2019年08月07日

八月の「おいど」

夏ノヒップ.jpg

 夏の「おいど」は元気になる。
 冬のあいだ、かくまわれ、大事にされてきた「おいど」が突然に存在を主張し、誇張して、見せつけてくる。もう「おいど」ではない。「ヒップ」というべきか。舶来品のごとき表情をうかべ、堂々として羞恥心を失い、生き生きと存在をあからさまに動きまわる。
 花見小路よりは、原宿竹下通りが良く映る。ついこの間まで子供の領分だったショート・パンツが、若い女性に奪われ、ストリート・ファッションに変身する。
 男どもはその危ない短さに、目線をかき乱されながら猛暑の時間を過ごす。

 京都では、尻とは言わず、ケツとも言わず、「おいど」といってきた。昔は御居所とかいて、いどころ、座るところを現した中世の女性語だといわれる。 おいどは優しく、色っぽいところがステキなのだ。

 「おいど」をもっとお下げやす といわれれば、京舞井上流のお稽古ときまっている。お尻をさげ、やや中腰のていから舞が始まる。東京の流儀舞踊はほぼ腰高の位置から始まる踊りだが、京舞は御所のしきたりと座敷舞の優雅さが主役となり、腰を降ろした様が基本となった。
 日本の踊りの中では、沖縄の踊りが同じ「おいど」を降ろしたポーズが基本になっている。
 能と京舞と琉舞が共通の目線をもっているのが、面白い。

 「大きいおいどやこと」ケツの穴が小さいといわれるより、ずっといい。尻にしく、尻が重い、ケツを割る、オイドに関する表現は多々あるが、単純に下品とは言い切れない多様な意味を含んでいる。
 池田満壽夫さんは「お尻の美学」をかいて、おいどの魅力に注目した。

posted by Kazuhiko Hoshino at 15:35| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする