2017年07月31日

「ツルヤ」派? 「デリシア」派?

「ツルヤ」派? 「デリシア」派? 「ツルヤ」派? 「デリシア」派?

 軽井沢のスーパー・マーケットといえば、30年前位から「ツルヤ」と決まっていた。
 その前には紀伊国屋もあったし、明治屋もあった。ジャスコが新興勢力として登場したこともあった。地元の小さなスーパーもいくつかあったが、みなサービス競争で敗れ去った。
 別荘族のお母さんたちは、夏の終わり都会へ帰るとき、ベンツの後に野菜をしこたま仕入れて、帰って行った。遊びにきた友人たちも、「ツルヤ」からお土産のジャムやらレタースやらを送っていた。
 地元の魚屋さんに発したツルヤは、経験的に魚の仕入れにすぐれ、地元のキノコ類などでも半端なく多品種を仕入れ他店の追随を許さなかった。が、例にもれずここ数年の急速な県内出店に伴い、ショップパワーに陰りが見えてきた。つまり商品構成がマンネリ化してきたのだ。利幅の取れる自社ブランドの商品がふえ、食品の味覚追及に甘さが目立ってきた。

 そこにこの春から東軽井沢に登場したのが「デリシア」である。
「デリシア」は松本を中心に中南信地方を地盤としてきたスーパーである。商品の構成が細やかで消費者のライフスタイルに寄り添った展示になっている。
 ツルヤのごとく大量に商品を置いておくのではなく、少量多品種できめ細かい。すでに食生活のスタイルが確立しているオバサンたちには、ツルヤで充分なのだが、まだ若い世代で食のスタイルが固定化していない人達にとっては、圧倒的にデリシアが親切なのだ。
 惣菜類や弁当などの種類も多く、共働きの夫婦にとっては重宝きわまりない。消費者のライフ・スタイルについて考えていることが如実にわかる。

 君は「ツルヤ」派? それとも「デリシア」派? 
 それによってライフ・スタイルの新旧がはっきりとわかる。
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2017年07月28日

欠陥女性議員 夏の揃い踏み

欠陥女性議員 夏の揃い踏み

 右翼のホープ、稲田朋美防衛大臣が、とうとう辞表を出した。彼女の国家論に感動して大臣にまで引き上げた安倍晋三総理はさぞかし落胆していることだろう。
 流行のリボンのついたスカートを履き、鯖江の眼鏡をかけ、アミタイツを履いてがんばってみたけど、結局自衛隊制服組に嫌われてあえない最後であった。

 蓮舫民進党代表が辞任した。民進党再建の切り札の筈が、崩壊のきっかけをつくってしまった。二重国籍問題が最後まで尾をひき、今頃になって日本人になりましたと、見得をきったが、これからは国籍で戸籍を開示させるようなヘイトな行動を慎んでほしいと、まるで見当ちがいなことを発言したため、蓮舫には国家というものがわかっていないと、猛烈な反発をうけた。占領下でもあるまいし、外国人に国家の政治をあずける国など、どこにもない。

 おかげで今井絵理子議員の新幹線手つなぎ睡眠など何処かへ飛んで行ってしまった。
「このハゲッーーーーーー!!」入院中の豊田真由子議員もさぞかし安堵していることだろう。
 女性議員は概して肉食系が多くようやくこの国もフランス並みになったかと喜んでいたが、選挙民のほうがまだまだついていけない。愛欲不倫騒動は選挙区の女性たちから、シカトされ次の選挙は絶望的になる。

 女子アナ上がりの畑恵議員は、政界のプリンスだった船田元議員を泥沼に引っ張り込み政界失楽園と揶揄されたし、「あなたとベットを共にしたい」と500通のメールを送り続けた佐藤ゆかり議員、年下議員に路上チュウをねだった中川郁子議員、親分の小沢一郎が派遣した秘書をたべてしまったヤワラちゃんこと谷亮子議員、民主党のハニートラップと言われた林久美子議員は世耕弘成官房副長官を強奪不倫、議員宿舎を不倫の巣にしたと言われた西村まさみ議員は、結局夫と娘を棄てて9歳年下の山下剛正議員と宿舎同棲を始めた。

 政治を志す女性が愛欲至上主義でもいっこうに構わないと思うが、それらの議員が提起した法律がひとつも聞こえてこないのは真に残念の極み。
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2017年07月26日

テレワークは働き方改革にならない。

テレワークは働き方改革にならない。

 小池百合子が例のグリーンスタイルで、吠えていた。
 働き方改革をしよう。今日のこの日をテレワーク第一歩の記念日にしよう。私は2020までに、テレワークを定着させたい。 というのだが、はたしてそれでいいのだろうか。

 おりしもアメリカから、テレワーク廃止の報がとどいた。それもITの本家とも言えるIBMとヤフーである。
 テレワークの弊害が目立ってきたので、全面的に休止するというのだ。つい20年前まで憧れの働き方だった。テレワークでは、会社がもたないと、いうのだ。
 会社と離れたところで自由に家族の都合にそって仕事をするのは、一見よさそうだが、会社にとってよくない。なによりも職場の一体感が失われる。日常顔をあわせないことからお互いに無関心になり、仕事に情熱をもたなくなる。従って会社へのロイヤリティがなくなる。
 個々に自由になりすぎて型通りの仕事しかしない。だからテレワークは良くないという結論なのだ。

 今話題になっている四国今治の寒村では、テレワークを村の中心事業にしようと、空家を整備し、ITの環境をととのえて都会からの企業誘致をはかり、当初こそメディアに取り上げられ話題になったが、そこにくる若者たちには人生に対する哲学はなく、飽きたら皆都会にかえってしまったという悲しい現実しか残らなかった。

 働き方改革というのは、結局自己都合だけで、社会改革につながらないお題目なのだ。
 テレワークに慣れた若者は、バソコンにしか興味をもたない人間不在の疑似人間になる。相手の顔をみて議論せず、この場で考えず、会議は全員パソコンだけを覗いて、粛々と議事が進む、気持ちのわるい会議になってしまうのだ。




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2017年07月24日

平尾昌晃とふたりの女

平尾昌晃とふたりの女

 平尾昌晃が逝った。ロカビリー三人男として、満天下の子女を熱狂させたあの日劇の舞台が懐かしい。初めて日劇の舞台にトイレのロールが飛んだ。舞台に少女たちが殺到して平尾のズボンに手をかけ、ひっぱってぬげそうになったこともあった。日劇ウェスタン・カーニバルは戦後日本の音楽風景をガラリとかえた。
 ミッキーカーチス、山下敬二郎、そして平尾昌晃だった。この三人に眼をつけたのは、渡辺美佐さんだった。マネージメントという言葉をメジャーにしたのは、渡辺美佐さんだ。日本女子大をでたのち、父親の影響から音楽プロモーターの道に入ったのだが、いち早くアメリカのマネーメントシステムを日本に導入した先駆者だった。

 平尾昌晃にとっての第一の女性こそ渡辺美佐その人だった。渡辺美佐はロカビリー三人男のなかから平尾昌晃をもっとも愛していた。
 柳家金語楼の息子に生まれた柄のわるい山下敬二郎、金と女にだらしなかったミッキー・カーチス、に比べはるかに育ちのよかった平尾昌晃に惚れたのだ。
 ワタナベプロの新人たちはつぎつぎと平尾の楽曲でマイクの前にたった。
 梓みちよは「渚のセニョリーナ」、伊東ゆかりは「恋のしずく」、小柳ルミ子は「わたしの城下町」「瀬戸の花嫁」、園マリは「泣きぬれて」、中尾エミは「花のさだめ」、布施明は「霧の摩周湖」、沢田研二は「あなただけでいい」、天地真理は「ふたりの日曜日」、最後にはドリフターズまでが、平尾のヒット曲「ミヨちゃん」を唄った。 渡辺美佐さんは心から平尾昌晃の才能に惚れていた。

 1968年平尾昌晃は肺結核をわずらった。長野県岡谷塩嶺病院で療養生活を送り、肋骨6本をとる大手術で復活した。そして出会ったのが銀座のママ山口洋子だつた。山口洋子の詩は平尾の心をゆさぶった。
 「よこはま・たそがれ」によって五木ひろしを復活させた。「長崎から船にのって」「夜空」「別れの鐘の音」とつづき、平尾の作曲の幅がさらに広がった。平尾昌晃+山口洋子のゴールデン・コンビは日本歌謡界に新たな風をもたらした。
 必殺仕事人シリーズの印象的な劇音楽、宝塚歌劇団ベルバラの劇中歌なども彼の新しい才能の分野だった。そして平尾の初心が蘇ったのが「平尾昌晃音楽学校」の開校だった。全国各地に分校をつくり、音楽人口の裾野をひろげた。慶応高校在学のころ、日本ジャズ学校に学んだ彼の青春がよみがえった。

 隣りのクルマから降りてきて、「 …先生お元気ですか。」人なつこい表情で話しかけてきた平尾昌晃の笑顔が浮かぶ。          合掌
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2017年07月23日

浅草のスタス・レビュー

浅草のスタス・レビュー

 浅草ROXビルにある「ゆめまち劇場」は不思議な小屋だ。客席はクラブ形式なのだが、ステージまわりはアングラ小劇場風という変った造りになっている。
 ラスベガスにはこうしたラウンジ・シアターと呼ばれる小屋が沢山あったが、いまではスポーツ・カジノにとって代られ、姿を消した。パリのモンマルトルにはいくつかこの規模のクラブ・シアターは残っている。ただ舞台まわりは、ゆめまち劇場ほど不愛想ではない。シルバーやゴールドの幕、無論ブラック・カーテンはあるのだが、自由に出入りできるスリツトカーテンや、鏡のホリゾントが用意されている。大道具がなくても充分に演出できるステージになっている。ゆめまちの楽屋の不自由さや、そっけない上下の舞台袖には、上演舞台が想像できない。

 そのゆめまち劇場でSKD・og・STASが、夏のおどりをやっていた。
 高城美輝、明石薫、銀ひ乃で 三人を中心に20人ほどのレビュウ狂を集め、懲りずに時代に逆らっている。がここまで執念深いと頭が下がる。浅草を愛し、レビュウが大好きという彼女たちは、そろそろ無形文化財にちかい。

 ショーが始まってしばらくは戸惑いを隠せなかった。クラブ形式の劇場なので、踊り手は度々眼前にやってくる。メークアップが大劇場風なのだ。突如オーバーメイクの踊り子が目の前に現れると、観客は戸惑うのだ。このような小空間で美しく見えるメークはあると思うのだが、そこそこに美女も多いのだから、そのへんをもう少し研究してくれると有難い。
 品のいいキレイに見えるメークは絶対にある。そうすることで旅回りの小芝居やゲイバーのアトラクションと差別化でき、文化庁の芸術振興補助にふさわしい舞台になると思うが如何。

 ショウはJ-ボンドの辺りから俄然よくなった。山鹿灯篭のリリックな美しさ、芹なづなと瀧園子の稗つき節からハイヤまで、さすがSKDの血を引いていると安心して見られた。 後半のダンスナンバーも安定した振付と表情で楽しませてくれた。
 主犯三人のエネルギーがどこまで持つか不安もあるが、こうしたアンチームなショウ・チームは貴重な存在だと認識した。10月には芸術祭に参加してパワーアップするとのことである。
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2017年07月22日

斎藤由貴・無欲の勝利

斎藤由貴・無欲の勝利

 50歳を迎えた斎藤由貴が、いま再びブームになっている。
 無欲の勝利といおうか、映画、テレビ、舞台、アイドル、女優、歌手、詩作、イラスト、ナレーター、これだけ雑多な仕事をしてきたにもかかわらず、業界のアカがついていない。1984年第一回の東宝シンデレラ・オーディションの出身だが、不思議なことに東宝箱入り娘のイメージをいまだに保持している。

 個人的には、1989年彼女が迷惑そうな表情で唄った「夢の中へ」でハートを揺さぶられた。
井上陽水のコンテンポラリーな音を、全く異なるハウス・ミュージック風なアレンジで都会の歌に変換した。
 媚びない彼女から、探し物は何ですか?と問いかけられると、ほつといてくれ、といいたくなるが、彼女のB型、乙女座の故か否応なしにオトナのイマジネーションに引っ張り込まれた。
 夢の中へ、夢の中へ、行ってみたくなってしまうのだ。

 尾崎豊との恋の破局を迎え、珍しく彼女が落ち込んでいた時、斎藤由貴の母は、自分で選んだことだから「正々堂々と不幸になりなさい。」と彼女に言い放ったというが、この母にして今日の斉藤由貴があったのだと感心させられる。

 彼女の芝居をみていると、引きずり込まれるのは彼女のリアクションだ。多くの女優達が類型的なリアクションを演じるなかで、斉藤由貴のリアクションはきわめて個性的なのだ。会話の間合いも微妙なところで個性化する。泥水に溺れず、よくここまできたと感心するばかりだ。
 無欲とリアクションの勝利、それが50歳の斉藤由貴である。
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2017年07月21日

都心回帰の大学は生き残れるか

都心回帰の大学は生き残れるか

 高度成長期に次々と郊外にでていった大学キャンパスが、都心帰りの様相をみせている。
 一二年の教養は郊外で、三四年の専門教育は都心でといった大学キャンパスの棲み分けがくずれつつある。

 一番の原因は人口問題、1990年に18歳人口200万人だったのが、2010年には120万人まで落ち込み、2030年には18歳人口は100万人になると予想され、2050年には70万人まで落ち込むと予想されている。生き残るためには、大学はありとあらゆる方策をうたないと廃校においこまれるのだ。
 少子化の影響をもろにかぶっている大学にとっては、アクセスがよく、身近に繁華街をひかえたキャンパスこそが、学生獲得のキャッチになる。
 現に日野キャンパスから渋谷に戻った実践女子大学の応募者数は30パーセント増になったといわれているし、青山学院大学も文系7学部の渋谷復帰で応募者数が増えているそうだ。田舎育ちのボンクラ娘にとって、シブヤという街に近い、それだけで魅力なのだろう。 大学も劇場型になって教授や教育内容よりも応募者の志向に媚びなければならない時代になってきたのだ。

 名門中央大学も八王子の多摩キャンパスに移して40年になるが、この40年は失われた40年とさえいわれている。イギリス法律学校に源をもつ法科の中央が、この40年間ずるずると落ちてきた。かって東大より優秀だった法科系卒業生が東大に負け、早稲田に負け、慶応の後塵をあびて、かっての輝きを失ってしまった。はたして後楽園キャンパスに移して栄光をとりもどすことができるだろうか。
 今 共立女子大、立正大学、拓殖大学、跡見学園大学とぞくぞく都心回帰が始まっているが、いたずらに学生に媚びて建学の精神を失ったら元も子もない。

 情報過多で思考不能に陥っているわかものを覚醒させる方法はないだろうか。渋谷や池袋に近いからと、進学を希望する馬鹿者たち、君たちに大学教育はいらない。
   

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2017年07月20日

鎌倉の夏花火

鎌倉の夏花火

 鎌倉の花火にご招待を受けた。
 長谷大仏前の華正樓3階のお部屋でお料理を楽しみ、その部屋から見える鎌倉の夏花火は如何というなんとも幸せなお誘いだつた。

 長谷には観音さまもいるし、大仏もおわす。が私のなかでは、川端康成の「山の音」が浮かぶ。
 初老にさしかかった男がふと耳にした「山の音」、死期の告知と恐れながら、息子の嫁に淡い恋心を抱く……
川端文学の最高傑作といわれた作品の舞台が長谷にある川端の家だった。その嫁はほっそりとしたからだ、顔が小さく、あごから首の線が娘らしく美しい女性だった。

 山の音に登場するその美しい女性にそっくりのゲストが同席していた。今夜の主役石寺真澄さんの姪御さんで慶應義塾4年のタニ・パトリシアさん。心配りのできるお嬢さんに久しぶりにあつた。ガーデン・デザイナーの高山さんにもいろいろと世話になった。ストレート・ヘアの續久仁子さんはヴァイオリニストの趣きがあり、ダジャレ砲を構えるプロデューサーの高樹さん、そして人生のたいはんを外国で暮らしてきた元大使夫人の田中薫さん、大人達の夏の夜の集まり、個性それぞれのお客様をもてなして下さった石寺さんには、感謝以外の言葉がみつからない。

 夏花火は、頑張りすぎず鎌倉に夏を告げるにふさわしい花火だつたが、スターマインとともに海に咲いた水中花火とのデュエットが楽しかった。 五山みな音駈けぬける梅雨明けの鎌倉だった。
 帰途、立ち寄ったドイツパンのベルグ・フェルドのサンドイッチが絶品だった。

                            …… 遠き日の 鎌倉の浜 夏花火

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2017年07月18日

市川に想うこと

市川に想うこと

 かつて市川は別荘地だつた。都心や下町の富豪にとって市川に別荘をもつというのは、ステータスだつた。
永井荷風も幸田露伴も北原白秋も、そして東山魁夷も市川に住んでいた。江戸川を超えると、上から読んで市川市、下から読んでも市川市についた。市川市の鳥はうぐいすだし、市川市の虫はスズムシ、ときいても情緒豊かな町が想像できる。市川には数多くの思い出がある。

 二十歳のとし、初めて映画をつくったのは市川だった。当時の毎日新聞が「この子らに光を」という特集連載で注目を浴びた。市川にある知的障害児施設八幡学園がその舞台、そこにいた「山下清」という知的障害児にスポットが当たった。
 山下清はふらりと旅にでて、何か月もたってふらりと学園に戻ってくる。旅の思い出を貼り絵にした。この貼り絵が素晴らしかった。その山下清の初めての学園脱走から、透明純粋な絵作りにいたる清の心の旅を映画化したのだ。清を演じたのは、若かりしころの唐十郎、本名大鶴義英だった。彼には清に通じる不器用な個性があった。文部省特選をえ全国の学校や図書館に200本のプリントが売れた。
 記憶は定かではないが、昭和26年か27年のことだった。ロケ隊は中山法華経寺の門前に宿をとり、たまに境内を散歩した。法華経寺の清冽な空気がいまでも印象にのこっている。そのとき万葉集にでてくる絶世の美少女手児奈姫誕生の地が市川ということを知った。のちに山下清を素材にした映画は、数多く作られた。

 市川発祥の山崎パン創立何周年かの総合イベントの演出をしたこともあった。戦後食糧難の時代、「粉を持って行けばパンにしてくれた」山崎誕生ものがたりは何度聞いて涙がでた。
 そして天才美容デザイナー石渡潔との60年にわたる関わりも、私の人生にとっては貴重な時だった。
 前衛美術家井上洋介も市川だったし、お嬢さんも健在だ。

 テレビ創生期に世話になった丸山一昭氏に京成市川に近い喫茶につれていかれた。昭和の匂いがしみこんだカウンター喫茶だった。かって仕事をしてきた老人たちにやすらぎを与えてくれていた。モガの雰囲気のママがひとり、狭い店に花をいけ、客との会話を楽しみながら、美味いサンドイッチを作ってくれた。スタバやドトールでは決して味わえない豊穣な時間が流れていた。プチ・ニコラと小さな看板がでていた。

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2017年07月16日

首相のお友達は犯罪なのか。

首相のお友達は犯罪なのか

 マスコミは本当に嘘つきだ。
 特に地上波テレビのひどさと朝日、毎日を中心とした加計学園問題報道にはほとほとあきれた。休会中予算委員会における加計問題集中審議の報道についてである。

 野党側証人前川喜平元事務次官の発言は忠実につたえたが、一方政府側証人として出席した前愛媛県知事加戸守行氏の発言は、全く伝えなかった。加戸前知事は前川氏と同じ文科省出身で事務次官としては前川氏の先輩に当たる。退官後、日本芸術文化振興会理事長を務めた後、1999年に愛媛県知事に当選、知事公舎を売却したり、森林環境税を導入したり、えひめフィルムコミッションを創設、3期12年名知事と言われた人物である。

 加計学園理事長と安倍総理が友達であったことを、まるで犯罪のごとくに誘導してきた野党とメディアについて、はっきりと否定し、愛媛県における獣医学部設置について12年間の苦労があったと発言した。いま産業用家畜の獣医が少なく、大変困っている。獣医学部設置について有名私立大学に数多く声をかけたが、すべてけんもほろろに断られ、ただひとつ加計学園だけが手をあげてくれた。
 以来、岩盤規制は固く10年間挑戦し続け、ようやく国家戦略特区で認められた、と経由を説明した。けだし当然のこの発言を無視して、わざとカットしいかにもの情報操作を加えたのが、朝日新聞、毎日新聞をはじめ民放テレビのニュース報道だった。

 前川前次官の役人天下り差配は棚に上げ、無理強いされたと、問題のないところに問題をつくり、なんとか安倍内閣倒閣に結びつけようという浅ましい企みがみえみえなのだ。官僚は政治に従うのが当たり前で、政治家に指示されて無理強いとは、あまりに厚かましい。面従腹背が私の主義などと平気で語る役人こそ、さっさと抹殺すべき官僚なのだ。

「友達でなにが悪い。官僚の岩盤規制に穴を開けたんだ。」と安倍首相は正面から野党とメディアを一喝すればいい。

posted by Kazuhiko Hoshino at 22:56| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

軽井沢の夏花火

軽井沢の夏花火

 昨夜は軽井沢・長倉の花火の夜だった。
 この小さな町に夏の花火が四つもある。バブルの頃は六つあったこともあった。

 天皇夫妻が必ず千ヶ滝の御用邸に避暑に訪れていた頃、その夜必ず千ヶ滝リンクで夏の花火が上がった。近所の老人がウルサイ、と警備の人をこずき倒したという噂が流れ、そのあくる年から千ヶ滝の花火はなくなった。

 南軽井沢レーク・ニュータウンの夏花火は三越の全盛期に打ち上げられていた。前の年のNHK紅白歌合戦に出場した歌手のソックリさんを呼んできて、レークの中之島で唄わせてから花火になる。その夜は湖畔の三越スーパーも、三越デパートも深夜まで営業して盛り上げていた。大会本部のテントには、岡田社長以下お歴々が陣取り、若い女優が色をそえた。いまではその片鱗もない。

 長倉の花火は我が家のすぐ下にある長倉神社の横を流れる湯川の河原から打ち上げられる。気象条件がうまくマッチした時には、わが家のサロンは花火見物の一等席になる。見下ろす森のうえにみごとに打上げ花火が華を咲かせる。スターマインも次々と丁度良いところに上がる。ガラス越しだが、近頃の蒸し暑い軽井沢では冷房完備の観覧席となってすこぶる好評である。たまに霧がたってまつたく見えない夏もある。遠くの友人を招こうと思うのだが、もし霧がたったら申し訳ないと招待できないまま歳月を重ねている。

 今年の長倉の花火にはいくつか見所があった。和火に似た渋いオレンジ一色で打ち上げられたスターマインがあった。県内では下諏訪で和火だけの夏花火が上がるが、なかなかそうした江戸花火を味わう機会はなく、ようやく軽井沢にもそうした趣味が現れたと嬉しかった。ゴールド一色の大スターマインもあった。花火といえば、彩りゆたかにパチンコ屋の開店祝いみたいなものから、もうそろそろ卒業したらいいだろう。
 花火にはその地域の民度が見て取れる。
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2017年07月15日

九州豪雨災害は人災である

九州豪雨災害は人災である

 道路790か所、橋20超被害、死者32名、九州北部豪雨被害について、もっぱら地球温暖化による異常気象が原因である、とメディアは報じている。テレビでは氾濫して土手を超え市街地に流れ込む泥だらけの流れや、橋桁に引っかかって間もなく橋ごと流される流木の山を映し、その後は自衛隊の災害出動でこのニュースは完結している。

 がそれで良いのだろうか。政治はながい間、二酸化炭素の削減のため、3兆円という莫大な予算を投入してきた。日本の二酸化炭素排出量はわずか3.9パーセント、アメリカや中国の参加しない二酸化炭素排出規制はまったく無意味であり、予算の無駄使いであるにもかかわらず。
 二酸化炭素にばかり予算をつかつてきたのは、反日メディアと環境学者、環境運動家、そして林野庁や環境庁の役人仕事だったのではないか。

 そのため治水はすみに追いやられ、僅か二酸化炭素対策の100分の一にも満たない予算でごまかしてきた。
 江戸時代までの日本の殿様はいかに治水、灌漑事業をやるかに意を注いできた。民を治めるのは水を治めることだった。水を治めれば、田畑を潤し、民家を守り、国土を豊潤にできた。
 最近では治水というのは、ダムを造ることのようにおもわれているが、実はそうではない。絶えず浚渫をして川の流量を増やす。あちこちに遊水地をつくり、旱魃や豪雨にそなえる。

 さらに重要なのは、適正な植林をするということだ。川上には落葉する樹林帯をつくり、山の保水力をあげる。手っ取り早く儲かる杉や桧ばかり植えた戦後の植林事業の失敗が、こんどの北九州災害なのだ。植林が間違わなければ、何十人もの犠牲者を出さずにすんだかもしれない。紙のリサイクル運動やワリバシ反対運動が結局森を死なせ、同胞を死においこんだのだ。
 アメダスを沢山つくることではなく、そのひまがあったら治水、灌漑に金を使ってほしい。

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2017年07月13日

KIYOSHI を悼む

KIYOSHI を悼む

 石渡潔という名前は戦後の日本にとって忘れてはいけない名前だとおもう。
 美容業界の人にとっては、あたりまえに知っている名前かもしれないが、日本のヘア・デザインを世界にしらしめ、この国のヘア・スタイルにインターナショナルな基準をつぎ込み、ファッションの一部として認知させたパイオニアなのだ。

 それまでの美容業界は女天下だった。美容師は女性のものと誰でもがあたりまえに信じていた。
 旧社会から生まれたスターが山野愛子であり、名和好子であり、、山崎伊久江だった。デザイナーというより美容業界のボスに近く、全国に信者がいた。
 しかし敗戦とともに、先進国ではヘアスタイルはデザインと認識され、美容院の人気は店ではなくヘアデザイナーの人気だということに気がつく。
 髪型がヘア・デザインに変わった。美容師はヘアデザイナーとよばれるようになった。

 1960年、日本の美容業界人が始めてヨーロッパを訪れたとき、私はムーランルージュのバックステージにいた。日本人が初めてパリで公演しているというので、皆で劇場にきてくださった。その時お会いしたのが大学をでて間もない紅顔の石渡潔だった。見て、学んで、創っていこうという意欲にみちた若い血がたぎつていた。 あの頃海外へ行く日本人は、みな志をもち、レジャーだの、暇つぶしでいく人はいなかった。

 帰国後、さむらい会という男性美容師合同の旗揚げ公演に演出を依頼された。当時のにほんには、男性美容師と言われる人は11人しかいなかった。その11人も不思議な人が多く、共産党からオカマまでと揶揄されていた。 そのなかでヘアデザイナーといわれるにふさわしい仕事をしていたのが石渡潔だった。キヨシは勉強こそがいちばんという真面目を絵にかいたようなデザイナーだった。
 さむらい会に始まった男性ヘアデザイナーは、着々と女性社会に切り込み、ようやく今日のような男性デザイナーの全盛期を迎えたのだ。

 昨日、キヨシのお別れ会があった。入り口にはキヨシが晩年描いた三美神のガラス絵が飾られていた。明子夫人は少し不自由そうに歩かれていたが、お嬢さんふたりがしっかりと付き添い、相変わらずの美しさをたたえていた。裕君、関口さん始め誠実なスタッフとお弟子さんに囲まれ、充実した人生だったと満足していられることだろう。      合掌


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2017年07月11日

スーパー・サラマンダーの国産化を

スーパー・サラマンダーの国産化を

 「サラマンダー」とは火の妖精のことだそうだ。
 小さなトカゲのようであり、小さなドラゴンのようでもある。ふだんは燃える炎や灼熱の溶岩に住んでいるというから恐ろしい。

 このサラマンダーに因んでつけられた名前が、レッド・サラマンダー。土砂や流木に寸断された道なき道を進むのに、これほど適した車はない。孤立無援の山奥の集落にとってこれほど有難い車はない。車というよりは戦車にちかい。火器を搭載していない戦車、それがレッド・サラマンダーなのだ。

 九州北部豪雨の山間部被災地で活躍したのがレツド・サラマンダー。流木と土石流をこえて救助活動に邁進した。一般車両が走ることのできない荒地、段差、瓦礫、に加え水深1.2メートルまでの池、湖も踏破する。
全長8.2メートル、幅2.2メートル、高さ2.6メートル、重さ12トン、積載人員10名、最大速度50キロ、乗越え段差60センチ、最大溝乗越え幅2メートル、製造メーカー ST エンジニアリング(シンガポール)、価格は1億1000万円、普通目にする40メートル級の梯子車が1億7000万円、第三世代90式戦車が8億円という価格から考えると決して高い値段ではない。
 現在、愛知県の岡崎消防本部に一台しかない。今回も岡崎から大分の日田市まで移動するのに二日間かかっている。この際、全都道府県に一台ずつ常備したら如何かと思う。

 シンガポールから輸入してもよし、日本の兵器製造技術のレベルからみても、比較的かんたんに作れるのではないか。KOMATSUあたりが本腰をいれて製造すれば、より高性能なスーパー・サラマンダーが、生まれるかもしれない。災害列島と言われるこの国にとって、こうした車両の必要性は益々増えていくのではなかろうか。
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2017年07月09日

手筒花火・神々との交歓

手筒花火・神々との交歓

 打上げ花火、仕掛け花火、洋火、和火、花火にもいろいろあるが、世界中どこを探しても日本にしかない花火がある。「手筒花火」という。
 発祥は豊橋の吉田神社とも、豊川の進雄神社ともいわれるが定かではない。愛知の東三河から、静岡遠州の西部にかけてあちこちの祭礼で奉納されている。

 手筒花火は直径2.30センチ、長さ1メートルほどの竹の筒に火薬を仕込み、人が抱えて着火する花火である。締め込みひとつの裸の男が、花火を抱えて奉納する。危険といえばこれほど危険な花火はない。身を清めた裸の男が神と交感し、1メートルの竹筒の火薬が燃え尽きるまで、火の粉を浴びながら最後まで花火を抱き続ける。

 私は10年程前、あの御嶽山で手筒花火に遭遇した。それは御嶽教の大祭の夜、あの多くの犠牲者を出した頂上近くの広場で豪壮な手筒花火の何本かが奉納された。夜の闇が迫った頃、それぞれの登山道を無言で松明を手に信者さんたちが登ってきた。それは涙をこらえることが出来ないほど、美しい行列だった。
 仮神殿での祈祷が終わった頃、花火に点火された。3000メートルの山頂に何本かの火柱がたった。その花火を抱いた男たちのなんと崇高な美しさにみちた光景だったことか。
 最後に花火の底が破裂して山々に衝撃音が響いた。手筒花火は無事に奉納された。ものいわぬ星空とともに神々の存在がはっきりと見えたような気がした。

 手筒花火は花火業者は作らない。花火を抱く男たちがそれぞれに工夫して火薬をつめる。自分のつくった花火を裸で抱いて神々に供える、だから彼らは少しも熱くないのだ。
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2017年07月08日

京の夏はお千度に始まる

京の夏はお千度に始まる

 軽井沢にもようやく暑い夏がきた。
 テレビでは盛んに今日は七夕まつり、園児たちが可愛い七夕飾りを作っています、と何十年変わらない子供報道を続けている。多分テレビの報道マンは、大人の七夕祭事をしらないのだろう。知ろうとしないのだろう。だから地上波のテレビばかり見ていると馬鹿になると言われるのだ。

 京都の夏は、祇園の芸舞妓たちの集り、みやび会お千度に始まる。
 今年は7月7日、祇園甲部の芸舞妓一同が、浴衣すがたに身をやつし、八坂神社にお参りする。集合時間は朝10時、それぞれに御茶屋や置屋からお姉さんとともに八坂さんに向かう。
 新調した今年の浴衣は白地に藍のひょーたんをあしらった柄、それに井上流の井菱の紋の白い帯をきりっと結んだ、昔ながらの浴衣姿がなんとも涼しい。
 ご本殿の脇には、祇園みやび会の幡が立てられたテントがしつらえてあるが、まずご本殿正面に向ってお参りし、時計回りに三回本殿を周る。お千度が歴史の時間とともにお三度になってしまったのだ。それを済ませ、ご本殿に登壇する。井上流家元が神官より御榊をいただき、一同打ち揃って拝礼をすます。祈るのは、芸の上達と無病息災と決まっている。この時ひそかにカレに思いをいたしたり、ゲームの勝運を祈ったものは、早晩祇園の廓から消えていく。
 お盃をいただき、東の楼門まえに集合して記念写真をとる。何十年ものあいだ、同じ石段に決められたようにならんで撮る写真、それが伝統というものだ。
 これで一旦はみやび会お千度は終わったかにみえるが、そうではない。芸舞妓一同、三々五々四条河原町の高島屋さんに向かう。高島屋でサンドイッチをいただく。アルコール抜きの精進落としのようなもの、高島屋さんのサンドイッチまでが祇園みやび会お千度である。

 お千度が終わると、それぞれのご贔屓筋や日頃お世話になっているお料理屋さんなどに今年の夏うちわをもってご挨拶に伺う。うちわには館の名と芸舞妓それぞれの名前が書かれている。いただいたうちわは客寄せの縁起物として玄関先や店先に飾るのが、都の習わしでもある。
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2017年07月07日

ポンコツ議員集団都民ファーストの会

ポンコツ議員集団都民ファーストの会

 55人の小池チルドレンがテレビ画面に映し出された。
 人間としての存在感、魅力がこれほど乏しい集団は近頃珍しい。情けなくなるほどに頼りない。誰ひとりとして生活感のある人間はいない。この人たちが東京都の舵取りをするなど、恐ろしい悲劇だし、滑稽極まりない喜劇だ。この人たちに勝てなかった自民党の元職の人たちはどんなに酷い人たちだったのか。
 小池都知事に「録音されて困るようなことは喋らないでください。」政治家の名が恥ずかしい。当選後初めての集まりが「勉強会」では、開いた口がふさがらない。もともと政策の無い人たちなのだ、職のないプータローの集まりが、都民ファーストの会だといわれても反論できまい。

 週刊誌には早速「小池チルドレン」という名のポンコツ議員一覧なるものが掲載された。
 まず「DV体質の本橋弘隆議員」すでに本会議の議席変更を巡って、事務局職員を怒鳴りつけ、職員を卒倒させたという実績を誇る。「遅刻常習の森愛議員」時間を守らないのが、この人の政策、議会では遅刻することを「森愛する」といっている。「元女子アナの龍円愛梨議員」アナウンス技術の稚拙さからさっさとお払い箱になった。同じくフジ・テレビの「入江伸子はオジ殺しの超ブランド体質」アストンマーチンを乗り回す。「茜ケ久保嘉代子議員は華僑向けの占い師。そして「斎藤礼伊奈議員は大麻擁護の運動員」等々、國会2年生議員といい勝負の危ない議員のオンパレードなのだ。
 こうした人々を当選させた責任は、都民以上に小池百合子都知事そのひとにある。

 この人々に東京という日本の玄関を預けて大丈夫なのだろうか。
 選挙中の一か月だけ都民ファーストの会代表に就任し、選挙がおわったらさっさと辞任して、都民ファーストの会の責任者をおりるという行為は何だったのだろう。
 そもそも二元代表制だからという説明は、もっともらしいが、それならばこの一年を通しての都知事の行動は許されるのか、ほんとうに困った東京都だ。

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2017年07月05日

バレエの王子はホストである

バレエの王子はホストである

 バレエ「王子系」が台頭…とんでもない表題が踊っていた。朝日新聞文化・文芸欄のトップ記事である。
 バレエの世界で、王子様役を得意とするダンサーが存在感を増している。力強く華麗な技巧で見せるタイプの熊川哲也さんらが、世界に飛び出してから30年。背景には「王子様」イメージの広がりがありそうだ。…とつづいている。 とんでもないことだ。なぜ天下の朝日がこんな記事が書けるのか不思議である。
 スポーツ選手の世界でハンカチ王子やハニカミ王子が人気を博したように、芸能界でもジャニーズの王子様キャラが人気を呼んでいる。だからバレエの世界でも王子様が注目されている。
 非常識、不勉強もいい加減にして欲しい。この国のバレエが何時までたっても世界の三流なのは、こうしたオバカなバレエ記事が大手を振っているから、いつまでたっても前にすすまない。

 今年のユース・アメリカ・グランプリで第一位になった三宅琢未君が、記者の質問に答えて曰く「僕は王子系です。村人役とかじゃなくて王子様を小さい時から練習してきました。」だから僕のキャラクターは王子系だというのだ。指導してきた教師がなにも分かっていないので、こんな恥ずべきダンサーを生み出したのだ。
 かってバレエは貴族たちのお慰みだった、だから貴族たちの習俗をまねて登場してきたのが、クラシックバレエのなかのダンスール・ノーブルなのだから、貴族の見当たらない香川育ちの三宅琢未に貴族の王子のイメージは皆無の筈だ。君の励んでいるのは、バレエのソックリ・ショウなのだ。

 なぜいまボリショイ・バレエが地に落ちているかというと、古色蒼然たる「白鳥の湖」や「眠りの森の美女」しかできないから、時代からおいてけぼりをくっている。白いタイツの王子さまとロマンティック・チュチュでは、欧米ではだれも興味を示さない。
 かって王子様が必要だったのは、女性ダンサーの華やかな美しさを支えるサポート役として、ツッカエボーと言われながら舞台を務めてきたのだ。ツッカエボーにはそれなりの身長が必要だったし、ととのった容姿があってあたりまえ、日本人もようやく外人並みのプロポーションをもった世代が誕生して、なんとか無事にツッカエボウができるようになったということだ。

 王子系を抹消してクラシック・バレエの現代化をめざしたり、王子のいない現代社会の肉体化、バレエによる思想哲学の表現こそが、世界のバレエの向かっている方向である。まま古臭い王子のでるクラシックを上演するのは、金儲けのバレエ商売にほかならない。
 バレエの王子役は、ホストクラブのホストであると理解すべきだ。
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2017年07月02日

握手会という犯罪誘発装置

握手会という犯罪誘発装置

 また事件が起きた。
 札幌の無職の男が、刃渡り13センチの果物ナイフと発煙筒をふところに、アイドルの握手会に乗り込み犯行を企てた。さいわい未遂に終わり、アイドルは無事だったが、この問題についてメディアの反応はどうもイマイチのような気がする。

 「会いに行ける、近所のお姉さん」を標榜しているのは、アイドル側だ。集団で抑制のきかないワカモノ達を挑発し、「会いにいらっしゃい、握手してあげるわ、」となれば思春期のワカモノ達の血が騒がない訳がない。
「だけど空手は駄目、私のCDを買ってきてね、一枚で3秒手を握ってあげる。」血の騒ぐワカモノは20枚、30枚と、聞かないレコードを買い込んで握手会に乗り込む。これではオネェチャンのいるキャバレーとなにも変わらない。

 呼び込みをテレビや新聞で盛大に行い、幕張メッセやらさいたま・ドームといった巨大会場を舞台に、幼い少女と発達障害のワカモノ達による疑似恋愛体験会こそが、アイドル握手会という妖しげなセックス・パーティともいえる。
 そこで通用する貨幣はCD、「CDの製造元は秋元康」というなんともいかがわしい芸能やなのだ。

 こんな商売を許している社会がおかしい。どう考えても少女たちを餌にした女衒ビジネスである。秋葉原、乃木坂、欅坂次々と売れない芸能予備軍をグループ化し、衣裳で飾り、踊らせて、無知なファンを握手会に導入する。

 接触願望にまみれた若い狂気は次々と発生する。大事故につながるまえに、握手会は止めさせるべきだ。
 アイドルたちのしている行為は、歌舞伎町のセクシャル・キャバレーとなにも変わらないのだから。
 それでもアイドルやるのなら、覚悟のうえで握手をどうぞ。
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2017年07月01日

井上洋介最後の絵本、大人のための。

井上洋介最後の絵本、大人のための。

 井上洋介、最後の絵本。が送られてきた。
 長い人生のなかで子供のための絵本は買ったことがない。なかにはそうでない絵本もあるが、おおかたは彩りゆたかなお伽噺のようなものが多かった。彩りゆたかというのが大変にくせもので、子供はこんな色の世界で暮らしてください、と大人が一方的に押し付けているような気分になるのだ。子供相手の仕事をしているので、とても純で透明感のある大人だと思っていたら、どっこい裏切られたという経験もある。

 そんなこんなでお礼の電話を、令嬢の真樹ちゃんに掛け、子供に媚びた絵本は嫌いだと放言し、子供目当てでもう一つ嫌いなものがある、と言いかけたら「実は父は生前、ヨミキカセが大嫌いだったのよ」と先回りされてしまった。
 「子供の為の読みきかせ」などというポスターをまま見かける。そのうえ「美しい日本語による読み聞かせ」などとあるとムシズがはしる。この上から目線のポスターは許せない。ヨミキカセという日本語は文化的差別用語だ、聞かせるほど貴女は偉いのか、あなたの言葉は少しも美しくないのに、なぜ「美しい日本語による」などと自画自賛できるのか。少しばかりアナウンサー商売をし、アクセントとアーティキュレーションが優れているからと言って美しい日本語だと思ったら大間違いだ。
 トークマシーンのような血の通わない日本語は死んだ言葉であり、美しくない日本語なのだ。もっと心に寄り添った人間の言葉でなければ美しい日本語とはいえない。
 その証拠に文化人や芸人のしゃべるトーク・ショウは魅力はあるが、アナウンサーのしゃべるトークは、全く人を引き付けない。人間不在のトークマシーンだからだ。年月を重ね、アナウンサーから人間に脱皮した先輩たちのおしゃべりなら、大いに魅力的である。

 井上洋介最後の絵本は「ホウホウフクロウ」、全編荒々しい墨線でフクロウが描かれている。
 うたうフクロウ、ふわりととんだフクロウ、みているフクロウ、せみも、とんぼも、みみずくも登場するが、どれも皆荒々しい墨線で描かれている。子供のカラフルな世界に一切妥協せず、子供を挑発しているようにもみえる。
 こどもの絵本に名をかりた「オトナのアートブック」だった。
 うっかり絵本という活字に騙されるところだった。


posted by Kazuhiko Hoshino at 16:54| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする