2017年08月06日

伊勢音頭から新東京五輪音頭まで

伊勢音頭から新東京五輪音頭まで

 昨夜、渋谷スクランブル交差点を中心に3万4千人の盆踊り大会が開かれた。
 主催者の道玄坂商店街は、渋谷に暮らす人と渋谷を訪れる人のふれあいの場として企画したといっているが、実態は盆踊りの名をかりた盆踊りではない商業祭である。
 盆供養の意識など3万人の客のなかには一人もいない、と断言できる。とにかく目先が嬉しくて、商店街にお金が落ちれば万万歳という魂胆丸出しのさもしい商業祭だ。
 櫓の上はヤトワレ・タレント、踊っているのは埼玉、千葉あたりからの賃借り浴衣のギャル一同、これが日本のお祭りだとハシャイデいるのは、田舎生まれのアメリカ人やら、中国人の観光客である。
 舞台上では2020の新東京五輪音頭はこれだと、レコード会社の縄張り争いがはやくも始まっていた。

 日本中どこに行っても存在する○○音頭は、江戸中期のお伊勢参りに始まった。
 一生に一度はお伊勢さんへ、という伊勢参宮の人気は、皇室への憧れと伊勢講と呼ばれる無尽ツアー、そして伊勢の御師たちによる全国行脚によって、江戸民衆の通過儀礼になった。
 ある年は幕府のお布令によりおかげ参りの年とされると、道中の宿や飯やは、皆伊勢参りの人達のお世話をしなければならなかった。文政13年には数百万人の伊勢参りがあったというから凄い。当時の総人口3千万人といわれるから5人に一人は伊勢参宮にいった計算になる。道中の旅籠や茶屋はあらかた蓄財を使い果たしたと伝えられる。

 無事伊勢参宮を終えた男衆や若者は、伊勢古市の遊郭で精進落しをした。
 そこでは見たこともない美しい遊女たちが、伊勢音頭といわれる音曲を唄い踊って慰めてくれた。筆おろしを伊勢古市でというのは男の勲章だった。男たちは花魁の思い出とともに、伊勢音頭を口ずさみながら故郷へ帰って行った。
 かくして音頭は日本中に広がったというのが実相のようだ。津軽願人節、山形花笠踊り、広島木遣り音頭、博多祝い唄、等々から東京音頭にいたるまで、源流はみな伊勢古市の伊勢音頭に発している。

 オリンピックの歌にまで、この遊女たちの伊勢音頭が生き続けてきたという奇跡こそ、日本人の心に刻まなければならない音楽の歴史といえよう。

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2017年08月04日

外氏即興人形劇場との別れ

外氏即興人形劇場との別れ

 パリから北東へ200キロ余り、ベルギー國境に近く人口5万人ばかりのシャルルヴィル・メジェールという町がある。白鳥が遊ぶムーズ河に面し、町の建物はすべて3階建て以下の落ち着いたフランスの地方都市である。この町で三年に一度世界一のまつりが開かれる。国際人形劇フェスティバルである。9月下旬の10日間、広場も通りも裏街も劇場もみな人形劇場になる。
 ロシアから、北欧から、イギリスから、オランダから、アメリカから、最高レベルの人形劇団が集まる。日本から文楽もいったことあるし、人形劇団プークもいった。
 旧友水田外氏から電話がかかってきた。「実はシャルルヴィル・メジェールに行くことになった。新美南吉の「ごんぎつね」を持って行こうと思う。ついては英語版ごんぎつねを創ってほしい」という依頼だつた。町はバブルにうかれていた。

 外氏との付き合いはそのずつと前から。若かりし頃のデビ・スカルノ夫人がいた赤坂のナイトクラブ、ニュー・ラテンコーターや、ヌード・ショウのメッカ日劇ミュージック・ホールの舞台でのこと。プークを脱退して独立した水田外氏は、子供のための人形劇にあきたらず、大人の鑑賞に耐え得る人形劇をめざしていた。
 風刺の視点を上げ、子供だましではない人間描写と正面から向かい合ってショウ・アップしたいから手伝ってくれ、というのだ。猫の動きにたくしたエロティックな作品など、大人はニヤリとみてくれたが、演者のほうにそうしたエロティシズムを理解する俳優が少なく、結局学校まわりの道徳的人形劇に堕してしまった。

 モスクワに「オブラスツォフ記念中央人形劇場」という最高の劇団がある。イブ・モンタンもソフィア・ローレンもガンジーもファンだった。劇団の上演演目は、子供向け、青少年向け、大人向け、と三つに別れている。
 大人向けには、モーツアルト「魔笛」、ドン・ジュアンは76歳、プーシキン「スペードの女王」、ビゼー「カルメン」、「神聖喜劇」、チチコフとその劇団のための音楽会など、ユニークな演目が並び、客席はエロと笑いで抱腹絶倒という経験もした。
 水田外史のめざしたのも、そのあたりにあったように思う。

 何年振りに外史即興人形劇場から招待状がとどいた。外史の死後17年頑張ってきたが、今年いつぱいでフィナーレにするので見に来てくれ、という趣旨だった。
 かって外氏が演じていたゴンギツネは、愛弟子の中嶋咲枝が見事に受け継ぎ、吉永淳一のリリックな演出もそのままに、立派な舞台を見せてくれた。
 それにもまして文化交流館浅科の立派なこと、軽井沢にはまつたくない鄙稀に見る中劇場でのお別れ公演だつた。
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2017年08月03日

盆提灯は人間のために

盆提灯は人間のために

 軽井沢に住んでいると、盆行事のこと忘れがちになる。
 観光客や避暑客の接遇に追われ、みずからの祖霊にたいする供養の心が薄れる。わずかに幼稚園の裏に櫓を組んで盆踊りをする、ぐらいのことか。
 避暑と一緒にキリスト教が入ってきたため、仏教系の行事は弾圧されたという歴史もある。近年はすべて経済至上主義で、忙しい真夏に盆行事どころではない、という情けない状態なのだ。

 信州には善光寺があるので、長野まで行けば盛大すぎる盆踊りもあるし、盆花の市もたつ。
 小諸、上田、松本それぞれの盆踊りがある。戦後は誰の入り知恵か知らないが、市民祭などという意味不明のタイトルを付けたので、ただの踊る阿呆と見る阿呆のイベントになってしまい残念なことだ。

 ペットロスのために盆提灯を、という名目でペット屋の店頭に盆提灯が並んでいる、というニュースに接し、日本人の自己喪失もここまできたか、と驚いた。ペットを人間なみに扱うという美名にかくれ、人間としての尊厳を失なっているのだ。倫理も哲学もない。所有欲のヴァリエーションでしかないペットに、盆提灯という発想は、人間喪失のなによりの証しともいえよう。ペットに盆行事を求めるあなたは病んでいる。

 お盆が来ると、奥三河の遠州大念仏を思い出す。かつて武田、徳川の三方ヶ原の合戦の死者の供養に始まったと伝えられるが、いまでもそれぞれの大念仏團を組織し、新盆の供養に駆け回る。歩いて回る念仏團、リヤカーに太鼓や双盤をのせて周る念仏團、あるいはバスを貸し切って周る念仏團、といまでも30近い遠州大念仏團がでる。
 お盆の奥三河は祖霊供養の鉦や太鼓の音に充たされる。盆提灯も日本一立派なものが飾られて、死者も迷うことなく返ってくる。
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2017年08月02日

井村シンクロのセンスの悪さ

井村シンクロのセンスの悪さ

 日本のシンクロ・チームは何故金メダルをとれないのか。
 中国へいっていた井村コーチを呼び戻し、チームを再編成して世界に望んだが、成果はご覧の通り、やっぱり金はとれない。メディアは井村コーチと選手たちのスパルタ練習風景を取り上げるが、問題の本質はそこにはない。
 作品の完成度がイマイチなので何度挑戦してもメダルには届かない。コーチがヒステリックに声を上げるのは、揃わない技術レベルの不揃いだが、そんなことは作品以前のことでそうした選手が出場することが問題なので、テクニツクは揃ってあたり前、レベル以前の選手は出場させてはいけないのだ。
 本選当日、サイドの練習用プールでヒステリツクな声を上げるなど、卒業運動会のレベルといわれても抗弁できない。

 ロシア、中国には歯が立たないが、ウクライナには勝ちたいとキャスターは騒いでいたが、観客の眼で冷静に見てみるとその差は歴然としていた。
 シンクロのルールが変わり団体表現が中心になって以来、チームのテクニックは無論のこと、作品構成の巧みさやセンスが問われるようになった。ギリシャなどのドラマティックな作品、或はサーカスのピエロに託したメキシコ・チーム、アメリカ・チームのショウアップな表現、フランス風なウィットにとんだ作品、ウクライナの巧みな構成力、テクニックの見せ方、圧倒的な作品力が日本チームの上をいっていた。

 スタッフ力が問われている。衣裳のセンス、振付の上手い下手が作品の品質を決定ずけている。肉体的な条件に劣る日本チームにおいては、振付の良し悪しと衣裳のセンスが決定的な要素となってくる。
 まずコーチがもっと勉強しなければ駄目だ。この先は井村コーチの脳みそがどれだけインターナショナルなレベルを突き抜けることが出来るか、否かにかかっている。
 衣裳のセンスも甚だしく悪い。太鼓紋をつけて原色をあしらっても一向にお洒落にならない。白黒だけのジオメトリックなウクライナの衣裳などをみても刺激されないというあたり、センスの悪さに絶望する。
 日本のシンクロはスタッフの勉強にすべてがかかつている。選手を怒鳴るまえに自分を怒鳴れ!!!





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2017年08月01日

鰻が美味すぎる

鰻が美味すぎる

 あまりに暑いので鰻のことを書く。
 鰻といえば、歌人斎藤茂吉にとどめをさす。茂吉の一生は鰻とともにあった。
「うなぎ時代」「うなぎ・鰻時代」「鰻時代」「うなぎ・鰻・ウナギ時代」「ウナギ時代」作品表記によって茂吉のウナギとの関わりが理解できる。それほどに茂吉はウナギを愛し、ウナギを食した。
 元旦早々にうなぎを食べ、三ケ日毎日うなぎを食した年もあった。回診して疲れたら鰻、映画を見て鰻、日米開戦のニュースを聞いて鰻、茂吉の毎日は鰻でなりたっていた。

 少年の頃、客人とともに鰻はあった。客によって仕出しの鰻はどんぶりだったり、重箱だつたりした。ごくまれに肝焼きがついてきた。
 長じて鰻懐石を覚えたのは、赤坂山王神社の境内にある「山の茶屋」だった。このうなぎ屋は大磯の吉田茂さんの家まで届けていると聞いてびっくりしたことを覚えている。その頃の「山の茶屋」は一座敷に一客しかとらず、いつ訪れても静かな森の静かさが迎えてくれた。

 「竹葉亭本店」に凝っていた時もあった。離れの座敷の文人風が好きだった。竹葉亭のふっくらとした鰻の香りと部屋の空気がこんなに合う店はなかった。業界の粋人が集まって句会を開いていたこともあった。

 パリのファッション街、フブサントノーレ通りの一角には麻布野田岩のパリ支店がある。パリへ行くと一度は「野田岩」に顔を出す。男性のフランス人フロアはいいのだが、着物姿の日本人女性の尊大な態度が気になる。なにかカン違いしているのだ。たかがウナギ、されどウナギなのだ。

 近頃はスーパーの鰻もだいぶレベルが上がってきた。酒に浸し、チンするとそれなりに美味い。さとうのごはんの「つや姫」に載せてたべると結構楽しめる。
 がやっぱり、赤坂「重箱」のうなぎを忘れることはできない。庭も座敷もすべてがうなぎなのだ。




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