2019年08月17日

弾丸うどん旅はいらない。

銭形砂絵.jpg

 久しぶりに「香川の女(ひと)」と言葉をかわした。
 学生時代、初めての船の旅は香川・高松だった。本州はどこもかしこも米軍の空襲で焼跡だらけだったが、はじめて四国に上陸したとき、ここは蓬莱山かと思うほど、清潔で美しく思えた。
 いちばんに足をむけたのは屋島だった。壇ノ浦に滅びた平家のものがたりが気になっていた。屋島の山頂から、あの辺りが安徳天皇の仮御所、あの岬の裏が平家の船隠し、那須の与一が見事に軍扇を射止めたのはあの辺と、源平の昔が目の前にあった。

 栗林公園を後に、瀬戸内の海を右に身ながら西へむかった。塩田の跡が行けども行けどもつづいていた。車に揺られながら、浦島太郎も桃太郎もみなこの香川の地から生まれたのが、不思議だった。後に演出の仕事をやるようになって、対峙した向田邦子も、安倍公房もみな香川に縁の深い作家だった。
 歌舞伎の名脇役市川團蔵の先代も、お遍路にでて香川の海に入水して役者人生を閉じた。 飴屋の五人百姓を横目に、金丸座では金毘羅歌舞伎など華やかに開かれているが、歌舞伎にとって香川の地は因縁あさからぬ土地でもある。

 三越劇場で初演出のとき、色々と教示してくださったのは劇作の会の斉田喬先生だった。丸亀城の一隅には斉田喬文学碑が建てられている。
 祇園の芸妓衆から夏のご挨拶に届けられる団扇に、あの見事な丸亀城の石垣にダブって、丸亀のうちわを思い出す。
 森鴎外の「金毘羅」も、志賀直哉の「暗夜行路」も、芦原すなおの「青春デンデケデケデケ」もみな本棚にあった。温暖な瀬戸内の海が文学を育てるのだろうか。

 直島の地中美術館に行ってみたい。琴弾公園の銭形砂絵を拝んでこなかったので、財布が軽いのか。プラヤ・カフェで瀬戸内の夕陽を見たい。夢はつきないが、多分犯行未遂におわるのだろう。一泊二日弾丸うどん旅はいらない。





posted by Kazuhiko Hoshino at 13:42| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする