2015年10月29日

取締れ!ハロウィンのバカ騒ぎ

取締れ!ハロウィンのバカ騒ぎ

 クリスマスは若い男女が、ホテルを予約する日で決まり、バレンタインは高級チョコレートを添えて、女性が男性に告白する日になった。そこに最近加わったのが、ハロウィンというバカ騒ぎである。
 折からニッポンは天高く馬肥ゆる秋、収穫感謝の秋祭りの日の筈だが、都会の若者たちは自分が生まれ育った故郷の習俗を忘れ、カタカナ文字の外国製イベントに浮かれている。
 血に染まった白衣の天使がチェーンソーを振り回したり、ゾンビメークのバニーガールが狂態をさらし、カギ十字のヒトラーの親衛隊がムチを振り回す。狂った田舎もの達だ。
 ケルト人が死者を迎えてともに収穫に感謝する祭の原点などはとうに忘れ、自分勝手にバカ騒ぎをするイベントに仕立てるのは日本人の得意技とはいえ、もういい加減にマツリの文化的意義にも注目するボンサンスのある成人になって欲しいと願うばかりだ。
 六本木ハロウィンはおろか、渋谷ハロウィン、池袋ハロウィン、はては軽井沢ハロウィンとおバカの連鎖は続いている。警備の警察官も年々増員され、金のかかることこの上ない。
 お菓子、グッズ、衣裳、ホテル、レストラン、などハロウィン関連の市場規模は年々増え、11年には560億円だったのが、昨年は1100億円、今年は1120億円と推定され、来年はバレンタイン並みの経済規模になるでしょう、なんでも金で計る日本記念日協会の解説だが、文化の抜け落ちた記念日など、恥の上塗りでしかない。
 リオのカーニバルが浅草だつたり、安曇野の自然がクリスマスだったり、ハロウィンのコスプレは絵的に魅力があるので、テレビにとってもおいしいコンテンツです、どうやらメディアの経営者から洗脳しなければ、この国の文化は絶望的な状況になってしまうだろう。

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2015年10月28日

権力は犬から猫へ

権力は犬から猫へ

 ようやく犬の時代が終わろうとしている。
 このところ別荘地でも、子犬を連れた、いや子犬に連れられた朝のお散歩がめっきり少なくなった。
 1900年代の子犬ペットブームのアイドルたちに寿命が訪れていることと、飼い主の高齢化が影響している。 飼い主に朝夕のお散歩を要求する犬たちと、付き合うだけの体力がなくなってきた。
 ペットは犬から猫の時代へと移ってきたのだ。
 かってシュバイツァーが、「惨めさから抜け出す方法は二つある。それは音楽と猫だ」と発言した。
 気まぐれでわがままな猫は、飼い主の意志に反して日がなマイペースを連ねく。「猫なんかよんでもこない」という著作に注目が集まっているのはいい例だ。
 電気もつけずに暮れなずむ空を見ている窓辺の老人のかたわらには、必ずと言ってイイほど猫がいる。
 猫はじゃれつくことなく飼い主にそっと寄り添う。この距離感がとてもいいという友人のいえには、10匹以上の猫が住みついている。公園を歩いている時、ひとりぼっちの猫を見つけると放って置けないのだそうだ。たまに猫に噛まれて血だらけの手をしていても猫が悪いとは決して言わない。猫的感覚と自己感覚がダブって心地いい人生を送っているのだろう。
 亡き向田邦子も猫を愛していた。原稿を書くという孤独な作業の時、どこか部屋の片隅で見守っている愛猫が愛おしい、といっていた。
 招き猫だけではなく、猫には化け猫というのもいる。不実を働くと化けてでる、悪さをするという困ったちゃんもいるのだ。
 バカ売れの猫本や、猫アプリに騙されてはいけない。
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2015年10月27日

銀座八丁稲荷の森

銀座八丁稲荷の森

 銀座には大きな寺社仏閣はない。小さなお稲荷さんが沢山ある。数えてみたら11社または13社ある。
 銀座はお稲荷さんの森だともいえる。この町で商いをする人たちにとって、お稲荷さんはいちばん身近な霊験あらたかな神様なのだろう。
 というわけで、毎年11月初めの3日間「銀座八丁神社めぐり」と称するイベントが、開かれる。小さな稲荷を巡ってスタンプを集めると、来年の干支の土鈴がもらえる。
 稲荷巡りのスタートは、一丁目の「幸稲荷神社」に始まる。縁結びのお稲荷さんとされ、純情なカップルに人気がある。
 次はこの期間だけ地上に降りてくる二丁目の「銀座稲荷神社」何時もは越後屋ビルの屋上にいる。土一升金一升の銀座では、屋上にいるお稲荷さんが圧倒的に多い。
 三越屋上の「銀座出世地蔵尊」日本中の三越屋上に必ずいる「三囲稲荷神社」、三越のお稲荷さんに対し、松屋はお不動さん「竜光不動尊」ゴロ合わせではないが、ファッション関係のお参りが多いといわれている。
 王子ホールのよこには、ご本殿屋上、鳥居とお賽銭箱は地上という「朝日稲荷神社」がある。お祈りの言葉はステンレスパイプで屋上の御本尊に届けられる。天国と通信しているような不思議体験が味わえる。
 宝くじの霊験あらたかと言われているのが、ソニー通り8丁目の「八官神社」ガラスケースに入っている。商売繁盛にきくのは、並木通りにある資生堂本社ビルのロビーに降臨する「成功稲荷神社」期間中だけの公開だが、正しくお参りすれば資生堂製の石鹸をいただける。以上のほか、おでんやのやす幸近くの「豊岩稲荷神社」も女性の人気を集めている。
 個人的に好きなのはあづま通りトリコロールのそば三原小路におます「あづま稲荷神社」この小路には、露地行灯なども置かれ、大正と昭和の香りが残っている。銀座の小路めぐりはなかなかに楽しい。
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2015年10月23日

汚れっちまった悲しみに

汚れちまった悲しみに

 汚れっちまった悲しみに  今日も小雪の降りかかる
 汚れっちまった悲しみに  今日も風さへ吹きすぎる

 汚れっちまった悲しみは  たとへば狐の皮衣
 汚れっちまった悲しみは  小雪のかかってちぢこまる

 汚れっちまった悲しみは  なにのぞむなくねがふなく
 汚れっちまった悲しみは  倦怠のうちに死を夢む

 汚れっちまった悲しみに  いたいたしくも怖気づき
 汚れっちまった悲しみに  なすところもなく日は暮れる……

 中原中也が偉大な夭折詩人であったという評価にかかわりなく、
 彼がユーカリの実を瑞泉寺で拾わなかったとしても、
 疲れやつれた美しい顔を愛さなかったとしても、
 僕にとって 「汚れっちまった悲しみに」
 この一篇だけで、神の詩人なのだ。
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2015年10月22日

あなたの胎盤買います

あなたの胎盤買います

 人体由来の製剤は沢山あるが、もっともよく判らないのは胎盤製剤だそうだ。
 女性の多くが経験する妊娠出産の過程で、必ず存在したはずの胎盤の行方について多くの女性は触れないか、もしくは知ろうとしない。体内に何か月もあったあの胎盤について、どこでどうなったのか、無関心の筈はないのだが、新しく生まれた生命に関心は移って、胎盤は忘れ去られている。
 多くの病院では歴史的に、エナヤと呼ばれる胞衣工場に処理をまかせている。エナヤは、胎盤だけでなく臍帯、卵膜、さらに死産の場合の処理,火葬を専門にする医療廃棄物の処理業者であり、全国にかなりの業者が存在している。
 「あなたの胎盤を必要としている人がいます」と訴えている生物製剤のメーカーもあるが、ではどこでどうして胎盤を提供したらいいのかというと、その流通経路は闇のなか、大病院などで直接患者に説明をして提供してもらっているところもあるようだが、どうもはっきりとは見えてこないのが現実のようだ。
 最近中国で、日本製のひと胎盤の売買が問題化し、転売業者や密輸業者が次々と検挙されているという報道があった。
 なかにはそうした胎盤に漢方の薬を混ぜ、スープとして飲むという不思議な風習も存在するとか、せめて国内に於ける胎盤流通の現実を透視化して、人の生命にとって重要な役割をもつ医療流通の構築をはかってほしい。その胎盤から命をもらった人間としても、闇はなくして欲しいものだ。


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2015年10月20日

難民とワーゲンのまえに、ドイツはいま

難民とワーゲンのまえに、ドイツはいま 難民とワーゲンのまえに、ドイツはいま

 メルケル首相の女がたつか、たたないかの土壇場に追い込まれた。
「政治難民の受け入れに上限はない」大見得をきったはいいが、足元から揺らぎ始めた。職場は奪われ、治安は悪くなり、年金はへるかもしれないと、ヨーロッパのイスラム化に反対するベギータが、ドレスデンの中央広場で狼煙をあげた。
 「メルケル退陣せよ、貴女はドイツを滅ぼす」というのだ。ドイツ政府は80万人の難民を引き受けると発表したが、EU各国は怒り心頭だ。
 もとはと言えばアメリカを中心にしたシリアへの介入失敗により、イスラム国なる組織が発生し、中東を混乱に貶めたのが、原因と判っている。
 ギリシャ問題をようやく解決したのに、ここで大量のシリア難民を引き受ける訳にはいかない。これによりEUそのものが瓦解してしまうかもしれない。おびただしい数の難民問題をしょいこむのは、それぞれの国家の不安定要因になりかねない。これによりEUそのものが瓦解してしまうかもしれない。
 メルケル首相には、さきの大戦でのユダヤ抹殺の問題もあり、自身もポーランドとスラブ系少数民族カシューブ人の出目であるということから、この難民問題には、崇高な理想をかかげた。
 折からドイツの国家産業ともいうべきフォルクスワーゲンに悪質な排ガス不正問題が持ちあがった。ドイツ国民の7人に一人がかかわっている巨大な自動車産業のスキャンダルだ。各国の制裁金、損害賠償、株主訴訟、など軽くみつもっても数兆円、ひょっとすれば潰れるかもしれないという危機がもちあがった。
 難民問題とフォルクスワーゲン、このふたつの危機にどう向かい、どう対処するかが、メルケル首相の正念場である。
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2015年10月19日

ユネスコ事務局長イリナ・ボコバの野望

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 南京大虐殺の「世界記憶遺産登録」以来、あちこちでユネスコへの不信が渦巻いている。
 このことは今夏北京で盛大に催された抗日戦勝記念行事のさいの国連潘事務総長とイリナ・ボコバユネスコ事務局長の行動から充分想定出来たことといわれている。
 欧米先進諸国が揃って出席を拒否したなかで、潘事務総長とイリナ・ボコバ事務局長はどうどうと出席をした。公正であるべき国連が、ユネスコが、というがそれは幻想であって、第二次世界大戦時における戦勝国の組織こそが、国連であり、ユネスコなのだ。公正、中立は建前にすぎません、といわれている。
 ブルガリア共産党幹部の家庭に育ったボコバ事務局長は、来年末にひかえた国連事務総長選挙に関心があり、東欧初の国連事務総長として選出されることにすべての行動が集約されているとさえいわれている。
 南京大虐殺を外交カードとして利用したい中国と、事務総長選出にあたって中国が拒否権を発動しないことの交換条件として、南京事件が裏取引されたのではないかと、ささやかれている。
 この話は国連の内外に流れ、日本は負け犬の遠吠え、とさえ揶揄されている。
イリナ・ボコバ氏が、国連事務総長になれば、ますます中国との癒着は進み、日本はさらに苦しい立場に追い込まれることだろう。
 登録された11種類の南京大虐殺文書はもはや手の届かないところへ行ってしまったので、せめてアメリカ並みに拠出分担金の拒否位はあってしかるべきだろう。
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2015年10月18日

バニーガールは昔語り

バニーガールは昔語り

 1960年代の若者ファッシヨンをリードしたブランドに、VAN とJUN があった。
 VANはアメリカのウェスト・コースト風だったが、JUNはイーストのアイビー風な傾向だった。
 その二つのブランドを追い上げて登場したのが、TACだつた。
 TACの宣伝戦略をになっていたのが新政 卓さん、ムサビで山藤章二さんの同窓であり、長くハイファッションの表紙撮影を担当したり、最後はムサビの映像学科の科長を勤め、数年前リタイアして奈良に転居してしまった。クールなデザイナーであり、フォトグラファーであり、アート・ディレクターだつた。
 その新政さんからある時呼び出された。
 実はTACで、アメリカのプレイボーイを導入することになった。印刷媒体は新政さんがやるが、ショウなどファッション・プロモーションはやって欲しいという注文だった。マリリン・モンローのフルヌードで全世界の男たちの心臓をわしずかみにしていたあのプレイボーイの話だ。TACの社長室はすでに黒とゴールドで、伝説のプレイボーイ・マンションのインテリアを実現していた。
 雑誌のプレイボーイは、遅れて集英社が出版することになったが、フアッションは直ちに立ち上げるという、プレイボーイというブランドの時代性が重要だと受け取った。
 当時の日本では、女性のヌードに象徴されたプレイボーイは、文化的アイコンとして認識され、いわゆる裸のカストリ雑誌ではなかった。裸のポーズはどうでもよく、女性美に寄り添った文化の表徴だった。
 今日のごとく幼いアイドルがAVの主役となり、さらにアラフォーのSEXが日常となり、女性そのものの商品化など想像もつかないことだった。
 プレイボーイ本社が、脱ヌードを宣言し硬派の編集に転じ、ウサギのマークのロゴイメージを守る方向に舵をきったのは、女性自身による女性の解放と堕落の歴史に愛想が尽きた、という結果なのかもしれない。
 
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2015年10月17日

熊さんと円蔵を偲ぶ

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 新聞を開いた。
 同じページに二人の友人の悲報が載っていた。何とも言えない気分だ。
 ひとりは渋谷宇田川町の御隠居、熊倉一雄さんだ。熊倉さんとの初めては荻窪の北沢彪さんのお宅だった。当時二枚目の俳優北沢さんは、自宅で朗読教室みたいな集まりをもっていた。そこでの出会いから、ままお茶のついでの演劇論となった。
 パリ犯罪大通りから発生したブールバール演劇に興味があった私は、マルセル・アシャールの「愚かな女」や、アンドレ・ルッサンの「坊やに下剤を」「奥様にご用心」など、ウィットに充ちたお色気100パーセントのブールバール演劇に入れ込んでいたが、熊さんはアメリカ系の喜劇に興味をもっていてニールサイモンなどの応援団だった。後年テレビの時代となり、「ひょっこりひょうたん島」や「ゲゲゲの鬼太郎」で知られたが、舞台に対する情熱は失うことなくテアトルエコーにズット係わっていた。 温かい熊倉さんの笑顔が眼に浮かぶ。
 もうひとりは八代目橘家円蔵さんだ。まま付き合いがあったのは真打に昇進した月の家円鏡のころだった。 立川談志を名乗るまえの柳家小えん時代、円鏡は小えんになついていた。小えんはよく円鏡をいじっていたが、いくら虐められてもニコニコと受け流し、うまいのは志ん朝、達者は小えん、面白いのはこの円鏡、 と受け流していた。
 こいつの家は天井に月がでる、なにしろ天井から屋根まで穴が空いてんだ、という談志の発起で皆で夜中に押しかけ、家人は誰も起きてこないので勝手に上がり込み、戸棚や冷蔵庫のなかを浚って、宴会をして帰ってきたことがあつた。あんな出鱈目を共にした仲間も、あらかたあの世へ旅立ってしまった。 合掌
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2015年10月15日

沖縄独立を叫んでいる翁長知事

沖縄独立を叫んでいる翁長知事

 先月21日、ジュネーブの国連人権理事会でひと騒動あった。
 日本から来た沖縄の翁長知事が、「民族自決権 Self-Determination が奪われている。」と演説したのだ。この言葉は国際法上の権利用語で、「植民地や従属地域からの分離、独立」を意味している。
 ここに集まる諸外国の代表は沖縄は何時日本から独立したのかと、騒然となった。コソボ、セルビア、ボスニア、ソマリア…民族自決権を求める戦いはみな大量虐殺や武装蜂起などで、悲惨な結果をもたらしてきた。
すわ日本でも内戦勃発かと諸外国は驚いた。
 日本政府はこの事態になにも発言せず静観している。 普通の国家なら直ちに軍隊を派遣して内戦状態になって当たり前の事態だ。
 翁長という人は、沖縄国の大統領になりたいのか、それとも特定某国の回し者か、いずれにしても強烈な自己顕示欲にまみれている人間であることがわかる。この人の発言には愛国心はひとつもない。危険な普天間基地の状況を少しでも緩和しようという政府の措置にたいして、沖縄、沖縄とオキナワ原理主義を唱えて世界中に宣伝行脚している。
 この事態を喜んでみているのは、他でもない中国だ。中国は尖閣のみならず、沖縄も核心的中国領土と発言しているので、日本政府がこの翁長知事の発言を見過ごしていれば、必ず領土拡張の魔手を伸ばしてくるだろう。
 このような妄言、または確信をふりまわす知事は、即座に処断しなければ、日本という国家は分解してしまう。
 沖縄に迫る危機、危険性について日本人はもっとナーバスにならなければならない。
 愛すべき具志堅用高はオキナワの人などと、浮かれている場合ではないのだ。
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2015年10月13日

井上八千代ボレロを舞う

井上八千代ボレロを舞う

 皇室の菩提寺、東山三十六峰の南端にある、御寺泉涌寺での音舞台を見た。
 西本智実指揮によるラベルのボレロに乗って、五世井上八千代が舞うというのだ。
 ボレロはベジャールの名作のみならず、日本舞踊の御師匠さん方も随分と踊っている。えんえんと繰り返しながら少しづつ厚いハーモニーとなり、盛り上がっていくボレロの曲想には舞踊家の心を奮い立たせる魔物が棲んでいるのかもしれない。
 キモノの着流しで座敷舞を得意とする井上流が、このボレロに対しどんな舞を展開するのか楽しみだった。
 家元五世井上八千代は、井上流本科の居ずまい着流しで現れた。極端に動きを抑え、能の運足にも似た静謐な動きから始まった。やがて音楽の流れと共に京舞ならではの手が加わり、生命の生まれる場所と言われている御寺に相応しく扇が開き、やがて二枚扇となって、気がついたら神楽鈴を手に、周りの群舞とハーモニーをなしていた。周りの群舞については、かなり類型的な振りで感心しなかったが、台上の家元は完全にボレロを受け止め、京舞伝承の秘曲「倭文」に見られる天地創造の世界に観客を連れだしていた。
 奇をてらうことなく正攻法でボレロを舞いきった見事な井上八千代だった。メークやコスチュゥムに引きずられることなく、京舞の本科で表現をした井上八千代に拍手を送りたい。
 それにしても佐久間良子の朗読はお粗末につきた。プロデューサーは有名でありさえすれば、なんでも出来ると思っていたようだが、中途半端な映画スターの力、解釈力はあんなもんと眼がさめたことだろう。
 大河ドラマに於ける藤村志保と音舞台の佐久間良子、最近収穫の二大大根であった。
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2015年10月12日

「モーニングショー」の名付け親から

「モーニングショー」の名付け親から モーニングショーの名付け親から

 「モーニング・ショー」が何年振りに復活したと伝えられている。
 1964年、春の出来事だった。 前年アメリカのNBCネットで大ヒットした番組に、朝の「TODAY」という情報番組があった。その番組に惚れたヴィクスという飴玉メーカーがあった。ヴィクスの日本上陸にあたって、宣伝媒体としてTODAYのような番組が作ってくれないか、というのが、オーダーの趣旨だった。
 当時の民放テレビに全日放送はなく、特に朝の時間帯は死に体で、NHKの教育と当時のNETテレビに学校放送があったぐらい、その死に体の時間に新しい番組を立ち上げるのだから、スタッフ一同自殺行のような心境だつた。
 ウィークデイの朝8時30分から9時30分までの60分、毎日生のワイド番組を放映するということになった。いまならなんのことはないが、あの頃はドラマもバラエティも60分、30分が大枠で、二時間の枠はほとんど考えられなかった。
 スタッフは制作局演出部からと報道局、そして教育教養部からの選抜で構成された。今は亡き報道の渋ちゃん、松元さんは頼りになる仲間だったし、小生はもっぱら芸能、音楽のプロデュースを担当した。
 そこから名曲「誰もいない海」や、かの美輪明宏による「よいとまけの歌」が生まれた。
 司会者についても随分試行錯誤を重ねた。
 いちばん始めはご他聞にもれず、NHKの有名人、高橋圭三をお偉いさんが連れてきた。取りあえずパイロット版を作ってみようという事になった。まず経験主義からくる独走体質の高橋圭三にあきれた。NHKへの不信感が充満したが、ほかに適任が見当たらない。いろいろと試行錯誤の結果、同じNHKで街頭録音やクイズをやつていた木島則夫にたどりついた。脇には現在料理の栗原はるみの旦那に収まっている栗原玲児と、九州から井上加寿子をキャスティングした。
 さてタイトルを、というときにいろいろ揉めたが、ニュース、スポーツ、芸能、音楽、料理、ゴシップ 等のマルチ・ジャンル番組なので、「モーニング・ショー」という新しいジャンルを表現したネーミングはどうか、と提案した。 
 かくて木島則夫モーニング・ショーは生まれ、タイトルは若き日の天才山藤章二が画いてくれたが、スタッフは木島則夫のNHK出身者特有の官僚体質に随分泣かされた。
 2015年復活した「羽鳥慎一モーニングショー」 よ 頑張れ!

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2015年10月11日

「説明責任」という嫌いな言葉

「説明責任」をいう嫌いな言葉

 近頃、嫌いな言葉に「説明責任」というのがある。
 主に野党が、与党を責めるときなどに使用する。安部首相は「説明責任」を果たしてない、等と声高に叫ぶ。この説明責任とセットで用いられるのに、もっと丁寧にに議論を尽くせ、というのもある。
 問題は説明を受ける側の知性にある。言い換えれば理解力のない相手にいくら丁寧に時間をかけても無駄ということだ。野党民主党の知的レベルが問われている。
 説明責任にも限度がある。あるていど説明しても理解されない場合、切り捨てて前に進まなければならない。200時間という異例な時間をかけた提案趣旨の説明への認識が皆無、想像力の乏しい人間に、いくら説明しても、無意味なのだ。時間は政治のなかで最重要なポイントだ。
 目の前の自国、尖閣諸島への中国の脅威について心配している首相に対して、シリア問題には近寄るな、アメリカの犬になるなと大声を上げる。独立国としての自負は大賛成だが、戦争に負けた国民として、アメリカの疑似植民地として繁栄を貪ってきたことへの認識がゼロなのだ。この国の繁栄はアメリカの軍事力の傘のもとに隠れてやってきたことだという現実を認識していない。
 世界情勢の変化に対応して、国民の生命財産を守らねばという政府の対応にたいし、「戦争法案」というすり替えをしてデモるなどは、反知性無教養のさいたるものだし、私の父は戦争にいって傷ついてきました、などと涙目で訴えるハチマキ女性議員には、知性のカケラもない。國会は言論の府であるし、数こそが決定権を
もっている。
 そのうえ「国民は理解していない」などという発言はスリカエもはなはだしい。充分理解している国民も40パーセントから50パーセントはいるのだ。内閣支持率をみれば馬鹿でもわかることで、「国民は」 などとひとくくりにして理解してないというのは、国民に対し失礼だし、上から目線もはなはだしい。
 野党はまず自分たちの不明を恥じるべきだ。
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2015年10月10日

かまくら華正楼・文学館・小花すし

かまくら華正楼・文学館・小花すし

 久しぶりに鎌倉に足をむけた。
 高校時代、小町通りのどんつき雪の下で夏を凌いだこともあるので、故郷に帰ったような気がした。
 鎌倉の風は潮風にみどりの混じった独特の香りがする。
 長谷にある華正楼が素敵だから食事を、というアメリカ帰りの友人の誘いだった。椅子テーブルの置かれた三階の和室からは鎌倉の海が一望でき、昭和初期の由緒ある建物のしつらえも素晴らしく、料理の味とともに久しく忘れていたレトロな贅沢を味わった。
 かって鎌倉映画人たちの贔屓であったと聞けば、小津安二郎と原節子もひょっとしてこの部屋でのひとときを楽しんだのかもしれない。
 食後、腹ごなしに直ぐ近くの長谷観音を訪ねた。
 過ぐる年、海外の客人を伴って訪れた長谷寺で、その客人が恐怖におののいて逃げ出したことがあった。その時長谷観音は全山小さな風車を背負った水子地蔵に覆われ異様な光景をつくりだしていた。水子供養の話をきくや異邦人はガタガタと震え泣き出したのだ。
 あれから何年、あの水子の山はどうなったか、そんな興味もあった。寺はすっかり表情を変え、立派な作庭とともに水子地蔵も片隅にまとめられ、地蔵堂の穴倉では、若い訪問者の嬌声が充ちていた。
 陽が落ちるには、もう少し時間があるというので鎌倉文学館へ。さすが加賀百万石のお殿様の別荘だった文学館は和洋折衷の素晴らしさ、アールデコがあると思えば、和風の伝統様式もあり、鎌倉文士・前夜とその時代を凌駕していた。
 夜は夏目雅子と伊集院静の恋の仲立ちをつとめたという、小花すしで二段重ねのちらしを堪能した。
 ……江ノ電もいっぱいの観光客と若者で元気に走っていた。

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2015年10月08日

ヨドバシ アマゾンに勝つ

ヨドバシ アマゾンに勝つ

 日経ビジネスに、「ヨドバシ アマゾンに勝つ」 と堂々の見出しがあった。
 フィルム時代には毎日のように、ヨドバシの外販に電話をかけてフィルムを取り寄せていたので、わが事のように嬉しい。
 価格、品ぞろえ、配送においてはアマゾンが勝っているが、接客、アフターサービスを加えた総合力では、ヨドバシがアマゾンに勝っている、という結果がでた。
 打倒アマゾンに燃えるヨドバシは、最短6時間の超速配送、品ぞろえの拡充について次々と手を打っている。
 朝の10.30分にヨドバシ・ドット・コムに注文すると、午後2.0に出荷を知らせるメールが送られてき、午後4.30分には商品が、無事着到する。これをエクスプレス・メール便と呼び、現在中野、杉並、新宿の三地域なのを年内には都内全域にひろげるそうだ。
 当日配送サービスは、ほかにもあるが、普通着到時間までは判らず、ヨドバシの如く6時間と時間をきって配送されるのは画期的だ。
 いま羽田空港前に、大型物流拠点ヨドバシカメラ・アッセンブリー・センターを建設中でここができると品ぞろえの点もアマゾンの一万点に対抗できるようになるといわれている。店で買えるものはすべてヨドバシ・ドット・コムで買えるようにすることが目標で、配送もすべて自社による小型配送車、梅田と秋葉の巨艦店による競争力にネットの利便性を加えたオムニチャネル戦略こそ、明日のヨドバシを語るにふさわしいという。
 店舗とネットの両輪をうまく組み合わせ、強力なプロモーションを展開することにより、打倒アマゾンの真の担い手になることだろう。
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2015年10月07日

あぁ、お寺さんがつぶれる

あぁ、お寺さんがつぶれる

 「ぶっちゃけ寺」といういささか下品な番組が当たっている。
 寺の現実から、名物寺の実態まで、仏教の上っ面を知るには楽しい番組である。いまこの国のお寺の35.6パーセントは消滅の危機にあるといわれている。なんとかしてこのお寺の危機にカンフル剤はないものかと、下品なテレビにも協力してプロモーションしなければ、というところから「ぶっちゃけ寺」の制作協力ということになったのだろう。
 もう墓守りをしてくれる子供達もいなくなったので、先祖代々の墓を処分し永代供養墓に合葬する、墓じまいをというケースも増えている。子供たちが都会住まいで、田舎までこれないので墓ごと移転するという改葬もあり、お寺にとってはダブルパンチになっている。
 永年の習慣からお布施とか維持費という考え方が、今どきの若者に理解されずお寺が暴利をむさぼっているかのごとくに誤解されている例もある。
 お寺が貧乏になれば、必然的に坊さんも働かなければならない。
 兼業住職の割合は50パーセント以上にもなると宗報にある。みずからスケジュールを立てて仏閣めぐりをする旅行代理業、卒塔婆の文字を印刷する印刷会社、バーを経営したり、精進のレストラン経営、あの手この手で檀家拡張に奔走している。
 近頃では、「この寺でお葬式を上げるとイクラかかりますか」と単刀直入にとびこんでくる客もいるそうだが、宗教法人の建前から、お志しでというしかないという現実もある。
 ダブルパンチは、最近の葬式いらない派の登場、自然葬やら樹木葬、海洋葬のおかげでお寺さん消滅の時代を迎えている。
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2015年10月06日

吾輩は猫である

吾輩は猫である

 犬のことを書いたら、何故猫を書かない、と叱られてしまった。
 1960年代、パリで活躍したSineシネという漫画家がいた。彼はもっぱら猫のタブロウが得意で絶妙な猫の風刺画を描いていた。猫のナポレオンだったり、猫の芸者だったり、あるいは猫の尼僧だったり、猫の生態に如何にもありそうなかたちのタブロウが、パリジャンたちの人気を博していた。
 当時のフランスではペットといえば、先ず猫だった。家に住みつくという猫の習性が、古いアパートに住むフランス人のライフスタイルにぴったりだったのだろう。暮れなずむアパートの窓辺で、身じろぎもせず夕陽の落ちるをみていた老人と猫が懐かしい。
 ムーラン・ルージュにも猫は30匹は棲みついていたような気がする。何世紀もの時間を背負ってわが物顔に楽屋を歩いていた。カンカンの踊り子たちが餌付をしてしまったのか、猫たちはもめることもなく、それぞれの楽屋へはいり込んで、怠惰なポーズで寝転んでいた。
 猫には内猫と呼ばれるエリートと、誰にも相手にされない外猫、つまり野良猫がいる。 野良猫の場合、毎年殺処分される候補なのだが、たくみにかいくぐって、横町を支配しているボス猫もいる。
 愛情がもてないのは、化け猫だ。行燈の油を舐めたり、人間をダマしたり、やることに可愛げがない。
 それでも近頃は、猫の衣裳屋、猫の雑貨屋、猫のカフェ、猫レストランがあり、吉祥寺では商店街のプロモーションに猫フェスティバル、猫まつりを仕掛けた。
 猫マニュアが集まってお互いの猫を見せ合い、自慢しあって至福のまつりだったという。
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2015年10月05日

犬に安らぎを求める人々

犬に安らぎを求める人々

 朝、我が家の森のしたの路は、ペットの散歩道になっている。
 ジョギングなどみずからの意思で走っている人よりも、犬に連れられ、もしくは犬に引っ張られながら、それも一匹に非ず、二匹も三匹もの犬に引かれて歩いている。
 この程ペットを飼う理由についての年次報告が発表された。
 第4位は、話し相手や遊び相手が欲しかった10.2パーセント、
  犬語や猫語を話せる訳もなく、人生を語るわけでもないお犬さまってなんだろう。
 第3位は家族、夫婦のコミュニケーションに役立つから、11.7パーセント
  犬、猫を通してのコミュニケーションって何だろうと、考えた。少なくとも論理的なものではないし、そ こに新しい情報があるわけでもない。可愛いとか、可愛くないとか、まあAKBみたいなものがペットなのか  もしれない。
 第2位は以前飼っていたペットが亡くなったから、20.4パーセント
  暮らしや生活について深く考えない惰性で日々を送っているシアワセな人々、とも言えようか。
 そして第1位は安らぎが欲しい 33.5パーセントだった。
  人間よりも動物に安らぐというのは、どう考えても悲劇的だが、それほど人間社会は厳しく安らげないという現実があるのかもしれない。寂しい人々がいっぱいいる。
 アメリカのペット研究家ハル・ベルツォーグは、人間がペットを愛し、食用の家畜を愛さないのには、なんの論理もない。人間は本能的に愛したり憎んだりしているだけだ。唯一つの論理があるとすれば、人間の動物にたいする愛情に、一貫性はないということだ。
 つまりペットについての深読みはムダであるということのようだ。
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2015年10月03日

日本の財布がアメリカに握られる

日本の財布がアメリカに握られる

 来たる11月4日、いよいよ日本郵政の株式が、上場される。
 郵政民営化に声をからし、参議院で否決されるや衆議院を解散して、郵政民営化による財政削減という嘘をならべて、国民を騙した小泉元首相はさぞや嬉しかろう。ともにシナリオを描き、1年に17回もアメリカとの綿密な作戦会議のもと、郵政民営化を実現した竹中平蔵郵政民営化元大臣もニヤリと祝杯を挙げていることだろう。もっと喜んでいるのはアメリカ政府対日政策スタツフ一同とウォール街のボスたちだ。
 アメリカは1994年以来、毎年対日年次改革要望書に郵政民営化せよと、要望してきた。要望とはいっても、これはアメリカの要求であり、アメリカの命令の側面をもっていた。アメリカは郵貯と簡保にある350兆円の金に眼をつけ、これを新規米国債の引き受け先にしようと眼をつけたのだ。
 民営化反対派は郵政事業の民営化によって日本国債の引き受け手である郵貯、簡保が外資ににぎられたら、この国の経済基盤がいっきに崩されると心配したのだ。
 異常に発行額の増えた日本国債がかろうじてたもっていられるのは、国民資産たるそれらの資金が引受先になっているからだ。こうした郵貯、簡保資金の重要性に眼をつぶってきたのは国民の責任であると同時に、アメリカ追従の政治家と官僚なのだ。
 日本郵政の株式上場にあたっての幹事会社は、野村、JPモルガン、三菱UFJモルガン・スタンレー、ゴールドマン・サックスと決まった。こんなに多くの外国証券がかかわるのは異例だが、着々と外堀は埋められつつあるのだ。
 日本郵政は早くも資産運営にあたり、日本国債の比率を下げると発表し、運用部門の責任者にゴールドマン・サックスの前副社長を任命した。今回の株式上場は、いよいよ日本人の財布がアメリカに握られる記念日となるのだ。安保どころか、財布台所の危機、これに対し日本のマスコミがなにも発言しないのは不思議だ。
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2015年10月02日

おにぎり・おにぎらず・スティックおにぎり

おにぎり・おにぎらず・おにぎりスティック

  "おにぎりの三角四角に母の味"  おにぎりのかたちは昔から丸 三角 四角のどれかと決まっていた。
 体育会系の元気な友達はいつも大きな丸いおにぎりをほお張っていた。三角のおにぎりには神様が宿っているからと、言い聞かされていたが、関心は中身の方だった。戦争中は梅干しかおかかが標準だったが、たまに佃煮やらつなが入っていると嬉しかった。
 江戸中期に四角い浅草海苔が普及した頃から全国的に流行ったのがおにぎりのルーツといわれている。飛脚や旅人の携帯食として重宝されたようだ。
 全国的にはおにぎりと呼ばれ、東海道筋ではおむすびと呼ばれた。
 その地域差がそのままコンビニのおにぎり戦争に引き継がれた。ローソンではおにぎりと称し、セブンイレブンはおむすびと称している。
 アメリカ発祥のコンビニが本国を超え、日本独自のコンビニに発展したのは、1980年代のコンビニおにぎり戦争だったといわれている。
 巻かれた海苔がパリッとしていなければ嫌という発想から、包装に工夫をこらし、どのおにぎりが簡単に早く海苔が巻かれて食べられるか、といったバカバカしい番組まであった。
 そのあとは具の戦い、鮭、明太子、いくら、を追いかけて つな 納豆、おかか、こんぶ、梅とあらゆる具材が登場した。
 気がつくと「おにぎらず」などというおにぎりの植民地風が登場、海苔のうえにごはんを引いて、ハム、チーズ、ソーセージ、ベーコン、レタースなどのせて、広げた海苔をそのままたたんだ ごはんサンドのような手抜きにぎりがもてはやされていた。
 そして今、ポストおにぎらずとして、「スティックおにぎり」が人気をよんでいる。海苔は歯につくのでいや、という我儘の声に答えて、海苔ナシのラップにごはんをひろげ具材を散らして巻けばOKという、手も洗うことなく母の愛も伝わらない平成の棒状にぎりにママたちは食いついている。
posted by Kazuhiko Hoshino at 13:07| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする