2017年03月08日

猿若祭のふたり桃太郎

猿若祭のふたり桃太郎

 江戸歌舞伎390年と謳い、猿若祭大歌舞伎と謳っている。
 ならば初幕のまえには、柿、白、黒、三色の引幕にして欲しかった。
  守田座方式の萌黄、柿、黒の定式幕では気分が盛り上がらない。
 物語のある柿、白、黒の幕にしてこそ、390年前の安宅丸による歌舞伎の江戸乗り込みを彷彿とさせる。
櫓拍子を揃えるために船の舳先に立ち、金の采配をふって江戸の港にはいってきた初代中村勘三郎の心意気が見える船覆いの幕こそが、柿、白、黒の三色に象徴されているのだ。

 猿若祭では勘太郎・長三郎の初披露もあったため、そちらの祝い幕を優先させたのだろうが、まずもって猿若座の気分こそ江戸っ子にとっては晴れがましく嬉しい。
 猿若という道化の役どころは、阿国歌舞伎とともに、出雲、京都、江戸に伝わった狂言回しとして、歌舞伎百般にまつわる名前なので、役者の家の名のうえにきて当たり前である。

 さて三代目中村勘太郎、二代目中村長三郎初舞台は恒例記者会見に始まった。
 同時に発表されたのが、「二人桃太郎記念田んぼアート」と題された田植えと稲刈りイベント。まず五月に松本の田んぼで田植え、秋には稲刈り、18世勘三郎の鏡獅子と日本一の幟をもったふたりの桃太郎が稲田にうかぶ。ひとつのイベントで三度宣伝に絡むイベントだった。
 次は桃太郎ゆかりの鬼ヶ島へ。鬼の洞窟のまえでの親子三人の見得写真。さらに岡山吉備津神社にまいり、鬼の首の埋まっている竈のうえの窯を炊き、鳴り響く音で吉凶を占う鳴窯神事、そして最後は浅草浅草寺における猿若祭お練り、と宣伝大車輪の興行だった。テレビ時代に呼応し、子供二人の一年間密着レポートと水も漏らさぬ中村屋ご家芸の宣伝戦だった。
 かくて歌舞伎座客席にはマスクをし、キャリーバックを引き、芝居中も平気で弁当をひろける無法者があふれたのだった。   ……目出度し、目出度し。
posted by Kazuhiko Hoshino at 12:35| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする