2020年01月24日

サラリーマン川柳に投票する


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 今年もまた第一生命のサラリーマン川柳最終ノミネート作品100首が発表された。
 筆者流ベストナインを選んでみた。

 ☆ 欠点を 個性と言い張る 新社員   /カクト
                 バブル以来、この傾向はますますひどい
 ☆ 長時間 会議で決めた 時短案   /北鎌倉人
                会社も国会も会議ほど金のかかるものなし。
 ☆ 調べもの OKグーグル 辞書はどこ   /なにわのあっちゃん
                  答えに不安が付きまとう懐疑主義者。
 ☆ AIに 引継ぎするのが 大仕事   /まだ人間でいたい
                能力引き継いだバカにAI忠実か、AI判定機構
 ☆ できる人 昔残業 今休暇   /印刷太郎
              ハワイとシンガポールに群れる日本人
 ★ 顔認証 オンとオフでは 別認証   /セキボー
                 AIと化粧技術の関が原・資生堂VSガーハ
 ★ 60年 政権交代 しない妻   /夜来香
              はたして妻の座に努力と進歩の跡が見られるか。
 ☆ 居場所なく 近所のベンチで テレワーク   /通勤し隊
                     テレワーク、僕のベットか、公園か。
 ☆ 平成に ついていけずに 令和来る   /喜夢多来
                  浮世のはかなさをうたう
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2020年01月23日

ネット・ショッピングの不思議

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 楽天ユニオンなる出店者の集まりが、公取に調査を要求した。
 もとはと言えば、楽天の送料無料で消費者に届けるというサービスが気にいらないというのが理由らしい。送料は出店者に持ってもらうというのが、不公正な取引を禁じた法律に反するという理屈なのだ。

 アマゾンはすでに2000円以上買えば、送料無料になっている。
 出店にかんする規制はない、送料サービスがいやならほかのネット市場に出店すればいい。いちいち楽天を俎上に上げるというのは、解せない。小売についてなんの抑制もないし、出店者のチョイスの問題以外のなにものでもない。
 出店者のセールス努力で利益をあげていくのが、資本市場の原理原則ではなかろうか。

 ユーザーの立場からみると、出店者は甘えている。そんなにサービスがいやなら自分自身でネット・ショッピングを立ち上げればいい。価値あるものならサービスなしの直売+送料でもユーザーは買うだろう。魅力がなければ買わない、それだけのことだ。

 応援しているのはヨドバシカメラだ。
 早いし、安いし、送料無料だからだ。ネットショッピングの激戦区でヨドバシカメラの努力は並大抵のものではないが、そこまでやらなければ生き残れない、競争社会なのだ。役所に助けてもらって、商売をしようとはどこまでも図々しい。

 ユーザー側でも涙ぐましい努力をしている。
 メーカーの直販ページを開いてみる。 同種他メーカーの商品を比べる。 そのうえ価格ドットコムでどちらが安いか検討する。ならば本体価格と送料無料やいなや有料の場合の合計と比較してようやく結論に達する。
 具体的に購買行動をおこすまでにこれだけの予備行動が必要なのだ。



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2020年01月22日

顔認証のげんじつ

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 南紀白浜がいま注目されている。
 顔認証の実験地域としてNECが展開している「IOTおもてなしサービス実証」である。
 空港をおりたらモニターの前にたつ。カメラが認識すると「ようこそタカハシさま、白浜にお出掛けいただきありがとうございます。どうぞご自由に白浜をお楽しみください。」
 無論カードデータなどの登録もするのだが、以後の滞在、観光にはいっさい金銭はいらない。
 旅館についても「いらっしゃいませ、タカハシ様、お部屋は離れの弁天島をご用意させていただきました」荷物は先にお部屋に届けられているし、バーもお土産物も顔パスである。

 部屋を出る時も自動的にロックしてくれるから鍵は不要。ビーチのレストランでも手ぶらで顔パス、現金やスマホを持ち歩く必要もないので、紛失・盗難の心配もなく、岩陰の浜辺で時を忘れて愛に浸るのも可能だ。顔パスの有難さがしみじみとわかる。
 お化粧はどうなるの、と心配するデスクだが、スッピンで拒否されるほど現在の顔認証はおくれていない。…でもお化粧落としたら別人だよ、どこまでも心配するのは女性である。

 白浜で可能なら、軽井沢でもやったらいいのに、うっかり口を滑らしたら、「ダメでしょう。軽井沢の観光逗留客の3分の一は不倫です」と痛い発言がとびだした。顔認証と不倫は相性が悪いようだ。
 この国のあらかたの観光地に顔認証が導入されて最後の町が軽井沢という結果が待っている。G20には真先に手を挙げる町長も個人情報保護のたてまえで反対するかもしれないし、近頃ご当地で結婚式を挙げた大臣だって賛成しかねるだろう。
 かくて人に優しい不自由な高原のリゾートが、つづいていくのだ。
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2020年01月21日

PV+応援村・オリンピックの特等席が全国に

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 オリンピックの切符が当たるから、電化製品を買え、保険に入れ、ガソリン入れろ、あの手この手でオリンピック商売が繰り広げられている。
 高いホテル代を払い、交通制限だらけの町中を歩き、たどり着いた会場でコメツブほどの選手と競技をみて満足するのなら、それはそれでいいかもしれない。
 オリンピックを見てきたと、自分に無理矢理納得させて、同時代に生を受けた満足感に浸るのもそれなりの人生かもしれない。

 が冷静に考えれば、自宅でゆっくりテレビを楽しむのが、極上の東京2020であることは論をまたない。テレビがいささか古くてとか、もう少し大きい画面で見たいといなら、やはり重い腰をあげねばならない。 向かう先はパブリック・ビューイング。

NHKでは「8Kスーバーハイビジョン・パブリックビューイング」を全国64か所に立ち上げる。東京都と組織委員会は「東京2020ライブサイト」を30か所つくる。
 PVの周辺には「応援村」が出来る。
 PV+応援村で、オリンピックをみながら飲み食いできるというのがコンセプトで、全国2000ヶ所にできる。
 応援村の実行委員には渋谷区始め千葉市、別府市、三重県、など全国自治体首長が顔を揃え、全会場2000万人の動員を見込んでいる。オリンピックを見ながらご当地名物を楽しむという、特等席が全国にできる。すべて無料。コスパ最高。

 ニッポン何処でもオリンピックであって、高いチケットもいらないし、交通費もいらない。業者はチャンスとばかり、高性能のPVでサービスし、オリンピックグッズを持ち込む。飲食も地元零細業者とナショナル・ブランドが入り乱れて商戦を繰り広げる。
 好きな時に好きなゲームを見て、好きなアルコールと食欲をみたして、オリンピックとつきあうのは、智慧のあるオリンピツクの楽しみ方かもしれない。
 何万円のチケットに眼の色をかえるのはオリンピック中毒の人である。
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2020年01月20日

小泉進次郎と桜井翔・似たもの同士

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 「小泉進次郎」と「桜井翔」、政界と芸能界ふたつの異なる世界にいきているが、この二人何処となく似ている。中味を感じない。
 風評被害という言葉があるが、この二人は反対に風評人気のまんなかにいるように感じる。見た目になんとなく二枚目だ。客観的に充分二枚目だが、二人とも主観的に充分二枚目を意識している。
 なんとなく真面目そうだが、ふたりとも結構遊んでいる。適当に真面目でない部分がミーハーの関心をつなぎとめる。そのうえ似ている部分といえば、二人とも毛並みがよさそうにみえるところだ。地方議員の家柄とエリート官僚の家柄が二人の毛並みを引き立たせている。

 小泉進次郎は父親の小泉純一郎から、地盤・看板・カバンを受け継いで議員になった。地元の祭りに参加して、「私にとって祭とは、有権者との握手の機会だし、ふれあいの機会である。」と発言して肝心の祭りをスルーする。
 永田町文学にある「言語明瞭、意味不明」が得意だし、国連の気候行動サミットに於いて「この問題はクールでセクシーに取り組むべきです」と発言して世界の失笑をかった。
 首班指名の選挙のおりには、いっさい発言せず、発言しないのが私の立場表明で通し、のちに石破茂に投票したと吐露したのには皆アッケにとられた。問題の本質にふれないで自己主張するあたりが、パフォーマンスだけの男と揶揄されてしまうのだろう。
 最近では妻クリステルの出産にさいし、2週間の産休をとると大臣初めての産休を発表、政治とイベントの区別のつかないB層の支持をえている。環境大臣をやっているが、環境に対する見識はいっこうに聴こえてこない。

 桜井翔はピアノ、水泳、サッカー、油絵、塾といった習いごと家族のなかで育ち、中学2年に自ずから発起してジャニーズJrを受けた。以来ジャニーズという池で育ち、嵐というアイドルチームでラップ担当をしてきた。
 2006年からはニュース・ゼロでニュースキャスターをつとめるようになったが、アンアンでセミヌードを発表するなど、パフォーマンスが好きなところは小泉進次郎と似ている。
 ニュース番組にでていても、じぶんごととして受け止め発言している有働由美子にくらべ、奥行のないアイドルに落ち込んでいる。
 彼女とは一緒にいたいから一緒にいるだけ、成長を求めることはない、と発言しているが、人間としての深みに気が付かないと息の長い芸人にはなれないし、ニュース・キャスターの見識もなくなるということを自覚すべきだ。
 シンガポールのラッフルズ・ホテルにたびたび訪れる有名人として写真が掲出されても翔自身の肥しにはならない。嵐とともに永遠の活動停止にならないことを祈る。
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2020年01月17日

裸足のアベベとピンクのスニーカー

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 ピンクの靴が問題になった。
 記録をだした優秀選手はみなピンクのスニーカーをはいていた。
 ピンクの靴は目の敵にされ、世界陸連から使用禁止のお触れがだされるそうだ。
 一足3万円以上もする靴を選手たちは皆10足以上もかいこんで次々と履き潰していた。ナイキ製の厚底シューズ、ヴェーパー・フライには、カーボンプレートが埋め込まれその反発力で画期的タイムがたたきだされる。
 マラソンシューズが最新のカンニングをしたようなものかもしれない。

 2008年の北京五輪では水着が問題になった。
 高速水着レーザーレーサー、英国スピード社が開発した縫い目のない水着だった。
 この水着に人間を入れるには3人の助けを借りなければ身体につけることはできなかった。 以来いくつかの制限事項ができた。水着にはラバー、パネルの使用禁止、使用できるのは繊維に限る。身体を覆う水着の表面積にも制限が加えられた。

 パラリンピックのカーボン・プレートによる義足は健常者よりも高性能というので、問題がおきた。
 健常者よりも高性能な肢体が開発されたのなら、わざわざパラリンピックは開催する必要がないのではないか。健常者とハンデキャップの間に機械という科学が割り込んだ。もう一度スポーツの原点を見直そうという議論が巻き起こった。

 「裸足のアベベ」1960年のローマ五輪ではエチオピアのアベベが2時間15分16秒でマラソンを走り切った。
 靴なしの裸足だった。いっそのことそこまで戻って、ピンクのスニーカーも人間の身体より小さい水着もみんな棄てたら、クーペルタンの理想に近ずくことが出来るだろう。 
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2020年01月16日

まさか、あのシャノアールが…

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 荒涼たる焼跡にポツン、ポツンとできたのが、喫茶店だった。
 住宅事情が極端にわるく、人々はようやく小さな喫茶店という空間を手にいれた。あの頃の喫茶店は町の社交場であり、仕事の打合せもほとんどが喫茶店だった。
 うんちくをきかされながらネル越しのコーヒーをいただき、ついでに文学論や歴史論もついてきて喫茶店というのは、インテリ夫婦の起業によるビジネスだった。
 寺山修司と初めてあったのは、阿佐ヶ谷の喫茶店だったし、横尾忠則さんとあったのは新宿の武蔵野茶廊だった。一杯のコーヒーでポスターの依頼をし、一杯のコーヒーでポスターを受け取った。
 そのうち300人も入るうたごえ喫茶やレコードを聴かせる名曲喫茶ができ、大型化していった。

 シャノアールは、コーヒーだけでなくパスタやサンドウィッチもあり、ゆっくり時間をつぶせる喫茶チェーンだったが、とうとう倒産してロングリーチグループに買収された。
 昔ながらの町の喫茶店もはじからつぶれていく。
 総務省統計局のデータによれば、1981年のピーク時に15万4630店あった喫茶店は下降の一途を辿り、2016年には6万7198店と半減し、現在では5万店を辛うじて維持している状況ではないかといわれている。

 スタバやドトールなどセルフサービス型のカフェに押されたのは、価格の違いが大きいといわれているが、ライフスタイルの変化により、古い喫茶店にありがちの密閉型の空間より、開放型の空間がこのまれるようになり、なによりも喫茶店でのコミュニケーションがわずらわしくなった現代人の孤独な環境に原因があるように思われる。
 シャノアールがなくなり、セブンイレブンの立飲みが、人生の空白をうめてくれるのだろうか。

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2020年01月14日

山田洋次の愚行・コラージュ寅さん

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 山田洋次監督が晩節を汚した。
 目下公開中の「男はつらいよ お帰り寅さん」のアイディアが、実は美術家横尾忠則のアイディアだったというのだ。
山田洋次はホホ被りの状態だが、横尾忠則が週刊誌まで巻き込んで怒っている。
 なにが日本を代表する監督だ。黒沢明とともに二大監督とは笑わせる。根本的にレベルが違う。黒沢に対して失礼だ、というのだ。
 その指摘には筆者も賛成だ。映画史上で語るべき創造性は山田洋次にはない。たまたま柴又・寅さん・だんごやという設定が興行作品として当たっただけで、映画としての文学性もなければ、映像における創造性もない、いわば映画のソープオペラのようなもので、強いて言えばだらだらと長くやったというだけの商業作品にすぎない。そんなことも判らない松竹のプロデューサーがお詫びに訪れたというので、横尾忠則の怒りがさらに増した。

 大晦日の紅白歌合戦には美空ひばりが出演した。美空ひばりはとっくにあの世にいっているから、そこにいるのは夢マボロシである。もっといえば死人が現れるのだからお化け屋敷である。その美空ひばりをみて感動したという話はない。たまにバカなタレントがお嬢がいると叫んだとか、実在しない芸人の再現に力をいたすより、明日のイメージ未来のうたのありようにエネルギーをそそいだほうが遥かに意味がある。
 歌舞伎でも獅童が一生懸命初音ミクと競演しているが、無駄な努力はさっさとやめ、本来の舞台に戻らないと時間の無駄なのだ。

 寅さんのコラージュに力をつくすのも芸術家の仕事ではない。そんなことは興行師のやることで、再び寅さんを登場させ金儲けができる喜びが目的なのは明らかだ。 その意味からも山田洋次は芸術家ではなく、商業監督なのだ。コラージュ本来の未来空間の映像に登場し強烈なプレゼンとなりうるなら、芸術的作業として貴重だが、柴又だんごやに登場して二番煎じの噺のなかで動くのではなんの意味もない。

 この国で芸術的映画監督といえるのは、黒沢明、溝口健二、市川崑、小津安次郎位のものだろう。

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2020年01月13日

スルー人が繁殖している

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 テレビを止めて六本木に事務所をつくった。
 渋谷ジャンジャンを舞台にした芝居、帝劇や宝塚をつかったミュージカル・ショウ、SKDのレビュー、東京巴里のファッション・ショーの制作、テレビ番組の制作、オペラの制作演出、あらゆるジャンルのあらゆる演出をやってきた。
 ある時、事務所をたたもうと決意した。勿論理由はある。スタッフの考え方が「いい作品」から「いい条件」、作品中心主義からミーイズムに変わってきたことだった。

 時代はバブルを迎えていた。年の暮れ、明日は事務所の大掃除をしよう、なにげに発言した処、新入りの女性スタッフが、私は掃除にきたんじゃありません、演出をしに来たんです。といって欠勤してしまった。昔は拾年早いと先輩におどかされたものだが、能力を顧みず自己主張する時代になったのだと思いを新たにした。
 歳が明け早速に演出事務所の解散を宣言、そして軽井沢に転居した。以来、大勢のスタッフでやる仕事は整理し、写真や著作の仕事を中心にすえたのだ。

 兆候はあった。社員旅行が歓迎されなくなったのだ。いま盛んに言われている「スルー」である。忘年会もスルー、面談もスルー、会ってお願いしなければならない事項でもメールですます、すべてがダメもとで努力はウザイのだ。電話で話すのもウザイのでスルーする。
 リハーサルもスルーしたい。これでは演出はなりたたない。

 年賀状スルー、新年会スルー、バレンタイン・スルー、ホワイトデー・スルー、お花見スルー、結婚式スルー、新聞スルー、読書スルー、どうしてもスルーできないのは、北朝鮮、核兵器、中国共産党、それもスルーしているのは立憲民主の枝野某と共産党ぐらいのものか。
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2020年01月11日

楽屋見舞・水屋見舞のちかごろ

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 初春芝居には楽屋見舞いがつきものだ。
 芸妓衆の温習会なら、お部屋見舞いになる。茶会であれば水屋見舞だ。
 相手は元気でぴんぴんしているが、裏も表もたいへんなお仕事なので「何々見舞い」という名のご挨拶になったのだろう。

 演出という仕事がらお見舞いはいただくことが多い。
 落ち着かない仕事なので、じっくりと食べなければならないものより「食べやすい」ものがいい。
 1人でいただくより、まわりのスタッフと頂く場合が多いので、皆に「分けやすいもの」ものならよりいい。
 スプーンとか、フォークを必要とせず、「手をよごさないで」いただけるものならますます歓迎である。
 つまり、食べやすい・分けやすい・汚さない この三原則こそが最高の楽屋見舞いなのだ。

 大きな人寄せの「初釜」水屋見舞なら人気一番は「特級みかん」、簡単に皮がむけてポンと口に放り込めるのが人気の秘密。小腹がへっても食休みはとれないので、お手伝いに喜ばれるのは、「手毬すし」小ぶりで一口なのがいい。洋食好きには赤とんぼの「一口サンド」、まい泉の「かつサンド」など、おつなの「いなり寿司」もランクイン、木村屋のアンパンという変化球もある。おやつにいいのは、千疋屋のバナナまたはひとくちゼリー等、今年の新人は雷おこしの笑点版、最近の雷おこしは、以外に歯にやさしい。ただしこの差入れは洒落のわかる楽屋に限る。

 いろいろ並べたが、いちばん喜ばれるのは「お包みもの」といわれるキャッシュだ。関西の差入れはこのお包みものが圧倒的に多いが、関東ではお花やケーキになる。やはりライフスタイルの違いか、それとも本音の暮らしか、見たくれの暮らしか、そのへんに人間のサガが覗く。
posted by Kazuhiko Hoshino at 17:22| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする