2019年07月12日

追悼、ジャニー喜多川

yjimage.jpg

 ジャニーさんがなくなった。
 テレビはジャニーズ事務所の広報宣伝部となって、死に至る経過を事細かに報うじている。ジャニーさんとの知遇は、ナベプロの渡辺美佐さんだった。ロスから帰ってきた姉弟なの、今度事務所を作るから、よろしくね。五反田のワタナベ邸にはたまに招集されて伺った。麻雀卓をかこんで、渡辺美佐さん、淡路恵子さん、そしてメリーさん、ひとり足りなかったので貴方を呼んだの。今夜は帰さないわよ。ひどく下手な麻雀だったので、お姉さん方のカモになり、明け方タクシー代をいただき、寂しい懐を抱いて帰宅したことが何度かあった。

 姉のメリーさんとは度々会った。ジャニーズ事務所を支えていたのはメリーさんだった。
 異常な少年愛をもつジャニーさんは表にでず、もっぱらタレントの発掘に歩いていた。あの頃、オーディション・システムを確立していたのは、ワタナベプロ位のもので、みなマネージャーの直感やツテをたどっての売り込みからタレントは誕生した。ジャニーさんが何処でどうして少年を探していたのか知らないが、郷ひろみをどこかの路上で遭遇発見したときのジャニーさんの異常な喜びには出会っている。

 帝劇に於ける初めてのジャニーズ公演は星野演出事務所がてがけた。ミュージカル「生きていくのは僕たちだ」という作品だったが、人気のフォーリーブスが歌が歌えず、カンパケのテープを録音して、観客にわからないよう腕利きのミクサーに託して上演した。スケジュール調整から衣裳デザインまですべて現場に立ち会って奮闘していたのは、メリーさんだった。弟への姉の愛情だったのだろう。

 このジャニーズ姉弟が作り上げた男性アイドルについては、日本のエンターテイメントを幼稚化したという点で賛成できない。一本立ちしなければならない30代40代の男が、僕アイドルですから、その意識は世界のどこへいっても通用しない。この国のショウ・ビジネスにとって大変不幸な出来事だった。

 印税収入を狙った秋元康による女の子の集団プロデュースとともに、日本のエンターテイメントを駄目にしたジャニーさんのアイドル路線、さらに加えれば、宝塚という少女歌劇、この三つこそこの国に大人のエンターテイネントが育たなかった三大要因と断言できる。




posted by Kazuhiko Hoshino at 11:49| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする