2018年12月13日

「次の質問どうぞ」

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 「次の質問どうぞ」…「次の質問どうぞ」…「次の質問どうぞ」…「次の質問どうぞ」
 河野外相は去る11日の外務省記者会見で、記者たちの質問を無視し「次の質問どうぞ」を4度繰り返した。記者たちの質問はいずれもロシアとの北方領土交渉にかかわることで、日本としての領土返還への目標をただしたものだった。

 河野外務大臣はかねがね外務省記者クラブ(霞クラブ)に所属する記者たちに不満をいだいていた。
 記者たちのほとんどが本社に帰れば政治部所属のため、その時々の世俗な話題にばかりに関心をもつ。ときに北朝鮮が話題になれば、質問は北朝鮮ばかり。総裁選が近ずけば立候補するのか、しないのか、そんな質問ばかりで外交に関する質問が常識以下だと嘆いていた。

 外交交渉はほとんどが英語である。それ故記者会見の冒頭はいつも英語で始まる。彼は英語もわからないで外務省担当とはよくいえたものだという思いがある。英語の判らない奴はただちにここから出て行って欲しい、という意思表明にほかならない。ほかの省庁なら日本語が正しいのだが、外務省は英語でなければならないという確信犯が河野外相なのだ。

 プーチンという世界でも名うての曲者を相手にしての外交交渉であれば、こちらの手の内は見せられない。手の内を見せたら、即座に駆け引きの敗者になる。そのくらいの事は、外交担当の皆さんなら常識でしょう。そこを踏まえて質問して下さい、というのが河野外務大臣のいいたいことなのだ。

 この事件に対し、野党は国民無視だと怒っていたが、これでは外交ができなくて当たり前。立憲民主の辻元某は、相も変わらず「国民への情報公開ができていない」とわめいていたが、なんでもかんでも情報公開すればいいというものではない。秘密にすることこそが、交渉事の第一で、手の内をみせずに国家国民に利するよう話をまとめなければ、政治ではない。

 報道ステーションの後藤謙次も、ニュース23の星浩も、同じように情報公開、秘密主義とわめいていたが、ああこの人たちはみな外交音痴のダメ解説者なのだと納得した。

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2018年12月12日

「高輪ゲートウェイ」に呆れる

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 あの頃は週刊ヒットチャートが注目されていた。ある日ふと気がついたらベストテンの歌手名があらかた英語の名前になっていた。
 いつから日本は英語の国になったのかと憮然たる気分になった。あの頃からレコードは少しずつ売れなくなり、ついに今日の不況産業に仲間入りしてしまった。

 日本電波塔株式会社がつくったのが東京タワー、英語ばやりのご時世では仕方がないとあきらめた。さらに立派な塔を作ると鳴り物入りで完成したのが、トウキョウ・スカイツリー。由緒ある業平橋は消え、駅はスカイツリー駅にと変身してしまった。

 千葉にあるのにトウキョウ・ディズニーランド、大坂はユニバーサル・スタジオ、サンリオ・ピューロランド、次々とカタカナ文字が市民権を獲得、難解だが世界でもっとも美しい言葉といわれている日本語はどんどん隅に追いやられていった。

 故郷で不遇をかこった日本語は海外に活路を求めた。スシ、テンプラ、サケ、カミサマ等々……先進国のインテリ層は日本語と日本字の美しさにひかれ、墨で書かれた日本字をみな欲しがっている。24文字の記号化された言葉には文化がない、使い勝手と便利さだけの味気ない言葉だと認識している。アメリカ人は墨文字の書かれたTシャツを着、ヨーロッパでは円相のある暖簾が喜ばれている。

 そんな日本語ルネッサンスの流れのなかで、この程発表されたのが「高輪ゲートウェイ」、なんのこっちゃ、2020東京オリンピックめざして建設された山手線新駅の名前が「高輪ゲートウェイ」とは。シンプルな「高輪」がベストだが、どうしても何か付けたければ「新高輪」でも、「高輪口」でも、「高輪門」でもあったろうに、芝との折り合いがと言い訳するなら昔からの「大木戸」でもよかった。
 多分JRのお偉いさんのなかに、横文字の回し者がいたにちがいない。美しい日本語の魅力をしらない東大出の官僚のようなオバカがいたのだろう。かって国電をE電となずけ、誰も使わなかったために消滅してしまった命名のごとく、皆で「高輪」しか使かわなければ、いつか「ゲートウェイ」は消えるのだ。
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2018年12月11日

貴乃花の「ひとり相撲」

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 政界、芸能界、スポーツ界、そこには凡人には予想もつかない不思議なことが起こる。
 平成最後の師走を迎え、あっけにとられたのは相撲界の出来事だった。
 子供のころから「ひとり相撲」をとるなと親からいわれてきたが、まさかその相撲界で本物の「ひとり相撲」がみられるとは思わなかった。

 貴乃花とその弟子たちを巡る出来事は、まさに親方のひとり相撲、そのものだった。
 日馬富士による貴ノ岩に対する鉄拳制裁が勃発した時、貴乃花は相撲協会内部の組織に報告することなく、いきなり外部の警察に訴え、協会の会議ではだんまりをきめこんだ。
 マスコミは一斉に貴乃花の肩をもち、協会改革のノロシであるかのごとくに協会を非難した。貴乃花はさらに内閣府にまで訴えを起こし、被害者としての立場を増幅した。
 日馬富士を引退にまで追い込んだところまでは意とした通りにことは運んだが、肝心の足元に火がついた。弟子の貴公俊による暴行事件だった。親方は振り上げた拳が自分の頭におちてきた。
 結局部屋の看板を下ろし、弟子たちは千賀ノ浦部屋へ引き取って貰い、貴乃花は親方を返上し、引退する破目にいたった。同時に女房との離婚というオマケまで付いてきた。
 追いかけるように被害者の筈の貴ノ岩による暴行事件が勃発、彼は日馬富士に対する訴訟を取り下げ、結局貴ノ岩も引退することになった。
被害者として同情をあつめていた貴ノ岩は加害者となり、この一年に及ぶ相撲騒動は何だったのかと、相撲ファンをガッカリさせた。

 貴乃花とマスコミによる劇場型騒動は、日馬富士、貴ノ岩、という逸材を失い、貴乃花自身をも相撲界から抹殺してしまった。

 原因の第一は相撲界の内部で起きた事件をわざわざ警察に持ち込んで、自助努力をおこたった貴乃花のポピュリズム志向がある。
 第二には自分の部屋の教育だけが正しいと信じた貴乃花の自己過信である。協会における権力だけに眼を向けて活動してきた貴乃花自身の愚かさが引き起こした「ひとり相撲」、それがブーメランのようなこの事件の本質なのだ。

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2018年12月10日

SKD最後のスター・春日宏美

SKD最後のスター・春日宏美

 かって浅草には東洋一の国際劇場があった。
 その国際劇場を本拠地として活動していたのが、松竹少女歌劇団(通称SKD)だった。SKDは松竹音楽舞踊学校の卒業生を軸として編成され、水の江瀧子を始め草笛光子、倍賞千恵子、榊ひろみ等次々とスターを輩出した。そして最後のスターが、男役春日宏美と娘役久美晶子だった。

 SKDは3600人収容という巨大な劇場にふりまわされ、グランド・レビューという様式にいかざるをえずスペクタクルのなかに踊り手は埋没していった。それに女性だけの歌劇団という特殊性も時代の波にのまれていったが、1996年の歌劇団解散以後も舞台を愛した生徒と、ファンの人達の交流からいくつかのグループが、松竹の灯を消したくないと活動をつづけている。STASもその一つだが、春日宏美もまた朗読やら唄、踊りと活動している。

 日曜日に浅草の大黒屋倶楽部で、「語り・ソング&ダンス春日宏美」の会があった。語りも唄もダンスにも、美味い下手の水平線を超えたスターの光芒があった。輝ける国際の舞台からしか生み出すことのできなかったスターのDNAを見た。70才を超えてスリムな体系を維持し、キモノスガタも、イブニングも、メンズ・スーツも着こなして凛と演じる姿に感心した。男役という世俗的には歪んだ個性に恥じることなく悪びれずにどうどうと演じている彼女を眼のまえにし、彼女を批評することは彼女の人生に失礼なことだと自問自答した。
 100人内外の大黒屋倶楽部にはなんの照明もないが、照明の必要を感じさせない春日宏美の存在があった。彼女の不器用で正直な生きざまそのものが、ステージに溢れて魅力になっていた。

 この大黒屋倶楽部のオーナーである女将が、幕間にヴァイオリンをひいたが、これまた魅力あふれる演奏だった。上野浅草管弦楽団のコンサートマスターであり、天ぷら大黒屋の女将であり、このアンチームなホールのオーナーは、ここを根城に50回に及ぶ室内楽シリーズを主宰している。下町の女将さんには実に魅力的な人々がいる。
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2018年12月08日

蝶の擬態・ひとの擬態

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 何十年ぶりに蝶々の見本をみた。小学校の頃は夏休みの宿題は、必ずと言っていいほど蝶々の標本ずくりだった。
 なかには生き物が苦手の友達もいて、彼らは鉱石の見本をつくってきた。善福寺川や石神井川でいろいろな石が採集できた。武蔵野を走り回ればいくつでも蝶の標本はつくれた。ついでに蝉やカブト虫もとって、そっちの採集に夢中な友達に分けた思い出もある。

 蝶の見本をみて興味をそそったのは「擬態」だった。擬態はその名の通り、有様を似せることだが、昆虫の擬態は不思議のひとことに尽きる。擬態にはいろいろの擬態があるらしい。
 隠蔽擬態は、まわりの地面や葉っぱに似せて隠れるという擬態でバッタなどにままみられる。攻撃擬態はカマキリなどに見られ、まわりに同化して攻撃のチャンスを伺う。繁殖擬態はハンマー・オーキッドや蜂の雌に見せて雄を誘惑する。自然界はじつに不思議に充ちていて、ミミズクそっくりの蝶の擬態には、目的はなにとおもわずつぶやいてしまった。

 蝶の紋様や擬態を見ていると、神のイタズラのようにも思ったが、神様は蝶やカメレオンには外見のイタズラを施し、人間には言葉や態度にイタズラをほどこしたのではないか、と思えてきた。
 左翼社会主義者たちが、リベラルと自称するのはとても変だし、審議時間が足りない足りないと発言して、なにも提案しないのは、まさに言葉の擬態にほかならないし、引伸ばしてサボタージュしている時間になぜこのひとたちは主張を提案しないのか、神様は人間にやっかいな擬態を与えてくれたものだと、溜息がでる。

 おじさんがジーンズを着て若者ぶるのは、カジュアルへの擬態かもしれないし、大胆なツン・ブラは、男を捕食する罠にちがいない。胸のあいたイブニングは、夜の蝶への擬態そのものだ。
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2018年12月04日

炎のシャンゼリゼーはいずこへ

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 凱旋門からコンコルドの広場まで、両側の道に植えられたマロニエとプラタナスの木が真っ赤に燃えた今年のシャンゼリゼー大通り、クリスマス・イルミネーションは評判が評判をよんで陽気で華やかな大通りになる筈だった。
 シャンゼリゼーの植栽がすべて真っ赤な色彩に包まれるというのは今まで無かった。フランス人の大好きな赤一色のイルミネーションはLED電球の登場で初めて実現した。それ故、点灯式にはデザイナーのカールラガァーフェルトが登場して、シャンゼリゼーを祝福した。、

 そのシャンゼリゼー大通りは閉鎖され、近かずくことも出来ない物騒な街にかわってしまった。
 街を支配しているのは、「黄色いベスト」に身をつつんだ燃料税値上げ反対のデモの群れ、毎日治安部隊と衝突し、放水と衝突を繰り返し、商店のガラスは割られ、ディスプレーは壊され、工事用の柵はバリケード代わりとなり、内戦のような有様になってしまった。大統領はいま戒厳令を準備していると伝えられている。

 シャンゼリゼーとジョルジュ・サンク通りの角にあるフーケッツのテラスでの待ち合わせも、ラドリーの二階のお洒落な食事もみんな不可能になってしまった。
 欲しいものはみなシャンゼリゼーにあると謳われた夜も昼も、シャンゼリゼーは答えてくれなくなってしまった。

 いままで日常的なデモは、オペラ通りとかバスティーユ通りが多く、凱旋門に集まれというのはあまりきかなかったが、いまデモの指令はSNSを通じて当日出されるので、黄色いベストもかなり大変と聞いた。今日はシャンゼリゼーは国賓を迎えるからとか、革命記念日のバスティーユは避けようとか、従来あったコントロールが効かなくなり、観光客がいようが、いまいが、全く無視してデモを展開する。

 庶民の生活に直結する「燃料税」値上げは国民の怒りを買い、大統領の胸元に匕首を突き付けている。もとは燃料だけにそう簡単には鎮火することはないだろう。
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2018年12月03日

喜劇「退職代行サービス」

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 「退職代行サービス」と聞いて、なんのことか意味がわからなかった。
 落ち着いて内容を聞いて合点がいったのだが、日本人はいつの間にそんなにだらしのない人間になったのか、聞けば聞くほど情けない思いにとらわれた。
 「辞めます」「辞めさせてください」が言えない。自分の意思を自分の口からいえない。優しいママは、うちの子はやさしいからとか、本当にナイーブなの、とかおっしゃるが、そんなのはただ単純に気が弱くて、頭が悪いとしかいいようがない。
 コミュニケーション能力というほど上等なものではなく、基本的な生活能力の欠落以外のなにものでもない。心優しい社会をめざしたここ20年ぐらいの負の結末と断言できる。

 この退職代行サービスの利用者は、20代前半の男性が70パーセントを占め、女性は30パーセントに過ぎないという。
 ダメ男が急速にふえていることがわかる。過保護のゆとり世代が男の野性をうしない社会に適応できなくなっているのだろう。適応できないといえば、新皇后になられる雅子妃と共通点がある。新しい環境に飛び込んでいく覚悟がない。パワーもない。誰かの陰に隠れてジッとしていることしかできない。カメラの前に立つだけで気分が悪くなり、病に伏せる。めんどうくさくいえば適応障害だが、半年、一年を超えて10年にも及ぶというところが、完全に人間力を喪失している。

 庶民なら退職代行サービスに駆け込んで、5万円払いこめば処理してくれるが、天皇家ではそうもいかない。
 金もないのに海外留学をしたがったり、足が短くてもミスター湘南ボーイになりたがったり、借りた金を返さなかったり、普通の庶民感覚から見れば、とんでもなく変な奴なのに、それが判らない国民が圧倒的にふえてしまったのだ。

 「退職代行サービス」はここ二、三年で10倍の規模に増えたと社長さんは豪語していたが、退職代行の社員が辞めたいときは、何処へ駆け込んだらいいのと、お笑いが茶化していた。

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2018年12月02日

来訪神を心配する

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 にほんの民俗芸能「来訪神」がこのほどユネスコに登録された。
 目出度い!嬉しい!で新聞は騒いでいるが、よく読むと現地では後継者不足でなやんでいると、百姓、漁民、匠の悩みとまったく同じ書き方、頭の悪さにあきれる。
 戦後こうした芸能の最大の危機があった。政府が「無形文化財指定」という権威をあたえた時だ。旗印をえた芸能は本質を失って一様に形式化の道をたどった。指定を受けなかった芸能はいっきに消滅の道をたどった。

 今回のユネスコ登録でも恐らく多くの習俗は信仰からイベントへの道をたどることになる。JTBもHISもキンツリも、これこそ絶好の商売のネタとばかりにユネスコ来訪神ツアーを売り出すことだろう。原始信仰が商業主義に荒らされる。
 風景とグルメしかなかった旅行の題目として、来訪神はなかなかの素材なのだ。

 全国にとっちらかっているユルキャラと同じような扱いで、飯島のトシドン、能登のアマメハギ、悪石島のボゼ、宮古島のバーントン、貝島のカセドリがチラシに掲載され、仮装もできます、仮面の体験もできます、とただの観光ツアーに成り下がった来訪神の末路が眼に浮かぶ。

 来年からはユネスコ登録無形文化財のノボリを従えて、観光客の都合のいい時間に上演されるようになるかもしれない。
 民俗芸能についての教育が欠落しているなかで育った子供、青年たちにとって、来訪神はただのコスプレにうつってしまうのが残念なこと。なぜ辺境の地にこうした来訪神の習俗があるのか、なぜ季節の変わり目や年の瀬に来訪神はあらわれるのか、信仰の原始的形態についてすこしでも学んでほしい。

 来訪神の観光化だけはぜったいに避けねばならない。
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2018年11月30日

大嘗祭の簡素化はいらない。

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 誕生日の記者会見で皇嗣となられる秋篠宮さまが、発言した。
 新天皇即位に伴う大嘗祭について、宗教色の強いものなので、国費で賄うのには疑問がのこる、という発言である。前回今上天皇即位の折にも、国費支出反対で、身の丈にあった簡素な儀式にすべしと云い、「すっきりしない感じをいまでも持っている」と発言している。
 天皇家の一員として命を受け、神道の真っただ中にいる秋篠宮が、国家としての日本の伝統について否定的な意見をもつのは大変に不思議なことだ。

 ひょっとして秋篠宮は、日本国をキリスト教国家にでもしようとしているのか。現在の天皇家には、キリスト教教育をうけた姫が4人もいる。最少家族のなかの4人であれば、その影響力ははかりしれない。それ故、何かと経費のかからない身の丈にあった簡素化をめざせ、と発言する。国家のアイデンティティを経済論理でかんがえるのは如何なものか。
 千年にわたる天皇即位に伴う儀式を簡素化せよ、というのは伝統の破壊……それ以外のなにものでもない。伝統は固くまもってこその伝統であり、日本の国家としてのアイデンティテイである。この国が歴史上貧しかったことは度々ある。天武天皇以来、いく度かの貧しさのなかでも新天皇即位に伴う重要な祭儀と位置ずけられてきた大嘗祭の簡易化をはかったら、国家としてのアイデンティティがなくなる。

 共産党や立憲民主がとなえそうなことを、次の皇嗣となられる秋篠宮さまが発言するとは情けない。
 なにごとも節約が美徳というのは、キリスト教的な考え方で、神道では厳格に守り継いでいくことに価値をみいだしている。ヨーロッパ先進国の王族たちが日本の天皇に一目おくのは、直系男子による継承が1000年守られ今日まで続いているからにほかならない。
 祭式簡素論は神道国家破壊論につながる。日本はこのさい神道を基本とした多宗教国家であると宣言して、第二次世界大戦の敗北から脱却するのもいいだろうと、さえ思っている。

 大嘗祭は日本全土の東西から二つの田圃を選び、そこで育てた稲穂を御飯とし、黒酒と白酒にして神にささげ神の祝福を受ける新天皇初めての収穫祈願祭だ。そこには技術の伝承も民俗の伝承も思想の伝承も歴史の伝承もつまっている。
 田園都市国家としての日本と、新しい天皇という祈りの存在がこの祭りを通して一体化するきわめて重要な祭式なのだ。

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2018年11月29日

流量スターの蓄財法

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 中国には「流量スター」とよばれる10数人のとてつもないスターがいる。
 このスターたちのドラマ一本の出演料相場は1億元、日本円になおすと約17億円といわれているからビックリポンどころではない。
 演技力ではなく、ネット露出によるアクセス数の多寡が流量スターの価値をきめる。広大な国土を背景に中国15億の人口を相手に商売をするのだから市場経済にまかせれば、当然こうした故なきスターが生まれて当然かもしれない。

 ネットのアクセス数さえ多ければ、すべてよしとするスターは日本にもいるが、そこからおこってくる犯罪は、毎日イイネばかり押しているチンピラ・アルバイターから、大規模なデータ改ざんをするリサーチ会社まで多種多様に存在する。特にネット・バブルとネット犯罪は、共産党政権のイマジネーションを超えて中国全土にひろがっている。まさに中国芸能界の汚れたバブルの源泉になっているのだ。

 中国の有名女優范冰冰156億円に及ぶ脱税課税事件はつい先ほどで耳新しいが、個人の蓄財はタックスヘイブンのケーマン諸島、制作会社の蓄財は新疆ウイグル自治区のホルゴスへというのが、中国映画界の常識となっている。ホルゴスは人口6万ばかりの小都市だが、企業誘致のための税制保護制度により、いっきに中国バブルの象徴にのぼりつめた。ある時突然に共産党政権の軍が現われて、町そのものを消滅させることさえ考えられる。
 最近政府はドラマ出演料を全製作費の40パーセント以内、主要出演者はそのうちの70パーセント以内とするお触れを出したが、どれだけ守られるかすでにカケの対象になっている。大小7000社ある制作会社の熾烈な生き残り競争になっているのだ。

 習近平政権は昨年から「文化ソフトパワー強国」路線を打ちだしている。それでも過剰な愛国路線と反日、抗日路線の作品が検閲はとおりやすいので、どうしてもそちらにながされる。流量スターはそこからつぎつぎと生まれてくる。そしてその流量スターをささえるのは、日本の女性が圧倒的に多い、といわれているのだから喜劇そのものである、
posted by Kazuhiko Hoshino at 12:43| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする