2016年12月31日

大晦日の楽しみ

大晦日の楽しみ

 とうとう大晦日が来てしまった。
 大晦日は世間では紅白歌合戦の大晦日のようだが、わが家では、間に合わなかった大掃除の大晦日である。
判り切ったことなのだから、早くから手をつけ、少しずつやっておけばいいものを、結局手が届かずに大晦日は
腰が痛いとか、腕も痛いとか言いながら、あちこちにたまつた雑誌やら埃をかぶった郵便物などの整理に追われる。

 一夜飾りはいけないというので、昨日は玄関の牛蒡巻きやら、来年の干支には輪飾りと何とか間にあわせたが、事務所の飾りものには行けずじまいとなってしまった。齢とともにこうした動作が鈍くなる。
 世界のベストセラーになった「断捨離」をちゃんと学ばねばと思うが、この歳まできてしまったので今更という気分がなくもない。 祇園の家で断捨離などと言おうものなら、家庭内イスラム戦争が勃発する。なにしろ整理するという観念がないし、先祖代々の「お荷物原理主義」で棄てるという発想がない。つまり不要になった
雑誌やキモノや資料、到来ものとともに暮らしているのだ。祇園町の家をそっくり断捨離したらトラックの何十台分のオタカラがでてくるだろう。

 大晦日の煙は朝からおせちを炊く煙だったが、いまでは宅急便と共に祇園川上さんのおせちがやってくる。
川上さんは直木賞作家松井今朝子さんの実家だが、いまではご両親は引退されお弟子さんが跡を継いでいられる。壱の重31品、弐の重17品 京の名包丁人が腕をふるったおせちとあれば、こんなに有難いことはない。
 昔は主婦の楽しみだったおせち作りが、デパートに奪われ、名料亭の重積と変わって女性達は本当にシアワセなのだろうか。
 元旦には親戚の娘と自称するアラホォーの某女を交えお屠蘇を交わし、〽正月さん、正月さん、正月さんがござった、正月さんはうれしいな、といきたいところだが、もはや末期高齢者としては目出度さもドン底である。
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2016年12月30日

小栗 旬とその仲間たち

小栗 旬とその仲間たち

 民間テレビが始まった頃、ドラマ創りはいくつかの言葉が必要だつた。
今どきのバイリンガルならぬ、日本語のなかの異なる表現をカバーしなければならなかった。中心に座る人々は映画界からやってきた。新派、歌舞伎からのキャストもいた。そして新劇畑からの俳優がいた。それぞれに通用する言葉が異なる。 それらの俳優をひとつにまとめ、作品づくりをするのだから、演出はその言葉を使い分けねばならなかった。

 ハリウツド風の外来語で説明すれば、映画俳優は素直に納得した。歌舞伎役者は伝統的な呼吸法で台詞の殷について説明すれば理解してくれた。新劇人にはスタニスラフスキー・システムをふりかざしての演出が有効だった。テレビは生まれてから日も浅く、商業化の波に呑み込まれて演技論どころではなかった。とりあえず周辺に転がっている演技論をモザイクし、映像論でコーティングすればよかったのだ。

 それでも厄介なのは新劇俳優たちだった。俳優座の演技研究所からはいくつかの劇団が生まれた。同人会、新人会、三期会、仲間 それぞれに違いがあり、表現法も微妙に違う。森繁久彌にはなんの説明もいらなかったが、新人会の若手には百万遍の言葉を費やさなければならなかった。つまり新劇出身は面倒くさい役者だったのだ。

 いま面倒臭がられているのは、織田裕二とそのグループ、人気を勘違いしてテレビのシステムを忘れていた。
さらにその後を追っているのが、小栗組といわれる小栗旬、生田斗真、山田孝之らといわれている。三茶、三宿、中目黒あたりのバーや居酒屋で夜な夜な演技論をたたかわし、作品にも口を挟むというので、スタッフから煙たがられている。 議論好き大いに結構、血の気の多いのも結構だが、スタッフから面倒くさがられると仕事場がどんどん少さくなる。
 気がつくと「あの人は今?」の状態になるので、折角の素材がもつたいない。心して徒党は組まれるが良い。
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2016年12月29日

日本映画の明日に

日本映画の明日に

 今年は映画復活の年だったといわれている。
 かって隆盛を誇った映画界は、ヴィデオ発売とともに映画観賞の舞台を茶の間に奪われてしまった。映画は映画館を棄て茶の間を選択したのだ。
 メディアだったTVは、映画製作のうま味に気がつき、資本参加して儲けの一部に手をだした。テレビ画面を通じて宣伝をかけ、テレビのパワーを見せつけて、映画製作の主導権をとるようになった。
 映画のクレジットをみれば、どれもこれもテレビ局が製作に名を連ねるようになった。その上大走査線や、相棒のごとく、TVの映画版劇場版として製作されるようになった。
 がここで問題なのは、そうしたテレビの人気の延長線上に乗った構造では、映画のファンが育たないという現実であった。マンガの歌舞伎化がその場限りの人気で、息の長い歌舞伎ファンを育てないのと一緒である。

 製作意欲を失った映画会社に変わって登場したのが、製作委員会方式といわれる製作、宣伝、金融、配給をひとつにまとめた方式だつた。がこの製作委員会方式も結局その場限りの映画製作で、本来積み上げられていく映画文化が、その時々に消費される映画となり、製作のマネージメントだけが残るという皮肉な結果となってしまつた。

 さて今年の映画界だが、「君の名は」「シン・ゴジラ」の大ヒットについで「名探偵コナン」「妖怪ウォッチ」「信長協奏曲」と東宝ひとり勝ち、さすがのディズニーも「スターウォーズ」「ズートピア」「ファインディング・ドリー」とベストテンには三作品しかはいらなかった。ブロードウェイから世界中の映画館をディズニー一色にしよぅとした企みは、辛くも東宝によつて遮られたが、東宝は製作委員会方式をとらず、藤本真澄以来の優れたプロデューサー・システムによって映画の孤塁をまもった。

 カンヌ映画祭のジャパン・デーの如く、ロボツトがお迎えして、クマモンがはしゃぐ、そんなオバカな日本映画界には、二度と戻ってほしくない。
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2016年12月28日

孫正義は火事場泥棒か、日本のユダヤか?

孫正義は火事場泥棒か、日本のユダヤか?

 混乱した現場で窃盗を働くこと、または人々が混乱しているなかで利益を得ることを、火事場泥棒と言い慣わしてきた。
 アメリカ中が次期大統領にトランプ氏が選ばれ困惑するなか、いち早くニューヨーク五番街のトランプ・タワーを訪れて、「500億ドル投資と5万人の雇用創出」をぶちあげたのは、日本の孫正義社長だった。大統領選挙の折に、トランプ陣営に27億円の寄付をしたユダヤ系シェルドン・アデルソンの仲立ちだったと伝えられ、彼は日本でカジノ法案が通ったら100億ドルの投資がしたいといっている。これらの人脈が地下を通って安倍首相に通じ、先のトランプ・安倍会談でカジノ密約があったと噂されている。

 さて先日のプーチン・安倍会談、そこでプーチンから提案されたのは、アジア・スーパーグリッド構想…日、露、中国、韓国の四つの国を結んだ電力網構想。既設の大型原発6っ個分に当たる水力発電所、更に建設計画のある3か所の総発電量を足してもコストは僅か1kW当り約2円、日本の平均コストの10分の1にしかならない、この厖大な電気を海底ケーブルで送電すれば、ロシアも儲かるし、日本の電気代も下がり、送電業者も濡れ手に粟の万歳なのだ。北方四島にこだわる安倍を無視した。
 この提案をしたのがプーチンで、起案したのが孫正義と聞けば、日本政府のオバカぶりが浮き上がってくる。
日本は内なる孫にやられて、領土の話は、電気を買ってからと、ユダヤ的発想にやられてしまった。

 奈良時代からいた火事場泥棒、江戸のころには大火の度ごとに火事場泥棒が話題になったが、今どきは東日本大震災のおりに、日本全土に太陽光発電網を設置し逼迫した電力をカバーするという名目のもと、農地山林を丸坊主にしたのが孫正義、さらにグローバル化を狙って、アメリカのトランプ騒動、プーチンの世界経済制裁と、困った事件を、すべて金儲けに転じる現代のユダヤともいうべき策士ではある。
 孫正義の発想は、火事場泥棒なのか、それとも日本のユダヤというべきか、歴史に判定をゆだねるしかあるまい。
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2016年12月27日

女子フィギユアの音楽が楽しい

女子フィギユアの音楽が楽しい

 ヨーロッパとは全く逆である。
 アイス・ダンスやペア・スケートに人気が集まらない日本は、やっぱりアイドル好きの幼児文化なのだろう。
そんな風に思って女子フィギャアはあまり真剣に見てこなかった。ハーフハーフと発言し、しばらく競技から離れていた浅田真央のもったいぶった態度も気に入らなかった。ジャンプする前のプレパレーションの長さにも、見せよう見せようという意識が透けて見え、スポーツ選手らしいひたむきさに欠けていた。衣裳の華やかさばかりが眼について、ころぶスケーターというよりころぶ芸能人、ころぶCMタレントに堕していた。

 今シーズンの全日本フィギヤア選手権、たまたまテレビの前に座っていた。
 中京大学の広告塔選手がつぎつぎと敗退し、東京、関西、神戸勢が前面に登場してきた。長らく固定化していた先輩たちが第一線から引き、だいぶ風通しが良くなった気がする。
 が身体を武器にして闘うスポーツとしては、身体が貧弱な選手が多いことは少々残念である。
150センチ、152センチといった身長では、世界ではジュニアのサイズでしかない。つまりざっくりいえば選手は子供にしか見えない。心技体揃って大人の選手を早く育てて欲しい、と思うのは筆者ぱかりではないだろう。

 18才、15才、17才が第一位、第二位、第三位を占めた。世代交代があからさまに見えた瞬間だつた。
目に付いたことより耳についたこと、音楽の趣味がついこの間の名古屋勢よりも随分とよくなった。
 安定したテクニックを持つ宮原知子は、ラ・ボエームのムゼッタのワルツから、ホルストの惑星にかわっていた。この人は文学部に学んでいるだけあり、曲の解釈力が素晴らしい。かってもリストのため息や、翼をください等を使用していた。
 東京育ちの樋口新葉もモリコーネのラ・カリファ、シェーラザード、マーク・シャイマンのmusicalヘア・スプレー、ガーシュインのピアノ・コンチェルトと音楽の趣味がいい。
 神戸の三原舞依もサンサーンスのロンド、アダンのジゼル、マンシーニのジャズ・ホットとなかなかの選曲。
 カルミナ・ブラーナやドンキ・ホーテの本郷理華は落ちてしまったが。
 新生女子フィギユアの明日が楽しみである。

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2016年12月24日

国民的ヒット曲がなくなった。

国民的ヒット曲がなくなった。

 国民的ヒット曲がなくなってしまった。
 紅白にアッコが出なくなった、SMAPも出演辞退決定といわれても、ではあの歌はあの曲は誰が歌うの、という話題につながらない。 タレントの出欠だけが話題の「紅白歌合戦」っておかしくないですか! それほどに唄のパワーが落ちてしまった原因を探ってみよう。

 まず@に考えられるのは、詩の崩壊。歌詞の退化である。歌詞に文学性がなくなった。
  日常語をいくらならべても日常の再現にしかならない。
 A番目に 言葉の崩壊。NHKアナ出身の方々は「美しい言葉」のお題目をならべたがるが、時代の言葉につい  ての創造性が欠落している。
 Bピアノでメロディを考えるのではなく、パソコンのソフトでつくるようになった。
  則物的なメロディしか生まれない。
 Cリズム万能、乗れるリズムに飛びつく。踊れるリズムでなければならない。
  唄の肉体化で思想性は退化した。
 Dかっては言葉優先だったが、デジタル化によってメロディに言葉を無理矢理ぶち込むようになった。
  言葉の数合わせではイイ歌はできない。
 Eカラオケの普及で商業的編曲になれ、クリエイティブティが退化してしまった。
 F歌をきかせるより、映像を見せたがる。パソコンによる文化の破壊。
 Gあらゆる時間が短くなって、遂に世界でいちばん短い歌が、日本人から生まれ、紅白歌合戦の話題となっ   た。

 ピコ太郎の PPAP をあなたは唄い踊りますか。 「冬の旅」をもう一度聞きたい。


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2016年12月23日

糸魚川と、美空ひばりと、大火と

糸魚川と、美空ひばりと、大火と

 DENTSUラジオ部(当時DENTSUにはラジオ・テレビ局はおろかようやくラジオ部ができた)から電話がかかってきた。
 実はラジオ東京(現TBS)が開局する。その開局記念ドラマをDENTSUが作ることになった。1952年昭和27年春のことだつた。ドラマというのは、今人気の美空ひばりを中心にしたものだ。彼女は子供だし、まだそんなに経験もないから、演技指導に来てくれという事だった。
 えっ!それは無いだろうと思ったが、とにかく来てくれ、といわれ、雪谷にあったエノケンさんのスタジオに参じた。当時TBSのスタジオは未完成で、電通スタジオは狭く、あの喜劇王だった榎本健一さんが自宅の庭に大きなスタジオをもっていた。

 阿木翁助、小沢不二夫脚本、音楽米山正夫で、連続放送劇「リンゴ園の少女」は始まった。劇中の挿入歌として「リンゴ追分」が作られた。リンゴ追分は大ヒットしたのだが、その間奏にはいる台詞が問題だった。ドラマのなかの歌だつたために、歌だけではつまらない。台詞をしっかりと入れるべきというのであの長い台詞がはいったのだ。
 …お岩木山のてっぺんを綿みてぇな白い雲がポッカリポッカリ流れていき、桃の花が咲き、桜が咲き、そっから早咲きのリンゴの花ッコが咲く頃が おら達の一番楽しい季節だなや、だどもじっぱり無情の雨こさ降って白い花びらを散らす頃、おらああの頃東京さで死んだお母っちゃんのことを 想い出すって、おらあ、おらあ、… (そして歌につながっていく)
 ひばりはただ一回の読み合わせで立派に演じた。やはり天才というべき逸材だった。

 「リンゴ園の少女」があって、その年の秋、昨夜の大火に見舞われた糸魚川の思い出につながる。
 第一部はラジオドラマ「リンゴ園の少女」の実況スタジオ、そして第二部が「唄う美空ひばり」会場は糸魚川の大きな体育館だった。茣蓙の上にはぎっしりと好奇心の眼を開いた糸魚川の人々が座っていた。オン・ステージでキュー出しの演出を務めたが、冷や汗ものだった。
 夜は糸魚川第一の名門料亭鶴来家の大広間での大宴会だった。あの料亭も昨夜の大火で灰燼に帰してしまったと伝えられている。
 美空ひばりとの巡業の思い出も、ヒスイの町のあの料亭もみな炎が連れ去ってしまった。
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2016年12月22日

2016 私的10大ニュース

2016 私的10大ニュース

 2016年の私的10大ニュースを選んでみた。
@は印象派フォトによる個展を銀座ストーン・ギャラリーで開催できたこと。 印象派と名付けたのは、かなり 俗趣味で自分の意識では「詩的描写を軸にしたフランスの情景」70年間写真を撮って来たひとつの結論 で ある。
A築地市場の混迷、島田雄一郎君のお誘いで、最後のセリを見に参じたが、外人観光客に先を奪われ、未遂に終 わった。
B東京バレエ団の佐々木忠次君があの世に旅立った。青山で一時は事務所を同じくしオペラの演出に道を作っ  てくれた友人である。ベジャールを日本に連れてくることによって、東京バレエ団を世界のバレエ団に育て  た。
C大河ドラマ真田丸で信州はこの一年を過ごした。テレビ朝日の六本木本社は真田の江戸屋敷に始まった。末裔 の真田さんは テレ朝の技術に入り、TDとして働いた。トチリの真田さんだったが、共にスタジオでドラマ創 りをしたのも懐かしい。
D北陸新幹線開通でかえって不便になった軽井沢であった。軽井沢に止まらずに金澤目指す新幹線。金澤人も軽 井沢をスルーして東京へ。 東京人も金澤へ、軽井沢は通過駅になった。長野からの新幹線には車内販売もな い。北陸新幹線に裏切られた軽井沢。
E初めてのパリ・アパート暮らし一か月。四つの部屋のあるペントハウス。ルーブルから一筋北のRue     Sauval 6番地、上の部屋は 助手を務めてくれたレディが使い、小生は奥どん付きの部屋に立てこもった。 そしてサロン、ダイニング、屋上ガーデン、上等ではあったが 大理石のフロアは疲れる。
F小池百合子都知事になる。神戸のお嬢さんが登りつめた。小泉純一郎のもとで精気を失ったかに見えたが、ど うして森大狸を敵に廻して 頑張っている。
G虎の門ニュースと出会う。パリでネットで見られる唯一のニュースだったため、右翼陣営のエースといわれる 人々の語り口に魅せられた。 左翼教条主義者の多い地上波ニュースに較べ、はるかに新鮮でニュースにいど んでいる。右左に関係なく、知性の高さがこの虎の門ニュースの 魅力である。
H逃げ恥の恋ダンスから、ピコ太郎のPPAPまで、日本中が踊っている。文科省が授業にダンスを取り上げて僅 か数年のことだ。
I習近平の腹黒さ、尖閣への領土野心にはあきれる。日本はいっこくも早く迎撃システムを構築しなければなら ない。
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2016年12月21日

カリフォルニア独立運動の行方

LA.jpg

 トランプ大統領出現のあおりで、カリフォルニア独立運動が起きている。
 トランプなんぞに付き合っていられるか、俺たちはアメリカ人ではない、カリフォルニア人なのだ。心意気として痛快な出来事である。

 トランプの掲げる偏見や、性差別、外人嫌いには共感できない。アボガドと合法大麻を持って集まろう、というわけで、カリフォルニアのあちこちで、独立運動のデモが起こっている。ハリウッドも、シリコン・バレーも、ヨセミテも、デスバレーも、ロスも、サンフランシスコも、サクラメントも、みなカリフォルニアなのだ。 人口3.800万人、GDP2.5兆ドルで、その経済規模は世界第6位、フランスやインドを上回る経済力をもっている。

 筆者もニューヨークの帰りには必ずカリフォルニアによって、凍りついた身体をほぐしてニホンに帰る。ビバリーヒルズの坂道をゆっくり歩きながら、ニューヨークの緊張を洗い流す。デザインにめざめたのも半世紀まえのパシフィック・デザイン・センターだった。
 暖かい太陽とともに、東部の人間とはちがった暖かさがここにはある。ヒスパニックとその他の民族をあわせた人口は、優に白人を上回っている。そんなカリフォルニアだからこそ、反トランプの独立運動まで展開しているのだろう。

 ここではクリントンの票が61.5%、トランプは33.2%だった。
 イギリスのEU離脱をきめたBREXITブリグジットをもじって、CALEXITカレグジットと呼びならわし、サンディエゴにある「イエス!カリフォルニア独立運動」が中心になっている。
 シリコン・バレーの投資家シャービン・ピシェバー氏はこの分離独立運動によろこんで投資すると声明をだし、その後をシリコンバレーの資本家たちがぞくぞくと追っている。
 住民投票によってこの運動が実を結んだら、新しい国名は「ニュー・カリフォルニア」にするという。
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2016年12月20日

デパートよさようなら、今日は通販

しまむら.jpg

 「パリジェンヌは10着の服しかもたない」そんなタイトルの本がでたのは、2.3年前のことだった。
一部の人たちには支持されたが、すぐ忘れられたかと思っていた。いま、この国の若者たちは服もなにも、とにかく買い物をしなくなったといわれている。

 ブランドもののバックを手に流行の服を身に着けて、キャンパスをチャラチャラしている女子大生は全く姿を消したと言われている。今キャンパスを闊歩しているのは、スニーカーにデイバックを背負った学生、ぼろジィーンズで自転車を乗り回している化粧気なしの女子学生たちだそうだ。
 彼女たちはユニクロすらも買おうとしない。去年一昨年に買い求めたヒートテックや、フリースで充分間に合う、だって破れないんだもん、衣類の機能が向上した結果、ますます買い物をしなくなった。生活に対する考え方が堅実になり、地に足がついてきた。だからユニクロすら高い、GUもいらない。強いていえばマムラー、ご愛用はシマムラなのだ。
 学生たちがキャンパスに通うための駐車場も、いまでは閑古鳥がないている。車はコスパが悪いのでいらない。バスと電車で充分だという。ファッション・トレンドがどうのこうのといっている学生は、キャンパスでは浮いている、浮きまくっている。

 中国からきた爆買い族のためにわざわざ作ったデューティ・フリー・ショップも、あっという間の閑古鳥。
デパートも専門店も、次の商品の宛てもなく、ただ過ぎ去った夢を追いかけて呆然としている。時代は通販の時代に移り、店は通販カタログのショーウインドウになってしまった。
 デパートよさようなら、こんにちは通販、なのだ。
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2016年12月18日

癌・新薬丸儲けのオプジーボ

癌・新薬丸儲けのオプジーボ

  癌の治療薬については、昔から色々と言われてきた。
 半世紀前、小諸の病院の先生が、「サルの腰掛」なる茸から抽出した成分が、癌にきくというので話題になったが、厚生省が認可せず結局民間がかってにやっている試薬ということで葬られた事例があった。
 癌を宣告された患者にとって、目の前の死から逃れられるかもしれない薬とあれば、その薬を手に入れようと
努力して当たり前、結局大手メーカーと大学の先生から離れたところで開発したというのが、厚生省の機嫌を損ねたのだ。

 薬の世界は不思議だらけだ。
 製薬会社が作っているのだから、当然メーカーが値段を決めているものと最近まで思っていた。ところがどつこい官僚が決めている、社会主義国なみのカラクリとはおどろいた。厚生労働省の中央社会保険医療協議会というところが藥価を決めているのだ。

 新薬開発にいたる道のりは大変だ。
 まず実験動物や実験室で育てている細胞を使って非臨床実験をする。そこをクリアすると、患者や健康体を使い効果や安全性について実証する。その上で専門機関での検査をうける。
 すべてを無事通過したのち、厚生省の保険医療協議会によって値段が決められる。その期間は9年から長ければ17年かかるといわれ、その上新薬としてデビューできるのは2万分の1の確率であると言われている。

 いま癌の新薬として「オプジーポ」か話題になっている。
 オプジーボは高額で1年投薬すると一人当たり3500万円に上ると言われ、当初そんなに需要はないだろうとふみ、世界最高の値段を設定した。100ミリグラム当り、約73万円、アメリカでは30万円、イギリスでは14万円、日本だけが突出して高かったのだが、患者が殺到し、保険医療の根幹を揺るがす事態となった。自分等できめた薬価に首を絞められそうになったのだ。慌てた厚生労働省は算定基準を見直し、17年2月から50パーセントダウン、通販の割引みたいなことを発表した。
 医は人のためという当たり前を忘れ、医を利益の道具とした医者、官僚、製薬会社の目論見がまんまと外れた癌新薬騒動である。

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2016年12月16日

名護沖海岸にオスプレー不時着。

名護沖海岸にオスプレー不時着。

 オスプレーが海に不時着した。
 アメリカのニコルソン沖縄4軍調整官は、市民に被害を与えることなく、海に着水したのはとてもい判断だったと発言、これに対し、だからオスプレーは危険、オスプレーは配備すべきではないと、騒いでいるのは日本のメディアと沖縄の翁長知事、それに基地反対のプロ市民、と全国にちらばっている教条左翼の連中だ。

 沖縄の米軍に関していえば、オスプレーのおかげで圧倒的に戦力が向上した。行動半径が圧倒的に広がり、台湾、韓国はもとより中国上海まで飛べるようになった。スピードも従来のCHー46ヘリコプターに比べると2倍の速さになった。積載量も3倍にあがった。その分兵員を減らして、国防のための指数が一気に上がったのだ。
 兵器にかぎらず民生用の航空機でも開発から完成までは最低でも10年ぐらいの時間がかかる。失敗をくりかえし、改良点をみつけ補足していって、初めて完成度の高いものが生まれるのだ。一回の事故で、だから駄目な飛行機だと発言するのは児戯にひとしい。
 いままでに存在しなかった垂直離着陸の機能や、固定翼機能の融合という難題を解決した画期的な飛行機であるからには、まだまだ多くの改良を重ねなければならないだろう。そのたびごとに、オスプレー反対と騒いでいては世界中から笑いものになる。高性能のヘリを何故そんなに嫌がるのか日本人の脳みそを覗いてみたい。
 他の飛行機に比べてもオスプレーの事故率は圧倒的に低い。一般機の2.45パーセントに対し、オスプレーは1.93パーセント、このままでも充分通用するレベルにある。

 駐留米軍についても、、防衛力の手薄なこの国を守ってくれている。米軍がいなければ、韓国も中国もやりたい放題、尖閣、竹島はもとより沖縄すらも安全は保証されないのだ。今回のような事故が起きた場合、兵士にたいするいたわりや感謝の心をすこしは持った方がいいのではないか。不時着したことに対し、鬼の首でもとったように、オスプレー追放を叫ぶのはどうも検討違いだ。すこし引いて考えたら誰でもわかることなのだが、いつから日本人はこんなに頭がわるくなったのだろう。
 ニコルソン管理官に言われるまでもなく、ニホンを守るため多くの兵士たちは日夜訓練に励んでいるのだ。
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2016年12月14日

明日のテレビドラマへ GO!

明日のテレビドラマへ GO! 明日のテレビドラマへ GO!

 「私に売れない家はない!」駄目な部下に「GO!」と気合をいれる北川景子主演の「家売るオンナ」、
 「地味にすごい・校閲ガール河野悦子」職域というルールが全く判っていないハデハデ娘・石原さとみ、
 そこにいままでの演劇的リアリティはまったくない。見て面白いバラェティ的要素を盛り込んだニューウエーブである。
 水曜夜10時からの一時間ドラマ枠に、日本テレビはバラエティ・ドラマというキャッチを与えた。この二本のドラマは、従来存在した伝統的な演出法に対するアンチテーゼであり、新しいテレビドラマの水平線を暗示している。テレビドラマに寄生している演劇的手法を無視し、現場から、映画を追い出し、演劇を追放している。

 顔にクイック・ズームするや、突風が髪を巻き上げたり、相手をにらみつけると眼のビックアップにきらりと閃光が走る。会社のビルにはやたらに大きな社名がスーパーされたり、キャッチがつぎつぎと走る。重要な会話には巨大テロップが挿入される。場面転換ではアイドルのグラフィックのようなパターンを使う。
 マンガの影響も考えられるが、それよりも演出のイメージのなかで、自由に楽しく作り上げている。役者の演技に頼らず、ポスト・プロダクション時にどんどんモンタージュしてドラマを膨らませている。スタジオの勝負ではなく、ポスプロの勝負で作っている。テンポ感もリズムもスタッフが後から作り出している。
 もしテレビドラマが生き残るとしたら、水曜10時には無限の可能性が秘められている。

 日本テレビ開局のころ、「せんぼん・よしこ」という女性演出家がいた。彼女の仕事はテレビの創世期に於いて、実に前衛的であり、映画のドラマづくりを追いかけたテレビ演出への警告になっていた。
 いま水曜10時の日テレのドラマをみると、半世紀まえのせんぼん・よしこの心意気を思い出す。長い間、情報番組やバラエティの現場にいた 小田玲奈 という女性プロデューサーがいまこの水曜10時枠の中心にいると聞いた。
 プロデューサーと演出のあいだのせめぎ合いは判らないが、日テレには伝統的に、女性スタッフを育てる素地があるような気がする。


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2016年12月13日

京都ぎらいの裏表

京都ぎらいの裏表

 うんちく好きの人をまま見受ける。若いもんはヒクーとかなんとかいって直接ぶつけるが、女将さんは「お客さん、よう知ってはりまんなぁ、」と返す。「つまらんこと言わんと、黙って食べたら…」それが本音だ。
 「まあ、なに着ても似合わはりますなあ…」本音は「そんな恰好して恥ずかしくないんかい」京女のお世辞に騙されてはいけない。

 厳しい規範をもっているのが、京都洛中の人々だ。洛中といえば京都市中京区のことだ。中京区だけが京都、なにしろ室町幕府の花の御所があったのは洛中の真ん中、だから沢山ある洛中洛外図など眼を通せばわかることだが、東山も嵐山もみな都の外だった。洛中にすむ伯父さんはいまでも「上洛のおりは是非ご一報を」といった
挨拶がある。
 昔、はしだのりひこが伏見だからと言い訳をしていたが、伏見という地名の響きにはどくとくの匂いがある。倖田来未あたりも伏見出身のため、京都人からは、あの子は伏見やさかいに、となんとなく異郷人あつかいされているのだ。何百年か前に朝鮮半島からの渡来人が住み着いた地というのが、今に尾をひいている。

 星のリゾートという近頃全国にはびこっているホテル業がある。アメリカのジャンク・ファンドの金で、運営を請け負っている業者だ。京都の嵐山からさらに奥へ行った船岡温泉のつぶれたヤドの辺りを買い取って星野リゾート京都と看板をだした。
 京都人は、あそこは京都ではありまへん。都からはなれた保津川の奥やさかいに…といった認識なのだ。
 東山を越えたところに、山科区がある。忠臣蔵では浅野内匠頭が隠里というので、山科閑居の場が演じられる。その山科区で「餃子の王将社長殺人事件」が起きた。「まだ犯人が捕まれへんのやろう?怖いわー」と子供たちが山科へいこうとすると、親がとめるというのだ。

 洛中洛外の差別感がそのまま拡大されると、まわりの地方にもとうぜんのごとく優越感を持つ。
 「大阪はごちゃごちやとうるさおす」「神戸はましやが、兵庫はただの田舎や」「滋賀?なんやゲジゲジみたいな字ーどすな」「東京?たまには東下りもよろしおす」
 かくして今年の新書大賞は「京都ぎらい」であった。
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2016年12月11日

グランプリ・ファイナルと広告代理店のモラル

グランプリ・ファイナルと広告代理店のモラル

 嫌いなハーフ・ハーフの浅田真央が消え、ようやく次の世代の選手が登場してきたので、ままテレビのフィギャア・スケートを見ることがある。
 求道者のような羽生結弦やネズミに似た宮原知子など、表現のレベルが世界に近ずいて来たので楽しい。
それでもロシアのメドペデワの足元にも及ばないのは、本人だけの問題ではなくコーチ、振付に問題があるのは明らかだ。本人も内面の劇的把握力をみがき、スケートに於ける全身表現をさらにステップアップしなければ、
白人選手たちへの勝ち目はない。

 今年のフィギャア・グランプリ・ファイナルはフランス、マルセイユでの開催だった。ところがTV画面を見ている限り、埼玉か博多で開らかれているように見える。
 羽生結弦が4回転すると「ジャパネット・たかた30年祭」が共に写る。宮原知子が頑張ると、マチキンの「アコム」が流れ、パチンコの「マルハン」が写し出されるのだ。シティズンやコーセーはまあ納得できるが、「木下グループ」に至ってはなんのためか全く判らない。
 代理店は、テレビ中継で日本の視聴者が○○パーセント見ますので、とか甘言を用いて、スポンサーに引き込み、会場の壁にこれ見よがしに掲出しているのだが、その根性がひどく嘆かわしい。広告に対するモラルがないのだ。かつて雑誌や新聞では広告の適否が厳しく審査されていた。ところが今では、金にさえなればなんでもかんでも出稿する。フランスまでいって月賦や、マチキンの宣伝をする必然性がない。スポーツも文化もすべて金儲けの手段なのだ。
 かの地の人々も、何だか判らない漢字を並べられ、それが日本の月賦やと説明されても、グランプリ・ファイナルにふさわしいスポンサーとは誰も思わないだろう。
 広告代理店にモラルを、グローバルに浮かされた電通よ、眼を覚ませなのだ。
posted by Kazuhiko Hoshino at 22:52| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月10日

「あの人はいま?」

「あの人はいま?」

 「あの人はいま?」といったその後の人生を追っかける番組やら、記事が眼につく。
 高齢化社会を迎え、定年後への不安や関心が、他人の今への興味を抱かせるのだろう。そうした状況のなかで、人々の興味をひく第一の素材は芸能人、そして第二がスポーツ選手の「いま」である。

 芸能人の「いま」で、ホットなのは麻薬に手をだし、逮捕された、または刑期を終えてシャバにでてきた芸能人の「いま」だろう。
 麻薬でなければ、不倫のその後かもしれない。ゲス不倫が流行語になるくらいだから、広くゲスな関心は充満している。不倫した芸能人のうしろめたさは、広く一般人にも共有できる感情なので、いつまでたってもゴシップの女王として君臨している。
 岡本かの子、松井須磨子、柳原白蓮のむかしから、斎藤由貴、高岡早紀、ベツキーのちかごろまで、いつの時代もうしろめたかった。だからこそ燃える、燃え尽きたあとの「いま」に人々は興味を示すのだ。

 スポーツ選手の「いま」にも、人々は興味をもつ。選手寿命の短さからも、その後の「いま」は色々である。
 引退したスポーツ選手で、指導者や解説者になれるのはひとにぎりで、多くのスポーツ選手は裸一貫で社会に放り出される。野球選手がラーメン屋になったり、相撲力士のちゃんこやなどよく聞く話だ。
 がなかにはシンクロから「シルクドソレイユ」へ転身した北尾佳奈子の例もある。彼女はオーディションを受け、ゼロからサーカスのなかのシンクロで再スタートした。オリンピツクのメタルは再スタートのための鑑札になったのだ。
 最近では金メダルからテレビの芸人へというコースもあるが、それなりの美貌と頭の良さがなければ長続きしない。具志堅用高のように特殊ないじられ役として、芸能界の片隅に生きている人もいるが、これはきわめて稀な例である。
 活躍していた若いスポーツ選手に惚れ、女子アナを棄てて結婚した彼女が、いつの間にかむかしの職場に戻っている、などの例も数限りなくある。
 「あの人はいま?」の種は尽きない。
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2016年12月09日

フランスで共に暮らす三つの方法

フランスで共に暮らす三つの方法

 パリは愛の都といわれている。男と女の愛について、世間的な制約がすくない。
 カフェのテラスで眼があった時、素直に君の眼に惹かれたでもいいし、貴女の雰囲気が僕の心を奮い立たせたでもいい。いっしょに居たいという意志をはっきりと伝えれば、思わぬシアワセに出逢うこともある。
 パリの女はためらうことなく、率直に答えてくれる。翌朝のコーヒーを共ににし、ふたりの関心が一致して家族になりたいと思えば、そのように生活できる。

 フランスで二人で暮らしたいと思った時、三つの方法がある。

 まず第一は同棲、最近は日本でも同棲は増え、地方からでてきた学生間では、コスパの理由から同棲が多いと聞く。  Union libre フランス語の同棲は「自由な結びつき」の意味で、日本と同じく手続きも許可もいっさいいらない男女の生活形態だ。
 かってナポレオンが、「同棲は法を無視しているから、法もまた同棲を無視する」と宣言してナポレオン法典をつくった。法律のさだめる義務はいっさいないし、特典もない。二人で同じ屋根の下で暮らす、それがすべてだ。

 第二にPACS、Pacte civil de solidarite 手続きの簡単なお手軽な共同生活契約である。
1999年からあるのだが、もとはゲイの人々やレズの女性のために考えられた。社会保障や税金の手続きも簡単なので最近のカップルはパックスという形式で、共に暮らしている人が多いと聞く。人生とか財産とかおおげさに考えないで、とりあえず二人の愛を国家が包んでくれるシステムと考えたらいい。

 そして第三は結婚 Mariage、まず市役所に届け出て市役所の一室で結婚式を挙げる。かって結婚の許可を国家と教会で争っていた時代の名残だそうだ。結婚が許可されれば、死ぬまで国家の庇護をうけ、国家に忠誠を尽くす義務がある。

 さて迷える貴女は、同棲、パックス、結婚 どれを選びますか。
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2016年12月08日

「除夜の鐘」がなくなる

「除夜の鐘」がなくなる

 騒音クレーマーと呼ばれる一連の人々が存在するらしい。
 その人達はとにかく騒音にうるさい。始まりは空港のそばに住む人人だつたようだが、近頃はあらゆるところに繁殖し、少しでも音が出ると文句をつける。
 だから近所に保育園や幼稚園ができるのも許さない。子供たちの元気な声も騒音にきこえるクレーマー達なのだ。オスプレーのときも大変だった。乗員もふえ航続距離がのびても、騒音が大きいと絶対にゆるさない。騒音クレーマーにとっては、国防のための兵器が進歩の過程でだす音も許さない。
 騒音は憲法違反だ、安保反対だと騒ぐ。

 すぐるとし、軽井沢でも事件があった。
 夏の始め、都会から涼を求めてくる人々への歓迎の花火があった。
 千ヶ滝の広いグランドが舞台だつたので、その夜は茣蓙をもったり、折り畳みの椅子を抱えて千ヶ滝のグランドに集り、久しぶりの再会を喜び、互いの無事を確かめてささやかな避暑地の交流があった。浅間山にこだまする花火をみながら、今年の夏もまた無事に過ごせますようにと、シアワセな気分になれた。
 ところがその花火が、突然に中止になった。理由は近所にすむ老人が、花火がウルサイといって警備のバイトに暴行を加えたのだ。一年に一回のハレの日の花火ですら、騒音にしか聞こえない悲しい人間がいたのだ。

 騒音の最新ニュースは、いま全国の「除夜の鐘」がなくなりつつある、という報道である。
 除夜の鐘は騒音だから止めろという近所のクレーマーが増殖し、坊さんも面倒くさくなって止める寺が増えつつある。「除夜の鐘」もミソもクソも一緒なのだ。 除夜の鐘を聞きながら、過ぎし年に想いをはせ、明日からの新しき年に誓いをたてる人などいなくなったのかもしれない。
 除夜の鐘のもつ意味も理解できず、鐘の音をデシベルだけで文句をいう人たちが日本中に繁殖しているのだ。
こうしたクレーマーは、この国から出て行ってほしい。宗教的環境によって豊かになる情操面への理解など皆無なのには驚かされる。
posted by Kazuhiko Hoshino at 22:18| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月07日

「やっちゃえNISSAN」か、「くたばれNISSAN」か。

「やっちゃえNISSAN」か、「くたばれNISSAN」か。

 いま一番に嫌いなテレビCMは、矢沢永吉の日産のくるまのコマーシャルだ。
 「新しいことやると必ず言われるんだよね。無茶だとか不可能だとか。俺は大好きだね、この言葉」新しい技術の開発にちからをつくすのは、メーカーとして当たり前のことだが、矢沢が「やっちゃえNISSAN!」となんのためらいもなく言い切ると、ついこの間におこした三菱の排気偽装事件をおもいだす。三菱の事件はじつは日産の事件だったという実態があまり知られていないので、日産は助かっているが、生産の実質管理は日産の派遣スタッフによっておこなわれていたのだ。

 かって日産は「技術の日産」といわれて、「販売のトヨタ」を見下していた過去がある。
 それに対し、こつこつとマーケティングを積み重ね、対応車種を開発してついに世界一に登りつめたのが、現在のトヨタなのだ。
 日産の技術はいつのまにか錆びついてユーザーの心をつなぎとめることができなかった。そこへ乗り込んできたのが、カルロス・ゴーンという徹底的にケチな経営者だった。何千何百という下請け工場を泣かせて、ニッサンはようやく立ち直った。「やっちゃえNISSAN!」と軽口をたたく前に、「アリガトウ、ニホンの下請け」なのだ。

 このように企業の歴史をふまえないで、一方的に居丈高なCMを発信するヤンキーまがいの気質は、広告代理店や勘違いな若手企業家に多いが、この国の醇風美俗にはあわない。中途半端なグルーバル思想のいちばん悪いところだろう。

 いま車は自動化と知能化のまえにたたされ、化石燃料をつかった内燃機関はやがて市場から退場しなければならない。ハードウェアはすでに完成され、あとはソフトウェアの優劣にかかっているといわれる。莫大な報酬をとり一部の取り巻きと算盤に頼った企業に、優秀なソフト開発者も国民の心もなじまない。

 「やっちゃえNISSAN!」ではなく「くたばれNISSAN!}にならないことを祈っている。
posted by Kazuhiko Hoshino at 12:54| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月06日

いい加減な情報サイト

いい加減な情報サイト

  特定のテーマごとに情報を収集して、検索閲覧を楽にしたキュレーション・サイトが、次々と閉鎖され閲覧中止になっている。
 DeNAはWELQウェルクなる医療情報サイト、MERYメリーというファション情報サイトなど、運営している10の情報サイトの総てをを中止すると発表した。内容のいい加減さや、他サイトからの無断転用をこれ以上つづけると裁判対策に追われるという判断があったようだ。
 サイバーエージェントも、情報サイトSpotlightスポットライトを取り止めた。
 リクルートもギャザリーの健康関連記事を中心に16000の記事を破棄した。

 内容を信ずるも信じないも読者の責任だから、という名目のもとに、味噌クソ一緒に垂れ流していたIT業界の一角にヒビがはいったのだ。

 かって若い起業家に誘われ、無理やりサイトの制作現状に連れていかれたことがあった。
 六本木ヒルズの中心点六本木タワーの高層階だった。その頃六本木タワーにオフィスをもつのは、若い起業家にとって成功の証しだった。
 ビルは当然のごとくカッコいいし、オフィスの入口もとてもアメリカンなカッコ良さにあふれていた。が一歩、仕事場にはいると空気は一変した。見渡す限り並んだパソコンはひとつひとつパネルに囲われ、そこに働く青年たちはこの世のものとは思われなかった。汚い茶髪の見本市のような、世捨て人のあつまりのごとく、あらゆるアウトロウなファションがあふれ、テンデバラバラに行儀悪く仕事をしていたのだ。

 この世界から発信されるものが、世界をリードしていくとは到底信じられなかった。
 経営者は、若い社員の個性をのばしてやるには自由を与えなければならない、といい労働条件はもとより職場規律も、全く存在しなかったのではなかろうか。
 キュレーション・サイトのモラルが問われている今、果たしてあのIT企業は生きながらえているだろうか。
ネットメディアもより責任とモラルのある経営を目指さないと、明日は消えてしまうかもしれない。
 不道徳な情報サイトを次から次へと立ち上げ、若い起業家ともてはやすのは、劇場型社会の無責任なメディアなのだ。
posted by Kazuhiko Hoshino at 12:52| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする