2019年07月27日

生類憐みの令から復活をとげた「江戸前大かばやき」

yjimage4FVRNVIY.jpg

 江戸っ子にとっての美食は、すし・天ぷら・蕎麦・うなぎ に尽きる。
 軽井沢には寿司と蕎麦の名店はあるが、天ぷらとうなぎは見当たらない。必然的に東京に出掛けた時は、天ぷらかうなぎになる。銀座並木通りにはてんぷら近藤があるし、吉兆の一筋違いにはうなぎ竹葉亭の本店がある。暑さとともに主役はうなぎになる。

 テレビでは中国産と国産の味比べを盛んにやっているが、元来江戸前という呼称はうなぎに始まっている。
 うなぎは「江戸前」を上品といい、それ以外を「旅うなぎ」とよんで下品としていた。それ故、江戸うなぎは高級ブランドうなぎであり、今でいう大間のマグロや関アジのごとく、地産地消の上等珍品だった。参勤交代で江戸にやってくる田舎武士は、ひそかに江戸前の大かばやきを楽しみにしていたといわれている。

 五代将軍綱吉の生類憐みの令により、うなぎもどぜうも商いができなくなった。熊や猿もおなじ命だからと、犬猫を抱えたおばさんたちの動物愛護とかわらない。幕府の取締りが強くなると、「あなご」と称してうなぎをだす反権力の茶店も出てきた。
 こうした鰻好きの江戸っ子を救ったのは、綱吉の死去だった。生類憐みの令はたちまちに破棄され、深川八幡の御門前にはふたたび江戸前大かばやきの旗が翻った。

 享保13年の江戸大洪水のお蔭で、江戸のそこらじゅうで、うなぎがとれるようになった。なかでも隅田川と深川の掘割あたりは育ちのいい鰻があがった。それまで鰻は上方好みの腹開きだったが、江戸の侍にとって腹開きは切腹を連想させるので背開きとなり、江戸前大かば焼が完成した。

 さて土用の丑の今日は、パリの野田岩よりはるかに美味い到来ものの野田岩に、つや姫のごはんで夏バテ防止といこう。


posted by Kazuhiko Hoshino at 15:32| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする