2017年08月31日

ダブダブ・ルックの源流

ダブダブ・ルックの源流

 足より細いタイツをはいていた女性にタイツといって叱られ、レギンスよと言われレギンスと言い直し、日本には昔からももひきというアイテムがあって同じだな、とウンチクして嫌われたことがあった。
 とにかくカラダの線を出さなければファッションに非ずというのが、ここ数年の傾向だったが、アラブ難民の拡散とともにダブダブが流行ってきた。ヨーロッパでの最大の嫌われ者、イラン、イラクからの難民は皆ダブダブ・ルック、目ざといファッション業界がこれに眼をつけた。

 身体の線に自信のある白人たちは、チャンスさえあればカラダを露出したがるが、プロポーションに恵まれない東洋人はすこしでも隠そうとする。その意味からもイスラム教徒のヒジャブやブルカは日本人向きなのだが、アメリカ人と勘違いしている日本人は、イスラム・ファッションを軽蔑してフレンチ伝来でないと納得しない。
 そこで今年のファッション傾向なるものが、ダブダブでナチュラルだからとてもいいの、と急速に町を彩り始めた。表参道も銀座もだぶだぶ女が颯爽と歩いている。
 フッションの背景にあるのはときの世界情勢という認識が皆無の大和撫子にとって流行という紋所さえあればすべてよしなのだろう。

 スキニーパンツは棄てて、トロンとしたワイドパンツを手に入れる。
 パンツが嫌ならスカートでもいい。パラシュート・スカート、或いはバレリーナ・スカート、ロングスカート、いずれにしても長くてダブダブ感100パーセントなのがいい。少し遅いけれどウェストには布地のリボン括りなどあってもいい。
 トップスはレースのジレなど重ねて、そこはかとなくオシャレなブラの存在を知らしめる、というのもかなりの高等戦術である。
 見る人の目線をなるべく下にもってきてナチュラルに着こなせれば、まず第一ステップは成功。履物はペタンコがバランス良く、ブランドもののスニーカーやサンダルが意外に良くうつる。仕上げはやや大ぶりのアクセサリーや、w使いのネックチェーンで完成する。

 今シーズンのダブダブルックも、EUを悩ませた難民問題の解決とともに、やがて忘れ去られていく運命にある。
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2017年08月30日

鮎とミサイル

鮎とミサイル

 2017年……この夏はとても変な夏だった。
 台風は思わぬ方からきたり、熱帯夜が続いたり、軽井沢も御多分にもれずリゾートとはいえない不愉快な夏だった。このままけじめも無く、秋になるのはどうも気持ち悪い。夏の終わりの何かをしようということになって、真田丸のそろそろ落ち着いた上田をめざした。

 鯉のぼりの泳ぐ千曲川の岸辺である。鯉のぼりは5月5日の印ではなく、このあたりは簗場の印になっている。落ち鮎を楽しんで夏の終わりのけじめにしようという魂胆だ。河原の仮設小屋である簗場は基本よしず張りである。だから当然のごとくに暑い。川風のさわやかに恵まれる時もあれば、河原の石の反射にやられる時もある。祈るような気持ちで河原に降り立った。
 鯉西の簗場の軒には雨が降っていた。まわりの真夏の日差しにたいし、簗場の屋根から水を流して涼を演出していたのだ。客はときおり屋根を伝う水音に気をとられながらも、簗場の心尽くしに満足している。

 塩焼き、刺身と順をおって登場する。太った鮎のさしみは歯ごたえもよくしっかりとした味が好評だった。透明な身は南アルプスの水の玲瓏を伝え、川魚の感触を超えている。そして田楽、田楽は豆腐と決めつけている相方は鮎の丸ごとの田楽に少々たじろいでいた。そして天ぷら、さしみのおろした骨もから揚げになり登場した。

 今朝は北朝鮮のミサイル発射に起こされた。よく判らないJアラートなる警報が鳴りつづけていた。北海道から長野まで東日本のほとんどで警報がなった。ピンポイント攻撃の時代にこんな大雑把な警報で大丈夫かいな、あらためて日本という国のノウテンキな様を知らされた。

               ミサイルが 飛べど千曲の 鮎よろし

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2017年08月28日

野田総務大臣の大陰謀

野田総務大臣の大陰謀

 野田聖子総務大臣が何かにつけて、テレビ画面に登場するようになつた。
 総務大臣拝命直後「私は次の総裁選挙に立候補します」と宣言し、一部政界から入閣したばかりで、なんといやらしい女と顰蹙をかったが、実は狙いは外にあった。

 総務大臣は放送局の許認可権を一手にし、監督する立場にある。前任の高市早苗元総務大臣は安倍首相に近く骨っぽかったが、放送と通信の融合という課題にたいしては、本音と建前を使い分け、NHKと民放をあしらってきた。

 が2020東京五輪を前に、放送と通信の融合という課題は目の前に迫っている。テレビ番組をインターネツトで24時間いつでも見られるようにするという、放送法の改正課題である。
 NHKは積極的で、今までの据置テレビからスマホにいたるまで、なんらかの方法で視聴料金を徴収し、収入につなげようと画策してきた。
 民放側もここで、あっさり放送法を改正され、インターネツトに門戸開放されては収入基盤が無くなるだけではなく、いままでネットに投資してきた何千億という金の意味が無くなってしまう。
 テレビ朝日などでも、AMEBA-TVに対しての投資は、まったく無駄だつたという結果に陥る。経営者の面子も丸つぶれになるのが、放送法改正という総務大臣の切札である。

 なんとか民放の立場を、いやNHKの立場をと熾烈な裏工作をつづけているのが、総務大臣を中心にしたメディアロビーなのだ。スケジュール上2020五輪に間に合わせるためには、来年の通常国会に上程されなければならない。 民放に匕首をつきつけているのが、放送法改定という宝刀であり、同時にNHKの経営システムの変更につながる重要課題でもある。
 野田総務大臣はどのようにこの問題を裁くか、今メディア界は息を潜めて待っている。
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2017年08月27日

地震学者という名の大嘘つき

地震学者という名の大嘘つき

 子供のころ、尊敬する人のことを「先生」と呼んだ。
 先生を批判することはなく、先生の言うことは少しばかりおかしいと思っても、絶対的な存在だった。だからかかりつけのお医者様は先生だったし、学校の先生も先生だった。

 が何時の頃からか、先生の存在が疑わしい存在になってきた。
 国旗を掲揚させない、国歌を歌わせない、だからオリンピックにいっても国歌を歌えない変な日本人が出てきた。教育の名のもとに、日本を貶める反日歴史教育をする。日教組という反日左翼思想に凝り固まった先生による日本破壊工作がじわじわと広がって来たのだ。
 先生とよばれている医者も、ついこの間までお薬ですと処方されてきたものに、最近はあれは飲まない方がよろしい、と平気でいっている。
 手術に際しても、AとBがあります、どちらを選びますか、と患者に慇懃に尋ねる。分かる訳ないだろう、患者は医術について素人だし、判るようなら自分でやるよ、と言いたくなる。その上手術の方法が決まれば、患者に印鑑をおさせて、あとで文句は言いませんと、どこまでも責任を逃れる。クレーマーと呼ばれる変な患者が横行しているという側面もあると思うが、医者が聖職者から労働者になってしまった現実も見逃せない。

 原子力委員会の先生もひどかった。

 最近呆れたのは、地震学者の先生方だ。政府中央防災会議に雁首並べて、地震予知は可能であると1978年から40年もの間、東海地震も東南海地震も予知可能として、発生以前の対応を提案してきた。毎年地震予知研究のための予算も莫大に獲得し大学研究室も潤ってきた。
 ところがここへ来て、予知は不可能だと言い出した。地下にはいろいろな事象があり、どれが大地震に結びつくのかよく判らないというのだ。地震は予知防災から減災へ方針を見直すべきというのだが、そんなこと素人でも言えることだ。
 初めから地球内部にいろいろな事象があることは判りきったことだし、ここへきて専門家の口にすべきことではない。半世紀近く国民は地震学者という先生に、騙されてきたということだろう。


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2017年08月25日

盆踊り・真夏のミステリー

盆踊り・真夏のミステリー

 盆踊りの季節もおわり、残された問題は騒音問題だそうだ。
 戦後、モーター社会の朝ぼらけと共に町中を支配したのは、クルマの警笛だった。そこらじゅうでクルマの警笛が鳴らされ、人間は虫けらのごとくに追い払われた。街角でも駅前でも街頭スピーカーが、たえずマーケットやら映画上映の宣伝放送をしていた。電車に乗っても次駅の案内、終点の告知、はたまた乗客の座席への座り方まで口煩く指導された。

 銀座4丁目できく街の音と、六本木一丁目の街の音は明らかに異なる。日比谷公園の音と井の頭公園の音も全然違う。はい、ここはパリのシャンゼリゼーと音響効果マンに告げれば、彼らは即座にシャンゼリゼーの街角らしい音揃えをして、スタジオにきた。実況録音ではなく、想像上の音を組み合わせて街角の音をつくってきたのだ。効果マンのもつイメージによって、街角は微妙に変わった。それ故、使える効果マンと使えない効果マンができ、イメージゆたかなスタッフが育ったと思っている。
 効果音の堕落は、なんでもかんでも現場へいって、デンスケとよばれていた録音機で獲る様になってからだ。イメージの優劣ではなく、録音技術の優劣になってしまった。犯人はソニーかもしれない。そんな状況のなかでラジオ・ドラマも没落していった。

 さて盆踊りの騒音問題は、盆踊りを楽しみに浴衣を揃え夏を楽しんでいる人からは絶対にでない。盆踊りをご先祖様の供養と心得ている人からも苦情はでない。いわば社会の落ちこぼれや、斜に構えて自己主張する変人からしか、クレームは出ないだろう。
 そうした人々のクレームを優先させるようなオバカな社会を民主社会と誤認した日教組あたりに、責任があるのかもしれない。盆踊りの音楽より、シールズのシュプレヒコールのほうがよほど煩い。羽鳥モーニングの玉川なにがしのほうが煩い、と感じる人もいるだろう。

 愛知県東海市では、各自イヤホーンをつけて踊る「無音の盆踊り」をやっているという報道に接した。怖い風景としかいいようがない。
 年に一度の除夜の鐘が煩いからヤメロとねじこんだ近隣住民がいて、お寺は除夜ならぬ除昼の鐘に変更したというバカバカしい話もあった。
 最近では近所の家の庭の「鹿おどし」がうるさいと騒音騒動になっていると報じられた。日本人の暮らしが殺伐としてきたアカシでもある。
 片方でオモテナシとか言いつつ、こんな体たらくではあきれてものも云えない。親和性のない無教養、無知について指弾するようなメディアはないのだろうか。モリカケ問題よりはるかにそちらのほうが有意義と思う。
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2017年08月24日

道具としてのマイ・カメラ

道具としてのマイ・カメラ

 学生時代、カメラはWELLというどこが作ったかも判らないカメラをつかっていた。
 カメラ仲間のボスは、ライカをもっていた先輩である。ライカは憧れだったが、手が届かなかったので、ライカの持ち主はごく自然にボスの地位に就いた。集まるとみんなで先輩のライカに触って満足していた。
 コンタックスを使っていた友人は、女子校生と恋に落ち自殺してしまった。
 うんちくに五月蠅い仲間はパーレットという蛇腹式のカメラで単玉レンズの味を主張していた。二眼レンズのローライフレックスを持っていた友は、ポートレイトは二眼の6×6版フィルムに限るといつも自慢げに発言していた。女性を映したら4枚構成のテッサーレンズに優るものなしと豪語していた。
 女性とレンズの相性とはそんなに難しいものかと、感心もし疑問をもちながら、テッサーで撮った彼女の写真を見せられていた。

 現像も引伸ばしも全部自分でした。勉強部屋の押し入れを改造し、畳一畳の狭い空間を現像室と称し、バットを並べて一液、二液、三液、そして定着をこなし、赤いランプのもとでフィルムを乾燥していた。プリンターは忘れてしまったが、引伸ばしはハンザの引伸ばし機だった。温度管理もできない押し入れ現像室では、半分ちかく現像の失敗があった。引伸ばしもせいぜい四つ切ぐらいまでで、展覧会の出品作は先輩の広い現像室を借りた。

 初めてのパリには、キャノンで広角、標準、望遠のレンズを携えていった。ドイツのカメラに対してようやく日本のカメラが認められてきた頃だった。がキャノンのシャッターの調子が悪く、二、三回の修理ののち売ってしまった。キャノンは日本で買った値段の倍近くの高値でうれた。
 かわりにローライフレックスの露出計付きを手にいれた。二眼レフでみたベネチィア夕景の揺れるゴンドラが忘れられない。

 帰国後、ニコンを手にいれたが、お祭りに足しげく通い、フィルムの枚数の少なさにストレスを感じるようになった。一時はオリンパス・ハーフという倍の枚数がきれるカメラを重宝につかっていた。いつも冷蔵ケースに1ダースのフィルムを入れ絶えずフィルムの温度と数を頭に入れて撮影旅行していた。
 デジタルのいま、撮影はほんとうに楽になった。小さなメディアで1000カットも2000カットも撮れる。高齢になった今は、ミラーレスの軽さが圧倒的にシアワセである。
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2017年08月23日

尖閣諸島を死守せよ!

尖閣諸島を死守せよ!

 中国の領土的野心が止まらない。
 南沙諸島においてはすでに7つの人工島をつくり軍事基地化しているが、マレーシア沖マラッカ海峡の入口に新しい島を作り始めた。500ヘクタール規模の人工島で、軍港機能と空軍基地が併設できる中国による侵略のシンボルのような人工島なのだ。
 マラッカ海峡というのは、スエズ運河、パナマ運河に次ぐ世界の三大交通要衝に数えられるほど重要な海だ。ここを抑えれば東アジアに於ける交易をコントロールでき、アジアの覇権を確立することが出来る。
 一帯一路戦略の要に当たる場所である。国連における領土審判で南シナ海は中国の領土ではない、という判決がでたにもかかわらず、中国はあんなものは紙くずだ、我々にはわれわれのルールがあると、一顧だにしない無法者なのだ。

 尖閣諸島においても、すでに領海内に公船が毎日のように侵犯し、接続水域には毎日数百隻に及ぶ漁船がきて、海を荒らし回る。石垣島の漁民はまったく尖閣周辺に近寄れず、もはや尖閣諸島は中国の実効支配状態に陥っている。
 日本政府に石垣島民が訴えても、尖閣上陸禁止、尖閣周辺の漁業もするなと、政府はまるで中国政府のようなことを言っている。

 政府は外交ルートを通じて抗議をする、と訳の分からないことばかりいっている。なんの役にも立たない抗議ごっこだ。国際社会に訴えても、中国は写真を見せて、この通り尖閣諸島は中国が実効支配が確立していると主張されたら全く歯がたたない。
 この無法者にたいして、憲法9条があっても、平和憲法があっても、まったく役にたたない。ましてや話し合いなど歯牙にもかけない乱暴者が中国なのだ。このまま尖閣が中国の支配下にはいってもアメリカはなにもしないだろう。実効支配されたのは、日本の責任でそんなことは知りません、といわれるのが眼に見えてる。
 島嶼防衛にたいしてニホンはより積極的な防衛策を講じなければ、国土はやせほそっていくばかりだ。

 北朝鮮のミサイル対策には慌ててイージス・アショアを二基購入すると発表したが、尖閣防衛については無策のままだ。一刻も早く決定的な防衛策を講じて、国土を死守してほしい。
 左翼も戦争反対、オスプレー反対、安倍退陣のお念仏のまえに、国土防衛を叫ぶべきだろう。 
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2017年08月22日

いま「海の駅」が注目されてる。

いま「海の駅」が注目されてる。

 道の駅ならぬ海の駅が160駅もあることを知らなかった。
 道の駅はどこへ行っても、野菜市場が主役で片隅に簡易食堂がついている、というのが定番になっていて、ごくまれに東京のお笑いをよんでイベントなどをやっている。
 軽井沢にも発地市庭という道の駅がある。発地地区という農業中心地に作られたのだが、地元農協との話し合いが不調となり、南佐久のほうの業者が乗り込んで運営している。地元の農産品を売ったり、地元民に商品流通のノウハウを体得してもらったり、道の駅の役割はあると思うが、町民の税を投じて立派な施設をつくっても、他町村の業者にあっさり渡して帳尻合わせをするあたり、いかにもの軽井沢である。

 ところでいま「海の駅」が注目されている。瀬戸内から九州にかけて多くの海の駅があるが、首都圏にも千葉に優れた海の駅がある。「きょなん・ほた海の駅」である。
 お約束の海鮮市場には房総の海の幸が並んでいる。お土産には事欠かない。
お食事処ばんやには、定番の握り寿司からお刺身定食、郷土料理、珍しくもクジラの陶板焼きがある。のんびり食べていたら、シーシェパードに見つかって狙撃されないか、と心配しながら食べるクジラも嬉しい。
 温泉もある。ばんやの湯と云い炭酸泉の美人に効く風呂である。海の駅では沖まで行って定置網漁の体験見学もできる。
 遊覧海中透視船というフナ底が透明の覗き遊覧船まで整えてある。子供たちの夏休み日記に絶好の素材なのだ。
 ディズニーランドよりはるかにコスパに優れた海の駅なのだ。

 船やヨットで訪れても40隻までは停泊できる。日帰り30ftまでは2000円、50ftまで3000円、それよりおおきくなったら5000円、と大変リーゾナブルである。宿泊もできる。
 道の駅はそんなに遊べないが、海の駅はいろいろに楽しめる。いま政府が必死になって推進しているIRのカジノへいくより、海の駅にいったほうがよほど健康で楽しいと思うが如何。
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2017年08月21日

絶望の過保護のカホコ

絶望の過保護のカホコ

 21歳にして …… バイトしたことない。
          一人で洋服選べない。
          いつも送迎付きで駅まで歩いたことがない。
 わが家にも同じ条件の人間がヒトリいるので、興味をもった。

 日本テレビの新水曜ドラマ、「過保護のカホコ」である。
 親離れできない、子離れできない、ありがちの三人家族のものがたりだ。日本テレビの水曜ドラマは、風刺力、皮肉力、において群を抜いているので、TBS系のいかにものドラマぶつた作品よりずっと気楽に見ていられる。子供もペットも女性もみな過保護に慣れきったこの国の心臓部を揶揄するブラックなコメディである。

 奇蹟の純粋培養人間に扮する高畑充希、下手なのか上手いのかよく判らないが、まあ印象に残る。
 娘への溺愛がすべての黒木瞳、愛情はにじみでていないが、困惑のさまは伝わる。
 保険会社に努める父時任三郎、娘が思い通りにならない父親の立ちすくんだ孤独が似合う。
過保護に気がつかない過保護だらけの家族の行き違いが笑わせてくれる。

 クスッと笑ったり、ブラックだったり、遊川和彦の脚本はノエル・カワード風な喜劇に仕上がっている。
 抗菌ビニールハウスから、雑菌だらけの世間に飛び出した、過保護のカホコに浴びせる
「お前みたいな過保護が日本を駄目にする!」言い放った作者の意図は、果たして視聴者に伝わっただろうか。
 ブラウン管の前には、過保護な絶望が寝そべっている。
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2017年08月20日

インバウンド向け夜のエンターテイメント

 インバウンド向け夜のエンターテイメント

急増してきた海外の観光客、2020東京オリンピックに向けて、芸能界の一部のテンションが上がっている。海外の旅行代理店からオファをうけ、圧倒的に不足しているのが、夜のエンターテイメントである。
 旅先で夕食後、衣裳を着替えてオペラ・ハウスにでかける、劇場で芝居をみる、ナイトクラブのショウを楽しむというのは、先進国ではごく当たり前のライフスタイルだが、この国はこの習慣にとぼしい。
 歌舞伎座はあるが、なかなか切符が取りにくい。オペラハウスも同じこと。バブル前にはレビユウを上演するクラブ・シアターが結構あったが、ほとんど閉鎖してしまった。夜の東京には全くと言ってイイほどそうした場所がない。東京でブルーノートのジャズを聴きたいと思わない。AKBしかり、ジャニーズしかり、というわけでいちぶ芸能界が盛り上がっている。

 最右翼はDRUM TAO …… 北米44都市、ヨーロッパ43都市、エジンバラ芸術祭などにも出演し、現在22カ国400都市を巡演し、圧倒的な評判をえてきた和太鼓演奏グループである。
 DRUM TAO は2000年に、九州阿蘇くじゅう国立公園内に大小3ッつの稽古場、トレーニング・ジム、スパ、ゲストハウス、などを備えた複合施設「TAOの里」を建設、スタートし、2009年には2000人収容の劇場まで創ってしまった芸能集団なのだ。
 男女合わせて33人のメンバーは、ひとり6畳ほどの寮に住み、毎朝5時半からのレッスン生活をおくっている。打物、大太鼓、小太鼓、〆太鼓、篠笛、琴、扇子、太棹三味線、殺陣、踊り、サーカス、幡などすべての技術をマスターし、そのうえ演劇的要素が加わる。裸の男性美と優雅な女性美の交錯した空気のなかを、打撃群のダイナミズムが溢れる、外人にみせるエンターテイメントとして最上の舞台だ。

 大阪ではOSK日本歌劇団がJTB西日本と提携して、真田丸やSAMURAIをテーマにしたレビュウを作っている。
ハワイにいつたらフラ、バリ島ならケチャ、パリならカンカン、といった世界の名物に対しなにが出来るか? 日本には世界一の民俗芸能があり、KIMONOがある。都をどりも大いなる財産に違いない。オリンピックに限らず、インバウンド用のエンターテイメントについては、日本のプロデュース力を結集できるか、どうかだ。
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2017年08月19日

暮らしのものさしをたどる

暮らしのものさしをたどる

 初めての結婚の頃、武蔵野の小さな家を民芸風なインテリアでいっぱいにしていた。
椅子やテーブルは当然のごとく、松本中央民芸にオーダーし半年近くまって破屋に運び入れた。ベットも棚もすべて松本民芸だった。ランプはイサム・ノグチの障子紙をデザイン化したシェードを使っていた。
 梁に貼られているお札は、京都阿多古の火之要慎がぜひもの、そこに金閣寺の破魔矢、祇園さんの蘇民将来などが雑多に並べられ、隙間は東北の伝統こけしで埋められていた。こけしは会津福島から白河、蔵王、鳴子、秋田木地山まで数十人の工人を訪ね、直接工人から分けてもらったり、尺前後の製作を依頼して忘れた頃、送られてきた。自慢のコレクシヨンだつたが、結婚の破局と共にすべて牛込の備後屋でオークションしてしまった。

 広尾のマンションでは、えせロココな室内装飾とベネチヤ絨毯で、パリ生活の残渣を楽しんだ。
宝塚の花組やら月組の東京公演に際して、紀尾井町の松緑さん宅のパーティが終わると、次は広尾の星野さんちのパーティがお決まりだった。松竹少女歌劇の生徒達ともしばしばパーティをもった。
 肉は銀座ローマイアから、寿司は六本木の福寿司、サンドウィッチは赤とんぼ、オードブルはプリンス、蕎麦は永坂更科、そしてアルコールといったメニューが定番だった。梓みちよからジャニーズ、野際陽子さんまで現れて、バブリーな空気が流れていた。
 広尾のマンションにはお茶の小間と広間もあった。茶道具が溢れ、反比例して結婚も破局した。

 再婚、軽井沢に住むようになって、生活はだいぶシンプルになった。家具類も北欧風なものに変わり、白壁にはシャガールやピカソのデツサンがある。ガントナーの白い橋、ミロとプレヴェールの合作、池田満寿夫の版画、そして平松礼二の赤い不二がちいさく控えている。
 なによりの御馳走は、妙義連山から八ヶ岳、蓼科高原、北アルプスまでの眺望を伴ったピクチャー・ウインドーだ。空気と涼しさに恵まれた軽井沢だが、近年の異常気象ではいつまでもつことやら、高原のリゾートはいま危機に瀕している。 リスも野鳥もだいぶ逃げてしまった。
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2017年08月18日

プリンス・ホテルの今むかし

プリンス・ホテルの今むかし

 プリンスホテルとの付き合いは長い。
 ホテルが赤坂と麻布の二つしかない時代からの付き合いだ。テレビ朝日(当時NETテレビ)と麻布プリンスホテルが近かったため、なにかと世話になった。森繫久彌さん初出演のとき、スタジオ入りが遅くれると困るので、朝寝坊防止役の美しき女性とともに泊まってもらったのも麻布プリンスだった。
 中庭のプールサイドでショウを演出したこともあった。ホテル寄席と銘打って、若き日の立川談志が高座を務めたこともあった。談志は生まれて初めてのホテル出演と異常なテンションで、芝浜を演じた。結婚式も麻布で挙げたし、東京プリンスのマグノリアのショウを演出していたこともあった。

 当時窓口のの大島榮壽さんは、その後のプリンス拡大路線とともに前線で腕をふるい、東京、高輪、日光、箱根、京都宝ヶ池、赤坂、ハワイと支配人を務められ、退職後は鎌倉で余生を送り、いまでも交友関係を保っている。決して大声をださない小声のジェントルマンである。

 軽井沢のプリンスも思い出深い。コテッジが初めてできたとき、ひと夏をプリンスのコテッジで過ごしたこともあった。隣りの晴山ホテルが西館となり、ゴルフ場はつぶされてアウトレッドになった。アウトレッドの初めての冬、20軒たらずの店が雪のなかで灯りをつけて客をまっていた。このアウトレットいつまで持つかと心配したのが、うそのようにいまでは軽井沢の顔になった。一日では回り切れない。今年の夏はここまで、また来年きましょうと、女性の所有欲に答えている。

 相方が71歳の誕生日を迎えた。たいして芽出度くもないが、何処かで食事をしようということになった。今度軽井沢の東館が全面改修され、あらたに鉄板焼きのサロンができたので一度ご来臨をと、社長が言われていたのを思い出し、「森」と名付けられたそこに予約をいれた。
 定刻に訪れ名乗ると丁寧に案内されたところまでは良かったが、鉄板焼サロンのドアのまえで、少し待ってくれいま確認してくる、というのだ。そのフロア担当の女性は予約した客のリストを持っていない、大衆食堂なら当たり前のことだが、何万と採る高級レストランは必ず「お待ちしてました。○○様、どうぞこちらへ…」が当たり前、いま確認してくるから待てというのは、珍しい。まだ新規開店して二か月では教育に手がまわらないのか、と同情した。
 帰宅後、相方のスカートのあちこちにシミが飛んでいた。となりの子供がジュースのコップを飛ばし派手にコップをわった。その場では大丈夫ですか、濡れてませんか、と対応してくれたが、大理石のテーブルのかげでよくわからなかった。帰宅後明るいところでチェックして初めてシルクのスカートに付いたシミに気が付いたのだ。
 ためらったが、やっぱりこれは☎すべきとの結論にいたった。そこでまた驚いた。お客様同志のことであるから、ホテルは関係できない、というのだ。僅かふたつのテーブルしかない高級鉄板焼きサロン、隣りの客との間をとるか、幼児の騒しさをきっちりとコントロールすれば、第三者に迷惑をかけることはない、そうしたマネージメントにかんする責任感は全くなく、この感覚では高級店になれなくて当たり前、やっぱりプリンスは三流ホテルに落ちたね、といわれるのだ。
 社長も支配人も苦労人でいい人だが、現場レベルがマニュアル頼みでは苦労するだろうな、の思いを強くした。

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2017年08月17日

手元供養という墓いらず

手元供養という墓いらず

 ようやくお盆もおわり、大文字の送り火も無事おわった。お盆って夏休みのこと? 若い人たちの盆離れはますます進んでいる。

 高齢化も進んで、友人知人の法事が日常化してきた。残された子供たちIT世代は、なんでも簡単・便利な生活スタイルをめざすので困惑することが多い。ついこの間まで、墓を何処にするか、故郷が良い、いやそれでは金もかかるし、お寺さんも面倒くさいというので、町のまんなかのITマンション墓地や、散骨、樹木葬など自然葬が話題になっていたが、それもどうやら古いらしい。

 いまは墓など用意せず墓離れが進んで、手元供養、自宅供養に関心が集まっているそうだ。
 その方が何時も常に故人を感じることが出来る、混雑のなかをお寺さんに通わなくても間に合う、そしてなによりも経費を大巾に抑えられる。お葬式の費用ほど判らないものはない。お坊さんのお支払はクイズより難しい。コスパにすぐれているのは、手元供養に限るというのが人気のもとのようだ。

 そこで 手元供養 一律 2万1千円(税込み) 24時間365日 いつでも受付、という商売が登場してきた。あまり利益を見込めない、そこで「骨壺」をお買い求めいただくという寸法である。

 骨壺.COM を覗くとあらゆる形、あらゆる素材、あらゆるデザインの自宅供養向きの骨壺がそろっている。
 九谷焼の豪華絢爛仕様、白磁蓮花のクラシック型、石造りの四角壺、虹珠型、京焼透かし彫の鳳凰、民芸手造り風、大理石に見える骨壺と何百種の写真がのっている。お値段も4.000円ぐらいから10万ぐらいまであって選択自由である。
 かくして墓いらず、マンションの棚に置かれる「都会の骨暮らし」が待っている。


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2017年08月16日

パーヴォ・ヤルヴィの指揮棒

パーヴォ・ヤルヴィの指揮棒

 パーヴォ・ヤルヴィのダフニスとクロエを聴いた。興奮した。
 NHK交響楽団が何十年ぶりに迎えた主席指揮者ときいていたが、正面からまともに聴いたことはなかった。
21世紀的ハイブリット指揮者と、どこかのレコード会社が付けたキャツチに踊らされるのは如何がなものかとしばらくスルーしていたが、ダフニスとクロエにおける繊細でニュアンスにとんだ表現に接し、圧倒されたのだ。

 父は偉大なる指揮者、弟も指揮者、そして妹はフルートという環境に育ち、エストニアからニューヨークに渡り、カーチィス音楽院をでた後、かのレナード・バーンシュタイン、オーマンディ、ドラティ、ショルティ等に師事したのち、ロサンゼルス・フィルハーモニック、シンシナティ交響楽団の首席指揮者についたのち、ドイツ、カンマーフィルハーモニー・ブレーメンとのベートーヴェン全曲集で一躍有名ブランドになったことから、さぞ華やかで大仰な指揮をやるかと思ったらとんでもない、端正で温かい、切々とした指揮ぶりにすっかり参ってしまった。
 ヨーロッパで、ウィーン・フィル、ベルリン・フィル、バイエルン、パリ交響楽団などに迎えられ客演している意味に合点がいった。

 若い指揮者育成のための公開マスタークラスでは、ビートを刻むな! 表情を出せ! テンポを合わせる指揮はいらない。何を際立たせるか、なにをつたえるか、表現したいのはなにか! 譜面を指揮するな! 音楽を指揮しなさい! といちいち合点のいく指導を丁寧に繰り返していた。
 東京芸大、東京音大、桐朋学園大、上野音大などで指揮者を目指して勉強中の学生のなんとつまらないことか。無表情でスコアを指揮するこの若者たちに明日はあるのか、はなはだ疑問が残った。

 音楽に限らずバレエなどでも、日本からきた生徒は技巧だけで表現不在と言われている。テクニックを身につけたら世界に通用すると錯覚しているのだ。踊れる技術と身体条件は100パーセントあることが必要条件、そのうえで解釈力と心理的表現ができなければ、芸術家としての明日はない、というのが世界の常識なのだ。

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2017年08月15日

文学賞は田舎に生まれる

文学賞は田舎に生まれる

 今シーズン芥川賞・直木賞の受賞作家が、ともに北海道にかかわりがあったというので話題になっている。
 最近の文学賞の作家たちはますます地方出身者が増えている。都会からの文学者は衰退のいっぽうだ。たまにコンビニを舞台にしたり、富裕層の音楽に素材を求めた文学もあるが、メガトレンドにはならない。 鉄筋とコンクリートで渋谷の谷間に巨大な町を創ったり、世界のハイブランドを引っ張ってきて観光客目当てのモダンな商業施設を目の当たりにしても、そこに文学の萌芽はあまり見当たらない。
 そこに見えるのはウォール街の金勘定で、いくら見つめても人間の営みが見えない。
 都市はマンガ、劇画、アニメなどコミックの供給源となり、田舎は文学の基地となりつつある。

 かつて鎌倉には著名な作家たちが集まっていた。鎌倉の魅力は、頼朝より川端康成であり大佛次郎だった。鎌倉に住まいをもてない作家たちは、中央沿線に集まった。丹羽文雄、井伏鱒二、太宰治らが暮らしていた。
 がいまでは手塚治虫、藤子不二雄、赤塚不二夫らの椎名町トキワ荘を起点に、西武池袋線にとどめをさす。練馬区はアニメの町を自ら名乗り、大泉には「ジャパン・アニメーション発祥の碑」がある。「臨死!!江古田ちゃん」も懐かしい。この国のコミック作家の80%は西武池袋沿線にいるとさえ言われている。
 田舎から大都市に焦がれてきた人達によってつぎつぎとコミックが産みだされている。

 今期二大文学賞のふるさとが北海道になった。平成29年上期の芥川賞「影裏」の作家沼田真佑はふるさとを小樽といっている。小樽運河には歴史の水が流れている。「月の満ち欠け」を書いた直木賞の佐藤正午は北大に5年半いたという。ポプラ並木をいただくあの楽園で助走していた。
 前回の芥川賞山下澄人も富良野出身だし、直木賞の桜木紫乃も釧路出身だ。池澤直樹も藤堂志津子も札幌にいる。北海道の悠然とした自然と大気のもとで、人間の苦悩と喜びを紡いで見せた。
 もはや人間を考えるのは、田舎でしかできない行為なのかもしれない。

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2017年08月13日

冷やし中華始めました

冷やし中華始めました

 街角に「氷」という四角い幡がひらめいていると、真夏の暑さのなかでホッとする。
 「氷」という文字が涼しさを届けてくれる。その傍らで稚拙な絵のガラス風鈴が、チンチンとなってくれていたら申し分ない。 ビルの谷間の小さな楽園である。

 「氷」の幡に対抗できる季節の景色は「冷やし中華始めました」。
 冷やし中華意外にもいろいろなメニューがあるのだが、店頭に長い幡まで出して告知してもらえるのは、冷やし中華しかない。冷やし中華は特別待遇なのだ。調理面からいえばこんなに簡単なメニューはなく、プロの手を煩わせることなく素人のバイトのおばちゃんにもできてしまう。

 少し固めにゆで上がった麺を皿にもり、ハムまたはチァシュウの千切り、錦糸卵、きゅうりの細切りなどをもり、頂上に紅生姜を載せて、だし汁を掛ければ出来上がり、真夏の麺料理として日本中で食べられている。練りからしを添えるのが定番だが、最近ではマヨネーズを添えるむきもある。
 祇園町では八坂神社のしるしと同じなので、きゅうりの乗った冷やし中華はたべない。

 北海道では冷やしラーメンと呼ぶ。岩手では冷風麺、関西は概して冷麺だが、韓国の冷麺と区別するため中華風冷麺と呼ぶ。韓国では中国冷麺、中国では日式冷麺となる。

 上海で食べられていた、もやしと細切り肉を冷やした麺にのせた涼袢麺と、日本のざるそばにヒントをえて、1933年神田神保町の揚子江菜館に始まったと伝えられる。
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2017年08月12日

楽しい不倫まつり

楽しい不倫まつり

 芸能界の不倫報道ほど、つまらないものはない、と思ってもゲスの興味はどうしてもそれに引かれる。
 ワイドショウのテーマとしても、天災、人災、火事、死亡、結婚、葬式、の間に入って「不倫」はかなり上位にランクされている。旅、グルメ、ファッションなどよりもはるかに重要なコンテンツなのだ。
 不倫は犯罪のごとくコメンテーターはもっともらしく喋るが、これだけ絶え間なく続くのだからもういい加減認知して報道しない、という選択肢もあるが、どうしても不倫を悪と決めつけて偽善者ぶるのが、視聴者に受けるとカン違いしているコメンテーターが圧倒的に多い。
 局の幹部も視聴率さえ取れればすべて良しと、不倫報道歓迎である。

 今年は川谷絵音のゲス不倫に始まり、あらゆる様式の不倫に恵まれた。
 今井絵里子の略奪不倫、渡辺謙の逃避不倫、仲間由紀恵の三年目不倫、松居一代のサスペンス不倫、宮迫博之のオフホワイト不倫、最後に斉藤由貴の手つなぎ不倫、にわか政治家の秘書不倫なども加わって、不倫の花盛りだ。不倫はテレビの視聴率とリンクしたマッチポンプになつている。お蔭で文春砲などという新たなメディアも登場して話題となった。

 …はやくこないかな しずかな不倫のとき
 …はやくこないかな 楽しい不倫暮らし
 ジャック・プレヴェールは、嫉妬のはての楽しいお葬式を期待したが、不倫については書かなかった。
ユーロビジョンにもフランスのテレビにも不倫の報道はない。大統領が毎夜エリゼー宮から抜け出して不倫に精出しても誰も何も言わない大人の国なのだ。
 モラリストっぽく喜んで報道するのは、アメリカと日本ぐらいだろう。オバカと判っているトランプ大統領がアメリカ・ファーストといえば、小池百合子が都民ファースト、ニッポン・ファーストと応じる程、この国の民度はアメリカ並みなのだ。


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2017年08月11日

山との日々を暮らす

山との日々を暮らす

 今日は山の日だと、新聞もテレビもざわついている。
 私にとっての初めての山を思い出してみた。小学校3年の時の遠足が、高尾山だった。山と名の付く高みの初体験だった。遠足の前の日、先生から高尾山についての授業があったが、高さは海抜何メートル、植生は何の木、東京では一番高い山であるとか、授業のつまらなさだけを覚えている。
 結局、高尾山の思い出は、ケーブルカーと山頂の天狗さまだけだった。

 次に山を意識したのは、御多分にもれず富士山だった。
 中学一年、富士の裾野の滝ケ原というところに連れていかれた。一週間の軍事教練、手はかじかみ、耳はちぎれそうな寒風のなかほふく前進やら、突撃訓練を受けた。夜は馬小屋のような質素な兵舎に寝かされ、皇国の興廃は君たちの双肩にありと、朝の5時に起床ラッパに起こされた。毛布は重箱のように四角くたためと、下士官から怒られた。富士山は吹雪の向こうにかすかに浮かんでいた。

 敗戦のあくる年、単身富士登山に挑んだ。吉田口の浅間神社にお参りしその脇道から登山の一歩をふみだした。五合目辺りまで登った時、河口湖から花火が揚がって、はるか下界の花火に感動した。八合目の山小屋でありついた味噌汁は命の水だった。最後の九合目をすぎ頂上が見えてからが苦しかった。なんとかご来光に間に合いたい一心でやっと登頂に成功した。六根清浄。帰りは須走口を飛ぶように駆け下り、麓の小学校の水道をかぶつて富士山の砂を落として帰京したのだった。

 出羽三山では、この国の山岳信仰について学んだ。木曽御嶽の八丁ダルミでは、御嶽教のまつりを撮影した。上高地には青春があった。嘉門次小屋の徳利はいまでも飾っている。木曽駒ケ岳の千畳敷はミュージカルの中休みだつた。桜の素晴らしさは吉野山に見た。吉野郡吉野村大字吉野字吉野旅館吉野の吉野の間から見た、下千本中千本上千本の吉野桜は奇蹟の景色だった。

 ブータンの首都ティンプーからみた白いヒマラヤの峰々は、神々しく身が引き締まった。

 軽井沢の自宅では浅間山を背に、左に妙義連山、正面に八ヶ岳、蓼科山、時々富士山、そして右に北アルプスと山との日々を暮らしている。


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2017年08月10日

名物に美味いものあり

名物に美味いものあり

 "名物に美味いものなし"と言われるが、昔から美味かったというものもある。
何故そこにそんな名物かあるのか、まつたく不思議だが、これは甲府の名物よ、といって出されたのが、「アワビの煮貝」だった。富士山の裏側の甲府に海はない。海なし県の真ん中、甲府の名物が「アワビの煮貝」とはシャレがきついと思ったが、のちに煮貝のルーツを読み解いて納得した。
伊豆下田の網元が特産のアワビを醤油漬に加工し樽漬にしたものを、馬で甲州まで商いにいったところ、下田の地元より数倍美味くなっていた。馬の背にゆられて数日たった煮アワビは、生アワビの5倍ものグルタミン酸がでて、風味も舌ざわりも抜群に良くなっていたのだ。
 煮アワビは下田ではなく、甲府でこその名物になると、みな与6代目が気ずいて甲州名物が誕生したということだ。

 最近では全国どこにいってもあるが、30年位前までは京都でしか食べられなかった名物に、「にしん蕎麦」がある。四条河原町の芝居茶屋松葉の二代目松野与三吉が明治15年に考案したものだそうだ。それまで遠くから運ばれてきていた、みがきにしんの棒煮が高級珍味として芝居帰りの座敷に人気があった。
 これをつゆ蕎麦にいれてみたらどうか、と思いつき工夫の末に生まれたのが「にしん蕎麦」だと伝えられる。日高昆布の出汁つゆににしんの旨みが加わった総本家松葉のにしん蕎麦は、無敵の美味さである。冬京都に行った折には、松葉のにしん蕎麦用に作られたにしんを求め、山国でゆでたつゆ蕎麦に入れて食べても至福の味が幸せをもたらす。

 信州はそばが美味いという俗説に流されて、長野にきたらとりあえず蕎麦やにはいるという観光客がいる。
 長野でも蕎麦やはいろいろでピンキリ、願わくば美味い蕎麦を食べて帰ってほしいと念じるが、駅前の適当なソバや、宣伝だけが上手で、肝心な蕎麦のほうは褒めたくない味の蕎麦や等で、盆休みに軽井沢へ行ったからお蕎麦をたべてきたの、などと後の電話にせっするとガッカリする。
 故郷を貶められたような気分になる。
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2017年08月08日

朝鮮学校に無償化補助金はナンセンス

朝鮮学校に無償化補助金はナンセンス

 事件の発端は、高校教育無償化である。
 高校まで無償化することは賛成だが、ここに各種学校の職業校や民族学校まで含めるとなると問題がでてくる。特に反日教育を基軸にした朝鮮高等学校にまで、支援金を出すとなると、日本人なら釈然としないのは当り前だ。反日学校にニホン人の税金を使うなど考えられない。ナンセンスであり、そんな判決がでるとは想像だにしなかった。

 大阪地裁の西山隆裕裁判長という裁判官の判決である。
「教育の機会均等と無関係な外交・政治的理由で、朝鮮学校を排除しており違法・無効である」と朝鮮学校の全面勝訴の判決を出した。
 木を見て森を見ずとはまさにこのことだ。朝鮮学校は日本の教育基本法に従わず、日本の教科書も使用していない。日本のことを日帝と呼び、慰安婦だ徴用工だと逆宣伝をしている学校に補助金などだす理由はどこにも見当たらない。西山隆裕という裁判官は、朝鮮の工作員なのか、と言いたくなる。

 広島地裁では「支援金が授業料に充てられない怖れがあるという文科省の判断に、裁量権の逸脱や乱用はない」という判決をだし、朝鮮学園の主張を退けたが、けだし当然のことだ。

 この裁判はまだ東京、名古屋、福岡でつづいているが、裁判官にいいたいのは、ここは日本であるということで、日本の尊厳や利益にならない敵対行動を利するような、オバカな判断だけは避けて欲しい、ということだ。
 日本人の中国に対するスタンスや、朝鮮、韓国にたいする認識は、お人好しを通り越して大馬鹿三太郎なのだ。
posted by Kazuhiko Hoshino at 13:14| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする