2019年05月18日

光源氏が勅使をつとめた葵祭

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 今頃は京都で「葵祭」がひらかれている。
 葵祭は「賀茂祭」ともいわれ、都ではもつとも古いまつりでもある。祇園まつりが町衆のまつりだったのに対して、葵祭は朝廷と貴族のまつりだった。
 御所と下鴨神社とそして上賀茂神社を結んで行われるこの祭りは京都の歴史と深いかかわりがある。

 まつりの先頭をつとめる勅使には、光源氏がつとめたという故事もある。
 源氏物語には葵祭の斎王列を見物しようと、光源氏の妻葵の上と六条御息所が、都大路で牛車争いを演じた場面が登場し、女性の恐ろしさを始めて歴史から学んだ。
 祭りには宮中の儀、路頭の儀、社頭の儀とあるが、朝廷と賀茂氏との因縁から始まったところから、内裏の御簾、御所車、衣冠、牛馬などすべてに二葉葵の紋が飾られ、王朝風俗をいまに伝えている。
 徳川の家紋・三つ葉葵もこの葵祭の神紋に由来すると言われている。

 筆者も30数年前、いまは世界遺産となった上賀茂神社の御本殿で挙式した。相方が上賀茂神社にこだわる意味があまり良く理解できなかったが、のちに都の一之宮であり、京都人にとっての絶対的守護神と理解した。二つ葵の由緒ある打掛がよほど嬉しかったのだろう。
posted by Kazuhiko Hoshino at 14:13| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする