2012年01月27日

B級グルメの進化と努力

歳があけると「今年はどうしましょう?何処へ行きましょう?」というのが、事務所の会話。
 去年は富士宮やきそばだったから、ことしはどちらのB級グルメを食べに行こうかというのが、テーマだ。あそこのフレンチは凄い、こっちのイタリアンは価格日本一、といっていたのが、いつの間にか世をあげてB級グルメブームとなった。たまには贅沢もしたいが、普段はB級グルメ万歳というのが、貧乏日本のメガ・トレンドである。
 駅弁日本一にいく度か輝いた北海道イカメシは、「いかめしコロッケ」に進化した。だからお散歩しながら気楽に食べられる。観光客もどれひとつと手をのばす。 ながらく喜多方ラーメンに寄りかかってきた喜多方では、バンズのかわりに麺を、なかにチャーシューなどを挟み込んだ「喜多方ラーメンバーガー」が、生まれた。だからアメリカ人のような近頃の田舎の若者にうけている。石川県では、特産堅豆腐と老舗インド料理店がコラボして、豆乳ベースの白い「白山堅豆腐カレー」が生まれた。
 長野にもいろいろと名産・特産の類はあるのだが、なかなか颯爽としたB級メニューが生まれない。頑迷な県民性なのか、それとも山国にありがちの味覚音痴なのか。
 たとえばフルーツ王国といっていながら、フルーツ・サンドの名店がない。ぞばこそ県民食といいながら、そば餃子は見かけない。松茸は秋の名産品だが、松茸パフェはない。キャベツはとてもうまいが、キャベスパは作らない。千曲川のほとりにも、鮎カレーはないし、佐久に稚鯉の茶漬けはみかけない。ジャムや、長芋もあらゆるB級グルメに対応できる。早く生まれろ長野のB級名品だ。
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2012年01月26日

番宣だらく症候群

 営業局の幹部がおそるおそる制作局へやってくる。…じつはスポンサーからの依頼なんだけど、来月からの新番組の宣伝に、主演の女優さんをモーニング・ショーに出してもらえないだろうか。…駄目です。そんな枠はないし、局内でのマッチポンプはするべきではありません。…そういわずに、なんとかならないかね。…なんともなりません。番組のテーマとあいいれません。そんなに宣伝したかったら、新聞広告でも、街頭宣伝でもやってください。…いやー、代理店からも頼まれてねぇ、30秒でも1分でもいいから、頼むよ。…自局内の他の番組に宣伝を依頼しなければならないほどひどい番組なんですか。その番組止めたらどうですか。
 番宣などという行為は恥ずべきことで現場はみな拒否したものだ。
ところが近頃は番宣あたりまえ、テレビ評論家までが、番宣にみるテレビ局の力量などとねぼけたことをいっている。
 連続ドラマの初日は、朝のワイドショーから夕方のニュースまで、出演者がでずっぱりで電波ジャックをしている。なんとかいう子役まで、番宣です、などと、こまっしゃくれたことをいってでてくる。誰がみても、どうして何故?といった違和感いっぱいなのだが局はなりふりかまわずに番宣まっしぐらだ。
 近頃では素人のおばさん達すら、司会のとなりにすわる突然の二枚目や突然の女優に「あっ番宣だわ」といって、チャンネルをかえるようになった。テレビ局は自ら墓穴を掘っていることに気がつかない。
 宣伝という行為にまったくモラルがなくなったのだ。宣伝をすべて是認する精神はジャーナリズムの堕落なのだ。
 そこはリアリティーを見失った虚飾だけが横行する悪質情報社会ともいえる。
 
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2012年01月24日

三宅久之さんからの手紙

 最近は気力 知力 体力ともに衰えが著しく老醜をさらす前に自ら幕を下ろすことを決意したものでございます。…断腸の思いでございますが「進退は潔く」というのが小生のモットーで…云々。
 三宅久之さんからお手紙をいただいた。政治評論家のなかで、もっとも敬愛する真正保守の方だ。これからはお好きなスーパードライをのみながら、軽井沢の夏を楽しみ、万年ボケの政治へはたまさかのご意見番をつとめていただきたい、と願っている。
 さて三宅さんが好きな理由がいくつかある。
 @皇室は男系を維持すべきだ。  A選挙に立つことを薦められたが拒否した。 
 B田嶋陽子が嫌いだ。(タレント議員としてのいい加減さが目立ち国会議員としては落第者である。)
 C田原総一朗が嫌いだ。(司会であるにもかかわらず、自分の意見を振り回し、異なる発言を否定し、都合が悪くなると「ハイ、ここでCM」司会者の分をわきまえていない。) 
 Dたかじん、辛坊治郎が、視聴率の話を振る と「そんなものは天下の一大事ではない。」と切って捨 て、テレビ・ニュースの内容がグルメや下世話な芸能ネタばかりの点をつき「あれのどこがニュースだ。」と激しく批判した。
 E芥川賞「蛇とピアス」とんでもない作品だ。賞をとったというだけで買っている馬鹿がいる。
 テレビ芸者のような自称評論家の多いなかで、立ち位置がぶれず、いつも明解に発言する三宅久之さんが抜けると、はてそのポジションには誰が? という不安はあるが、三宅さんの人生観、死生観に敬意を表して、長い間お疲れ様でした、というほかない。
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2012年01月23日

奇人・変人・文人

 労働経験はない。/ 携帯はもつていない。/ 母親と二人暮らし。/ 教師には嫌われている。/ 友達はいない。/ 石原は嫌いだ。/ マスコミは嫌いだ。/ つねに不機嫌だ。/ 鉛筆は2Bだ。/ ギャラがでれば出て行く。/ シャーリー・マックレーンが好きだ。…お宅にもこんな中年のプータローが、生息していれば、ひょつとして芥川賞作家になる可能性がある。
 それにしても田中慎弥芥川賞受賞記者会見はひどかった。そこの女性記者と指名されたら、携帯がなくてどうやって連絡をうけましたか?だの、この喜びをどなたに伝えましたか?だの、スポーツの記者会見とまつたく同じなのだ。
 学芸記者の品質劣化がまざまざとよみとれた。文学と向かい合ったことがなく、周辺の雑報で日々すごしているから、テレビのワイドショウのレポーター並みの内容にあきれた。少しは勉強してこい、といいたい。
 「共食い」という作品についての応答はまったくないので、当然興味は田中慎弥の印象にうつっていく。
 曰く、なんらかの発達障害を抱えている。 曰く、ながらくニート、パラサイトシングル、負け犬。
曰く、貧乏で気位だけは高い。曰く優等生ぶつた見掛け倒し。曰く、礼儀しらずのマザコン。等など
 石原慎太郎の「…作家なんて、あんなもんだよ。」自分自身をふくめた人物評も面白かった。
 もらって当然、もらっといてやる、意欲はない、ひねくれもので生意気、常人の世界とは違う作家という
狭隘な世界をしらしめた功績は大きい。
 同じような息子をかかえたアラフォー、アラサーの女性たちは、「こんな異端児を育てている私、カッコいいって感じ…」母と子の異常愛はつづく。
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2012年01月22日

キラキラネームの好きな親たち

 イジメに遭う子供たちの原因は、キラキラネームが圧倒的に多い。子供たちのウツもやはりキラキラネームの子が多いといわれる。
 日本人の名前はいつからこんなにデタラメになったんだろう。欧米での名前はキリスト教信者であれば、聖書、聖人から、あるいはギリシャ神話からときまっていて、その時たまたま流行っていた商品や漫画から名前をつけるということは考えられない。
 名前は全人格を代表するサインであるから、誰からも同じように読めなければならない。親がその子にかけた想いが判るような名前であってほしい。性別が判らないのも困るし、商品と混同したり、神や仏とおなじオコガマシイ名前であってはいけない。
 美俺(びおれ)泡姫(ありえる)希空(のあ)緑夢(ぐりむ)宝冠(てぃあら)二茶(にいちぇ)騎士(ないと)聖那(せな)歩夢(あゆむ)亜夢瑠(あむる)大熊猫(ぱんだ)別咬(べっかむ)… 当て字もいい加減にせい、といったところだ。
 漢字本来の読みを無視しているし、当て字だし、ひよっとしたら人間以外の名前だし、近頃の親には理解不能なことが多々ある。
 最近結婚したカップルから年賀状をいただくと、このたびメデタク子供に恵まれました。写真にそえられた名前には、このように読みますとカッコ付の名前が書かれていることが多い。始めから普通には読めないのだ。好きな英語に漢字を当て込んで、どうだバイリンガルだぞ、みたいな親の脳みそが計られる。子供にとっては迷惑な話で、一生私の名前はこう読みますと、言い訳をしながらの人生がまっている。
 なによりもそのまえに、学校のイジメが待ち構えている。はたして美しいキラキラネームの子供はそれに耐え抜いていくことが、できるだろうか。
 こうした名前の子の親は、圧倒的にモンスター・ピアレンツの場合が多いというのが、現場教師の経験則であると書かれていた。
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2012年01月19日

歌会始に見る絶望の雅子さま

 あんのじょう欠席であった。基本的に適応障害、そのうえ今年は感染症胃腸炎、だから歌会始なんぞには出席できないということだろう。雅子妃殿下のことである。
 ここ十年の妃殿下の詩をみてがっかりした。つぎの世代の象徴となるべき人が、国民のことについて全く関心がない。
 平成14年の「春」生まれいでしみどり児のいのちかがやきて君と迎ふる春すがすがし 子供に恵まれず長い間の負担から解放されて本当によかった。
 平成15年「町」…であふ町びとにみどり児は顔ゑみてこたふる この辺まではまだ幼いし母親として許せる範囲と理解していた。
 平成16年「幸」…吾子の笑顔は幸せに満つ もうそろそろわが子わが子を卒業して国民に眼をむけてほしい。
 平成17年「歩み」…園生の道を親子三人なごみ歩めば…えぇっ! 団地妻のお散歩かよ。歩みという御題が、国の行くすえや国民の暮らしの歩みに想いが繋がらない。残念である。
 そのご、みどり児は幼な子にかわったが、毎年わが子わが子で、この人には国母となる覚悟もなければ、皇室が誰によって支えられているかという認識がないのだなと、理解せざるをえなかった。
 平成21年「生」制服のあかきネクタイ胸にとめ一年生に吾子はなりたり ここにいたってはあきれるばかり。皇室が和歌をとおして、みずからの想いを国民にアピールできる唯ひとつのチャンスに、このていたらくでは、もはや国民が皇室に尊崇の念をもつということは不可能ではないか。
 美智子妃殿下の今年の御歌「帰り来るを立ちて待てるに季のなく岸とふ文字を歳時記にみず」震災の津波で行方不明になった家族や友人を岸でいつまでも待ち続ける人々の想いが痛いほどに伝わってくる。
 東大、ハーバードをでた才媛には、国家のシンボルは無理ということか。
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2012年01月17日

きものは正月の宝石

 正月に似合うファッションはきものを置いてほかにない。
 ちょっと見に直線裁ちの堅いきものだが、全身グルグル巻きにして体をかくしても、流行のショート・パンツやシースルーのどれよりもはるかに色気があり、こころざわめく日本の衣服だと思う。
 暮のおせち作りのときは質素なきものに割ぽう着をきてがんばり、元旦を迎えたとたんに粋な小紋に着替え、お神酒をかわす。初詣にでかける。歌留多をする。みんな華やかな振袖と渋い結城や江戸小紋のある風景がとてもよく似合った。
 貧しい時代の母親や、娘さんたちのお正月のお洒落には、飽食の時代のファツション・ピープルより、ずっと華やかで贅沢なハレの気分があった。歌舞伎の女殺油地獄や谷崎文学にもでてくる、くるくると帯解きをする「帯取り回し」のお大尽遊びなど、きものの着付けの複雑さを逆手に取ったお遊びだったのだろう。
 きものは身体のほとんどを隠し、顔と手以外にはわずかに首筋だけをみせる。腕をあげたとき袂からわずかに覗く二の腕の奥だとか、胸の合わせから見える白い肌、うなじのあでやかさなど、きものという民族衣裳のエロティシズムではなかろうか。
 脇の下についている「身八つ口」、身体の内奥から発する汗や臭気を逃す工夫といわれているが、これこそきもののエロティシズムの極め付け。そつと身八つ口から手を入れれば、たちまちに胸にとどく。ひんやりとした絹の感触から、暖かな女性の体温にうつる落差のなかにこそ最高の色気があるといっていたのは、モーパッサンを師と仰いだ永井荷風だった。
 いいあわせたようにアクリルの振袖をまとい、大きく盛った髪に安っぽい花飾りと安っぽい白襟巻き、お約束のヴイサインをする近頃の成人式のきものは、たしなみに欠けるきものの様なもので、禁欲的なエロいっぱいの日本のきものではない。 
posted by Kazuhiko Hoshino at 23:52| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月16日

学者よりオサカナ?

 「竜宮の使い」とよばれる気味のわるい深海魚があがった。静岡、牧の原の海岸、体長5メートル近くの蛇のような細長い魚体だが、1000m以上の深海に住むこの魚は、昔から「地震の使い」と呼ばれてきた。
 東京港のコンテナ埠頭には、10mのシロナガスクジラが腹をみせて漂着した。同じ頃、小田原にもザトウクジラが、打ち上げられ、静岡でもザトウクジラ2頭が打ち上げられた。
 3.11の前3月4日には、茨城・鹿島の海岸に52頭ものクジラが打ち上げられ、漁師さんたちは大騒ぎしていたそうだ。
 去年のニュージーランド大地震のときは、107頭ものクジラが打ち上げられ、地震と魚が関連する異常現象は、もはや疑う余地はない。
 福島原発事故では、放射能学者たちはすっかり信用を失った。彼らが安全安全といってきたのは東電からの金銭に対する御礼であり、人間の命への畏怖は全くなかった。
 地震・津波学者もあらかた大嘘ツキであることが、証明された。学者は生きた現実よりも、机上の空論に奉仕する妄想主義者であることが、証明された。膨大な資料をまえに、庶民の税金をつかって研究しているのは、ひとへに人間の命への奉仕でなければならないのだが、いつからか象牙の塔の既得権にしがみつく官僚になってしまった。
 地震のまえに騒ぐナマズのほうがよっぽどましということか。クジラ達の異常現象がこれだけつづいても、学者たちは一顧だにせず、わが研究を優先する。官僚と学者は犬もくわない。
 
posted by Kazuhiko Hoshino at 19:08| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月15日

情熱大陸のデタラメぶり

 数人のひとから質問を受けた。
 「先日TBSの情熱大陸という番組を観たんですが…あの茶人はそんなに偉い人なんですか?」
 「はっ?」
 「官休庵千宗屋家元後継とかいてありました。利休を超えた現代の茶人とか、いってましたけど…」
 「…利休を超えた茶人とは、聞き捨てなりませんね。」
 「私達が習ったお茶には、あんなに下品な振るまいはなかったし、言葉づかいももう少しちゃんと
  していたのですが、今のお茶ってあんなもんなんですか?」
 「いや、そんなことはないでしょう。わび、さびを超えた…利休を超えた茶人、それは真っ赤な嘘です。
  自らに大をつけて、利休直系の裏千家大宗匠と称しているひともいますが、さすがに利休を超えた
  大茶人とはいってません。」
 「そうですか。テレビに映っていると、私たち素人はつい本気にしてしまいます。」
 テレビというのは、無責任かつデタラメな部分があって、あの番組も20以上の制作会社、つまり下請けプロダクションがたらい回しで作り、毎日放送とTBSのチェックをうけたのち放映される建前なのですが、何十人もいるプロデューサーも演出も全く無知で、ナレーターの窪田等にもっともらしくしゃべらせているんでしょう。今のテレビは番組宣伝にかんしてはまったく破廉恥ですから、だからテレビを信じてはいけません。何年か前、狂言和泉元弥のときも、狂言界から追放され正式の能舞台に出演できないにもかかわらず、テレビだけは狂言家元として使い続けた前科があります。伝統芸能や歴史をあつかった民放番組はまず疑ってかかったほうが安全です。その点ではNHKの教育のほうがましですね。
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2012年01月14日

年賀状の楽しみ

 虚礼廃止とばかり、年賀状を出さない人もいるが、隣はだれ?の世のなかで年賀状をだしたり、いただいたりの習俗は、嬉しくもあり楽しくもある。
 今年の漢字は「絆」が世間を賑わしてきたが、個人情報やらネット社会が、はじから絆を断ち切ってバラバラ社会となりつつある。お互いのアイデンティティーもしらず、ただ記号だけで絆ができると信じている世代は恐ろしい。仲間になるにしろ、友達になるにしろ、顔と顔をつき合わせ、言葉を交わしてある程度お互いを理解してこその人間関係の筈だが、近頃は表札も出さず家のなかでパソコンに向かって、フェースブックとやらで自分に好都合の情報だけ、イイネ!だの、ワルイネ!だのと繋がっていく。
 さていただいた年賀状だが、志音さんの墨痕鮮やかな龍、吾妻徳弥さんの雲竜、中村乃武夫さんからは天地方寸と雄大な墨蹟をいただいた。勿論ことしは絆や竜や辰が圧倒的に多かったのだが。束芋さんからのteleco-soup、藤森カツジさんの朝日のリズム、富田菜摘さんの廃材の竜、空山基さんのシースルーのクラシック・バレエはセクシーさに慄然とし、黒鉄ヒロシさんのユーモラスな竜、上坂匡さんの版画、獏郎さんの板画と、年頭にはがきの美術館に囲まれた。
 役者衆も藤十郎さん、翫雀さん、菊五郎さん、菊之助さん、団十郎さん、海老蔵さん、仁左衛門さん、染五郎さん、団蔵さんとそれぞれに文人風な絵や書が楽しい。何故かセクシーで背の高い黒人を抱いている田尾兵二さん、七福神が竜の船に乗って外洋をめざす現代浮世絵の真澄さん、地域と共にめざす目的地は絆と企業理念を真っ赤に印刷したカントリー・プレスの荒川清司さん、毎年子供の写真のみで本人の年取りぶりを見せてくれない年賀状もある。
 お年玉袋をそのままお年賀のはがきにした早野さん、思わず入っているのかと上から覗いてしまいました。「災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候。死ぬ時節には死ぬがよく候。これはこれ災難をのがるる妙法にて候。」善光寺のお坊さん福島貴和さんからの賀状、見事に引導をわたされた。
 
posted by Kazuhiko Hoshino at 22:30| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする