2017年12月04日

「招き」が死んでいる

「招き」が死んでいる

 師走の京都を飾るものに、「招き」がある。
 四条通りの南座正面に60枚近い役者名の大看板が上がる。一枚の大きさは縦1.8メートル、横33センチ、檜の厚板。文字は勘亭流の芝居文字で墨魂鮮やかに出演俳優の名前が書きだされる。
 江戸時代には来年一年この小屋で芝居を演じますという契約証書みたいなものがこの劇場前に掲げられる「招き」だったのが、近年になって師走の顔見世興行の出演俳優のしるしになった。
 南座に招きが上がると、京都のまちに年の瀬がやってきて、皆忙しげに歩くようになるといわれてきた。

 今年はその四条通りに招きがない。
 劇場が使えないのだ。なんでも消防署のお達しで、耐震工事をしなければ使用禁止というのだ。おかげで今年の顔見せ興行は、岡崎にある京都会館、いまは名称販売でロームシアターという名の劇場で上演することになった。
 招きも京都会館の入り口にありますえ、というので岡崎までいかなる招きかと見に行った。結果は案の定、町衆の心を湧き立たせてくれる招きはどこにもなかった。入り口の上に招きはならんでいたが、道行く人との距離がありすぎて、全くアピールがない。招きの華やぎが皆無だった。
 公共建築物の味気無さがありありとでている。こうした建物をつくる設計者に劇場という生き物がわかっていない。界隈の賑わいを招いてこその劇場なのだが、かえって賑わいを拒否するのが、建物の特徴になっている。

 このところ、耐震問題で祇園歌舞練場も使用禁止になっている。そのため北の造形大学の講堂で都をどりも、温習会もやっているが、まつたく祇園町とは離れていて空気がつたわらない。
 そこに劇場があるからやればいいのではなく、祇園町の生きているアカシとして上演するという趣旨がまったく解離している。
 何時までこの状態が続くのかわからないが、ヨーロッパでは都市の中核として劇場があり、公共の援助によって維持されている。南座も祇園歌舞練場も京都の宝なのだから、しかるべく応援すべきではないだろうか。
 文化庁の招聘に躍起になるまえに、やることがあるのではないか。
posted by Kazuhiko Hoshino at 11:21| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする