたちやたもとの捌きをなおしている。
 高価なレンタル料を成人した娘のためにだしているのだろう。
 が娘たちの襟元の表情が気になった。清潔感のあるピュアな襟元がすくない。妙に襟元が重い。キモノという民族衣装の美しさがない。
 白いきっぱりとした襟元がすくない。みな襟元がごてついている。いろ襟、重ね襟、なかにはフリルのついた襟、レースの襟、おっとビックリしたのは、パールが行列している。みるからに本物ではないイミテーション・パールが襟元にびっしり並んでいる。
 いつからこんな衣裳が流行っているのだろう。襟元にレースがひらひらしていたり、柄襟でこってりと色糸が刺してあったり、きものの美しさを知っている人は絶対にやらない襟元が横行している。今日から成人になる女性には白襟の清潔感がいちばんなのだ。成人式の帰りに職場のキャバクラに寄りそうな下品がいっぱいピースをしている。
パールフリルレース襟.jpgフリルリボン重ね.jpg白レースパール重ね.jpg
 金儲けしか考えていないキモノやの犯行か、それともセンスの悪い着付け屋のたくらみか、キモノの美しさをこわし、半島の民族服とおなじような下品な組み合わせに落とし込む工作員のしわざか。成人式は着物の美しさを否定する儀式なのか、とさえ思える。
 成人式を下品な芸能衣裳の陳列会にしてはならない。
 なぜにほんのキモノが世界のファッション工芸として認められているのか、しっかりと学んでからデザインしてほしい。
レースパール帯リボン.jpgフリル二重奏.jpg
 男どもの黒いスーツに黒いワイシャツ、黒いネクタイも困ったことだが、流行と成人式という通過儀礼をきちんと教育すべきだ。
 先進国へ行ったらまずいちばんに恥をかくこと必定、イギリスもフランスもアメリカもそんなところには自由はない。ビジネスにはビジネスの、週末には週末のファッション、そしてセレモニーにはセレモニーのドレス・コードが存在する。
 イーロン・マスクと善良な市民とは全く異なる。
 そんなことも判らないのは、後進国の下層階級と決めつけられる。この国は芸人も一般人もイッショクタの後進国なのだろうか。
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2026年01月11日

ノイマイヤー+ネゼ・セガン、中谷美紀のウィーンの春

コンサートポスター.jpg指揮者ネゼ・セガン.jpg
 久しぶりにウィーン楽友協会ホールのニューイャー・コンサートをきいた。
 ムーティの格調と憂愁にみちた演奏が続いていたので、いまさらと思っていたが今年のウィーンは全く変わっていた。
 ヤニック・ネゼ・セガンという50才の指揮者は、カナダ出身というが非常にアメリカンなマエストロで、音楽を伝統的な格調から民衆の喜びに変換していた。ルイヴィトンのタキシードはいただけなかったが、随所に散りばめられたユーモアはワルツのもつわくわくした喜びに充ち、ワルツを貴族たちの手から市民にとりもどしていた。
 コペンハーゲンの蒸気機関車では、指揮台の駅長となり笛を吹き信号を掲げ、赤信号とともに曲が終わるという楽しさを演じ、ラデッキー行進曲では客席に降りて、気取った初春のオーストリア人の手拍子を指揮し、楽友協会ホールが場内一体となって市民の喜びを響かせた。楽典に忠実ではないが民衆に寄った次世代のマエストロかもしれない。
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 異彩をはなっていたのはウィーン国立バレエ団だった。いつもウィーンフィルのおかずとして出演していたのが、ジョン・ノイマイヤーの振付によってモダン・バレエの明日を見せた。外交官ポルカは、ホーフブルグ宮殿に於ける批評的振付によって、外交官の今日を見事にパロディに化した。
 ノイマイヤーはかって「月に寄せる七つの俳句」「時節の色」などを東京バレエ団に提供し、くるみ割り、白鳥など古典バレエの現代化、更にヴェニスに死す、欲望という名の電車等文学のバレエ化、あるいはマーラーの交響曲3、4、5、6、9、の作品化とありあまる才能をもっているが、後半のワルツ南国のバラにおいても、ウィーン応用美術博物館にねむる資料への覚醒をモダンバレエの振付でうながし、規律と現実のはざまを表現した。
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 この日観客をつとめた中谷美紀は、何回かみたウィーンの新春コンサートで最高だったと涙を流していた。この国で異常な人気をもつ小澤征爾のウィーン新春コンサート、ワルツのふりをしたあのコンサートより、はるかにマシであった。
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2026年01月09日

ブルックリン・行列のできる文具店

 2026年は、ヒューマノイド元年とか、AI元年とか、人間が機械にふれ伏す年になる記念の年と、大喜びしている変な人たちがいる。コンピューターにどっぷり浸かっているあのアメリカ人さえ、最近はデジタル・デトックスが必要と考える人々が生まれている。
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 そんな人達にいま人気を呼んでいる店が、ニューヨーク・ブルックリンのグリーンポイントにある。
 日本で作られたステーショナリー、文房具の専門店だ。オーナーは台湾人夫妻、マンハッタンで見かけない文具店をブルックリンで補おうという心意気でオープンした。店に置かれている文具はすべて日本製。日本の文具は世界一と信じている。
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 ブルックリンの中心、グリーンポイントという地の利も手伝い、「行列のできる文具店」として評判になっている。
 お客さんにとっていちばんのサービスは「試し書き」ができること。日本では当たり前のお試しサービスはニューヨーカーにとって、驚くべきサービスなのだ。
 人気の文具第一位は万年筆、ボールペン全盛のいまインクを入れて紙に書く万年筆の感触が見直され、漆の絵の彫られた300万の超高級から、プラスティック透明軸の5000円まで買われているというから驚く。
 安価なものでは消しゴムが売れている。アメリカの消しゴムは砂を固めたようなものが多く、懸命に消すと紙が破れてしまう、日本のデリケートな消しゴムは恋人への小さなプレゼントに最適と言われている。
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 東京の学生はラーメン屋に並び、ニューヨークの学生は文房具屋に並ぶ。はたしてこれで良いのだろうか。ふと悲しさがよぎる。
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2026年01月07日

紅白で墓穴を掘ったNHK

エスパ記事.jpg
 恒例のNHK紅白歌合戦、2025は明らかに墓穴をほった。
 小泉内閣時代から論じられては消え、論じられては流れていたNHK改革に決定的な論拠を与えてしまった。
今回の韓国女性グループaespaエスパの強行出演である。
 放送前からエスパ出演については、反対の声が多く、NHKには14万にのぼる反対が寄せられていたが、NHKはこれを無視エスパの出演を強行した。
キノコ雲ランプ.webpえすぱ2.jpg
 そもそもエスパのヒット曲は原爆投下をテーマにした反日歌であり、原爆投下を賛美する背景のなかで歌われている。
 日本を愛する日本人は決して聞きたくない唄であり、不愉快な歌である。その歌がさらに強調され演出された舞台を、自分たちの支払った聴取料を使って作られた舞台で見る、とはナンセンス以外のなにものでない。
 出演反対の声が多かったのは日本人として当然のことだった。本番では広島出身の有吉、綾瀬は沈黙し、女子アナだけが「有難うございました」と叫び出演シーンは終わったが、SNS上では批判の嵐「いい加減にしろ」「NHKは中国テレビか」「大晦日の原爆賛美は正気か」等々多数の反対意見がだされ、なかには「こんな紅白はただちに放送中止してNHK解体だ」と叫ぶ声もあった。
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 翌日、高市総理のデスクには、NHK紅白歌合戦瞬間視聴率調査が届けけられていたという。 かねてからNHK改革をとなえていた高市総理にとっても、驚くべきデータがそこにあった。 エスパ出演の時、視聴率が急降下している。国民はこの反日グループの歌に対してあきらかにノーをつきつけたのだ。

 紅白放送後、SNS上に吹き荒れたエスパ批判に対し、NHKは著作権保護を理由に次々と削除した。SNSの声に対し狂気のごとく反応し、それがいまでも続いているといわれる。
 何故あの時間(8時15分)に合わせて唄が終わったのか、原爆の閃光を想わせる照明の演出をしたのか、何故あれほどの反対を押し切って出演させたのか、NHKの制作局長、プロデューサー、デイレクターは正面から国民に対し説明すべきだろう。

 高市総理は大晦日の現実は決して見逃さない。NHK改革の理由として充分だ。スクランブル化を推進する。14子会社への利益分散でごまかしている予算の透明化をはかり、協会内部の責任を明確にし、改革を要請する。最終的にはNHK解散までもっていくかもしれない。
 NHKは首を洗って待っているしかない。

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2026年01月06日

七福神参りより「駒形どぜう」

月岡放年七福神.jpg七福神.jpg
正月になると七福神を思い出す。バチ当たりである。
 七福神は宝船にのって海からやってくる。
 その光景が版画になり、お正月には枕のしたにひいて寝ると、一年の幸せが来ると信じていた。
 初詣は天下国家の平穏を祈り、宝船にのった七福神は家族への幸運をもたらしてくれる、と教えられた。
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 もとはインド、ヒンドゥー教の神さま「大黒天」を台所神として最澄が比叡山に始めたものが、日本の土着神「恵比寿天」と一緒になり、さらに京都鞍馬の「毘沙門天」が加わって三神信仰となり、さらに室町に仏教の「布袋尊」道教の「福禄寿」「寿老人」が合体し、鎌倉期に近江竹生島の「弁財天」が加わって、七福神信仰ができあがったといわれている。
 それぞれのいいとこ取りでいかにも日本人のチャッカリ精神をあらわしている。あるお宅では仏壇に七福神でいたり、あるいは神棚に七福神ののった宝船が置かれていたり、台所に七福神の御朱印が貼られたり、自由自在に扱われているのがこの国の七福神信仰の都合のいいところだ。
 七福神は国民食カレーの漬け合せとして「福神漬」となり、浅草では「七味唐辛子」として売り出され、宝船にのった七福神は日本中の蔦重の儲けになった。
密かなブーム.jpg洪福寺布袋様.jpg七福神地図.jpg
 少年期の七福神参りは「隅田川の七福神巡り」だった。
 下谷七福神、谷中七福神、浅草七福神、日本橋七福神と沢山あるのにどうしてわざわざ隅田川の七福神化、とある時疑問を呈したところ、「七福神は海からくるので、大川(つまり隅田川)に近いところが一番いい」と一括された。
 多聞寺の毘沙門さま、白髭神社の寿老人、百花園の福禄寿、長命寺の弁天さま、弘福寺の布袋さま、三囲神社の恵比寿さま、大黒さまで完了、帰り道には駒形の「どぜう鍋」が待っていた。 駒形どぜうの座敷で、ねぎ山盛りのどぜう鍋が嬉しかった。 
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2026年01月03日

和菓子は世界遺産である

 正月は和菓子がいただきたくなる。
 洋菓子はクリスマスで打止めとし、新しい歳神さまを迎えるのは、和菓子でないと落ちつかない。
 甘みのある日本茶に和のお菓子、控えはちいさい煎餅、よこの女性は蜜柑に食いついているというのが茶の間の原風景といったところか。
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 正月菓子の代表といえば、まず「常盤(ときわ)饅頭」、真っ白な皮のなかは早春を想わせる若草色の餡、表千家初釜の主菓子である。なによりも白と若草の対比が素晴らしく、けれんのないシンプルな形のなかに季節の喜びがつまっている。
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 裏千家の主菓子は「花びら餅」、甘く煮たゴボウと白味噌の餡、ピンクの餅を求肥で挟んでいる。祇園の座敷で正月を迎えると、お土産に花びら餅を持たされる。
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 茶道とむすびついた主菓子以外で正月に食べたくなるのは、仙台の九重本舗玉澤の「霜ばしら」である。さらりとした薄雪にたつ霜柱の風情そのままに、繊細でほんのりと甘い冬のもてなし。仙台駄菓子とはまったく逆で、なぜ東北の地にこの貴族的なお菓子が生まれたのか不思議である。
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 アイディアの枯渇しているテレビも、正月ぐらいはラーメンを忘れて「和菓子甲子園」を仕掛けたら面白い。
 味とよすがと技術と伝統文化の認識につながる。和菓子は世界遺産である。
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2026年01月02日

「書初め」昭和のむかし

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 新年早々、神聖な若水を汲み、正座して墨をすることから「書初め」は始まった。
 近頃はカルキの臭いのする水道水を使うどころか、市販の六甲の水で間に合わす、と書いたら「何を言ってるんですか開明墨汁か、呉竹墨汁ですよ、墨はするもんじゃなくて買ってくるんです」と軽くいなされた。
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 近頃はやたら元気のいい女子高生が、袴をつけ、襷をかけて、掛声とともに大きな筆を振り回す。
 応援団までついて「書道甲子園」とかいっているようだが、あれを書道とは思えない。
 墨を使ったパフォーマンスで学校の宣伝活動といわれたほうが納得する。
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 書初めをして想いを新たにする。
 目標や抱負を文字に込めることで生き方を新たにする。
 自分の書いた文字をなんども何度も読み返すことにより、血肉になる。
 そのすべてを菅原道真公にささげるから、書が上達するのだと教えられてきた。
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 書初めは四文字が多かった。
 初志貫徹・心機一転・前途洋々・一念発起・七転八起・不言実行……やや大人になって、 花鳥風月・百花繚乱・一期一会……老いるに及んで、悠々自適・明鏡止水……  末期高齢になって四文字を卒業し、 時哉・初心……など
 京都では昔から「一字展」が多く、魯山人は苦難の時代一字書展で稼いで暮らしをたてていたと伝えられる。
 書初めは日本人のこころの修行の第一歩だった。 
 宝船の版画を枕のしたにひく前に「書初め」をしなければならない「昭和のむかし」だつた。
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2026年01月01日

一年の計は「日本橋」にあり

江戸名所日本橋雪晴の朝.jpg
 初日の出は日本橋から……下町生まれの筆者はそう言われて育ってきた。
 テレビではわざわざ富士五湖まで出かけて富士頂上からお目見えするご来光に大騒ぎしている。
 子供のころ、前田公のお屋敷(東大)を抜けて、不忍池を望む辺りのご来光がまぶしかった。それでも江戸っ子はいちいち日本橋にこだわる。
 そも江戸開府した家康は江戸の都市計画についてもっとも中心点に置いたのが、「日本橋と富士山」だったと云われている。
 江戸にきてまず手を付けたのが、東京湾と江戸城をむすぶ運河の開拓だった。その第一号運河をまたいで架けられたのが「日本橋」、最初は二本の丸太が架けられ、のちに本格的な木橋をかけたので、二本橋が日本橋になったと伝えられる。
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 その日本橋を起点に全国に向けて道を作った。
 五街道……すなわち東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道とそして宿場宿場を建設し、関所を設けて全国の徳川支配体制を完成したのだ。飯盛女も宿場女郎もすべて家康の想定内だったということ。表街道の一人歩きはすべて鑑札が必要だったし、村から外へ出ることを禁止されていた女性たちは、ひっそりとつくられた女街道または姫街道ともいわれる脇往還を歩くしかなかった。家出した娘や離縁された女房は女街道をひっそりと里に戻ったのだ。
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 日本橋は江戸という町の象徴だった。 広重も北斎も数多くの日本橋を描いている。
 春の日本橋、にわか雨の日本橋、花火の日本橋、やっちゃばの日本橋、薄雪の日本橋、賑わいの日本橋、大名行列の日本橋……風景も暮らしも行事も、すべて日本橋から始まっている。
 家康は光秀謀反のおり裏街道の案内をしてくれた魚やの森孫右衛門を伴って江戸入りしたが、五街道の土木工事が始まるとその中心の日本橋に、森孫右衛門による魚市場の建設を許し、江戸の台所、胃袋をかためた。
 左様に日本橋は江戸っ子のすべての始まりになっている。初日の出は日本橋から、振り返れば富士も拝めた。
 三越のために日本橋に行くのではない。 デスクは日本橋から富士山が見える訳ない、と頑固に拒否している。
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2025年12月31日

SEXシンボル第一号 ブリジット・バルドー死す

bb素直な彼女.jpg
 キキ といったらムーラン・ルージュ人気一番の踊り子…
 テテ といったら佐久一番のベーカリー…
 べべ といったらブリジット・バルドー…
 戦後、1950年代後半、べべはマリリン・モンローと天下を二分するセックス・シンボルだった。
 モンローのアメリカンなセクシーさに比べ、フランスの野生美あふれる女優だった。パリジェンヌがワルガキになったような、大人のコントロールが全く効かない奔放さが、ニキビ面の学生たちにとって「アァ若いセクシーとはこういうものか」と納得した。
バルドー水着.webpべべ サミーと共に.webp
 彼女は初めて映画に出演したとき、助監督のビリにいたロジェ・ヴァディムが好きになり、恋をし、同棲し、結婚した。
 ヴァデムはべべにより大人になり、監督になったといわれている。
 ベベは「素直な悪女」を皮切りに「私生活」「真実」「軽蔑」「ドンファン」「気分をだしてもう一度」など、当時世界中の映画ファンから注目されていたヌーベル・バーグと呼ばれていた新感覚のフランス映画に次々と出演し、40才にしてさっさと引退してしまった。その潔さは見事、一方のモンローはときの大統領ケネディに近ずきすぎたため毒殺された、といわれている。
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  12月28日、べべ91才の訃報が伝えられた。彼女は生涯3回の結婚式を挙げ、11人の才能ある男性と恋をした。
 「私は幸せではないけれど、不幸せではない」 見事な人生だった。


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2025年12月28日

酔いどれ船と鈴木京香

リュクサンブール公園.jpg フェルー通り.jpg 酔いどれ船.jpeg
 パリで一番好きな場所は? と聞かれたら、「税務署の壁」と答える。
 リュクサンブール公園とサン・シュリビス教会をつなぐちいさな露地、フェルー通りにある税務署の塀である。
 その塀にはランボー17才の折、ベルレーヌのもとに持参した詩編「酔いどれ船」がカリグラファーの手書きで書かれている。
 そこは詩の大好きなパリジェンヌの聖地であり、近代詩の扉をあけたランボーの「詩壁」である。
 詩壁のまえにあるサロン・ド・テが好きで、二日目のパリの朝はいつも窓際のテーブルでクロアッサンと紅茶だった。
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 観光客のこないそのランボーの詩壁を背景にグラビアを撮ったのが、鈴木京香だった。彼女の丁寧な生きざまとランボーの緻密に組み立てられた詩のあいだに共通する知性があるように思えた。
 仙台にルーツをもつ彼女の雰囲気と人生観は好きで、すこしばかりの奔放も大人の女優に許される当然だろうと、受け止めていた。
 建築を愛する彼女がランポーの詩壁のまえでポーズした写真は永年仕事部屋の壁にあったが、いつのまにか行方不明になった。
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 ランポー「酔いどれ船」 六節……  
  それから僕は「海の詩」に浸った、銀河の光をあび乳色に染まり、緑なす青空をむさぼり、時折うっとりと物思いにふける、青ざめた溺死人が沈んでいく。
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 「私は考える、というのは誤りです。ヒトが私を考える、というべきでしょう。私は一個の他者なのです。」 アルチュール・ランボー
 近所の青空市には毎月一回「詩のマーケット」がたつ。
posted by Kazuhiko Hoshino at 18:51| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする