2018年05月09日

軽井沢ニューシネマ・パラダイス

main_9.jpg

 「あの頃会館へ行く」といえば、映画を見に行くという意味だった。
 戦後の軽井沢にちいさな軽井沢会館という名の映画館があった。旧軽井沢銀座を北上し、初めての道を左に曲がり、間もなくの右側にあった。会館は映画だけでなく、旅回りの小芝居もかかった。
 短い夏の楽しみは、マツバの馬に乗ることと、塩名田の鮎、遠出の鬼押し出し、そして会館の映画だった。堅い木のベンチが並べられ、150人ほども入ったろうか。……客席に座るとどこからか、アンモニアの臭いが漂ってきた。

 映画館は建築をしていた若林田重さんの心意気でつくられたものと、最近になって息子の廣和さんから聞いた。落葉松林しかなかった軽井沢に少しでも文化の香りをと、お得意の腕をふるって作った映画館、平屋建てのちいさなニューシネマ・パラダイスだった。楽屋で寝起きしていたのは、息子の廣和さんだった。

 テレビのないあの頃、映画を見に行く人々の胸のときめきはいかばかりだったことか。
 北軽井沢の浅間山の裾野では、高峰秀子扮する都会のストリッパーが木下恵介のメガホンで踊っていた。「カルメン故郷に帰る」我が国初の総天然色映画だつた。高原電車の小瀬温泉駅では、森繁久彌扮する駅長と町から流れてきた酌婦の岡田茉莉子が、丸山誠治監督のもと奇妙な同居生活を演じていた。「山鳩」と題する森繁の数少ない文芸映画だった。

 軽井沢を舞台にしたこうした映画の噂は都会からながれてきたが、地元のひとは「会館」でしか観れなかった。今の軽井沢にはカネで作ったハコモノは沢山あるが、「会館」のように心意気でつくったハコはどこにも見当たらない。

posted by Kazuhiko Hoshino at 11:51| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする