2019年08月21日

わが人生のプラネタリウム

プラネタリウム.jpg

 それは有楽町の駅前にあった。
 毎日天文館と書かれていた。毎日新聞と同じぐらいのおおきさだった。東京に初めてできたプラネタリウムは、宇宙へ旅することの出来る子供にとって夢の世界だった。
 丸いドームを見上げていると、天空の矢印が南十字星から北斗七星へと導いてくれた。季節が変わると宇宙もかわるということを初体験した。
 宇宙旅行など誰も想像しなかったあの頃、プラネタリウムは未知の世界をみせてくれた魔法使いだった。

 1951年にラジオ東京が開局することになった。劇団ユニットでドラマ収録の依頼をうけた。赤坂のスタジオはまだ出来ていず、毎日新聞社内に居候していた。今日のスタジオはこちらです、と案内されたのが、かって未知の星空に興奮したプラネタリウムの跡だった。東京大空襲で被災したといわれていたが、そこに丸天井も椅子も残っていた。廃墟となったプラネタリゥムで、どんな番組を収録したか忘れてしまったが、狭いスタジオよりはるかに幸せだったことを覚えている。
 廊下ではソニーの前身…東通工のテープコーダーを相手に、ずらりとならんで編集していたディレクターがいた。
 狭い廊下にメディアの明日がつまっていた。

 1957年に渋谷東急文化会館が駅東口にできた。その屋上に五島プラネタリウムができた。母と子の天文教室とか、星と音楽の夕べとか意欲的なプログラムを展開していたが、星と文学がないと抗弁し、当時の学芸員だった野尻抱影先生を動かして短詩系文学をセレクトし、四季の星空と詩の世界を演出した。世界最先端のプラネタリウムを小道具にしてのポエティカル・シアターは面白かった。

 今プラネタリアTOKYOなどのヴァーチャル映像や、ツィンドームの星空体験をみるにつけ、わずか7.80年のあいだにここまで変貌したプラネタリゥムに、やがて宇宙軍の戦闘が写しだされるのではないかと、心配はつきない。
posted by Kazuhiko Hoshino at 10:53| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする