2018年10月31日

南座のお練りと手打ち

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 京都四条大橋のたもとから祇園神社までの四条通りをクローズして、華やかに「お練り」がおこなわれた。芝居小屋発祥の南座の耐震工事、内部改修が3年近くかかり、このほどようやく竣工したその披露のためのお練りだ。
 南座は出雲の阿国が鴨川河原の掛小屋ではじめて歌舞伎踊りを披露した地として歌舞伎の聖地になっている。その劇場のご披露とあって、歌舞伎役者69名が勢ぞろいした。先導は地元祇園を始め、宮川町、先斗町の舞妓20人、紋付袴の正装で名題の役者衆が揃い踏みの歩きお練り、いつものお練りなら銘々人力車にのっての手振りだが、この日役者が多すぎて人力車がまにあわない。そこで時蔵も雀右衛門も海老蔵もみんな仲良く歩くオネリとなった。沿道には15000人のファンが集まり、スマホをかざし黄色い声をあげた。

 お練りというのは、南座ばかりではない。2013年に新しい歌舞伎座ができたときは、銀座中央通りで「GINZA花道」というお練りが行われた。江戸消防の纏振りと木遣りを先達に60名の役者がそろった。この時、銀座八丁に3万2000人が集まって紙吹雪をまいた。

 大阪みなみの松竹座では、「船乗り込み」という川と運河をめぐってのお練りが度々行われる。先年亡くなった勘三郎はこの船乗り込みが大好きだった。文楽では人形のお練りがあるし、四国こんぴら歌舞伎では1000本幟のなかを役者をのせた人力車がいくお練りが毎年おこなわれてる。東京では襲名披露の折、浅草浅草寺の境内で「お練り」が行われる事が多い。これは一帯を縄張りとする新門辰五郎とめ組の一家がとりしきって浅草寺境内で挙行する大入満員祈願のお練りなのだ。

 本来「お練り」というのは、興行の勧進元が出演する役者を連ねて町内に挨拶回りと広報の役割を果たす行事だったのだが、いまでは景気付けのための催事になってしまった。

 昔ながらの役者の芝居小屋への乗り込みを、形として残しているのが祇園甲部の花街である。「手打ち」とよばれている。
あたまに手拭を留め、黒紋付に小さな拍子木を打ちながら芸妓衆が列をなし、後ろにご贔屓の役者が連なって芝居小屋まで乗り込む。
 〽チャンチキチキ、チャンチキチ、チャンチキチキ、チャンチキチ……
 その昔はあちこちの花街、お茶屋さんやら、料理やさんからご贔屓の役者を先導しての手打ちの行列が、都大路を賑わしたと伝えられている。
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2018年10月29日

丸山公楓の自由花パフォーマンス

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 ファツション・モデルと一概にいうが、モデルにもいろいろある。
 雑誌専門つまり写真のためのモデル、そしてメーカー専門のモデル、これはメーカーに洋服を仕入れにくるバイヤーのためのモデル、ここでは標準サイズのモデルが多用される。そしてオートクチュールのコレクションモデルである。ステージ映えのする大型モデルが珍重される。一般人はモデルと呼んでまとめるが、それぞれのタイプによって姿カタチのみならず、人格、脳みそまでいろいろなのだ。
 雑誌専門それもファッション誌ではない月刊誌相手だと、顔、胸、尻ときてその後ようやくファッションなので、モデルたちは特定のスタッフや編集者たちの世界にどっぷりで、どうしても視野がせまくなる。コレクションモデルは、すべてに寸法優先でひときわ大きい女達なので、優越感も劣等感も半端ない。いつまでもモデル臭がついてまわる。そこへいくとメーカーのサンプル・モデルを経験したモデルは、ノリシロが広い。メーカーの服への心ずかいから、バイヤーの表情のよみとりとコミュニケーション能力と目の前での着こなしのセンスが問われる。

 そのノリシロから人材が生まれている。女優に転じた人、ブランド・ショップの店長になっている人、茶道教授の人、レストラン経営者、デザイナー、舞踊家、スタイリスト、サロン経営者、そして健康食品オーナー、華道家とモデル出身者も多士済々である。

 華道家として第一線で活躍しているのが、むかしモデルの丸山公楓さんだ。モデルの頃は可愛くて品のある無類に真面目なモデルだった。
 公楓さんは今龍生派の幹部として東奔西走している。草月会、小原流等とは仕事での付き合いもあり、流派の思想についてもいくらかは判ったつもりだが、龍生派は判らない。なにはともあれ渋谷東急本店のファサードで、活け込みのパフォーマンスをやるというので、うかがった。

 初代家元は初め池坊を学んでいたが、出生重視に反発して新しく龍生派を立ち上げたという。龍生とは不思議な名と、ググったら岡崎龍ケ城に因んで付けられた名前と納得した。立華生花とともに自由花では建築などともコラボして創作しているとあり、期待はふくらんだ。
 ナンヨウスギの投げ入れに始まり、白柳の枝をかけ。さらに大きなケシの花を咲かせ、ユリの花で終わったと思ったら、上下から金銀のテープが舞って終わった。
 無味乾燥なデパードの壁面に命がやどったような作品だった。騒がしいだけのシブヤでこうしたパフォーマンスが開かれるのは大賛成。ただし前座のモノマネ芸人は意味不明だった。
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2018年10月27日

仁左衛門の助六

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歌舞伎の人気コンビに「玉孝時代」たまたか時代というのがあった。
 玉は玉三郎、孝は孝夫、いまの仁左衛門である。人気はすさまじく満天下の子女が歌舞伎に殺到した。「声よし、顔よし、姿よし」の片岡孝夫の右にでる二枚目はいなかった。玉三郎の若き頃の色艶も神秘的な魅力を秘めて、このコンビは不動の評判をえていた。

 あれから半世紀、孝夫は片岡仁左衛門を襲名し歌舞伎の伝統を支え、玉三郎は舞踊を中心に時に演出の仕事にも携わって今日を迎えている。
 その仁左衛門、玉三郎の出演する歌舞伎座芸術祭公演をみた。夜の部といっても4時半開演なので、昼間から軽井沢を出立しなければならない。

 まず始めは「宮島のだんまり」、パントマイムのような歌舞伎独特の表現がおもしろい。波幕のまえ、ホリゾントを黒幕にした夜の闇まえ、そして宮島の社のまえ、判りやすい道具環境のなかで演じられる無言のスローモーションは、若手が頑張って演じていて、楽しい一幕。

 二番目の「吉野山」は玉三郎のだしもの、玉三郎の静御前と勘九郎の狐忠信が芸の細かさをみせる。清元と竹本、静と動との音楽の対比がからんで、ドラマが進行するところが面白く、終盤花四天がからんでの所作タテも、争いを段取りの殺陣でみせる歌舞伎ならではの表現。

 そして待望の「助六」、成田屋の河東節助六とは違い、長唄の助六もまたひとつの風情である。仁左衛門の助六は、いかにも二枚目の助六で男前の優雅な助六に仕上がっていた。とかく江戸っ子はこれみよがしの助六を嬉しがる傾向にあるが、たまに仁左衛門のような上品なもて男もいい。片岡仁左衛門による助六もこれで見納めかと思い、思い過ごしであってほしいと江戸吉原のむかしを楽しんだ。

 ブリッセルに住むほとんど外人の日本人を同伴したのだが、日本知らずの日本人はひどく感激していた。帰国のたびごとに歌舞伎を見るのだが、いまいち判らなかった。私のなかの歌舞伎では、今日はいちばん楽しく面白くよく判った、ありがとう、シアワセの一日でした。という感想がかえってきた。

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2018年10月26日

芦田 淳先生を悼む

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 その頃、中原淳一の名前は一世を風靡していた。
 今様にいう美のカリスマであり、戦後の荒廃した日本に初めて「美」の概念を、女性像を介して表現した画家だった。竹久夢二、蕗谷紅児の系列を継ぐ美人画の名手であり、同時に絵にファッションのイメージをもちこんだ戦後はじめてのイラストレーターでもあった。

 三越劇場で若草物語を上演することとなり、演出の立場から舞台美術と衣裳は中原淳一をおいて他にはないと練馬のアトリエに伺った。天井の高い北欧風なイメージのアトリエに圧倒されながら案内された椅子にすわると、真ん中のグランド・ピアノで発声をしていたのがシャンソン歌手の高英男であり、中二階の小窓からのぞいたのが姪の中原美沙緒であり、イーゼルに向かってむずかしい顔で木炭を走らせていたのが中原淳一先生だった。
 大きな裁断テーブルをはさんで舞台美術の打合せに入ると、音もなく何処からか現れて淳一先生の脇にひかえていたのが、若き日の芦田淳先生だった。中原淳一のむかしは芦田淳のむかしにとても似ていた。一瞬息子さんかと思った位で、いちばん有能な助手と紹介された。

 のちに独立され、東京会館でコレクションをされるようになった。そのとし岸田今日子をゲストに迎えるので演出をという依頼をうけた。
 岸田今日子の暗いだみ声がかならずしもファッションに会うか不安だったが、芦田先生のイメージのなかではすでに彼女の朗読が躍っていた。
 ところがこの時大変な事故が起きアンプが故障してしまった。音響マンは青くなり、いま至急機材を手配しますというが、なかなか機材がとどかない。開演時間はせまり、観客も満員になっても音響機材はとどかない。、芦田先生はひと言も発せずなりゆきをじっと見守っていた。なんとか機材はまにあったのだが、2000本以上のファッションショウ演出経験のなかで、唯一無二の大事故だった。

 テニスの好きな芦田先生は、軽井沢南原にテニスのための別荘をもっていたが、のちに千ヶ滝に移られ、さらに千ヶ滝に新築されて、南欧風な別荘を作られた。窓から庭のテントまでフランスから取り寄せて理想とするたたずまいの別荘だった。披露のときには藤舎名生を迎え、幽玄とダイナミズムのにほんの音でお客様を迎えた。料理もフレンチだけでなく、軽井沢らしくというので職人館の北沢正和さんにきていただいた。芦田淳というひとは、ヨーロツパとにほん、美術と音楽と歴史に幅広く興味をもち、クラス社会のライフスタイルに心してデザインをしてきた稀にみるデザイナーだった。

 同時代のお世話になった人間として、残念ながら先立たれた芦田先生の冥福をお祈りするしかない。


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2018年10月22日

松茸小屋とカメムシ達

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 今年は松茸の当たり年と喧伝されているので、早速信州別所平の松茸山へいった。
 松茸シーズンだけの小屋掛けにもかかわらず、ちかごろでは立派なトイレができていたり、駐車場が整備されていたりと、だいぶ贅沢な山小屋になった。
 松茸の初物が市場にでていくらの値段がついた、とテレビで報道されるぐらいだったが、今年は同時にテレビ・コマーシャルが登場したり、新聞に広告がのって、松茸小屋の経営もずいぶん多角化したものと感心したり、あきれたりした。
 たかがシーズンだけの松茸小屋の客寄せに、テレビなどという高額メディアを使っては採算倒れになるのではないかとも思うが、テレビで知った観光客が大挙押寄せ「いつまで待たせるのか」と山小屋の入口で騒いでいた。

 見晴台の松茸小屋は、イステーブルのビニール小屋二つと、ゴザ座布団のビニール小屋が一つあって収容能力は100人楽勝なのだが、仲居さんがみなアルバイトのお姉さん、または小母さん、そして厨房は3人ほどのこれまたニワカ・シェフ、お会計のおばあちゃんは、眼が遠くレジスターがうまくあつかえない。
 店長のおばちゃんがいくら頑張っても、無理無理無理の狂騒曲なのだ。

 松茸鍋に始まり、松茸土瓶蒸し、松茸天ぷら、松茸茶碗蒸し、松茸姿焼き、松茸みそ汁、松茸ご飯と、松茸豊作の恩恵にあずかり、至福の時間は天候にも恵まれた。今年の秋はこれで満足。

 困ったのはカメムシ、陽当たりのいい小屋の隅に案内されたので、そこはカメムシの集合場所だった。良いカメムシは野菜について害虫を捕食してくれるが、悪いカメムシは人について臭いを発する。カメムシは屁こき虫とも呼ばれて軽蔑され嫌われている。幸い同伴者に冷静なカメムシ・ハンターがいておおいに助かった。
 東南アジアには人面カメムシなどと呼ばれているカメムシもいて、模様の面白さからペンダントに加工され、お土産物になっているお洒落な奴もいる。
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2018年10月20日

中国への宣戦布告に等しい

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 アメリカがとうとう覚醒した。なにに覚醒したかというと、中国共産党のアンフェアなグローバリズムに対し、ほおっておけない、1970年来のアメリカの対中政策は誤りだったと宣言したのだ。
 10月4日のペンス副大統領の演説では、いつかは自由主義経済の仲間になれると期待していたが、そうした期待はことごとく裏切られ、中国共産党は世界既存の経済システムのみならず、宗教システムをも破壊して、21世紀の世界に対する野望を剥き出しにしてきた、と中国糾弾の狼煙をあげた。

 宗教ではチベット仏教にたいする弾圧が知られているが、最近ではウィグル人にたいする人種差別、宗教弾圧も激しく大変な数のウィグル人が犠牲になっていると、伝えられている。中国国内では漢民族のなかに隠れキリシタンがいて次々と摘発され、キリスト教関係の焚書も密かに実行されているといわれる。
 中国共産党はそもそも無神論を掲げ、イスラム教キリスト教ヒンズー教仏教などすべての宗教を否定してきたのだが、世界中の日和見主義者たちはなにそんなのは話合いで解決できると、多寡をくくってきたが、ここへきてどうやら中国とは話合いはない、勝つか負けるかの勝負しかないと悟ってきたようだ。

 さらに中国はインターネット上でのハッキングを常態化し、世界各国の技術情報を盗み、盗んだ情報を特許登録をする、という盗っ人猛々しい行為を平然とおこなっている。先進国企業の中国への現地生産の誘致は、ことごとく技術移転を強要され、さらに知的財産権を蹂躙されてさんざんな目にあっている企業は多い。にほんのデパートでも中国人労働者のなかの共産党員によって不買運動を起こされとんだ結果になった例もあった。

 京都の立命館大学や東京の早稲田大学に、中国の寄付によって設立されている孔子学院も文化侵略の拠点であるし、中国共産党のプロパカンダにほかならない。日本にきている中国人労働者のなかには各方面にむけたスパイ、産業スパイが多々いるといわれている。無防備な日本は中国にとって絶好の餌場なのだ。

 米中貿易戦争はたんなる経済摩擦ではなく、このさい徹底的に中国をたたかなければという米国の覚悟であり、トランプの気まぐれなどという軽いものではない。マティス国防長官も21世紀の世界システムの破壊にいどむ中国を許すわけにはいかない、これは右派左派の問題ではなく、世界の安全保障の問題だといっている。
 日本の財界はこの米中の争いをビジネス・チャンスととらえ、皆で中国へいって商談促進を計ろうと、とぼけたことを言っている。
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2018年10月17日

柳とかつらの銀座戦争

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 銀座の柳がとうとうカツラに敗れた。
 銀座の並木といえば見たことのない人でも「ヤナギ」と答えるほど、ぎんざと柳の仲は濃密な間柄だったのだが、オリンピック2020に向けて、銀座通りにはいま着々と「かつら」の木が植えられつつある。「巴里のマロニエ・銀座の柳」と謳われた柳ともお別れである。

 銀座うれしや柳が招く / 招く昭和の人通り/ 誰を待つやらあの子の肩を/ 撫でてやさしい糸柳……半世紀に渡って歌い継がれてきた唄は、四谷文子に始まり、初代コロムビア・ローズ、島倉千代子と受け継がれ、全国何百の銀座通りでそれぞれのご当地シンガーによって歌い継がれ今日を迎えている。
 地方の駅前銀座には並木をわざわざ柳に変えて町ずくりをしたところすらあるという、それほど柳のイメージの強い銀座だったが、「かつらの木」には勝てなかった。

 柳の木は成長するに従って枝がたれさがってきて邪魔になる。それを風情ととらえないで邪魔ととらえるのが近頃の価値観のようだ。撫でてやさしい糸柳などと受け取る感性はまったくない。邪魔といわれては柳もさぞ悲しいことだろう。
 さらに追討ちをかけたのは、野暮な建築法の規制だ。車道側では地上4.5メートル、歩道では高さ2.5メートルという規制があり、かなり短く剪定しないとみとめられないというのだ。そよぐ柳の枝の美しさなどといっても問答無用。相変わらずの役人の脳みそだが、銀座の象徴として年月を紡いできた柳もバッサリと切られてしまった。

 カツラに決まったポイントは、他の通りにないこと、日本原産であること、葉っぱのかたちがハート型で洋風な銀座にふさわしく、若い女の子には絶対受けるといったヨコシマな点、更にもっといえば桂は高木にして落葉樹なので、クリスマスのイルミネーションに絶対有利という、なかなかのプロモーション魂である。枝に電線を巻き付けやすい、とはなんともクチアングリの桂の並木道である。
 かって自動車の排気ガスに強いからと植えられてシャリンバイは低木で銀座の人々からは嫌われ、散々だった例もある。明治からたびたび復活してきた柳も、クリスマスの電飾に勝てずとうとうご臨終を迎えた。 これからはカツラの木に頑張っていただくしかなかろう。
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2018年10月13日

いつまで韓国に謝りつづけるのか

いつまで韓国に謝りつづけるのか

 韓国済州島で行われた国際観艦式でのこと、韓国は日本軍艦の旭日旗掲揚を拒否してきた。
 旭日旗は海上自衛隊の軍艦旗であり、海自は世界中どこにいくにも国連海洋法条約にもとずいて、日の丸旗と旭日旗を掲揚してきた。
 その旗について掲揚するな、というのは内政干渉もはなはだしい。当然の答えとして、海上自衛隊は国際観艦式への参加をとりやめた。
 けだし当然の処置とおもうが、韓国側は遺憾の意を表明した。内政干渉してきて遺憾の意とは、盗っ人たけだけしいが、このことは文在寅大統領の反日、反米、親北の政策反映に違いない、と消息筋は伝えている。

 アメリカのポンペイオ国務長官が、韓国の外務長官を怒鳴りつけたと、外電が伝えている。
 南北協議の席で、南北軍事境界線上の空域の飛行禁止を決めたというのだ。韓国安全のため米空軍が日夜軍事境界線上を飛んでいることはしっているだろう、その事実に対し韓国はなにを考えているのだ、というわけでアメリカの怒りが爆発した。
 ミサイル迎撃地上配備システム「サード」の配備を拒否しているあたりも、日本のイージス・アショア反対の秋田、山口県知事にも似た始末の悪い文在寅大統領である。国防を全面的にたよっている同盟国のアメリカに対し、韓国のその態度はなんだ、という怒りである。

 ひたすら親北の文政権は経済政策のことごとくで失敗している。枝野立憲民主党のかかげる経済政策とまったく同じ、金融緩和をせずに最低賃金のみを上げるのでは、中小企業はみな根を上げて次々と倒産している。
 一部の財閥系企業だけが潤い、学生はますます財閥系企業をめざす。財閥とそれ以外には強烈な差別が生まれ、富の格差はますますひらくばかりだ。それでもひたすら反日に走り、老元慰安婦と称する女をひきまわしている。

 石橋湛山首相は、「かっての日韓合併時に朝鮮半島は棄てておけば良かった」と喝破したが、全くその通りで、禿山を緑にしたのも、橋をかけたのも、学校を作ったのも、すべては頼まれもしないのに、かってに実行した日本が悪いのだ。  
 ……韓国人には永遠に日本人の思いはとどかない。


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2018年10月12日

築地の水神様、波除稲荷はどうなる?

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 築地でしか見ることのないターレが、陸続として環状2号線の橋を渡っていく。
 2100台にも及ぶターレが、通行禁止の国道を橋を渡っていくさまは映画のロケのような光景である。ターレの時速はせいぜい15キロ、日常の走行速度は10キロと言われているから亀の競争のような異様なスピードではある。
 いまどきバックギャアのない自動車があるのは不思議だが、この小型特殊自動車を日本で初めてつくった会社はとっくに倒産していまはない。郵便局や駅構内、市場内で重宝がられているターレを作っているのは、スバルや三菱といったメーカーである。
 築地ではガソリン・ターレもLPG・ターレも走っていたが、こんどの豊洲では電気ターレのみ使用許可なので問屋、仲卸の皆さんは電気ターレのための出費も必要になる。

 戦後、街中には美味い寿司やは少なく、美味い寿司を食べたいときには築地の場外にかよった。学生のふところには負担が大きかったので築地へいくのは清水の舞台から飛び降りるような気分だった。のちに場内にも行くようになり、美味い寿司をいつまでもたべられるように、波除神社のすし塚にもお参りして、初めて築地の寿司詣でが完成した。
 波除神社は場外、場外にまたがっているのでこんどの引越しでどうなっているのだろうか。少し心配である。なにしろ活魚塚、アンコウ塚、海老塚、たまご塚、こんぶ塚、吉野家塚まであり、なによりも四代将軍家綱公の築地埋め立ての困難を救った波除稲荷の縁起にもとずくご神体であり、魚河岸の歴史証人でもある貴重な文化財である。
 神田明神の別社である魚河岸水神社は御霊抜きをしてとりあえず神田明神へお返ししていると聞いている。

 いまどきの役人に水神様のはなしや、波除稲荷のはなしは理解不能だろうから、豊洲にまず水神社を勧請してから開場などということは夢のまた夢かもしれないが、こうした民俗遺産こそが、貴重な観光遺産にもなるということを自覚してほしい。
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2018年10月08日

中国という監視社会

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 中国の空港に降り立って税関を通るとき、かたわらのちいさな台に黒眼鏡の人が立っていたら、その人は情報監視員と思わなければならない。少し厚い黒メガネには、視界に入ったすべての人の公安データが即座にうつしだされ、危険分子は連行される。
 中国の情報技術の向上と、北京政府の蓄積してきた14億人分の膨大なデータが、こうした監視社会のシステムを可能にしている。国内に住む中国人だけでなく海外の人々のデータも、情報をハッキングして大量に保有していると伝えられる。
 犯罪の防止、犯罪人の追跡に120パーセントの効果を発揮するのみならず、共産主義社会にとって不都合な人々の出入国も黒メガネひとつで簡単に発見・拘束できるという恐ろしいネット監視網である。

 中国最高の美人人気女優ファン・ビンビンさんが、突然今年6月から消息不明になった。
 自身の芸能学校を持ち、ドラマ制作会社を経営し、カナダにはマンションを持ち、国内には二軒の自宅と二軒の別荘、そして青島には高級マンションを所有しているという、中国映画界最大の稼ぎ頭だといわれる。なるほど写真をみれば堂々としてイブニング姿は、並みいるハリウッド女優に負けない。
 世界中どこの芸能界にもある表契約と裏契約がばれたともいわれ、本人からのお詫びが公表されたが、この話にはさらに裏があり、習近平の側近の愛人であったため、不興をかって挙げられたのだという情報もある。

 さらに恐ろしいのは、国際刑事警察機構I.C.P.O通称インターポールの総裁が突如行方不明になった事件だ。中国を代表する警察官僚としてインターポールのトップの座につき、世界中の国際犯罪を取り締まっていたにも関わらず、本人があっさりとどこかに連れ去られた。
 中国にたびたび問い合わせた結果、このほどようやく北京政府から不審な行為があったので拘束中という答えがきた。不審な行為の内容は知らされていない。習近平にとって不都合なのか、それとも中国共産党にとって不審な行為なのか、まったくわからない。

 共産社会は一見秩序正しく理想社会にみえるが、実態は徹底的な管理監視システムにより、人間としての尊厳や人間性が否定される。粛清があり、発禁があり、没収がある暗黒社会である。そもそもはユートピアを目指した筈のシステムが、いつのまにか暗黒のディストピアになってしまった。これでも資本主義社会と仲良くやっていけるのだろうか。
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2018年10月05日

慶祝国慶節・イン・軽井沢

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 軽井沢には巨大なアウトレットがある。
 中山道由来の軽井沢よりも、この軽井沢プリンス・ショッピング・プラザのほうが軽井沢の顔になってしまった今日この頃だ。都会から友人がくると、女子供はまずこのアウトレットに行きたがる。明治以来の宿場の遺跡や、沢山ある文学碑、数々の美術館よりも、まず行きたがるのがアウトレットだ。こんな物欲まみれの日本人を育てたのは……などと云うとウザイと反発され、故なく嫌われるので、いってらっしゃいと笑顔で送り出す。

 となりのホテルに所要があり、時間の都合でアウトレットを覗いて驚いた。
 そこは日本ではなく中国だった。いかにも中国風な花飾りに巨大な慶祝国慶節のモニュマンが鎮座している。はてここは横浜中華街かと錯覚した。いやアウトレットは中国資本に売られてしまったのかと一瞬不安がよぎった。中国人の観光客が大声でわめきながら記念写真の撮影大会をしている。ショップでも国慶節の祝いやら、国慶節の割引が掲げられている。中国版大型連休をあてこんで、共産党万歳のモニュマンを飾っているのだ。

 日本でありながら、にほんの祝日に幟をたてたり、花飾りをしている光景を軽井沢ではついぞみたことがない。
 たまに駅にある飾りは、G7まであと何日と表示するカウントダウン・ボードやら、カーリングが勝ったとか、国の祝日を祝うという意識はまつたくない。
 さきの戦争で負けるまでは、どこの家でも祝日には国旗をだし赤飯を炊いたものだが、敗戦とともに国旗を忘れ、国家の祝日はただのイベントデーのごとく片隅においやられてしまった。反日日本人の左翼の罠に落ちてしまったのが、こんにちの日本人の実態なのだ。自分が生まれ暮らしている国を、愛することを忘れた悲しい日本人が圧倒的に多くなった。

 アウトレットの巨大な慶祝国慶節は商人たちのさもしい根性、毛沢東の国慶節を祝ってもいいが、その目的は金儲け、共産革命を祝う気持ちなどすこしも無いのに旅人の懐をねらう、かっての軽井沢宿飯盛り女にも似た悲しいゼニゲバぶりである。
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2018年10月03日

赤ん坊・飴だま・次はなに?

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 この国は昔から「礼法」の国といわれ、「礼儀」ということばは、教育の基本だったし、社会生活の常識だつた。
 ヨーロッパの先進国が、日本を評価したのも日本人の礼儀とか、親切にたいする尊敬の念からだった。後進のアジアにあってジパングはどこか違う。芸術も民度もほかの有色人種とはことなるところが、素晴らしいと、評価されてきた。

 市会議員がわるびれもせず赤ん坊を抱いて議場に入ってくる。人の迷惑を考えない。市の将来を論じ、考え、議論することより、わが赤ん坊の方が大事だという堂々とした主張だった。議会場も一瞬にして権威を失い、ベテラン議員は右往左往、熊本市議会は混乱した。
 一年たって同じ議員が今度は、飴だまをしゃぶりながら、質問にたった。議長は慌てて、「品位をおとすから、飴だまはすてなさい」と注意するも、議員は拒否、喉がいたいので声が出ずらい、だから飴だまはなめつづけると主張、議場は混乱のすえ暫時休憩。
 開かれた懲罰委員会でも、飴だま議員の女は謝罪せず、どこが悪い喉が痛たかったから飴だまをしゃぶったのであって、私に悪いところはない、と再三主張、八時間の無駄をしたというのが、最近のスキャンダルである。
 軽井沢でもインターナショナル・スクールの女理事長が、パーティーの席に乳母車ごと赤ん坊つきで登場したことがあったが、多分この次は暑いからとシースルーか、ゴムゾーリで議場にはいってくるのだろう。場を心得ない、礼儀をしらない、目立ちさえすればいい、こんなデンツー娘みたいなのが、堂々とまかり通おる世の中になってしまった。

 議員の緒方夕佳という人は東京外大の米英科をでたのち、アメリカ・ヴァージニア大学で紛争分析解決学部なる勉強をして、沖縄平和協力センターで反対運動をしてきた人なので、議会をざわつかせることなど朝飯前の筋書き入りなのだ。ネット通販をしている旦那も知らん顔で、赤ん坊などあずからない。飴だまは拙いから、喉スプレーにしなさいというようなサジェッションもしない。
 アメリカの砂漠で教育されてきた人たちには、結構こうした非常識人間は多い。T.P.Oなどという舶来の礼儀もしらない。

 TBSの朝のワイドショウを司会している夏目某は、この人を議員に選んだ一般市民がいるんだから、この人の行動はうけいれるべきだと、とんでもなく阿呆な意見をいっていた。 礼儀も作法もないメディア芸者には呆れる。


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2018年10月01日

ほぼ松茸、バカマツタケの夜明け

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 秋の味覚といえば「松茸」にとどめをさす。
 韓国やブータンに行けば、それなりの「松茸」文化はあるが、日本人のそれほどこだわったものではない。料亭では、松茸のお目見得です、とばかりに早出の焼き松茸やら、土瓶蒸し、松茸ご飯など登場し、座敷の話題となる。

 信州上田の奥には別所平があり、平のまわりには松茸山がてんてんとある。
 秋になると十数軒の松茸小屋が、山の頂上から山裾にかけて開店する。開店といっても素朴な山小屋で、よしずの周りにビニールの屋根、丸太の骨組みはいつでも撤去できるという小屋で、最近はようやくトイレが臭気遮断のハンバ風トイレに変わった。
 「松茸 味わうなら 信州上田 見晴台」新聞には立派な広告がでている。千曲川コース¥5150(税込)から、お土産に生松茸一本付きの20000円近くのコースまである。松茸酢の物、松茸土瓶蒸し、松茸茶碗蒸し、松茸天ぷら、松茸鍋、松茸ごはんと、それぞれにそれなりの松茸料理である。

 最近は「バカマツタケ」が話題をよんでいる。
 味も香りも食感も、姿かたちも松茸そっくりなのに、松茸の仲間にしてもらえず永年品種差別の可哀そうなマツタケである。2015年にようやく政府の「高級菌根生キノコ栽培技術の開発」委託事業として助成金がでるようになったので奈良の森林技術センターが、雑木林での人工発生に成功した。研究・開発も金次第なのだ。
 松くい虫のおかけで危機に瀕している松林を必要とせず、コナラ、ミズナラ、クヌギ等の雑木林に生えるという点からも、松茸の後継マツタケとして有力視されている。

 香りのしない「マツタケモドキ」や、奄美大島で少しばかり自生する「ニセマツタケ」、あるいは韓国産の、カナダ産のマツタケに心惹かれることなく可哀そうな名前の「バカマツタケ」で秋をむかえることになるのだろう。
 スポーツ番組などみていると、人間も新品種がぞくぞくと登場しているが、マツタケも新品種の時代を迎えたのだ。

posted by Kazuhiko Hoshino at 13:38| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする