2017年10月22日

フランス映画の美貌・ダニエル・ダリュー

 ダニエル・ダリューが亡くなった。
 彼女の名前のうえには常に「フランスの名花」というキャッチがついていた。

 ダニエル・ダリューの名前をフルネームで書くととんでもないことになる。

「ダニエル・イボンヌ・マリー・アントワネット・ダリュー」
 なるほどこの名前なら美人に決まっている。
 美しくなければならない宿命の名前だともいえる。

 パリ郊外のボア・ル・ロアで100歳の天寿をまっとうした。
 いつも美しく、気品にみちて、たまにちらっと見せるコケットな表情が抜群だった。
 フランス古典派の美人女優といわれたが、もっぱら文芸作品のヒロインとしてフランスは勿論のこと
 アメリカでも日本でも、大人の映画ファンの心をつなぎとめた女優だった。
 カトリーヌ・ドヌープは、年齢を忘れたただ一人の女性、それがダニエル・ダリューだと羨望していた。

 14歳のデビューだったが、シャルル・ボアイエと共演した「うたかたの恋」によっていっきに
 スターへの道をのぼりつめた。
 戦後、1950年には「輪舞」
    1654年には「赤と黒」
    1955年には「チャタレイ夫人の恋人」とたてつづけに話題作に主演したが、音楽学校を出た彼女  には、いつも音楽への秘めた情熱があった。
 1970年には、キャサリーン・ヘップバーンの代役としてミュージカル「ココ」のシャネルを演じた。
 シャネルの知的な表情から情熱的なまっすぐの気性、ダイナミックでヒステリックな仕事の顔まで、
 ヘップバーン以上に演じきったと評判を得た。それでも彼女はあっさりとアメリカをふり、さっさとフランス へ 帰ってきた。ボルドーで生まれ、パリの水に育った彼女には、パリこそが故郷だった。
 
 三度の結婚を繰り返したが、最後はロアの森で家族にかこまれ、静かに天国に召されたと伝えられている。
 フランス映画の歴史をつくった憧れの美しき女優だった。
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2017年10月21日

韓国軍の蛮行・ライダイハンの真実

 「日本の慰安婦問題を国際問題化しようとする文在寅大統領に巨大なブーメラン!」
 韓国人の執念は世界中に少女慰安婦像をつくり隣国日本を貶めることだ、というが、今あまりの醜さにブーメランに見舞われそうになっている。
 イギリスのピーター・キャロルを中心にベトナムにおける韓国軍兵士の蛮行を世界に知らしめる目的で、「ライダイハンのための正義」という市民団体が結成された。
 この団体は「ベトナム戦争において韓国兵士からの性的暴行に遭った女性たちが過酷な人生を送って」いう事実を検証するためイギリス議会に調査委員会設置することを求めている。
 彫刻家レベッカ・ホーキンスさんは被害女性とその子供たちによる「ライダイハン像」を制作し、在ベトナム韓国大使館前に設置して世論喚起しようという計画が進められている。
 日本軍の少女慰安婦像をつくって世界中にばらまいている間に、肝心の韓国人による蛮行を忘れていたためのブーメランがやってきたという構図である。

 ベトナムでは、多くの村々に「ダイハンの残虐行為は忘れない」という碑が建てられ、あの韓国軍の非道は決して忘れない、と主張する人々がいる。
 韓国の歴史学者ク・スジョン氏は当時の資料をベトナムから入手し検証している。
 例 ★老人、子供、女性を一か所に集め、機関銃を乱射して殺戮した。
   ★女性を強姦しながら拷問にかけ、その後殺害した。
   ★妊婦の腹を踏みつけ、胎児が破れ出るまで拷問にかけた。
   ★村人全員をトンネル内に追い詰め、しかる後毒ガスで殺した。……等々
 ニュース・ウイーク誌には報道されたが、韓国国内では一切報道されず、ベトナム戦に従軍した退役軍人たちは「俺たちは国家のために戦った。戦友を冒涜するな」とこれを報じたハンギョレ新聞社におしかけ、社屋機材の破壊蛮行に及んだと伝えられる。

 韓国大統領文在寅は、これらの事実にたいし一切公式の謝罪はせず、賠償も知らん顔、それにふれることすらせず、ひたすら日本軍の従軍慰安婦問題だけをあげつらっている。
「ライダイハン」とは、韓国兵がベトナム女性に産ませた子供たちのこと、2万人から3万人いるともいわれている。
 従軍慰安婦問題に熱心な韓国人と韓国政府、そして朝日新聞はこのことにたいし、どのような態度をとるか、興味がもたれる処である。ケント・ギルバート氏は「韓国はベトナム女性に謝罪する像」を建てるべきと主張している。
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2017年10月20日

ゲノム編集によって人間がつくられる

 「ゲノム編集」の実用化が始まっている。
 こまかいことはともかく、人間ならびに植物の形状だったり、内容を自由に編集できるということだ。つまり病気になりたくない、死ぬまで健康でありたい。もう少し美人に生まれたかった、より背丈の高い男に生まれたい。これらはみな「ゲノム編集」の対象になりうるという話だ。
 編集といえば、画面の繋ぎ合わせで完成する映画の技術として認識していたり、テレビ番組のつなぎや、雑誌のページ構成のための技術として、コアな人たちにかかわることと思っていた人たち自身の問題として登場してきた。これからの人間はすべて「ゲノム編集」によってより優秀な人に生まれる、という期待ももてる。

 つい先日、北海道大学が大豆のゲノム編集に成功したと伝えられた。大豆が従来のものより150パーセントの大きさになり、味も落ちず、収量もより大きくなった。居酒屋のオヤジさんにとって朗報なのか、訃報なのかよくわからない。
 英国ではエイズや白血病の患者から細胞を取り出し、ゲノム技術で遺伝子を修復する研究が進んでいる。
 先端医療技術の分野でも、血友病について病気遺伝子をゲノム編集し、マウスの体内にもどして成功したと伝えられている。
 国際会議では、ゲノム編集は体細胞を基本にし、生殖細胞のゲノム編集については基礎研究に限り、ゲノム技術によって改変した生殖細胞は子宮には戻さない、という決定がなされたと伝えられる。

 日本ではようやく学術会議が、ゲノム研究のルールを検討する分科会を置くことを決め、内閣府の生命倫理調査会が、ゲノム技術の受精卵への応用は基礎研究に限って容認する、という決定をくだした。
 筆者はすでに人生のあらかたを消費してしまったので、いまさらゲノム編集に用はないが、あと10センチ背高に生まれ、もう少し記憶力のいい人間だったら、かなり異なる人生が送れたのではないか、という思いはある。
 A1や人工頭脳にまして、このゲノム編集の技術は、人間についての倫理を問いただす21世紀最大の課題であろう。
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2017年10月15日

メード・イン・ジャパンの崩壊

メード・イン・ジャパンの崩壊
 データ改ざん、最近の嘘だらけは余りにもひどい。いつからこんな国になってしまったのか、情けない限りだ。かってこの国は、正直で礼儀正しい国と世界中から認識されていた。戦争に負け、アメリカこそ自由と平等の理想の国と思い込んだあたりから、嘘も方便の植民地になりさがったのかもしれない。

 タカタのエアバックデータ偽装は、一気に日本の部品メーカーの信用を落とした。世界中のエアバック供給国から訴訟され、市場はヨーロッパに奪われてしまった。
 三菱自動車の燃費データ偽装がばれ、三菱グループすべてから厄介者扱いをうけ、つまるところ日産に吸収されたのは、ついこの間のこと。
 その日産がまた嘘でかためていた。自動車の最終検査員をここ何年にもわたって検査資格のない一般工員にやらせていたというのだ。舶来のゴーン社長のもと、コストカットこそ最上の自動車製造とばかり、メーカー本来の厳しい製品管理がよこにおかれていたのだろう。
 「ヤッチャエ!ニッサン」 と上から目線のCMが流れ始めたあたりから、ユーザーと向かい合うメーカーのポジションを忘れ、宣伝テクニックに傾斜した危うさが見えはじめていた。

 そして名門神戸製鋼の製品データ偽装、データ改竄が表面化した。影響は限りなく大きい。自動車産業のすべて、新幹線のすべて、航空機産業のすべて、電気産業のすべて、ほとんどあらゆるジャンルに鉄やアルミは供給されていする。日本ばかりではない。世界中に取引先をもつ日本を代表するメーカーなのだ。納期や規格要求の厳しさにたえきれず、データ改竄にはしったと言い訳しているが、メーカーとしてのプライドもモラルも失って、金儲け一辺倒の会社に成り下がっていたのだ。
 日本一の電気メーカー東芝も何年かにわたる決算不正で解体の危機にある。シャープはもはや台湾企業になってしまった。経団連はいまこそ「企業モラルのルネッサンス」に声を揚げるべきだろう。

 「メード・イン・ジャパン」の崩壊、危機が迫っている。働き方改革などと念仏を唱えている時間はない。
産業界に性善説は通用しない。性悪説にたって産業界の総点検をしなければ、日本の財界に明日はない。
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2017年10月14日

絶滅危惧種のレビューが復活した

絶滅危惧種のレビューが復活した

 「STAS REVUE 秋のおどり」絶滅危惧種の踊りである。
 結論からいうと2.3の景を除いて全体にとてもいい、とても気分のいい舞台だつた。このレベルの舞台はかってラウンジ・ショーとしてラスベガスにあったが、いまは絶滅してしまった。モンマルトルの麓にあるいくつかのナイト・ショーよりははるかに楽しめるレビューになっていた。
 当初、かってのグランドだつた国際劇場のつくりからなかなか脱却できず、中途半端な大道具や舞台作りが邪魔だったが、この浅草ゆめまち劇場に落ち着いてから、やうやくレビューの本質に近ずいてきたような気がする。

 なによりも印象が変わったのは、大劇場向けのメークアップから、アンチームなゆめまち劇場向けのメークになって、キャストがみな美しくなった。眼の前で踊られても当惑しなくなった。一様に肌色もよくなって美人集団にかわったのだ。若い女性が集まって舞台を作っているのだから、デートに出かけるときのような、綺麗な充実感に輝いていなければ意味がない。重ね倒した目張りや、巨大なうそ眼がめだつような、場末のキャバ嬢にも見えるメークアップは絶対に許されない。

 衣装も今回はとてもよかった。色ずかいがシンプルになって洗練されてきた。白と黒とか、紅ひといろとか、ゴールドだけとか、基調色に少しのアクセント・カラーでよりモダーンな色彩感にあふれていた。多色使いになるとまだ少しばかり問題がのこる。男役のスタイルになると、まっくろなレトロになるが、少女歌劇の幻想に囚われていてどうにもならないのだろう。

 いちばんの功労は構成と振付が非常にこなれてきたことだ。観客に不安な気持ちを抱かせずスピーデイに楽しく情景が展開していく。伝統とコンテンポラリーとモダーンが程よくミックスされている。ときにオバケが顔を出すが、これさえなければ第一級のショー・チームといえるだろう。
 SKD由来スタスの魅力は、アップテンポでチャーミングなのだ。 絶滅危惧種は見事に復活をとげていた。
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2017年10月13日

鍋の季節がきた

鍋の季節がきた

 もはや鍋の季節の足音がきこえてきた。
上田別所平の山のうえでは、まだ「松茸鍋」が奮闘している。よしず作りの簡素な山小屋で松茸のいろいろをふるまってくれる。人間とは強欲なもので、松茸の香りを味わいながら、思いははやくもフグすなわち「フグ鍋」に思いはとんでいる。

  ふぐちりにしようか、やはり大皿いっぱいに広がったふぐ刺しからいこうかと、食欲が独り歩きする。
 ふぐについては食欲というより、通過儀礼に近い。だから本場では「福」と敬称されている。大分臼杵産の天然とらふぐを腹いっぱい食して福を頂きたい。
 本場からきた丸の内の山田屋も、銀座の福和も、ともに臼杵のふぐを売りものにしている。

 魚の鍋に君臨するのが「ふぐ」とすれば、鳥の鍋ではやはり琵琶湖の「かも鍋」にとどめを刺す。
 鴨だけではだめどす、水菜の旬がきたらご案内します、という祇園の冨美代さんが、忘れられない。 ゆったりとした座敷で鴨と水菜だけのシンプルな鍋が嬉しい。

 極端だが、江戸っ子としては冬の「どぜう鍋」もはずせない。せっかちな江戸っ子のために火の通りの早い浅い鉄鍋に、ネギの刻みをいっぱいのせて食すどぜうの丸が、寒さを吹っ飛ばしてくれる。
 江戸風情の大座敷の活気にあふれた浅草・駒形どぜうがぜひもの。

 冬の鍋の国民食はやはり「すき焼」にとどめを刺す。家でやってもよし、外食でもよし、すき焼きは幅が広い。アメリカン・ビーフから米沢牛・松阪牛まで、懐ぐあいでどうにでもなる。
 出汁で炊いてしまう関東風よりも、肉の一枚、一枚を丁寧に焼き上げる関西風のほうが好みだ。
 鍋類も概して関東のものより関西のほうが美味いのは何故だろう。
posted by Kazuhiko Hoshino at 23:20| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月10日

パリ12区にヌーディストの森現る

パリ12区にヌーディストの森現る

 パリの東に隣接してヴァンセンヌの森がある。
 ナポレオン三世から譲られたこの森は995ヘクタールもあり、西のブローニュの森に対して、パリのもうひとつの森として人気が高い。睡蓮の泉や花の谷のあるパリ・フラワー・ガーデンがあるから、花好きのパリジェンヌにとっても花の聖地になっている。
 それだけではない。標識14番のあたりには、自然を愛するゲイたちの集まるホモエリアもあって、LGBTのパリジャンにとっても解放区になっている。

 そのヴァンセンヌの森に、期限付きながら「ヌーディストの森」が現出した。
 パリ市が10月半ばまで、朝8時から夜の7時30分まで、ヴァンセンヌの森の一部7.300uをヌーディストのために開放したのだ。市当局は都市の開放性を強調し、緑地の新しい活用法として、これからも毎年夏から秋にかけて実施していく方針のようだ。
 パリの市民プールでもすでに週3日ヌーディスト・デーを実施しているところがある。アパートの屋上でも、ニースの海岸でもヌーディストは多く、パラソルの下でなにげに美しい裸女が本を読んでいたりして驚くことがある。 裸は隠すものではなく開放すべきもの、というフランス人の考え方が見えて嬉しい。

 東京で言えば深川の向こうにヌード村をつくるようなことなので、都民は到底賛成しないだろうが、ごく身近の森で、家族連れのファミリーや、若い恋人たち、老境にさしかかった夫婦などが、裸になって太陽のひざしをあびているのは、そんなに排除すべき光景ではないように思う。
 一方ではテロに備えてマシンガンをもった兵士が町を見回り、そのすぐそばではヌーディスト達が太陽を楽しんでいる。 …… いかにもフランスらしい風景ではある。
posted by Kazuhiko Hoshino at 06:33| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月09日

絢爛・マハーバーラタ戦記を観た

絢爛・マハーバーラタ戦記を観た

 マハーバーラタと言われても身近に感じる人はすくないだろう。もう一つのヒンドゥー教の聖典、ラーマーヤナのほうが多くの日本人には馴染みがある。
 がこの聖典はイーリアス、オデッセイとともに世界三大聖典とよばれ、古代インドに於ける宗教的、哲学的、神話的叙事記として人々に伝えられてきた。長さは聖書の約四倍、18編、10万詩節に上る長編なのだ。バラタ族の内紛、大戦争を通じて、自由に時間をとび、空間をとんで、ダイナミックに展開する思想と事象のせめぎ会い、それ故に賢者は呪い、神の子が戦うという、壮大な史記が出来上がったのだろう。

 そのマハーバーラタの歌舞伎化について、3年前から努力してきたのが、音羽屋の若獅子尾上菊之助、彼の生真面目さと努力が実って、この芸術祭10月大歌舞伎に上演された。
 間口の広い原作からどの部分をとりだすか、戯作者は悩んだに違いないが、第一作としては大成功というべきだろう。菊之助扮する迦楼奈と松也扮する阿龍樹雷王子の話により絞ったほうが、芝居の密度は上がったにちがいないが、作品の背景にあるスケール感をかんがえると、そうもいかなかったのだろう。

 音楽では歌舞伎の下座と併用したガムラン風の打物、打楽器が絶妙な効果をもたらしていた。振付についてはもう少し時代を遡るか、民族舞踊にある手法のほうがより作品に密着したように感じる。照明はいつもの歌舞伎照明よりはるかにエッジの効いた空間をつくりだしていた。衣装は神々のきらびやかな工夫とにほんの着物が意外に違和感なく見られたのが不思議な体験だった。日本のきものと北インドにある呉服の共通点を考えたとき、当然のことだったのだろう。

 最大の見せ場は戦争のスペクタクルだった。菊五郎劇団の国立劇場に於ける見事な殺陣をみているせいか、よりダイナミックな殺陣を期待したが、京劇風な旗を取り入れたり、馬や象の演出に気をとられて、殺陣の爽快感を表現するところまではいかなかった。
 さらに練り直してより良い作品に昇華されることを願っている。芸術祭大賞は決まり、の歌舞伎座だった。
posted by Kazuhiko Hoshino at 16:27| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月07日

小さい秋が見つからない

小さい秋が見つからない

 中田喜直先生の名曲に「ちいさい秋みつけた」という小品がある。
 〽誰かさんが 誰かさんが 誰かさんが みつけた / ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた
 という繰り返しに始まるサトウハチローの詩によるかわいい童謡だ。
 わずかに兆し始めた秋のかけらを見つけ、その秋に対する思いをそっと歌った名曲であり、かっての日本人の心のかたすみにあった秋という季節への讃美歌でもある。

 縁あってこの「ちいさい秋みつけた」を映像化しなければならないことになった。
 第1集では、軽井沢の白鳥の湖と言われてきた、雲場の池の色ずいた紅葉を素材にした。さいわいセレクト版を作ることとなり、「ちいさい秋」を再撮影することになった。楽曲の3番ではこう歌っている。
 〽むかしむかしの 風見の鳥の / ぼやけたとさかに はぜの葉ひとつ 
 やはり「はぜの葉」を見つけるしかない。軽井沢ならいくらでもあると思い、撮影に出かけて驚いた。森から森につながる別荘地にはまったく見当たらない。
 いちばん先にちいさな秋をみせるはぜの木はすっかり嫌われてしまっていた。紅葉の大きな秋はあちこちにあるが、ひっそりとちいさな秋をみせるはぜの木が見つからない。

 ちいさな秋を探して何日か費やしたあと、そうだ峰の茶屋のむこうの浅間山と対峙する六里ヶ原へ行けば、と思い立ちようやくはぜの葉の見事な紅葉と出会うことができた。
 迷惑な猿にくらべ、庭の片隅に寄生するはぜの葉など、秋のさきがけとしてとても可愛いと思うが、かぶれたらのママ・クレーマーの声に植木屋さんも従わざるを得ないという現実があった。
 
posted by Kazuhiko Hoshino at 11:30| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月04日

プレイボーイ・ヘフナーの終焉に想う

プレイボーイ・ヘフナーの終焉に想う

 占領軍の強制により、初めて日本映画にキスシーンが登場したり、新宿帝都座においてストリップ・ショウが始まったり、武士道教育に育った日本人にとって女性のヌード解禁というのは、驚天動地の出来事だった。
 アメリカ文化は右手にハリウッド映画、左手に女性ヌードへの賛美を掲げてこの国にに上陸した。

 女性賛美のアイコンは、なんといっても美女のヌードグラビアに飾られた「プレイボーイ」の日本発売だった。創刊号を飾ったマリリン・モンローは名実ともにハリウッドの頂点にのぼりつめ、毎号巻頭を飾ったプレイメートは女性美の憧れだった。

 ある日突然に、TACの社長室からお呼びがかかった。TACはあの頃、VAN、JUN とともに男のカジュアル・ファッションの先頭を走っていた。
 日本でPLAYBOYブランドの全面展開をすることになった。ついてはPLAYBOYブランドの展開オペレーションの演出を頼むという依頼だった。社長室はすでに、プレイボーイ・カラーのゴールドとブラックに装われ、六本木のペントハウスにオープンしたプレイボーイ・クラブとともに巷の話題になっていた。アプレゲール達はみなプレイボーイの影響をうけ、ウサギちゃんのいるクラブに夜な夜な押し掛けた。

 ベルエアの友人に連絡すると、ならば直ぐロスへ来い、ヒュー・ヘフナーに会わせる、という託宣、ビバリーヒルズの麓にあるプレイボーイ・マンションに連れていかれた。緑に囲まれた数千坪の庭園に600坪の屋敷は、外目にはさほど華やかではなかったが、招き入れられてびっくりした。文字通りヒュー・ヘフナーの金黒趣味と美女たちの天国だった。そこに泳いでいたプレイメート達は、絵にかいたような美しき女たちで、現実のものとは到底信じられなかった。……あのヘフナーに人並みの死が訪れたとは。

 マリリン・モンローが疑惑の死をとげたとき、無一文の彼女の遺体は、ポストと呼ばれるダウンタウンの公共墓地の一隅の安置された。モンローをこよなく愛したヘフナーは、その隣のポストを数億で押え、いつか自分に死がやってきたら、モンローとともに永遠の眠りにつく、といっていたが、果たして31歳の若き愛人は、ヘフナーの思いのままに埋葬したかどうか、すこしばかり気になっている。
 20世紀の女性にたいして、ヘフナーの残したプレイボーイ文化の影響は余りにも大きかった。
posted by Kazuhiko Hoshino at 21:46| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする