2016年08月31日

失われた美瑛の絶景「青い池」

失われた美瑛の絶景「青い池」

 台風9号、台風10号のおかげで、北海道の風景遺産が失われた。
 ぜったいに見たい絶景、この世のものとは思えない色彩、神秘的な鮮やかなコバルト・ブルーの水面にうかぶ枯れ木の群落、それが美瑛の「青い池」である。
 去る7月、2018年のパリ展のために撮影にいってきた。あまりの美しさに絶句した。
 あの「青い池」が、泥流に洗われてなくなってしまったと北国の友人から電話があった。
 メディアの関心も薄く、街中の泥水や、自衛隊のヘリコプターの救助活動やらが、テレビの画面に踊り、失われた青い池など、どうなってもいい。
 この十勝岳北麓に位置する絶景「青い池」は MAC BOOK PRO の壁紙に採用されて、世界中の人々から驚嘆の声が寄せられていた日本の風景遺産なのだ。
 青い池は、国土地理院発行の25万分の1地図にものつていない。あれはただの水たまりだと説明している。いかにも官僚らしい説明だが、民放テレビが軽視するのは、スポンサーにはなつてくれないからだろうか。
 百歩譲っても、世界が関心をもっている「青い池」事件はもっと取り上げてもいい。
 北海道にはこの「青い池」以外、絶対にみたい風景がいくつかある。
 旭川「沼の平」、網走「能取湖サンゴ草群落」、上士幌「タウシュベツ橋梁」、北竜町「ひまわりの里」、
そして富良野、美瑛に広がる花の畑や樹木だ。
 観光の主役はハコモノではなく、自然の美しさである。

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2016年08月29日

高畑裕太の性欲犯罪

高畑裕太の性欲犯罪

 高畑裕太の強姦致傷事件が注目されている。
 紫綬褒章の母高畑淳子の謝罪会見はよかった、という人と、良くなかったという人に別れている。息子の性癖について記者から質問され、そんな兆しはなかったと高畑淳子は答えたが、学生時代からの発育不全騒動や、マナカナ三倉茉奈トイレ追い詰め事件など、当然の如く母親の耳にもはいっていたことだろう。
 …なにがあっても私は裕太の母だから、そしてオネェちゃんは裕太の姉だからといった、甘い女の発言は、松本人志のいうごとく、息子にもっと怒らないといけない。一緒に乗り越えていこう、みたいな発言は甘すぎる、この先もそうなの? そう思ってしまう。
 最近の風潮として、叱らない子育て、体罰のない言葉の言い聞かせ、がトレンドになっているが、子育ては本当にそれでいいのか、疑問に思っている。
 バイオリニストの高島ちさ子の叱れない親に喝! 毎日叱り方を変え、時に体罰を加える。いくら言ってもゲームを止めない時は、携帯バキバキ事件で電話を破壊する、そのくらいの迫力があれば子供たちのカラダにしっかりと親の怒りが届くだろう。肉体だけが人並みに育ち、脳みそが猿に近いときは体罰を加えて覚えさせるしかない。母の慈愛にみちた優しさは犯罪を助長させるだけだということが判っていない。
 母が芸能人ということでマスコミに追われて可哀そう、といった三田佳子の息子は三度逮捕されている。
竹下景子の息子関口アナムは27歳にもなって毎月20万以上のオコヅカイを貰っていると、シレッと発言して
まわりを驚かせた。金さえ与えればというのは芸能人のもつとも悪いところ。
 自分が誘って嫌がる女はいない、という芸能人ならではの思い上り、そこにすべての病根があるのではないか。性欲を止めることができなかった、そんなことを平気で口にする高畑裕太は壊れている。
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2016年08月28日

激辛のクライマックスは虚空

激辛のクライマックスは虚空

 空前の第三次激辛ブームが来ているそうだ。
 気候変動で猛暑、酷暑の到来があたりまえに成ったため、人間の防御本能が働いて激辛に殺到しているのかもしれない。カプサイシンが感じる辛みが、食欲を増進させ、新陳代謝を促進する効果があるので、暑さ対策として激辛に光があたってきたのだろう。
 第一次は1986年にきた七味唐辛子ブーム、第二次は2003年のハバネロ・ブーム、そしていま2016年はブート・ジョロジアなる最強辛み食品による究極の辛みブームだといわれている。

 おりから新宿歌舞伎町の大久保公園では「激辛グルメ祭り2016」が開かれている。8月25日から9月19日という長期なのでかなりの自信と伺えば、第一回は7万人、第二回が10万人、そして去年が14万人で、今年は20万人をめざしているという。
 汗だくになって、口から火を噴いて、涙がでても激辛こそいのちという激辛愛好家が集まっている。インド、タイ、韓国、中国四川、メキシコ、ベトナム、日本の激辛自慢の名店が待ち構えている。
赤い壺の名物「赤い壺しゃぶしゃぶ」、赤からの名物「赤から鍋」、赤ちり亭の「ハバネロ・チキン」、四川料理の知音食堂は「水煮魚」、蒙古タンメン中本の「黒鬼」、マジック・スパイスの「チキンカレー」、武蔵野うどん藤原、と激辛の顔見世興行である。
 情熱の赤は激辛の赤、真赤なとうがらしの色鮮やかな料理に好奇心も食欲も刺激されてみては如何。
 辛さの階段には、覚醒、瞑想、悶絶、涅槃、極楽、天空、虚空の七つのクラスがあり、そのほかにアクエリヤスがあるという、なかなかに宗教的かつ哲学的な激辛ワールドである。
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2016年08月27日

東京を棄てたふたり

東京を棄てたふたり

 台風の前触れか、雨風の鬱陶しい中を佐久の南の果て、長者原にいってきた。
 すぐ西へ下りると、岩下の集落がある。ここは春分の日に岩下の踊り念仏という芸能が伝承され、一遍上人が跡部で啓示をうけ、踊り念仏を始めた歌舞伎の聖地でもある。
 戦後、満蒙開拓団の人々がこの山中に入植し、艱難辛苦の末、田畑の開墾にこぎつけたという戦争の負の遺産を背負った集落だ。
 途中まで友人が迎えに来てくれたが、走れども走れども目的地につかない。路はだんだん細くなり、やがてほとんど、けもの道に近くなった辺りで、クルマは止まった。
 山にそって金属の梯子がかけてあり、その先にグレーの瀟洒な家がみえた。今日は雨で梯子が危ないから、裏に回るのでこの車に乗れと赤い四駆に乗り換えさせられた。御好意は大変に有難いが、なんとなく老人扱いされたようで悲しくもあった。
 回り道はクルマのタイヤよりも狭く、その上雨のお蔭ですつかり泥状になっている。そこをちいさな四駆はガンガン走る。途中ギャーをかんでレバーが悲鳴を上げる。畑に墜ちるか、川に転落するか、の恐怖に怯え乍ら、新居に到着した。
 そこには素晴らしい花の庭が広がっていた。女主人公の愛するイングリッシュ・ガーデンが、長者原の不愛想な高原の森に忽然とすがたを現した。雨なので、と申し訳なさそうにいうが、霧のたつ雨中の庭で、花たちは自由に幸せそうに咲き誇っていた。
 花と大地に寄り添う彼女と、キャンパスに向き合う彼は、東京を棄て、この長者原で新しい二人の世界を造っていた。 だされた田舎のおはぎで頬が落ちそうになった。 再訪したくても道の見えない天国だつた。


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2016年08月26日

私の好きなふたつ…人間とコンビニ を読む

私の好きなふたつ…人間とコンビニ を読む

 第55回芥川賞受賞作/コンビニ人間/村田紗耶香著  早く読みたいと思いながら、雑事に追われやっと読むことが出来た。
 書き出しの音にみちたコンビニの店内で、久しぶりにラジオ・ドラマを思い出した。
 そこにえがかれている音の世界は、戦後テレビが始まるまでのある期間、メディアの先端に君臨したラジオ・ドラマそのものだった。君の名は、鐘の鳴る丘、など昭和20年代から30年代にかけて、梅田晴夫、阿木翁助、内村直也などそうそうたる作家たちが、ラジオ・ドラマに才能を傾けていた。
 いま名作オペラの古典になつている「夕鶴」なども、はじめはラジオ・ドラマとして世にでた作品だった。
 あの頃のスタツフは、実に音について繊細な神経をもつていた。実在するリアルな音にたいして、その音のもつ背景や暗示する未来について必死に考え、再現のみならず創造する作業にくらいつき、音響効果を芸術の高みにまでおしあげていた。コトバの文学性にたいし、音響の芸術性を正面からぶつけていた。
 それが無くなってしまったのは、デンスケを担いで走り、デジタル録音が当たり前になった頃からだ。実際の音だけに価値をみつけ、創作する音にだれも興味を持たなくなってしまったのだ。
 さてコンビニでしか働けない36歳の独身女性古倉さんは、マニュアルを覚え、大きな声をだすことによって
人間を獲得していく。そこに登場するのは、ひたすら世間を呪詛するダメ男白羽さん、二人ともかなり可笑しい。 がマニュアルの集積場であるコンビニという舞台を、なんの批判もなく受け入れていく古倉さんと、まつたく拒否する白羽さんの同居から不思議な、恐ろしい、可笑しい、ものがたりに発展する。
 それは文化社会学の説く、システムと人間の関係を、見事に解き明かした喜劇とでもいえよう。
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2016年08月25日

ポケモンGO を考える

ポケモンGO を考える

 マリオに扮したアベさんに、よかつたよかったと賛辞が寄せられている。
 なんとか大臣はポケモンGOをしていると、誇らしげに語り、マスコミも非難しない。
 神宮の森でも、渋谷センター街でも、周りを忘れ路も忘れて、みんな下をみてポケモンGOにはまっている。
いま、この国は巨大な遊園地と化してしまったのではないか。本をよんだり、人と話したり、図書館で勉強する時間のすべてを、任天堂の商売に捧げ、これこそ日本のソフトパワーだと、臆面もなく発言する。
 ポケモンGOという最強の麻薬が、今じわじわと国土を侵食し、民族を白痴化しつつある。考えることを止め、すべてをパソコンやスマホにゆだねた辺りから、我々の堕情が始まっているような気がする。
 ポケモンに人々が消費する時間の総量を考えたら恐ろしいほどのエネルギーの無駄である。一億総活躍時代というのは、マンガ・ゲーム社会到来のことだったかと、唖然とする。

 教科書以外、親は何も買ってくれなかったが、誕生日のとき初めて買ってくれたのが、イソップ物語や日本神話だった。マンガとの出会いは、少し通信簿のよかった小学三年生の頃だったような気がする。田河水泡のノラクロ上等兵だつた。黒い野良犬のノラクロが、兵隊になってドジやヘマを繰り返しながら少しずつ出世し、最後はノラクロ大尉までいった。落第生ものがたりと軍隊ものがたりのデェフォルメという軍国主義化の日本で、巧みな仕掛けが隠されていた。
 その先には漫画はなく、活字を学んで脳みそを訓練せよ、とギリシャ神話や実存哲学にとんだ。民主主義がジープとともに上陸してきた時、マルクスの唯物論を探して神田の古本街を彷徨ったこともあった。
 近所の空地で花をつんだり、野球をしたり、雑草に寝ころんで流れ星の不思議を語り合ったり、スマホもゲームもなかった昔が懐かしい。
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2016年08月24日

慰安婦像にこだわる韓国人の文明度

慰安婦像にこだわる韓国人の文明度

 いま一番に不愉快な問題は、世界中にばらまかれた従軍慰安婦像の問題である。
 例により朝日新聞が書いた記事が大本だったが、これほどの国辱記事を裏もとらずに掲載したとは、ビツクリ・ポンであった。日本と日本人に対する罪の深さははかりしれない。今になってあの記事は虚偽でした取り消します、とはどのツラさげていえるのか。社長がやめたくらいでは到底許されないメディア犯罪だった。

 戦時における性の問題は、遠くギリシャの頃から戯曲にもなり、第二次世界大戦にいたるまで、どの戦争にも
ついてまわった問題だった。日本に上陸した連合軍も、まず兵隊たちの性処理機関の設置を要求、大森海岸ちかくの特殊施設前には、ベルトをゆるめた米兵が行列をつくったと、報じられたこともあった。
 ベトナム戦争における韓国兵の性的暴行も伝えられたが、韓国の人々は戦争という歴史の裏にある人間の業の深さに眼をつぶり、ひたすら日本兵に対する憎しみを従軍慰安婦に集約してプロパガンダに狂奔した。
 文明国では考えられない低いレベルのキャンペーン… 幼い少女慰安婦の像を世界中に作って設置するという愚行を重ねている。人間が人間みずからの存在にたいする恥じらいを失った行為でもある。

 昨年12月、日韓両政府は慰安婦問題についてようやく合意した。お互いこの問題について非難、批判の応酬はやめる。日本政府は元慰安婦の苦痛を和らげるために、韓国が設置した財団に10億円を拠出、韓国政府は慰安婦像を撤去する、という内容だつた。
 やれやれと思ったのも束の間、カリフォルニアでは新たな慰安像の設置が目論まれ、スター元慰安婦の李容洙は、カリフォルニア上院で感謝の決議を受けた。さらにサンフランシスコでも慰安婦像の建設が進められ、困ったことにカリフォルニア教育委員会によつて公立高のカリキュラムに、性奴隷としての慰安婦が代表事例として
取り上げられることになった。慰安婦像の撤去を条件に合意したはずの日韓会談はまつたくの虚構だった。
 左手で握手して、右手でぶん殴るというのが韓国のやり方だと判った。韓国人とはそういう人々と認識したうえで付き合っていかなければならない。

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2016年08月23日

電通製作・任天堂提供・総理府協力のリオ五輪閉会式ショー

電通製作・任天堂提供・総理府協力のリオ五輪閉会式ショー

 リオ・オリンピック閉会式を見た。
 小池百合子都知事のきもの姿は悪くなかったが、きものの選択、帯のチョイスはあまり感心しなかった。着付けもぐずっとして下半身が少々だらしなく見え、この原因は本人の体型にあるのか、着付けの技術のまずさなのか、判別しがたい景色だった。こうした場合、知事は私設のきものスタイリストをもって日本のきものの正装とはこういうものだという、心意気があってもいいように思う。
 さて2020東京オリンピックのプレゼンである。
 電通製作、任天堂提供、総理府全面協力の8分間のショーには呆れた。
 まず安倍総理は、オリンピックには政治はかかわらないという大原則をご存じないのだろうか。金をだすから、俺もだせ! という姿勢はクーペルタンの精神にそぐわないイナカの政治家である。先進国の政治家たちは、心のなかで嘲笑し軽蔑したことだろう。それもゲームのキャラクターの縫いぐるみを着て土管からのの登場とは、安倍さん、アナタは何時から任天堂と契約されたのですか。前の細川さんといい、あなたといい、簡単に代理店にからめとられて、商売のタネを提供するあたり、オバカでモラル知らずの商売人といわれても抗弁できません。
 日本のソフトパワーを世界に誇示したかったと、自慢なさったようですが、国家的行事にサブカルチャアは似合いません。マンガはあくまでマンガであって、それによってスポーツの目指すところや、国家の世界観は表現できません。思想、哲学、世界観はサブカルではなく、メイン・カルチャアをもって表現し主張するのが、文明社会のの常識です。
 ソフトパワーなどと歪曲しているのは、日本の代理店の典型的な商法です。マンガ、ゲーム、AKB48のジャパン・ウィークが、どれだけ世界で軽蔑されているか、あなたはご存じないのですか。かって日本の首相がフランスを訪れたとき、トランジスター商人がやってきたと揶揄されたことがあったが、あれから何十年この国の政治家はいっこうに進歩していないという証明でした。
 ショウ全体のつくりもテクニック信仰、機械化されたい日本人、人生観、世界観不在のショウだった。レーザーやプロジェクション・マッピングよりも重要なことがあるということをしらない、哲学のないクリエイティブ・スーパーバイザーなる存在には絶望した。
 それにひきかえ、つづいて展開された花と樹のブラジルのパフォーマンスは素晴らしかった。自然のふところに抱かれた人間の生命力が花を咲かせ、やがて立派な木になって地球を覆うという、現在地球の抱えている問題をみごとにショウ・アップしてみせた。金もかけずシンプルに誰でもが参加できる構成力に脱帽した。
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2016年08月22日

SMAPいじめの深層

SMAPいじめの深層

 SMAP騒動が続いている。
 キムタクの変節に結局あとの四人、中居正広、稲垣吾郎、草g剛、、香取慎吾が堪忍袋の緒を切ったということだろう。強大なジャニーズ事務所の権威も通用しなかった。ジャニー喜多川、メリー喜多川、藤島ジュリー景子、の血で固められたジャニーズ・システムも機能せず、解散に至った。
 多くの週刊誌はその原因として、元マネージャーの飯島三智に集約しているが、果たしてそうだろうか。確かに飯島マネージャーは、SMAPの5人と共に独立を画策していた。が業界に於けるジャニーズの権謀術策を知り尽くしている彼女は、独立後もジャニーズの裏権力に潰されないための手を打っていた。
 田辺昭知との度重なる会談がそれである。いったんは田辺エージェンシーの傘に入って、ジャニーズ事務所の逆風をやり過ごし、時期を図って完全独立を果たすという計画だった。それをひっくり返したのが、キムタクだったという訳だ。キムタクには十数年前人気の出だした頃、独立をはかり失敗したという過去がある。それにこりたキムタクは工藤静香とともに近藤真彦、東山紀之につづくジャニーズ役員への道を選択したのが、今回のSMAP解散にいたる騒動だったともいえよう。

 がさらに真相深入りすれば、日本の芸能界のかかえたマネージメントのノウハウにぶつかる。この国の芸能マネージメントは、売り込み、契約、から日常スキャンダルの管理に至るあらゆることに首をつっこんでいる。
 十代の初めからそうしたスタッフに支えられて芸能生活を送れば、当然のごとく本人は思考停止状態になり、気がつけば芸能バカ、40代、50代の親父になっている。
 自己管理するコントロール能力を失っているのだ。当然のごとくシモの世話までしてくれたマネージャーとは一心同体となり、マネージャーが事務所をやめるとなれば、付いて行きたくなるのは当たり前なのだ。
 いつまでたっても、タレントの独立騒動がなくならないのは、そうしたマネージメントの必然的産物でもある。
 欧米の芸能界のように芸能プロダクションは、ブッキング・オフィスとして契約代行のみを行い、あとは本人次第お好きなようにというシステムにすれば、いい大人の同性愛のような騒ぎはなくなると思うが如何。
 この国の芸能界に巣くったヤクザな拘束制度は、大人たちの未熟な制度設計にあるのだ。
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2016年08月20日

演技力いらない夏ドラマ

演技力いらない夏ドラマ 演技力いらない夏ドラマ 演技力いらない夏ドラマ

 仕事はできるが、協調性のないヒロインが活躍する夏ドラマ…なかなかに穿ったコピーと感心した。高校野球からオリンピックに塗りこめられた民放テレビにおける夏の新しいドラマの現状である。

 なんといっても印象的なのは「家売るオンナ」の北川景子、無表情、眼を開けたままのロボツト顔にはビックリした。上手いのか、下手なのか、まつたく判らない。演技から表情を省いたキャラクターは、脚本の大石静によるものか、演出の指示なのか、それとも北川の工夫か、画面からは推し量れないが、人間ロボットの現実味が増している今、こんな設定もありなのかと興味をそそられた。
 事なかれ主義の旧時代課長仲村トオルの存在が、視聴者をホッとさせる。ブスのイモトはうるさい。

 フジが鳴り物入りでスタートさせたのが、「営業部長 吉良奈津子」家政婦のミタで見せたかつての冷徹な魅力は、いまの松嶋菜々子にはない。産休明けの広告代理店の部長だというが、相変わらずの自己中心、唯我独尊のわがままヒロイン。視聴率も悪く、打ち切りの噂もでている。脚本の井上由美子は、橋田寿賀子化しつつある。

 協調性のないヒロインの極め付けは「グラメ!総理の料理番」に於ける剛力彩芽、図体だけの存在感で演技力は全くない。役者というよりダンサーなのだ。すべてがパターン化していて、脳みそ不在のマニュアックなモデルでしかない。剛力はセクシー・アイドルとかぶっていることに、気がつかないのだろう。
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2016年08月19日

銭まみれ、恋まみれの五輪選手

銭まみれ、恋まみれの五輪選手 銭まみれ、恋まみれの五輪選手

 リオ五輪もようやく峠をこえて終わりが見えてきた。
 これで課題が見つけられたので、東京20に向って頑張ります、負けた選手の言い分に呆れた。いままでその課題とやらを克服するために税金で練習してきたのではないのか。
 メタルだけは、沢山とつたのでテレビや関係者は、お互いに称え合ってシャンシャンだろうと思われるが、日本人のスポーツとして再構築する点はないのか、スポーツ関係者の猛省を促したい。

 気になるのは、金まみれ、芸能まみれ、のスポーツマンが軒並み馬脚を現したことだ。
 第一は選手団団長として旗手を務めた吉田沙保里…永年アルソックのCMで浮かれていたが、今年からマネージメント会社と契約、取材一回につき3万円を要求し叩かれていた。7月の五輪壮行会も、2万円会費と祝儀袋で三千万円を集めたといわれ、政治家の資金パーティ並みと報じられた。
 もはや銭ゲバと化した吉田沙保里は決勝に敗れ、「霊長類最強」のレッテルはもろくも消滅した。

 第二は愛ちゃんと呼ばれ、アイドル化していた福原愛…イケメンの台湾選手との恋に溺れ、入場式ですらその恋人と写メして浮かれていた。もはや日本を代表しての選手意識はゼロ、SNSには中国語でシアワセ、ウレシイと書き込み、試合は後輩に助けられなんとかなったが、自らも認めた足の引張り役。
 ティファニーのネックレス、ティファニーのペンダント、ティファニーのブレスレツト、ティファニーのイヤリングを付けて試合にでる福原には、スポーツマンとしての真摯な姿勢は全くなく、ティファニーの広告塔そのものであった。
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2016年08月18日

テリーザ・メイ 氷の女登場

テリーザ・メイ 氷の女登場

 EU離脱決定のイギリスに、史上二人目の女性首相が現れた。
 鉄の女と呼ばれたサッチャーに対し、二代目は氷の女と呼ばれている。政治家同士が馴合うことに絶対反対を標ぼうするテリーザ・メイ59才の女性だ。
 幼少時、厳格なイングランド国教会司祭の家庭に生まれ育った環境が、彼女を氷の女に仕上げたのかもしれない。
 シャンゼリゼーのキャバレー「リド」は、伝統的にイングランドの田舎育ちの女性をショーガールに採用しているが、恋愛体質のパリにあつても、絶対に流されないのがイギリス娘という評価が確立している。
 オツクスフォード大学を卒業した彼女は、1997年に下院議員となり、2002年には保守統一党幹事長に就任した。こうゆうふうにたどっていくと、秀才一方の堅物にみえるが実は彼女は、「ファション番長」というアダナももっている。女王殿下の親任式にはヒョウ柄のパンプスをはいていったし、赤いネールやブルーのコートは彼女のカラーとなつていて、普段はルブタンの鋲打ちフラツトなど履きこなすお洒落な側面もある。
 もともとは欧州懐疑主義者であり、EUの肥大化に疑問を呈していたが、首相に就任するや否や、中国に原発を造らせては危険とばかり、契約ストップを命じた。
 ヨーロツパの大学ベストテンでは7校がイギリスだし、国際金融契約も英米法にもとずいた英語によって書かれている。世界の金融商品の43パーセントが、ロンドンで取引されているので、現状では離脱してもEUには絶対まけないと確信にみちた発言をしている。
 EU離脱によって不安を抱いたイギリス国民は、いま氷の女の登場によって自信を取り戻しつつある。
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2016年08月17日

カッピング(吸い玉)に生かされた

カッピング(吸い玉)に生かされた

 リオ・オリンピックで話題になっているのが、カツピング(吸い玉)である。
 水の怪物と呼ばれているアメリカの金メダル5冠王のマイケル・フェルブスが、いつも肩や背中に付けている
丸いアザ状の跡が話題を呼んだ。吸い玉による治療の跡だということが判明。日本の選手では、女子レスリングの伊調姉妹がいつも首や肩に、丸く赤いマークをいくつも付けているそうだ。
 吸い玉はもともと中国の民間療法とつたえられ、ガラス状のカツプを患部にあて、カツプの中の空気を抜いて気圧をさげ、身体のなかの老廃物を表に吐きだす仕掛けなのだが、血行を促進させ、疲労回復効果をもたらすという点で、抜群の療法だ。
 筆者は軽井沢に居を移してから、30年中軽井沢の大窪先生によるカッピング療法を受けてきた。
 先生は吸い玉だけではなく、お灸、針、低周波、赤外線、超音波と多彩な療法を駆使して治療に当たってくれる。50肩も、ぎっくり腰も、パソコン疲労も、日常的な全身疲労もすべて吸い玉による血液循環治療によって
直してきた。つまり軽井沢に於けるカカリツケ医が大窪先生なのだ。
 山登りで疲労困憊のとき、撮影行で足腰がガタガタのとき、まま所謂マッサージに来てもらうのだが、疲労部位をいくら押しても治らない時は、押すのではなくカツピングで引いて貰う。すると嘘のように回復するのだ。
いったん停滞した血の流れを正常に戻し、不要物を排泄してくれている。
 押して駄目なら引いてみな…演歌できいたような吸い玉こそ、私の生命力の源になっている。

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2016年08月16日

SEALDs 解散を祝う

SEALDs 解散を祝う

 終戦記念日に嬉しいニュースが入ってきた。
 かのSEALDsが解散した。解散というより消滅したというべきか。国会前に集まって田舎のディスコのごとくラツプで、「安保反対、戦争反対」とわめき、おつむの弱い群衆を煽っていた。いまにして考えれば、共産党、民進党、朝日グループが仕掛けたバカバカしい煽動運動であつたような気もする。
 首謀の奥田愛基は、偏差値28の島根の高校から明治学院大学に入った非常識の塊のような男だった。
 民衆の無知につけこんで、安保反対を戦争反対にすりかえ、アベ反動内閣をつぶせ、と見当違いなイベントを
国会前で展開した奇妙な団体だつた。それを利用して、国民の声はここにあると、連日一緒になって歌っていた
野党政治家や、エセ文化人たちもいた。
 父親は韓国のキリスト教牧師、実は本人も韓国籍だとか噂に噂がつきまとい、純粋な政治運動ではないと馬脚をだすに及んですつかりパワーを失っていった。

 解散の文書を読んだが、意味がわからない。
 「SEALDsは解散します。しかし終わったというなら、また始めましょう。始めるのは私であり、あなたです。 …(中略)… 孤独に思考し、判断し、共に行動し、そして戦後100年を迎え、祝いの鐘をならしましょう。」
 どこから読んでもここには全く解散の理由が書いてない。書いてないのではなくて、書けないのかもしれない。政治運動なら選挙のときにやればいい。主張を訴えたければ、ラツプなどではなく、きちんとした言語でやればいい。とにかくどうしようもなく、下劣で破廉恥な活動だつた。
 朝日グループ、古館報道ステーション、ニュース23 あたりのセンセーショナルな劇場型報道の舞台回しとして、120パーセントの役割りを果たした愚かしい反日運動だった。
 解散して少しも残念ではない。二度と現れるな。
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2016年08月15日

大根おろしは「鬼おろし」に限る

大根おろしは「鬼おろし」に限る

 大根おろしという脇役は大好物である。
 大根おろし単体ではなく、小女子のしたにどっさりと盛られた大根おろし、秋刀魚の焼き物に添えられた大根おろし、など主役は大根おろしなしには語れない。
 子供の頃、台所で母から命じられた大根おろし担当は、どきどきしながらも嬉しいお手伝いだった。危うく指をおろしそうになりながらも、一生懸命大根をおろした。
 手にした道具は瀬戸製のおろし器だった。それが何時の頃からかおろし金にかわった。ブリキ製の下ろし金はまたたくまにプラスティックに取って代られ、汁の受け皿がついた、いわゆる便利なおろし器という体裁になつた。
 があの頃から、大根おろしの堕落が始まったような気がする。
 大根おろしが、やたらフワフワになり、大根の存在が薄くなっていった。顎のない若者たちが、なんでもかんでもヤワラカーイと礼賛し、大根おろしから大根の影がなくなっていったのだ。
 大根の美味さを知らない食物コォディネーターが跋扈し、とりあえず大根おろしと称する添え物の天下になっていった。
 先日築地場外でひさびさに店頭にぶら下げられた「鬼おろし」に遭遇した。一金1728円也の竹製の鬼おろしだった。帰宅ご、早速に鬼おろしを試みてみた。
 大根の美味さと大根臭さのある絶品の大根おろしができ、秋刀魚のわきにおくには、勿体ないほどの大根おろしだつた。以来大根おろしは、「鬼おろし」に限ると我が家の京おんなも納得している。
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2016年08月14日

お年玉ならぬ「お盆玉」

お年玉ならぬ「お盆玉」

 子供達と銀座のオミズに、密かに流行っているもの、それが「お盆玉」だという。
 山梨の祝儀袋メーカーが、正月はよし、冠婚葬祭もまずまず、不祝儀、葬式はこれから増える一方だが、どうも夏時の商戦が上手くいかない。
 そこで考え出したのが、お盆時故郷に帰って来た孫たちに、お爺ちゃんお婆ちゃんが与えるおこずかい、それ用の小袋をなずけて「お盆玉」とした。一向に売れなかったが、3年後突然に日本郵便から、全国2万の郵便局におきたいという注文がはいった。
「お盆玉」で夏のコミュニケーション、新習慣!夏休みのおこずかいは「お盆玉」で、郵便局どころか東急ハンズにまでお盆玉コーナーができた。
 金銭で人間同士の心をつなぐのは、なんとも下品な行為だし、そんなことを考えるメーカーも好きになれないが、おこずかい欲しさの子供たちは、理屈抜きに嬉しく、お互いのお盆玉較べに発展している。
 お金の動く仕掛けに、銀座のオミズが知らん顔の筈がない。お盆玉の小袋にキス・マークを付けたカードに
添え書きをして客に渡す、貰った客はなにがしか入れてお返しをするという寸法だ。
 夏のポチ袋は、ひっそりと夜の遊び人と、子供達の間に浸透しつつある。


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2016年08月13日

石垣の漁民を見棄てるのか

石垣の漁民を見棄てるのか

 憲法改正絶対反対、世界中で第二次大戦後いちども改正してないのは日本だけだという。
それほどこの国の左翼系進歩人は、保守的である。 自民をはじめとする右翼系のひとびとは、憲法改正したいという、つまり革新的なのだ。

 ドイツ59回、フランス27回、アメリカ6回、世界大戦後の各国の憲法改正回数である。日本だけが0回、そのため世界最古の憲法とさえいわれている。
 戦争に負けて、進駐してきたマッカッサー司令部のホイットニーから、ポンと渡された日本国憲法草案は僅か9日間で作られた即席栽培の作文だつたと伝えられる。
 40年後ニホンの憲法学者が、当時の憲法草案作成の事情調査にアメリカの関係者を訪ねたところ、「えっ、まだあの憲法使っているの。」と真顔で驚かれたそうだ。

 時代の変化に応じて色々と変わっていくのが憲法で、時代に眼をつぶって古い憲法を守っていくのは、よほど頑迷な保守主義者の集まりと思われるが、この国は反対で、左翼進歩人が憲法改正反対を叫んでいる。
 窓も裏口も玄関も開けっ放しにしておけば、安全だし、戸締りのない家こそ平和国家である。と左翼教条主義者たちはいうが、国防についてこれほど不感症な人々も珍しい。

 泥棒や強盗に対してそれ相応の備えをしなければ、永世中立はなりたたない。このことはスイスをみればよく判る。
 現実のガンは中国であり、韓国なのだ。歴史修正主義は中国であり、韓国である。
 尖閣周辺は急を告げている。現に石垣の漁民たちは、出漁できなくて困り果てているのだ。
posted by Kazuhiko Hoshino at 12:27| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月12日

オスカー・ワイルドの暑気払い

オスカー・ワイルドの暑気払い

 こんなに毎日暑いと、ご先祖迎いの盆行事より自身の暑さしのぎの方に関心が向く。

 「誘惑から逃れるただ一つの方法は、誘惑に身を任せることだ」といったのは、オスカー・ワイルドだったと思うが、東京にも軽井沢にもない暑気送りの名店がパリにある。

 セーヌ河左岸、ボザール通りのかどにある「ロテル」、ホテルという名前のホテルである。
 このロテルにはなかなかに優雅にしてシアワセな空間がある。暑いときはこのロテルにかぎるという芸術家、わけても文士たちが多い。その間を潜り抜けて、16区のマダムが若い愛人を連れてやってくる。
 時間貸しのプライベート・プール、プライベートであるから当然密室だし、なによりもプールなのだから水着であることは当たり前、裸に近い男女がふたりきりで密室のプールを前に過ごすのだ。充分に涼しい。ちいさな楽園とでも言おうか。
 密室で食事もできる。疲れた体にマッサージを頼むこともできる。
 一人での水遊びもいいし、二人の水中遊戯でもいい。愛人の水着姿をみながら、読書することもできる、なかなか粋な大人の空間なのだ。

 月曜日の昼、ロテルのプールでお食事を…そんなお誘いがあったら、覚悟しなければならない。食事の一時間を除いたあとの2時間は、ローマン貴族の奉仕と悶絶の時を過ごさなければならない。
 オスカー・ワイルドの暑気払いもなかなかに大変なことだ。
posted by Kazuhiko Hoshino at 13:11| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月11日

代理店製「山の日」記念イベントを斬る

代理店製「山の日」記念イベントを斬る

 「8月11日は山の日、国民の祝日です」
折角の祝日は、お盆休みの延長のためにあるのか、それとも山の日と尤もらしく名付けて、山を利用した商売のための日なのか、思わず疑いたくなるようなスケジュールが並んでいる。
第一回「山の日」記念全国大会実行委員会事務局主導による記念行事を見て驚いた。
ゆるキャラ・サミツト、ワインの夕べ、それに記念切手の贈呈式、すいかの振る舞い、こんなところへ皇太子が出掛けてなにするの、所詮代理店への丸投げ行事とは思うが、国民の祝日制定にともなう行事がこの程度では、山ガールどころか山アホウの集いである。
そもそも日本の山にはいろいろな側面がある。ヨーロッパの山とは根本的に異なる。
山岳信仰、山によりそった信仰形態、長野の山にも御嶽、戸隠、浅間とそれぞれの信仰があった。
中世には山にまつわる戦いの歴史があったし、近代に及んで初めてスポーツ登山の頁が開かれたのだ。それがいまやレジャー登山一色、記念の手拭い配りに、山で酒を飲もうという山バールのオープンでは、山も悲しがっているだろう。
山の日には、せめて山の歴史にふれ、山の信仰を思い、山の現実をみて欲しい、と願っているのではなかろうか。山に親しみ、山の美しさにふれようなどという表面だけのお念仏は駄目だ。
北島さぶちゃんに「山のうた」を唄ってもらうのもいいし、相変わらずのヨーデル・コンサートもいいが、
山小屋宿泊券、クーポン券のまえに、山を学ぶことこそ日本の山にしかない素晴らしさと思うが、如何。
イオンの大売出しと少しも変わらない「山の日」イベントだけは御免こうむりたい。
posted by Kazuhiko Hoshino at 11:40| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月10日

呆れた日本の五輪選手

呆れた日本の五輪選手

 リオ五輪は工事の遅れや、治安の面からも散々だつた。
 がなによりも不愉快だつたのは、選手たちの多くにスポーツ精神がなかったことだ。第一回アテネ五輪で掲げられたスポーツに対する崇高な志は雲散霧消していた。
 選手たちはなにを考えて努力を積み重ねてきたのかわからない。新聞やテレビでは、幼いときからの両親の愛情やら、友人と共に努力してきた時間を書き立て、賛美しているが、開会式の実況中継をみて、愕然とし、あきれた。
 自分たちの入場パレードが終わると、さっさと後方に集まり三々五々何かを始めた。
 明日からともに闘う相手に関心がない。闘う相手が入場しているのに全くみないのだ。
 開会式は明日からスポーツを舞台に闘う君たちのためにやつているのだ。主催都市の人々が何日も前から準備し、稽古を重ねて君たちを歓迎し、鼓舞してくれているのが開会式ではなかろうか。そうしたことに対する敬意もないあなた達に、巨額の税金を出して、地球の果てまでいっていただいた私たちが馬鹿だつたのかもしれない。税金は国民全体が拠出しているのだから、いますこしの理性があれば、開会式にやっていいことと、してはならない事の判断ぐらいはつくのではなかろうか。
 各国の入場行進中にあなた達のやっていたことは、スマホによる自撮り、お互いのスマホを交換しての記念写真ゴッコ、その風景が世界中にテレビを通じて配信されたのだ。
 オバカの限りである。そんなに自分たちの写真が撮りたいか、金銀のメダルをとれば、だまっていても世界中のメディアが写真を撮ってくれる。開会式の最中に自撮りに狂うのは、競技に自信がないか、よほど無教養な選手に違いない。
 結婚式の前撮りに、カメラマンやスタイリストを従え、世界を歩き回る中国人を、笑えない日本の五輪選手が、恥ずかしくもあり、おおいに呆れた。
posted by Kazuhiko Hoshino at 09:02| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする