2019年04月22日

電話で話したくない

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 電話に出ない、電話で話したくない、という人が急速にふえている。
 主に若者とおもっていたら、近頃老人も電話にでるな、オレオレ詐欺にひっかかるから、という理由で家付きの電話は危険物扱いになった。
 この間まで家に電話があることは生活の必要条件だったが、いまではめいめいに携帯電話があればそれで良し、個人がコミュニケーションの単位となり、家は消えつつある。情報ホームレスがほとんどで、家はないかもしれない、住所は秘密情報という訳で、わからない浮浪児のような人間がふえている。

 スマホやパソコンで生きている世代には、人と話ができないという種族が発生した。
 話の相手はパソコンやスマホで、機械なら自分の意思を発することはできるが、生身の人間では相手にできない。先輩にたいしても平気で、メールでください、そうしたらお返事します、ぬけぬけと言う。礼儀をわきまえない人間たちだから、どこが悪いの、といった反応である。
 人間同士向かい合った時の、言葉使いや、表情や呼吸から読み取るというコミュニケーションの重要性や、固有な感情の読み取りができないから、記号化された用件のみの付き合いになる。ロボットのような事務仕事ならそれでもいいが、人間同士の付き合いにはひどく希薄な関係しか生まれない。しゃべることが億劫だという人間の増殖など、20年前までは想像もできなかった。

 家の電話に掛かってくるのは、商品の売り込み、銀行のご挨拶、電話の契約変更、選挙の応援依頼など、ほとんど無意味なものばかりになった。それでもたまにFAXなどがくることがあるので、止めることもできず無駄な金を払っている気分である。

 携帯の高い料金に追われながら、アベノミクス生活改善の恩恵は受けていない、と左翼は叫ぶが、みずから貧困な環境に自分を追い込んでいるのではないか、お話嫌いのスマホ人間を前にそんなことを感じている今日この頃である。
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2019年04月21日

ノートルダムのグロテスクな怪獣たち

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  ノートルダム大聖堂の炎上は、江戸っ子にとっての浅草寺炎上よりも大きなショックだっただろう。
 大聖堂のあるシテ島はセーヌの中州にあるパリ発祥の場で、教科書の第一頁に載せられた挿絵を見てフランス人は皆育ってきた。そのシンボルであるあの大聖堂が燃えるということは、故国フランスが炎上するような悲しさに見舞われた筈。
 ナポレオンの戴冠式も、ジャンヌダルクの復活裁判も、パリ同時多発テロの追悼ミサもみなこのノートルダムの広場と聖堂でひらかれてきた。若者たちのデートの名所もこのシテ島の先端にある小さな公園なのだ。

 炎上の映像をみて大統領はすぐさまノートルダムにかけつけた。ユダヤ系のファッション財閥は直ちに再建のための寄付を発表した。
 ルイヴィトン、モエヘネシー、VMHグループのベルナール・アルノー氏一族は250億円、グッチ、イヴ・サンローランなどを配下にもつケリングのフランソワ会長は130億円、ディズニーは5億6千万円、アップルのティム・クックなど、欧米の富豪がぞくぞくと寄付を申し出ている。いずれもフランスのブランド価値を手段に金儲けをした連中だ。
 フランスの税金の高さから逃げ出し、ブリュッセルに居を移したり、タックス・ヘイブンに本社をもっていったりしている連中が、もっぱら寄付寄付とさわいでいる。

 筆者にとってのノートルダムは、三層の屋上廻廊にある怪獣達だった。半世紀前はじめてのノートルダムはガーゴイルと呼ばれている不思議な悪魔巡りだった。
 ガーゴイルはもともと雨樋の機能をもち、そこから出る吐水で聖杯などを洗ったといわれているが、ノートルダムのガーゴイルは吐水口としての機能はないので、ただのグロテスクと呼ばれている。グロテスクには、悪魔、怪鳥、架空の動物、魔女などいろいろだが、ノートルダムには「考えるひと」というホホ杖をついボーとしている怪鳥がいたり、人間をたべている魔女がいたりして退屈する暇はない。
 ちなみにガウディのサクラダ・ファミリアでは、蛇やとかげがガーゴイルになっている。
 異様なものによって魔除けをするという思想は、祇園からノートルダムまで洋の東西を問わない。

 こうした文化財は、歴史そのものであり、人間の知性が生み出したものなので、オリンピックの会場よりはるかに重要なのだ。

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2019年04月20日

スタス・レビュウ ゆめまち最後の公演

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 東洋一の大劇場だった国際劇場が閉じられ、SKD松竹歌劇団が解散して何年たったことだろう。
 この間松竹から見捨てられた歌劇団生徒たちのなかから、いくつかのチームが生まれ、レビュウの灯を消したくないと小さな公演活動が続けられてきた。なかでももっともパワフルに活動してきたのが、千羽ちどり・高城美輝・明石薫・銀ひ乃での四人組で運営されてきたSTASと呼ばれたスタス・レビユーだ。 一昨年、千羽が辞めて、解散かと思われたが、残った三人のレビュウ馬鹿は、あきらめなかった。浅草公会堂から舞台を六区のゆめまち劇場に移して公演をつづけた。
 ショウの聖地ラスヴェガスにたとえれば、いわゆるラウンジ・ショーの規模だが、ショーそのものの鮮度や新しさにおいて絶えずリードしてきたラウンジ・ショーの如く、コンパクトにショウ・アップされた表現は独自なショウ空間を創ってきた。

 中途半端な舞台装置がなくなって照明と音響だけになり、かえって訴求力がました。照明の色彩感や音響のバランスにおいては、大劇場のクセがまだ残って今一段の研究がまたれる。LEDが多用できる時代になり、エッジのきいた照明により自由自在に空間がつくれるようになったのだから、より振付とがっちり4つに組んだ舞台創造が待たれる。
 ようやく慣れてきたゆめまち劇場から次は花屋敷の花劇場に公演の場を移すと発表されたが、花屋敷の遊客にあまり媚びるとつまらなくなる。

 今回の公演の印象をひとことで表現すれば、ウェルメードな大変よくできたショウといえる。スタスの三人組はラウンジ・ショウの作り手として職人の域に達したといえるかもしれない。
 この世界都市東京に毎夜ショウを上演するクラブや劇場がいっけんもないのは、とても不思議なことだし残念なことだが、クリエーターとしてどこまで生き残れるかは、経済的背景の充実と、スタッフの創作態度・世界観にかかっている。つねに錆びつかない現代感覚とレトロな懐古趣味のビミョウなバランスの上に、ショウビジネスはなりたっている。スタス創作のの中軸はそれぞれ微妙な年齢になっていることが気懸りだ。レビュウが好き、踊りたい、だけでは解決できない問題が立ちはだかっている。

 春日宏美とともに国際劇場最後のスターだった久美晶子が、後輩たちの舞台をいちども観たことが無い、というので誘って共に見たが「あたし達の舞台も、こんなに素敵だったのかしら。感動したわ。」
 在籍中いつも辞めたい辞めたいといっていたマドンナ、あの久美晶子のツブヤキだった。
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2019年04月17日

渋沢栄一と渋沢均

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 田園調布の西口といえば、放射線状に伸びたラウンドアバウトな西洋風街並みがひろがる唯一の郊外都市だった。
駅から三本目ぐらいにあったのが、今話題の渋沢栄一邸だった。広い邸内には母屋と離屋があり、度々訪れたのは離れやのほうだった。
離屋には「渋沢均」さんという息子さん…はてお孫さんだったかが住んでいた。

 渋沢均さんはこの度一万円札の顔になった渋沢栄一さんにそっくりの風貌だった。なにひとつ苦労をしたことがないおっとりとした性格はお公家さんのようでもあったが、いつも温和な笑顔をたたえて親しまれていた。渋沢均さんは、「渋さん」と呼ばれて人気があった。
 渋さんは、かの渋沢栄一の倅などとはひとこともいったことはなかったし、日本資本主義の生みの親の息子などとはひとことも口に出さなかった。

 渋さんの趣味は脚本書きだった。当時人気のあった腹話術師小野栄一さんをモデルにした戯曲を上演したいので、演出をして欲しいという依頼があった。小野さんの軽妙な腹話術人形に託して、本音と建前の人間を描きたいという狙いだった。細かい筋立ては忘れてしまったが、資本主義の本家に生まれ育って、有り余る富を眼にした環境へのアイロニーに充ちていたような気がした。

 お札の表紙になったことを、メディアは色々と囃している。令和の顔になった菅官房長官に対し、苦労のわりに報われない麻生財務大臣への安倍さんの心使いではないかとか、いちいちもっともだがクダラナイ報道が飛び交っている。渋沢栄一の生まれ故郷では、わしらの先祖の渋沢栄一さんがお札の顔になって嬉しいと、資本主義から見捨てられたような人々がテレビカメラの前ではしゃいでいる。

 渋さんの脚本は、今はなき有楽町の東京ビデオ・ホールで上演した。「奇妙な人形の恋ものがたり」として生身の俳優と腹話術人形の競演が話題をよんだ。渋さんは創業まもない「ラジオ東京」いまのTBSでもくもくと番組作りをしていた。まわりのスタッフは誰もかの渋沢栄一の倅とは気がつかなかっただろう。

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2019年04月16日

信州の困った弁護士

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 長野県はいわゆる左派、当世風にはリベラル左派の牙城になっている。
 永年訳の分からない羽田王国という曖昧さが支配してきたという風土の特徴でもある。今回の県議選でようやく自由民主が過半数をしめた。が安心はできない。保守に論客がいない。左派と正面から四つに組んで論破する論客がみあたらない。目先の地元利益とだけ結びついた保守ではどうにも心細い。
 ジャーナリズムにはなんでもアベが悪い、アベ政権のあいだは憲法改正絶対反対、安保反対、モリカケすべて安倍のせいという、マッカーサー憲法大好き奇妙なリベラルが揃っている。

 ここ何年かの政界をみても、羽田孜を先頭に、田中康夫、猪瀬直樹とどうみても三流の困ったちゃんしか産んでこなかったのが長野。となりの群馬はなにはともあれ、日本の政治に大きな影響をあたえた中曽根、福田、小渕の三総理大臣を中央政界におくりこんできた。

 平成が終わり、令和になる今、長野からまたまたオバカな声が上がった。
松本城の近所に事務所をもつ弁護士の山根二郎なる男である。
「元号などというものは基本的人権を侵害しており、耐えがたい苦痛だ。元号制度は国民が有している連続した時間を切断し、憲法13条が基本的人権として保障する個人の尊厳すなわち人格権を侵害するものだ。われわれは世界時間を生きている。」という主張なのだ。
 こんな男のために貴重な税金を使って裁判を開らかなければならないとは、民主主義とはほんとうに厄介なシステムだ。訴訟にかんする事前審査でももちださなければ、とてもやってられないという極右を育てる温床をつくっている。

 東大法学部に巣食う反日日本人の高木健一等と同じ、日本を破壊しようという工作員なのかもしれない。少々めんどうだが元号というシステムは、日本固有の文化遺産だというふうには考えられないのだろうか。キリスト教の西暦にコンプレックスをもつ困った信州人の一人だ。
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2019年04月13日

仏教徒のためのキリスト教結婚式

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 オルガンの音が妙に甲高くひびく。司祭が中央に陣取り、三人のクワイアが歌う。
 教会はさすが帝国ホテルだけあって、まんなかにステンドグラスが走り、その中心に木製の十字架が浮いている。全体は木でできているが、格調のあるデザインで落ち着く。あちこちにあるウェディング業者のつくった教会のように、これみよがしのところが無いのがとてもいい。

 新郎は甥である。慶応大学を卒業してかれこれ20年近く、もはや結婚はしない独身主義とおもっていたが、実は密かに企んでいたらしい。
 新婦は神戸の甲南をでた今流行の小顔の美女であった。初お目見えの折、立ち話で生家の宗教は浄土真宗と伺っていた。広島といえば安芸門徒の中心地なので、ついそんな話をしてしまい、名物牡蠣舟のことも、原爆ドームのことも、千年の宮島のことも触れずしまいだった。がホットな話題は広島カープの赤ヘルだということを知らされ、自らの古さを恥じた。

 古いついでに思い出したのは、筆者は今当たり前のように全国にあるホテル・ウエディングの始まりに関わっていた。戦後初めてホテルで結婚式をしようと発議したのは、新橋の第一ホテルだった。呼び出されどのような演出にすべきかいろいろと試行した。そこから火がついてプリンス系ホテル、そしてオークラ、帝国とひろがり、あっという間に結婚式と披露宴は全国のホテルの営業メニューになった。
 馴初めの映像を上映する、両親への花束贈呈、新婦感謝の手紙で涙を誘う、みんなホテル・ウェディング初期に考えた演出である。

 クワイアの讃美歌を聞きながら、不思議な感興に襲われた。いまこの会堂のほとんどが異教徒、クリスチャンはいない、新郎は仏教徒だし、新婦は門徒、同席者は浄土宗、日蓮宗、禅宗等々、恐らく牧師だけがクリスチャンなのだ。そのクリスチャンの説教を素直に聞いている日本人、隠れキリシタンのあの頃とあまりかわっていないのではないか。日本の常識、世界の非常識なのだ。
 視点をかえればキリスト教は異教徒のためへの奉仕を装って商売をしている。それもこれも第二次世界大戦に負けなければ、こんなへんてこな結婚式は実現しなかったろう。
 戦争に負けたとき日本中のホテルに聖書がくばられてキリスト教による宗教侵略が始まった。70年たったいま、結婚式から仏式も神式も追放され、マッカーサーの意図が見事に実を結んだのだ。
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2019年04月11日

ぶぶ漬けの贅沢

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 お茶漬けのことを京都では「ぶぶ漬」という。
 祇園界隈にはぶぶ漬け屋さんが多い。
 まず昔からある花見小路の「十二段家」さん、ここはしゃぶしゃぶが有名だったが、地元のひとはぶぶ漬を食べに行った。
バレンタイン・デーにはハートの形の千枚漬けのある西利さん、今様デザイナー建築の西利ぶぶ漬け家が四条大路に面してある。
 川勝さんは八坂神社の石段下にある。それぞれに微妙に味付けが異なり、それぞれのファンがついている。

 夜、しっかりした懐石料理などいただくと、あくる朝はさっぱりとお茶漬けなどがほしくなる。
 寝ぼけまなこで川勝のぶぶ家に脚がむいた。竹のれんの音に迎えられて席につく。四角い皿に盛られた季節の漬物が楽しい。
聖護院かぶらの千枚漬けはまだ残っていた。まつたりとした昆布の味が歯切れのいいかぶらに乗って絶妙なバランスをたもっている。
 壬生菜はぴりっとした辛さとシャッキとしたはざわりが美味しい。口の中に春のたよりがひろがって季節が広がるのは菜の花漬け。
しょうがも玉ねぎも、こかぶもみょうがも、みな季節をのせて膳にひろがる。漬物11種のシアワセに大往生なのだ。添えられた赤だしも
深くて美味しい。

 信州では漬物といえば、野沢菜ぐらいしかおもいだせないが、京都の365日にとうじょうしてくる漬物は軽く30種はこえている。
 ウリもキウリも日の菜もみんな旬があって、季節とは切り離すことが出来ないので、ますます季節に生きるシアワセが身に染みる。
 庶民の贅沢はブブ漬けにとどめを刺す。
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2019年04月10日

都をどりと南座と

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 消防署の意地悪で祇園歌舞練場が使えなくなっている。
京都の春の名物「都をどり」は、やむなく洛北の京都造形大のホールで上演されていた。先代の猿之助さん等が加わって造られたホールは春秋座となずけられ、良くできたホールなのだが、日常的に劇場として使用されていないので、やっぱり空気が違う。どことなくよそよそしく冷たいのだ。学校のホールの宿命かもしれない。廊下や入口に賑わいがない。

 四条河原町の南座も同じく使用禁止になっていたが、ようやく耐震工事もおわり復活したので、「都をどり」も南座へ帰ってきた。それでも歌舞練場のような茶席のもてなしに使えるスペースはなく、どことなく花街のをどりとしては物足りなさが残る。

 演目は「御代始歌舞伎彩」(みよはじめかぶきのいろどり)。
 「都をどりはよーいやさあ」おきまりの掛け声に始まった置唄から、初恵比寿で授与される商売繁盛、家運隆盛の福笹になり、法住寺に集う白拍子や遊女たちの歌舞争いをみせて、四条河原阿国舞となる。南座の西側には「阿国歌舞伎発祥の地」という石碑があり、往時の賑わいを彷彿とさせる。あまりの人気に幕府もそのままにしておくことが出来ず、色模様を外した野郎歌舞伎となるが、いずれにしても江戸大衆芸能の中核にある歌舞伎模様が同じ四条で演じられることに共感。

 そして舞台は長唄から浄瑠璃にと、これがまたものたりない。わらしべ長者では劇場的スペクタクルにならない。第五景あたりには舞台機構を十二分に使いこなしたドラマティックなシーンがないと、観客がだれてしまうという計算がない。やはり構成者が女性だという欠点がみえてしまう。折角の女性だけの都をどりだから、いますこしその辺りの勉強をなされたら如何。

 一力さんのお座敷では照豊さん初め、福奈美、フク愛、小衿,小純、まめ彩、亜佐子そして豆千鶴さんに世話になった。ついこの間まで可愛らしい舞妓さんだった女性が、気がつくとすっかり女性になっていることに驚かされる。それだけこっちも年取ったという訳か。

 桜のなかに都があった。そして異人さんのなかに都人がひっそりと暮らしていた。そんな春の京都だった。


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2019年04月07日

深川めしのむかし

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 江戸っ子だからという理由にかこつけて昔から「アサリ」が大好きだ。
 春 潮干狩りのころになると、本郷の裏道にも「からあさり! からあさり!」の売り声がきこえてきた。「からあさり」つてなんだろうと疑問をもったが、のちに殻付きのあさりのことだと納得した。木更津あたりからの行商と聞いた。
 こぶりのザルを片手に近所の女将さんがアサリ売りのまわりに二人三人と集った。夕方にはあちこちからアサリの香りが立ち、こどもながらの食欲を刺激された。浅利めしやら、浅利の天ぷら、我が家ではどういうわけか浅利のみそ汁だった。赤だしの味噌に浅利の出しがきいて、とにかく美味いのご馳走だった。

 大川の花見も終わった頃、おせいさんがつれてってくれたのは、櫓したの「深川めし」の名店だった。
 深川めしに入る前におせいさんはかならず深川のお不動様にお参りをする。お参りをしなければ深川で座敷には上がってはいけない、というのがおせいさんのルールだった。
 お参りがすむと「揚げ饅頭屋さん」で土産の予約をし、はじめて深川めしの店にむかった。奥の四畳半ほどの小さな座敷には、障子に川面の反射がゆらめいて、子供ながらの別天地だった。障子をあけると、眼よりも高く掘割が流れていた。

 粋な模様のどんぶりに白いご飯が入り、いっぱいにのったアサリの美味かったこと、こうしたハレの日の深川めしは、老境の今にひきずっている。東京駅からの帰途、サウスコートにある喜代村のあさり弁当に手をのばし、軽井沢まで運んでいる。
 喜代村のアサリはたっぷりとして大きく、アサリ好きにはたまらない幸せである。
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2019年04月05日

美味い食パンを探せ

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 近頃「美味い食パン」が世間を賑わしている。食パンひとつ何のことやらと思われる向きもあるが、若い女性たちにとっては、重大情報なのだろう。
 原因は先の大戦に負けたことだといってもピンとこない人が多いかもしれない。が真実は、敗戦国の日本人にアメリカ農産物の余剰品を処理してもらう目的があった。第二次世界大戦に負けた日本には、ちゃんとした米のとれる田圃は少ししかのこっていなかった。日本政府はマッカーサーにたいして、食料の緊急援助を要請した。アメリカはしめたとばかり大量の余剰品をかかえている小麦粉の緊急援助にふみきり、飢えた日本人にパンを食べさせようとたくらんだ。

 第一弾はコッペパンになった。子供たちはコッペパンによって飢えをしのいだ。やがて食パンになる。いずれも水分の多い小麦粉本来の味よりも、とりあえずパンだよ、という作りだった。素人作りの電気パン焼き機がどこの家庭にもあって、アメリカの小麦粉に感謝しつつ食パンまがいのものを食べていた。
 あの時の将来を見据えたマッカーサー司令部の思惑がみごとに実を結んで、2019年のいま、女性たちが食パンの美味いパン屋に行列をつくっているのだ。

 ヨーロッパの人達は水気の少ないハード系のパンをたべる。水気が多いと小麦の味が判らないという。バケット好きのパリジャン・パリジェンヌも同じで、毎日エリゼー宮に届けられるパンも固いバケットである。

 日本の最近のブームは、少しデェニッシュに偏った食パンだ。食パンのデリケートな味よりもはっきりと違いがわかるデェニッシュが喜ばれる。
 大阪の春夏秋冬、神戸の小麦庵、京都のグランマーブル、など行列の途絶える時はない。祇園にあるグランマーブルは、外からはお茶屋のまんま、よもやここがパン屋とはわからない。すこし秘密めいた祇園ならではのパン屋というところが、お上りさんによろこばれる。東京では、六本木のグランド・ハイヤット東京のデニッシュが意外といける。
 それにしても紀伊国屋のイギリス・パンを超えるヤマが出てこないのが残念である。
posted by Kazuhiko Hoshino at 15:24| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする