猿翁さんほど歌舞伎と闘い、歌舞伎に夢を託した役者はいなかった。
明治の演劇改良運動によって抹殺され邪道とされてきたケレンを復活させ、歌舞伎に再び大衆演劇の楽しさ面白さを呼び戻そうと努力した。
叔父の松緑さんから「あれはキノシ(猿翁の本名)・サーカスだ」とまで言われながら、スーパー歌舞伎の創造に命を燃やし、古劇の復活、古典の再創造に邁進してきた。

私生活は多難だった。宝塚のトップスターだった浜木綿子と結婚するも1年半で別れている。自身の浮気が原因だった。
子供の時から習っていた踊りの師匠勘十郎の奥さんだった藤間紫との不倫だった。
紫さんは猿翁にとって忘れることのできない12歳の頃からの初恋の相手、浜木綿子との間に香川照之という子供を設けたにもかかわらず、初恋の相手にはかなわなかった。…が相手は師匠の奥さん、おおっぴらに出来ず、同棲しながら共に作品創りに情熱をもやした。

南軽井沢、発地の果てに歌舞伎座と同じサイズの舞台をもつ稽古場を造った。宿舎とふたつの稽古場をベースにスーパー歌舞伎の本拠地を創ったのだ。
21世紀歌舞伎となずけた若いお弟子さん40名とともに合宿し、紫さんはオサンドンとマネージメントに奔走し、二人三脚で創り上げたのがスーパー歌舞伎だったのだ。
町長始め軽井沢の人々はほとんど関心をもたず、紫さんは汗だくになって地元のスーパーツルヤにお弟子さん達の買い出しに奔走していた。
健康を保てれば、猿翁さんは新宿に自前の劇場をたて、松竹からの独立をめざしていた。
残念なことに時の氏神は味方をしてくれなかった。 合掌