2016年03月30日

鳥取は島根の右側です

鳥取は島根の右側です

 北陸新幹線開通の余波を受けて、日本海側の各都市の競争が激しい。
 ほとんど死んでいた名所、旧跡を復活させ、わが町の魅力へどうぞ、といった宣伝合戦だ。歴史の残っている金澤の東町などは、チャイナ・タウンの様相を呈していると伝えられる。
 新し物好きの軽井沢は、どこを間違ったのか「サミット交通大臣会合」などという二流大臣の集まりに手をあげ、高校生のデザインによる電飾看板を駅頭に掲げて、宣伝に努めている。
 会議運営スタッフは視察に来て驚いた。これだけテロが話題になり、伊勢志摩の首相会合の準備では、そのエネルギーのあらかたをテロ対策にとられているが、軽井沢では「アト何日」と大きく電飾してアピールしている。テロという世界共通の危機意識がまったく無い軽井沢って何? 運営スタッフは軽井沢のノンキな対応に半場呆れて感心していた。
 地方創生はあちこちで、喜劇を演じている。 
「鳥取は島根の右側です」というコピーも感動的だが、妖怪が多いのは鳥取、神様が多いのは島根、にいたっては果たして宣伝になっているのか不思議ではある。一度でいいから修学旅行先になりたい、という切なる思いもいじらしい。
 北関東では、47位のイバラキ県があばれている。なめんなよイバラキ、イバラキが無くなったらレンコン・ショックは避けられない、と脅迫する。なにしろ全日本レンコン消費量の50パーセントはイバラキ産なのだ。県民意識調査で、イバラキ観光第一位を問うたところ、ワカラナイが第一位だったと言われる。水戸納豆、あんこう鍋、鹿島神宮、袋田の滝、霞ヶ浦の帆引き舟、これだけあったら充分と思うのは筆者だけだろうか。
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2016年03月29日

リリーのすべて

リリーのすべて

 久しぶりにとんでもない映画を見てしまった。
 「リリーのすべて」THE DANISH GIRL と看板にあったので、北欧娘のラブストーリーかと、時間つぶしに
手頃と思ったのが間違いのもとだった。
 デンマークの風景画家アイナー・ヴェイナーと、彼の肉体に宿るもうひとつの性リリーとの生死をかけたものがたりだった。
 内なるオカマが新宿三丁目で水商売をしたり、芸能界にもぐり込んでバラエティの三段目で稼ぐと言ったそこいらに転がっているトランスジェンダーの物語とは全く違った。
 ブロードウェイのミュージカルなどでも、性の行き違いはコミカルに揶揄したドタバタ・ミュージカルになりがちだが、さすがヨーロッパ、20世紀初頭の性の黎明期を正面から描いた王道のトランスジェンダー作品だった。
 監督のトム・フーバーも「英国王のスピーチ」でアカデミー賞をさらった正統派の監督、ケレンのないカメラワークでしっかりとリリーとゲルダ夫妻の性の悩みを描いていく。 LGBTQ至高の文芸映画なのだ。
 夫の女性への願望を許し、自らの作品に描き込んでいく妻、壮絶な性転換の手術では、客席みな凍り付いて
涙するというドラマティックな体験をした。
 コペンで売れなかったゲルダの絵が、パリの「エチエンヌ・ドゥ・コーザン・ギャラリー」からのリクェストで世にでる、というエピソードにも驚いた。 というのは80年後の今、筆者にきている話と全く重なったのだ。エチエンヌ・ドゥ・コーザンが100年前のヨーロッパでそうした権威を持ったギャラリーだったという事に驚いた。
 トランスジェンダーという概念がまだ確立していなかったこの時代に、誰も受けたことのない未知の手術に向かうリリーと、夫がどう変わろうとも愛を貫く、妻ゲルダのとてつもなく激しく大きな愛に涙は止まらなかった。


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2016年03月27日

江戸っ子は目黒川の桜にいかない。

江戸っ子は目黒川の桜にいかない。

 桜によって日本人の花見の心は育てられたのだろう。
 京のみやこでも、秀吉の醍醐の花見以来、鴨川の桜からさいごの御室の桜まで、春の一か月を花見の楽しみで過ごす。歩きながらの花見から、酒や料理を持ち込んでのうたげの花見までいろいろの楽しみ方が生まれた。
丸山公園や平野神社の花見茶屋などみると、町衆と花見のきずなの半端ない強さが窺い知れる。
 江戸の花見は徳川の開府以来の楽しみだった。
 江戸城の桜趣味はお濠のまわりにこぼれ、やがて隅田川の堤に広がり、寛永寺の開山とともに上野の山が桜の山になつた。飛鳥山を桜山にしたのも将軍さまだった。
 という訳で、江戸っ子は近頃の役人のつくった桜は見に行かない。出掛けるのは徳川さまの造った桜の庭や隅田川の土手堤と決まっている。
 歩きながらめでつもよし、立ち止まって見るもよし、飲み食いとともに楽しむもよしかっては踊りながらの花見もあった。
 目黒川の如く、ドブ川の両岸にむりやり植えた桜など、花見の桜ではない。岸辺のゆとりもなく、ドブ川をコンクリートで固めた人口道では、立ち止まる気にもならず、座り込む土もなく休みどころがまったくないのだ。 世田谷辺りのちかごろの成金や、昨日今日東京にでてきたお上りさんにはいいが、江戸っ子は近ずかない桜道なのだ。
 お花見饅頭にチョコレートが入ったスイーツとやらがあるが、目黒川も大同小異の桜の名所と言えるだろう。
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2016年03月26日

乙武だけは許せない

乙武だけは許せない

 今年の流行語大賞は「ゲスの不倫」だとか。
 次から次へ、供給されるのが不倫報道である。
 みんな飽きて不倫報道になんの反響も示さなくなれば、この種の話題もなくなると思うが、一向になくならない。ゲスなのは不倫の当事者たちではなく、メディアそのもの、乃至はそれを読んだり見たりする消費者ではなかろうか、とさえ思う。
 口火を切ったのは、ベッキーとゲスの極み乙女の川谷絵音、スキャンダル処女のベッキーだけが記者会見に応じてお詫びしたが、問答無用を貫いたためかえって逆効果となり、ひたすら謹慎のはめに落ちいってしまった。が芸能界にはベッキー・ファンが多いため、何れの機会に復帰することは眼にみえている。
 衆議院議員宮崎謙介の育休不倫、育休をとって妻を助けるといっていた舌の根も乾かぬうちの不倫では、誰も同情しない。ただの助平に大嘘つきが加わって政治生命は断たれてしまった。
 びっくりしたのは、関西落語の雄桂文枝の20年愛、紫艶という歌手は知らないが、20年続いていたとするといちがいに不倫とは呼べない。純愛とよんだら怒られるが、なにかこういった愛の呼び名で適切な言葉はないだろうか。
 許せない不倫で怒りをかっているのは、乙武洋匡の5人愛だ。日頃、身体不自由、五体不満足を武器に講演やら教育に携わっていながら、5人の愛人とはなにごとか、という声だ。相手の女性はみなボランティア精神だったかもしれないが、どうみても五体不満足の悪用という声が圧倒的に多い。
 介護の女性たちを性の奴隷にした罪は重い。
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2016年03月23日

シャープからボッチ家電へ

シャープからボッチ家電へ

 その前にはサンヨーがあった。
 いま渦中にあるのはシャープ、経営の甘さからとうとう台湾の家電メーカーに買収される寸前である。
 我が家のテレビにも誇らしげに「亀山モデル」とステッカーがはられているが、いまとなっては亀山の文字が没落と映り、悲しみの象徴となつている。
 白物家電で日本にかなうメーカーは世界中何処にもいないと、我が世の春を謳歌していたのは、ついこの間のことだった。いろいろと機能を追及するあまり、使う人間を忘れ、不必要な装備をつけすぎてユーザーから
嫌われてしまった。
 因みに、わが事務所で使っている冷蔵庫はハイアールのものだ。数年前シルバーの冷蔵庫は国産になかった。安物だがカラーに惚れて買った。後は平和に冷やしてくれれば、何の問題もない。
 いまボッチ家電というのが注目されている。
 秋葉のビルの一部屋にいくと、大メーカーを止めてきた若者がヒトリボッチでオシャレな家電を創っている。いままでにない発想で新しいライフスタイルにぴったりのものが多いという。
 その部屋には、3Dプリンターが置かれ、最新の工作機械がある。
 大メーカーで提案が通らずウツウツとしていた若者が通ってくる。発想に技術が付いていけない場合は、不況に喘ぐ町工場が手伝ってくれる。
 一人で来てデーターを入力し、3時間もあれば試作品が出来上がる。
 従来販売がネックでメーカーが取り上げなかったものが、いまではネットという市場で解決される。
 情熱と好奇心のすへてががボッチ家電をささえている。
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2016年03月22日

不倫という経済活動

不倫という経済活動 不倫という経済活動

 「はじめての不倫学」が坂爪真吾によって書かれたのは、つい最近のことだった。
 議員さん、ベッキー、文枝といまや不倫の花盛り、週刊誌も死ぬまでセックスとか、こんな快楽しらなかったとか、セックス特集があふれている。
 「一夫一婦制」は、不倫と売春を伴う」と論じたのはエンゲルスだったが、坂爪は不倫ワクチンを提唱した。
 弱体化した病原菌を体内に打つことで、泥沼に落ちやすい欲望社会から人間を救うには「不倫ワクチン」がいちばんという論旨だった。
 ワクチンのために、ある部分ゆるやかな社会的装置を創るべき、という提案だった。キリスト教的倫理にまみれた女子には到底受け入れられないかもしれないが、現実主義でものを見る人々にはなるほどとうなずく面もあった。
 
 ところでいま反響を呼んでいるのは、「不倫経済学」だ。
 不倫を倫理や哲学で見ることを止めて、経済つまり金銭で考えようということだ。提唱者の門倉貴史は45歳の学者というので、資本主義の堕落もここまで来たか、の思いである。
 性風俗産業は年間5兆円、熟年離婚の市場規模は4000億円、不倫で動く総額5兆5000億円といった調子だ。老いらくの恋関連支出は15兆円、これら不倫市場で動くお金は総額24兆円に達し、消費税をもしのぐ勢いだと論じている。
 さらに不倫は景気に連動し、加えてスマホ、ネット、ラインなど各種情報機器こそが共犯装置だといっている。
 さて、あなたはこれに乗じて経済に資するやいなや、すべて火遊びといわず老年期最大の経済活動だそうだ。
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2016年03月21日

戦場ジャーナリストは身代金の道具?

戦場ジャーナリストは身代金の道具?

 戦場カメラマンとか、戦場ジャーナリストとか称する人々がいる。ご本人たちは戦争の実態を伝えるという使命感にみち溢れているのだが、おおむね政府から渡航禁止指定をされているところに突っ込んでいく。
 俺たちはフリーだから、というがそれは他人に迷惑をかけない、というのがまず原則ではなかろうか。国際的な視野でいえば、出身国または出身国民に迷惑をかけないというのがまず第一原則であるし、相手国乃至取材対象にも迷惑をかけないということを踏まえたうえでの、取材活動でなければならない。

 最近映像がネツト上に公開された安田純平さんについて考えてみよう。
安田さんはいま、国際テロ組織アルカイダ系イスラム過激派組織「ヌスラ戦線」の捕虜になっている。
 この「ヌスラ戦線」はシリア北西部を拠点に、外国人の拉致、誘拐事件をたびたび起こし、その度ごとに身代金を要求してきた誘拐ビジネスの専門集団だと伝えられている。
 一橋大学社会学部に学び、信濃毎日新聞社に10年も奉職してきた安田さんが、そうしたイラク、シリア情勢を知らずに紛争地に入って行ったとは到底考えられない。
 「ヌスラ戦線」側は、安田さん拘束について幾度となく日本大使館に連絡したが、なんの連絡もない、恐らく身代金に応じないということだろう。
 安田さんの映像を見る限り、そうした日本側の反響に対する不満が映像の端々に読み取れる。本人のヒロイズムから起こした事件に政府は関与しないし、公共の迷惑だから自己責任で処理してほしいと、いうことだろう。
 ここで考えなければならないのは、戦場へ行くフリー・ジャーナリストとはなんだろう、ということだ。こうした誘拐事件に遭遇するたびに考えさせられるのは、フリーという言葉の責任範囲についてだ。
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2016年03月20日

民主・維新の合併喜劇

民主・維新の合併喜劇

 民主党と維新の会が合併するときいて、何の感興もわかない。そうですか、といった程度で、かって日本新党結成あたりの、政治の訴求力は何処え行ってしまったのだろうか。
 かって政治の季節には、こんな日本を作りたい、作り上げたいといった権謀術策、行動力がぶつかり合って国民ひとりひとりが、その渦のなかで興奮していた。
 それが民主党の失敗以来、政治への期待感は雲散霧消、まったく無くなってしまった。
 立憲民主党と民進党、どちらがいいですか、と素人に丸投げでは、政治の集団として如何なものか。
 議員ひとりひとりに、主張、覚悟がないから、党是を議論することなく、平気で民意を問う。売り出し新商品のネーミングと全く同じなのだ。旦那に媚びる、水商売のオネェサン方の方がましかもしれない。
 選挙のための議員ばかりで、国造りへの理想がない、この旗印のもと我々はこうした国造りをする、という
議員本来の知性と使命感に欠けるから、政党の看板をいくら付け替えても、魅力は湧かない。
 新党さきがけ、みんなの党,結いの党、立ち上がれ日本、生活の党と山本太郎となかまたち、新進党、みどりの風、新党きずな、新党平和、新党友愛、日本未来の党、太陽の党、あげくの果ては立憲民主党、民進党、…スーパーのチラシのごとく名前を並べただけでは、ますます信用できない。くっついては離れ、出来ては消えるあなたたちは一体なんなんですか。自由民主党、公明党、共産党、十年一日のごとく変わらない方が、少しはマシかも知れない、と思わせる。
 かつて長野の産んだ昼行燈 羽田孜首相が提案した「人間党」では、略称のとき「前人間」やら「元人間」になってマズイということで、採用されなかった逸話が残っているが、今回の民主維新の合併劇も、名前さえ変えたら国民の支持が集まる、とでも考えていたらまず大失敗するだろう。

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2016年03月17日

恥ずかしいキャンプ・グランピング

恥ずかしいキャンプ・グランピング

 キャンプといわずグランピングというらしい。
 キャンプ本来の魅力ある野性味を全部けずって、キャンプの骨までしやぶる堕落きわまりない簡易旅行というべきか。
 近頃のファミリーはこんな形のキャンプが嬉しいときいて開いた口がふさがらない。まずキャンパスの布を張る楽しみがない。あらかじめ出来合いのテントハウスが造られている。それも土台からきちんと整地された場所に用意されている。凸凹の土地に工夫して張るキャンプの楽しさなど、何処にもない。
 予約して現地につけば、あらかじめ決められたハウスに案内され、メニューが提示される。
 黒毛和牛からなんとか豚、さらに海の幸、季節外れのとうもろこしまで、定番のバーベキューが用意され、炭起しも必要なくスイッチ・ポンでウッドデッキのバーべキュー大会が始まる。
 自然を楽しむ、野性を楽しむ、ことなど皆無で、すべて用意されたメニューにそってレジャーが粛々と進行する。
 夜は厚手のマットと西川の毛布にくるまって夢路をたどる。
 小洒落た小屋が数件建つ初島やら、峠を越えてすぐにある北軽井沢の森、あるいは北海道の原野の透明ハウスなど、初期投資の少なさで飛びついた旅行業者が考える、グランピングという珍しさに飛びつく貧しい庶民、国土が狭く、遠いアジアの田舎者にしか通用しない余暇のメニューに言葉を失う。
 中世のころから、子弟の教育や歴史体験に旅の習慣があるイギリス人にとっては、思いも及ばないキャンプの旅だろう。
なんでもかんでも商売に結び付ける日本人の恥ずかしい旅こそがグランピングとと認識しなければならない。
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2016年03月16日

身体検査にひっかかった今井絵理子からショーンKまで

身体検査にひっかかった今井絵理子からショーンKまで

 個人情報、プライバシーと騒ぎ立て、隣はなにをする人ぞ、が当たり前になった。
 一昔前まで、一流会社の採用は徹底的に調査した上での結果だった。そのために総務や人事に関わるスタッフはみずからの生活もきわめて厳しく律した。
 それが今では何もわからない。隠すことが当たり前になり、うっかり問いただしたり尋ねると、犯罪行為になってしまう。
 出目、過去、学歴、出生地など明らかにしてはいけない。
 いくら安倍総理が、新任大臣をセレクトしても、際限なくでてくるのは過去のスキュンダルやら学歴詐称だ。
 かって先輩議員の推薦やら、土地の名士の後押しで出てくる議員はまず出目、学歴などにケチがつくことはなかった。
 それが最近のように、政党が新人公募制度にたよるようになると、次々と怪しい人物が登場してくる。記者会見で生年月日を言わない女性候補やら、折角の女性芸能人候補の同棲相手が前科持ちだったり、なにがでても可笑しくない状態になっている。
 ネットのオープン・エントリーなどというシステムを採用すること自体、すこしアタマがオカシイとしか思えない。デジタルと言う言葉に眼がくらんで、なんでもありの政治では悲しい。
 身体検査がザルだと安倍首相は怒声をはっしていると伝えられるが、身体検査を徹底的にやらなければならない世の中をお造りになったのは、どこのドナタカト問いたい。
 今手にした週刊誌では、この春からフジテレビのニュースの顔になる予定だったショーンKの嘘八百が紙面に踊っている。カメラ写りや女性に支持されそうな甘いキャラクターを追っかけ、身体検査をスルーしたブジ・テレビのスタッフは真っ青になっていることだろう。
 社会の秩序を維持するためには、ある程度の個人情報は開示すべきではなかろうか。
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2016年03月14日

記憶を超えた悲しみの日

記憶を超えた悲しみの日

 ここ数日、東日本大震災の報道が紙面をうずめつくしている。
 3月12日に壊滅的地震に見舞われた長野県北部栄村の子供たちが、ぼくたちの被災も忘れないでください、と訴えていた。家を失い仮設住宅で不便な毎日を送っている現状は三陸の被災地と変わらないという悲痛な叫びである。
 みんな忘れているが、3月11日の前日3月10日と言う日は東京に住んでいた人間にとって悲劇的な1日だった。
 第二次世界大戦の末期、B29の空襲により東京は見渡す限りの焼野原になった。電気も止まり、水道もでなくなり、一切の公共サービスもストップして、東京の都市機能はすべて奪われたのだ。
 都民は老いも若きも皆僅かばかりのカンパンや炒り米をもって歩いた。学校へも、職場へもみんな黙々と歩いた。交通機関はすべてストップしていた。仮設住宅もバラックも夢のまた夢であり、みな庭の片隅に掘られた防空壕で夜を凌いだ。
 絶えず鳴り響く空襲警報、戦闘機の襲撃、B29の轟音、たまになる高射砲の迎撃、そんな情況のなかで私たちは敗戦までの日々をすごしたのだ。それは絶望的な時間だった。
  3月10日  東京大空襲
  3月11日  東日本大震災
 このふたつは昭和・平成の悲しみの日として、忘れることの出来ない刻印なのだ。
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2016年03月13日

ドーピングと商売のはざまで

ドーピングと商売のはざまで

 世界テニスの女王マリア・シュラポアが申し訳なさそうにインタビューを受けている。
全豪オープンのドーピング検査の結果、陽性反応がでたというのだ。2006年から医者に心臓の薬として服用指示されていた「メルドニウム」が今年から禁止薬物に指定されたというのだ。国際テニス連盟は5回にわたり警告していたといい、本人は知らなかったと言っている。
 早速に反応したのは、ロシア当局、プーチンの愛人と噂されている新体操の五輪金メダリスト・アリーナ・カバエワを、ロシア最大のスポーツ紙スポーツ・エクスプレスの編集主幹に迎え、シャラポアの援護体制をひいた。
 「メルドニウム」は30年以上前から使われている心臓薬で、この騒動はアメリカの陰謀であるとぶち上げた。ロシア・スポーツ界ではあたりまえのように使われてきた薬で、ドーピング対象薬としていまさら取り上げるのはおかしいというのだ。
 ドーピングについての米ソの確執はともかく、そのまえには北京を舞台に馬軍団による水泳競技スケート競技などの集団ドーピング問題があった。
 99パーセントの確率で筋肉増強剤が使われ選手の肉体改造に役立てていたというのだ。こうした現実から想像できるのは、スポーツが国家の発揚に利用されるかぎり、ドーピングの問題はついてまわるということだ。
 資本主義国においても、いまやスポーツは個人の手から離れ、事業体の一部に成り下がっている。
 営業マネージャー、スケジュール管理、コーチングスタッフ、食事管理、それに関連グッズ担当だの代理店が入り乱れて利益活動の核になり、スポーツマン個人には、引退の自由もないという悲惨な現状になっている。
 個人としても国家としても、スポーツの在りようについて、今こそ根本的に考えなければならない時のような気がする。
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2016年03月12日

震災の日にふるさとを想う

震災の日にふるさとを想う

 3月11日東北大震災の報道でメディアは埋め尽くされている。
 希望をもって新しい街づくりをしている人々、相変わらずの震災住宅で孤独と戦っている老人、黙々と被災地の堤防づくりに動いている黄色い重機、型どおりに被災地の表面だけを撫でていくテレビの画面……リアリティのない女子アナのレポート、無数の鎮魂の祈りのなか、武道館での天皇の言葉ほど国を想うふるさとを愛する心情に溢れた言葉はなかった。

 この日被災地の情景にダブって、「ふるさと」を思い出す。
 生まれ育ったのは本郷西片町、樋口一葉の小説にでてくる辺り、古いしもたやが連なって近所には大きな銀杏の木があった。西片町10番地というのは旧華族の敷地跡で、細分化され明治の匂いの色濃くのこっている学者と庶民の町だった。
 小学校半ばには杉並のはずれ善福寺近くに越したので、幼い頃のふるさとの思い出はあまりない。それでもたまさかやってくるチンドンヤの旗が塀の向こうを上下しながらくうを舞うチラシとともに通り過ぎた光景や、晦日の夜の雪景色に遠く聞こえてくるチャルメラの響きは耳に残っている。嵐の収まった朝は、必ず東大の三四郎池までぎんなんを拾いにいった。火鉢ではじけるぎんなんに、生命のいとなみを感じながら、ぎんなんの実の美味さに囚われていた。

 中学2年の春、東京大空襲に遭遇した。真紅に染まった東京の空と別れて疎開した先は仙台の南、高舘の山懐だった。仙台の中学まで通う汽車もしばしば運休となり、その度ごとに名取から長町、そして広瀬川まで歩いた。大震災の風景に出てくる閖上から仙台にかけての荒涼たる津波の跡こそ、中学2年の短いふるさとだった。間もなく敗戦を迎え、仙台の焼跡整理を終えて、再び武蔵野の東京へ戻った。

 いま軽井沢に住んで30年になるが、ふるさとは何処にありや、の心境である。

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2016年03月10日

やっと恵比寿がきた

やっと恵比寿がきた

 住みたい町ランキング第一位に「恵比寿」がなった。
 吉祥寺が陥落したと、メディアはかいている。
 が我らの青春時代は、住みたい町ではなく、送って行く町ランキングの第一位だった。JR恵比寿の西口広場から左の坂を登っていく…ややあって左へ曲がったところに目的地はあった。宝塚歌劇の生徒たちが東京公演のさいに泊まる寮がそこにあった。子供たちを送り届けるような気分で恵比寿まで車を走らせた。数えきれないほどの花束のひとつを残して、降りて行った彼女たちの残り香りとともに帰途についたことも幾たびかあった。
 ビール会社の占める位置があまりにも大きく、長い間恵比寿はビールとお屋敷とアメリカ村の中途半端な町だった。駅から動く歩道が長々とでき、デパート、ホテル、オフィス街などの界隈が出来た頃から恵比寿の核がすこしずつ育ってきたような気がする。
 広尾、代官山、中目黒に隣接してそこには当然のごとく、大人の町が出来てきた。渋谷では少しばかり軽くなる、恵比寿ならいいわという友もいた。
 山手線のなかで女性客の乗降率がもっとも高いのが、恵比寿というのもうなずける。
 フレンチひとつとっても、あの格調高いロプションがしっかりと根を降ろしているし、近頃のヌーボー・フレンチもあちこちにある。ミシュランの三ツ星から一つ星、ちょつとこった居酒屋まで重層的にあるのが恵比寿という町でもある。表面飾りたててはいないが、若い新しい感性の店が多い。
 ヒイキの店を持つなら、今は恵比寿なのだ。
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2016年03月09日

話題の効用

話題の効用 話題の効用

 「得した人、損した人」と題したテレビ番組がある。
 「好きな人、嫌いな人」という特集もあった。
 比較対象して論をたてるメディアは昔からあったが、デジタル社会になって極端に増えたように感じる。ひとつひとつの事例ごとに論じるのは面倒くさいし、みんなにも喜ばれないから、dボタンを押してそのあとはカラーボタンで好きな人を選んでください。 というシンプルにしていい加減なデータによる情報移転の調査報告だ。
 久しく人気から離れていたラクビーが、五郎丸歩のアイコンとともに異常な人気を博している。正月2日秩父宮ラグビー場だけの風物詩が、五郎丸の祈りのルーティーンと共にオール女子にひろがった。本田圭佑のサッカーなどあっという間に片隅に追いやられた。
 このふたりを較べれば五郎丸のほうが圧倒的にお金の臭いがせず、精錬なスポーツ精神に近いとみんなが
感じたのだろう。
 スケートの羽生結弦の人気も、計算と虚飾にまみれた女子フィギィアの現状に飽き飽きしていたファンの心を掴んだ。スリムな羽生の肉体には求道者としてのイメージこそすれ、ハーフハーフなどと発言してファンの心を弄ぶような偽アスリートの影はない。
 又吉直樹の芥川賞も、これによってお笑い全体の知性が底上げされた。ヨシモトを中心にした騒々しく下品なお笑いだけではない、というイメージが広がり、お笑いのバックヤードを広げた功績は大きい。
 巨人の野球賭博と清原のクスリ漬けを消し去るのも、求道者のイチローに、さらなる清純なアスリートの登場が必要となる。 …さて今年の効用ある話題は何処に。
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2016年03月08日

抹茶につづき ほうじ茶おまえもか

抹茶につづき ほうじ茶おまえもか yjimage.jpg

 抹茶がこれほど売れるとは思ってもみなかった。
 三畳台目の小間で厳粛にいただくのがもっとも豊潤な抹茶かと誤解していたが、実は原宿のテラスで苺の下敷きになった抹茶アイスのほうが、はるかに気楽で美味いことに気が付いた。
 抹茶チョコ、抹茶大福、抹茶最中、抹茶せんべい、あらゆる場所に抹茶は入りこみ、健康にいいとか、解毒作用があるとか、その効用とともに一気に市場を創りだした。
 茶道の抹茶からスイーツの抹茶に、抹茶の世界が一気にひろがった。
 表千家、裏千家各お家元お好みの抹茶は、何時かアルマーニお好みのお抹茶、ピエール・マルコニーニお好みのお抹茶に変わっていくかもしれない。セブンイレブン好みとか、ローソン好みとか、やっぱりファミマの抹茶味にはかなわないと、世評に抹茶が登場するようになると、スーパーのスパイス棚の彩りもだいぶ変わることだろう。コリアンダー、ターメリックの隣にはワサビ、マッチャが並ぶようになる。

 このところほうじ茶がじりじりと人気を伸ばしているとの噂をきいた。
 ほうじ茶は日本人の食卓にとっては、食中茶として口中の残り味を流し、次に訪れる微妙な食味を十二分に味あわせてくれる存在だった。決して主役にはならないが、脇役としてこの上なく貴重な存在が、ほうじ茶なのだ。
 ほうじ茶は柳桜園に限る、いや一保堂だと、その世界なりの競い合いはあったが、このところ消臭作用とか、デトックスに効くとかの健康志向に乗って、市場に登場してきた。
 この先、どのような形で市場に棲みつくか楽しみな素材である。
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2016年03月07日

カワイイ味噌汁、原宿に登場

カワイイ味噌汁、原宿に登場

 カワイイという感性の領域は女子に限るとながねん思ってきたが、カワイイ文化は日本独自のサブカルとばかりに、海外でKAWAIIというキャッチを目にすると反応の仕方がわからずとりみだしてしまうことがある。
春になるとチューリップの花があちこちに咲く。カワイイと感嘆の声を発して花に吸い寄せられる女子は当たり前のことと眼に慣らされてきた。花が可愛かったり、カバンが可愛かったり、ブラウスの襟がカワイかったり、スカートのプリーツが可愛かったり、カーテンや机まわりがカワイイのは、女子の感性としてそんなに珍しいことではない。
 ところが最近では大人女子みずからが、可愛いでしょ、とばかり自分をアピールするようになった。
 35歳だけど、ワタシカワイイデショ、と変な踊りつきでパフォーミングしている。どこかで脳みその進化が止まっているのは確かな事実だが、普通にはただのブリッコで腹黒女子のみっともない仕草と受け止められるのがせいぜいだろう。
 こうした老婆に振袖のたぐいのカワイイではなく、単純に禿げている男子をつかまえてカワイイを連発するにいたっては男性に対する女子のセクシャルハラスメントとしかいいようがない。
 原宿に「カワイイ味噌汁屋さん」が開店したと報じられた。なにがカワイイのか判らないので現場にいってみた。形式は屋台のクレープ屋さんと変わらない。カワイイ味噌汁はフードカップに入れられて登場する、海外でも味噌スープはすでにかなりの知名度で市民権を獲得しているので、そこそこの商売は期待できる。麩の具がハート型だったり、油揚げがクローバーの片抜きだったり、にんじんはダイヤだったり、それなりのカワイイ工夫に充ちていた。
 スポンサーがまるこめ味噌と聞いてなぁーんだと一気に脱力した。
 カワイイ女子もカワイイを使いすぎると友達を失う、という現実に目覚めたほうがいいかもしれない。
posted by Kazuhiko Hoshino at 13:03| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月06日

町の支配者はコンビニになっていた

町の支配者はコンビニになっていた

 気がついたら、町の支配者はコンビニになつていた。
 長い間あってもなくてもいい、そんな感じのお店だつたのが、少子高齢者時代を迎えてコンビニはかなり本気のビジネス形態になってきた。
 思い起こせば、コンビニのおにぎりが話題に上り、町のおにぎりやさんが歯がぬけるようになくなっていった時代があった。 薄いセロファンを縦にさき、開いた両側から乾いた海苔を取りだして巻いて食べる。パリッとした乾いた海苔を今ここで食べられるというのは、おにぎりにとっては歴史的大革命だった。
 そもそもアメリカから来たこの業態におにぎりがあることが不思議なのだが、日本の経営者はコンビニの弁当におにぎりを取り上げ、サンドウィッチを凌駕して有力なレパートリーに仕立て上げた。内容も梅、海苔、シャケの並みから大幅に広げ、マヨラーから魚族、肉族にまで対応して百花繚乱、飯も魚沼産こしひかりからアキタコマチ、さらに北海道ユメピリカを投入してのお米競争、あの手この手でユーザーの食欲をくすぐった 。
 町の本屋が次々と潰れていくのを横目に週刊誌、月刊誌、女性誌、ピンク誌まで窓側に並べてしっかりと利益確保し、ポストも宅急便もすへてコンビニ任せ、役場の税金までコンビニに拂えばいいし、手元不如意の折にはATMまで用意されている。
 最近のコンビニの話題といえば、街角カフェでコーヒーが美味しい、そのうえ突き出しのドーナツがなかなかいけると、ドーナッツ専門店をかるく抜きさって評判が高い。パリの短期講習から帰って来たパテシィエまがいの菓子より、コンビニのオールド・ファッション・チョコドーナッツのほうがはるかに美味しいのだ。
 文具類にしても10年一日のごとくに同じ鉛筆、ノートではない努力の品揃いがみてとれる。
 零細小売業と舐めていたのが、気がついたらコンビニ無しでは、夜の明けぬ国になっているのではなかろうか。
posted by Kazuhiko Hoshino at 16:54| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月05日

信濃の国の淫行条例

信濃の国の淫行条例

 長野県は全国で唯一つ淫行条例のない県として存在してきた。
 だから長野県に淫行はなかったかと、問われればそんなことはない。淫行という事象はごく当たり前に存在してきたように思う。
 どこまでが淫行で、どこからが淫行でないか、その辺は微妙な問題だが、その境界については法律の問題として考えるより倫理、道徳の問題として考えた方がいいような気がする。
 今回の淫行条例提案に当たって阿部知事は「インターネットや携帯電話が普及する中で、子供の性被害が増え、看過できない状況にある。」なるほど最近顕在化した事例として教員による女子生徒への淫行がある。これなどは教員養成校に対し、性教育の徹底化を要請したほうが、よほど実際的とも思うが、わざわざ県外から長野には淫行条例がないのでシメシメといった教員奉職者も想像できない。
 片方で刺激的なダンスの正課を実践し、AKB世代つまり中学生から性的ワールドを開放し、充分に食生活をみたして育った女子たちは、すでに淫行の挑発者たりうる資格をもっている。
 グラビアアイドルのフォト雑誌にしても、そこに登場する中学生は、すでにみずからのセクシャリティを商品化するすべを身に付けている。胸をチラ、お尻を丸出し、なんとか開脚と開いた口が塞がらない、これでは淫行の森、淫行の信濃といわれても反論できない。
 淫行条例ときいてどこかに時代錯誤の不自然さを感じるのは、世間の現実と離れた信州人の議論だからではなかろうか。
posted by Kazuhiko Hoshino at 16:31| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月04日

襲名と襲名披露

襲名と襲名披露

 襲名とは芸の記憶と歴史を一身に継ぐことだ、といわれている。
 近頃の襲名はたいへん軽くなったようにも思うが、それを取り巻く状況がカジュアル化し、すべてが金銭に置き換えられて、パブリシィティの成否とともに論じられる現実があるのが悲しいことではなかろうか。
 かって口上は厳粛極まりない儀式だった。それゆえに役者は一門の神仏に参り、御贔屓筋には一年もまえから挨拶回りをし、先輩俳優と勧進元の許しをいただいて、ようやく襲名披露の公演に臨んだ。
 「一座高うはござりまするが…」という冒頭の決まり文句そのままに、客に対し、御贔屓に対対して慇懃に挨拶を述べる場だった。先輩の役者が後輩の役者を客に改めて紹介し、お引き立てを願う挨拶の場だった。近頃の口上では、内輪の仲良しをアピールしたり、夜の巷での武勇伝を披露したり、ショーアップの勘違いが横行している。つまらない暴露話を喜ぶ観客にもこまったもので、テレビのワイドショーを覗くような気分で劇場にきているのだ。
 折しも芝雀が雀右衛門の名跡襲名披露興行をしている。その前は、翫雀が鴈治郎をつぎ、上方歌舞伎の芸を伝承している。襲名とともに芸格が大きくなり、若い時のようただ演じるだけではない思慮深さが表現に滲んでくる。
 猿之助を継いだ亀治郎は一門の総帥としての思慮が加わって一回りも二回りも大きくなった。
 日本舞踊の世界でも、吾妻徳弥が徳穂となり、井上三千子が井上八千代を継承した。それまでやんちゃに表現していた振りに、継承への責任感がでて見応えのある舞台になってきた。
 観客は襲名された名前に重ねられた芸の歴史と、自分の人生を投影して迎い会うのだ。
posted by Kazuhiko Hoshino at 12:59| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする