2017年09月23日

安室奈美恵を分解する

安室奈美恵を分解する

安室奈美恵が引退を宣言した。
テレビでは大騒ぎしているが、それほどの感興がわかない。何故か考えてみた。長い間折にふれて彼女の活動は見てきたし、音楽も聴いてきた。がそこにあった彼女はつねに異邦人の趣きだった。アメリカの植民地と見まごうばかりの沖縄で生まれ育ち、彼女の肉体には日本語が住んでいない。

安室奈美恵の左腕にある入れ墨は英語ばかりだ。
JUN.30in1950 My mother's love live with me Eternally in my heart R.I.P MAR.17 in 1999
右腕にも入れ墨はある。 Love Peace World もしも彼女が有名人でなかったら、公衆浴場や温泉にははいれない。身体にタトーのある方のご入浴はご遠慮下さい。日本の常識社会をはみ出している。

 彼女が何百億か稼せいだ楽曲を見てみよう。
 例えば TRY ME / Don't wanna cry / a walk in the park / CAN YOU CELEBRATE? / NEVER END 等々…… あれだけ多く歌ったにも係わらず日本語の歌は一つもない。日本語が嫌いだったのか、日本語の教育を全く受けなかったのか、それとも英語で歌うことがカッコいいという単純な理由からか、いずれにしても彼女の生活に日本語はなかった。

 ファッション・アイコンとしての安室奈美恵を見てみよう。
 先ず異常に細い眉、作為に満ちたこの眉はたちまち若者を虜にし、美容院や床屋をうるおした。茶髪そしてロング・ヘア、デザインいらずのロングでは美容師の腕は落ちたが、サロンは毛染めで多いに稼いだ。
 バーバリーのミニスカートは、ライセンシーの三陽商会を好況にしたが、いま三陽はバーバリーからライセンスを取り上げられ危機に瀕している。
 そしてタトー・シールや眉毛プレート、厚底のロングブーツなど、一時的に産地をうるおしたが、所詮バブル期の仇花、失われた10年の象徴といわれた。
 カジュアル・ファッションのパイオニアだったが、アムラーからマムラーへ、エレガンス不在のファッションを形ずくったアイコンだった。

 結局、安室奈美恵は沖縄という不幸な地に生まれ育った、無国籍なブラック・ミュージッシャンだったといえよう。

posted by Kazuhiko Hoshino at 14:23| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする