2019年09月29日

バカップル! 進次郎とクリステル

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 小泉進次郎と滝川クリステル……令和最初のビッグ・カップルは、ジェットコースターに乗って、人気下降の坂道を転げ落ちている。
 いつも自らをケネディーになぞらえていた進次郎は、中味不在の玉ねぎ政治家だったことがばれ、斜め45度の女子アナ滝クリも見栄っ張りのオバカがばれ、軽井沢高原教会での挙式にいたって、ついに普通のバカップルだとレッテルを貼られてしまった。

 結婚によってこれほど人気の堕ちた政治家をみたことない。二人ともがあまりにもメディアを相手にパフォーマンスをしてきた過去からしっぺ返しを受けたということだろう。
 環境大臣になった進次郎は、前大臣がやっとの思いで口にした福島汚染水の海洋投棄について、世界の原発国が総て海洋投棄で対処しているという事実をとばし、すべての福島難民に寄り添うと口当たりのいい美辞麗句で現地訪問をした。
 福島原発の汚染水を心配する良心にとって、この大臣はダメだ、真実に向かう勇気も度胸もなく、ただ目の前の国民に媚びる尻軽政治家と認識された。

 国連の環境会議に出席し、日本の石炭火力のCO2削減についてどう対処するのかと質問を受け、「……この問題は楽しく、クールに、セクシーに処理していかねばならない。」と答え、世界中の人々を?マークに追い込んだ。環境庁の役人からよほどシカトされ、なんのレクチャーも受けずにニューヨークに行ったのかと思ったが、そうではなく単純に勉強しなかっただけと聞いて、二度あきれ果てた。

 選挙区の50代の女性は「もう少し勉強して発言してくれたらよかったのに……」と苦笑していた。
 令和のビックカップルは、ただのバカップルだったというお粗末な事件であった。
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2019年09月26日

「さとうのご飯」はオコメではない?

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 全国おこめ券なるものをいただいた。
 独身状態や、仕事の合間のカレー・ランチの折などは「さとうのご飯」で済ますので、スーパーへ行けば「おこめ券」でさとうのご飯が買えるかと思ったらあっさりと断られた。
 「つるや」という軽井沢最大のスーパーの担当者に言わせると、さとうのご飯はおこめではないのだそうだ。
 お米というのは焚いてない固い米粒をいうので、さとうのご飯をたべてもお米をたべたことにはならない、というお役所風な答えがかえってきた。半分納得したが、半分なっとくできずにもうひとつのスーパーにいった。

 「デリシア」という最近できたスーパーでたずねたところ、「はい、結構です。さとうのご飯でも、お米でもどちらでも使えます。」という答えが返ってきた。つまりデリシアでは、お米もチンご飯も等しくおこめの領域と認めてくれた。
 お米の炊き方にはいろいろあるが、近頃では電気窯で焚くだけでなく、土鍋でたいたり、電子レンジの2分だったり、それぞれのライフスタイルに応じて、いろいろに食べ方や調理法に工夫している。

 全国おこめ券を発行してお米消費を促進したければ、そのあたりの調整を計ってから発行してしかるべきだろう。生のコメだけが対象のおこめ券をいくら印刷してもオコメの消費にはつながらないと自覚すべきだ。オコメ消費の現実がどこにあるか、もっと勉強したうえでおこめ券を作れ、といいたい。

 さとうのご飯には、「つや姫」から「晴天の霹靂」「魚沼のこしひかり」「新之助」「あきたこまち」「ひとめぼれ」「つがるロマン」「きらら」と日本中のブランド米が揃っている。
 さらに加工技術がすすめば、みんな焚くことをやめてチンでご飯をたべるようになるのは、時間の問題なのだから。
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2019年09月25日

海に生きた安曇族のお船祭り

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 安曇野に穂高神社がある。
 穂高神社は安曇野一帯にすみついた安曇族の守り神であると同時に、上高地から北アルプス穂高岳山頂に至る一帯の守護神でもある。安曇族はもとは北九州にすみし、海洋民族だったという説があり、今に残る習俗には興味深い海のものがたりが多い。

 9月26、27日におこなわれる「お船まつり」もそのひとつだ。全長12.3mの男腹、女腹の大小5艘の船が出て、壮絶なぶつけ合いをする。
船の帆先には何十枚のキモノが飾られ、中央部には等身大の穂高人形と舞台がかざられている。大海の大波に耐えられるほどの背の高い山車である。
 その昔、朝鮮半島百済救援のドキュメントが、祭の本行ときいては、気の遠くなるような歴史絵巻なのだ。海神に仕えたわだつみ族の子孫が安曇族と聞かされても、どこをどう通ってこの北アルプスの麓にたどりついたのか、頭のなかのハテナ・マークは消えない。

 穂高神社の奥宮は、上高地明神池のほとり、河童橋から4キロ程歩いたところ、山小屋のレジェンドである嘉門次小屋のすぐ側に奥社はある。
10月8日の明神池には雅楽が流れ、北アルプスの伏流水をあつめた水面に、平安絵巻のような龍頭鶏首に飾られたお船が行く。お船神事である。
 平安装束の神職たちはお船に立ち、一の池二の池をまわって、四海平穏と山神無事を祈り、邪鬼を払って祭りは終わる。
 北アルプスの山懐でこうしたお船神事があることで、マイ・脳ミソは安曇族にまつわる伝承を信じざるをえなくなるのだ。

 そして穂高神社にまつわるロマンは果てしなく続く。奥宮のその更に奥に峯宮がある。なんと海抜3190メートルの奥穂高岳山頂に峯宮が鎮座している。日本の屋根、北アルプスの頂点をも神域にしているのが穂高神社なのだ。

 里宮の境内を支配しているのは色とりどりのニワトリ達。黒、赤、緑、烏骨鶏も混ざって彩ゆたかなニワトリ達が悠然と境内をあるいている。
古事記に書かれた天の岩戸の情景がそこにある。
 鳥居をでれば、この世のものとは思われない名店「小笠原わさび店」のワサビ漬が待っている。

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2019年09月23日

剛力彩芽の無知と欲望

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 ITビジネスで派手な経営をし、世にパフォーマンスを見せつける人を信じない、というのは一般常識かと思っていたが、芸能界では反対のようだ。とくに女優と女子アナは、そうした行為をみせつけられると簡単に落城する。
 「現代アート、聖地巡礼」取材のためパリへ。ZOZOの前澤友作は毎回お気に入りの女優をともなって海外のアーティストをたずねる企画だった。米倉涼子、栗山千明、広瀬アリスなどなど、幻冬舎の雑誌企画に便乗して前澤は女優漁りをしていた。往復彼のプライベート・ジェットで行く、というところが味噌だが、前澤にとっては女達への承認欲求最大の手段だった。

 先ずZOZOの広報担当の女性がひっかかった。彼女は彼との間に二人の男の子を生んだといわれている。
 二人目は東京ガールズコレクションにモデル派遣をしていた女性、彼女はひとりの子供を産んだ。「結婚はしない。未婚の母親でいいのか、」と言われても、彼の財力に一生を託した二人の女がいた。
 間もなく「俺の宣伝のために紗栄子と付き合うから…」そんな言訳といもに、紗栄子とのスキャンダルは前澤友作を一気に有名人にした。それとともにZOZOという通販サイトの話題もふくらんだ。紗栄子は彼との交友を隠すことなく、プライベートジェットでのデートをSNS上に次々とアップしていた。

 そんな前澤の女漁りの頂点が剛力彩芽だった。オスカー社長の異常なこだわりで、剛力はコマーシャルの女王になったが、ドラマではまったく成功しなかった。カン違いの踊り自慢で、タイトルシーンなどやらせたが、踊り過ぎるばかりでスターの踊りにならない。
 そんな時、前澤からの「現代アート、聖地巡礼」のお誘いは、剛力にとってチャンスの神様にうつったのだろう。プライベートジェットでのロス取材を終えたのち、「これからフロリダに飛んで、宇宙旅行の契約サインをしに行くんだけど、一緒にこない?」異国での契約サインを見せつけられた剛力は、その瞬間に恋に堕ちたと伝えられる。
 前澤の手練手管に翻弄された剛力の人気はあっという間に坂道を転がるように堕ちた。 12本あったCMはゼロとなり、プロデューサーは誰も彼女を使おうとしなくなった。

 その頃ZOZOにじわじわと危機が迫っていた。社長の乱脈ぶりにオンワードを始め大手のファッション・メーカーが手を引き出した。前澤友作はヤフーの孫正義に泣きつき、会社をひきとってもらった。あちこちに買い散らかした不動産も、ボンバルディアのジェット機も、バスキアの絵画も、リシャール・ミルの腕時計もまもなく総てを手放さなければならない。自社に買い取らせた株式は、背任行為の証拠として刑務所送りの動かぬ証拠となる。
 その時、剛力彩芽はなんと言訳するのか、彼女に内在する無知と欲望と破廉恥があらわになる。
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2019年09月19日

覆面レスラーを議員に選んだ長野市民

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 長野市議会議員選挙の結果を見てのけぞった。
 普段教育県をもって任じ、議論好きの長野の県都の議員投票結果が、これだとは信じられない。
 覆面レスラーの「グレート無茶」なる人間がぶっちぎりのトップ当選だ。315.528人の長野市有権者のうち40.31%しか投票しなかったが、なにはともあれ6.231人が投票したのが、覆面レスラー「グレート無茶」というお粗末きわまりない結果だった。
 そのうえメディアの話題は、当選したあかつきに覆面で登院するやいなやの賛否両論である。どこまで阿呆なのか、立候補したやつも、投票した人間も、メディアも、まとめてアキレタ族である。

 グレート無茶は6000人の人が投票してくれたのだから、覆面マスクで議会に出ないと礼儀に欠けると訳の分からないことを言っている。議会側は委員会を開いて議論すると答えている。一回開いたが結論がでなかったので再び委員会を開いて審議する。いい加減にしてほしい。市民の負託に答えて議論する議会に、商売道具の覆面マスクをつけてでてくるなど正気の沙汰に非ず、議論の余地はない。
 品位がないとかいっているが、常識がないのだ。

 岩手県議会議員に選出された学歴詐称の「ザ・グレート・サスケ」、大分市議会議員に選ばれた「スカルリーバー・エイジ」、大坂和泉市議会議員に当選した「スペル・デルフィン」についで、四番目に覆面議員選出都市になったのが「長野市」。議会もどん底まで落ちて馬鹿にされたと認識すべきだ。

 議会とリングの区別がつかないスポーツ馬鹿が大手を振って歩いている。マスクの下が本人かどうか確認できないので、という議会事務局の見解は洒落のつもりか。
 長野市民の民度は地に堕ちたと、いわれても致し方ない。
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2019年09月18日

米寿御祝いに戸惑う

お米 写真.jpg

 軽井沢町藤巻町長とあいたいで写真を撮った。
 子供の描いた虹の絵をいただいた。お米券もどっさりついてきた。
 どうやら僕は老人のアイテムに入るらしい。おめでとうございます、といわれ、答えに戸惑った。ありがとうございます、と答えなければならない。
 老人は老人ホームに入らなければならないらしいが、今のところその予定はない。

 英国ドーセット ブリットポートから、帽子のケーキにローソクがいっぱいのカードが送られてきた。今日は「帽子デー」といって町中皆帽子をかぶってマーケットへ行かねばならないのだそうだ。
 プレゼントは別送すると書いてある。英国貴族はプライドが高い。老人扱いは禁物だ。

 つや姫、新之助、ゆめぴりか、銀河のしずく、こしひかり、そして雪蔵今摺り米など豪華七種のお米詰め合わせが送られてきた。
 鯛と湯葉のお吸い物までついている。 さすが都育ちの心使い、西ノ京御陵の桂さんと、祇園の照豊さんである。
 20数年前からのお付き合いだが、折にふれての届けものに感謝する。女盛りの今をさぞ幸せに過ごしていられるのだろう。
 贈り物にはその人の生活環境が映し出される。

 桜の木の禎子さんからは、只今関西へ移動中という近況報告からお祝い電話をいただいた。
 新婚の明嗣君からは子供が無事生まれたという声、相方は美女なので多分ジャニーズ系男子に育つだろうと想像、世代交代を告げられたような複雑な気分である。

 デスクの高橋さんからは、早々と来年のカレンダー一式である。
           ……くたばらずに来年も働けという叱咤激励なのだろう。

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2019年09月17日

台風と電気とマッチと

倒れた電柱.jpg

少し強い台風がきたので
たくさん鉄筋の入ったコンクリートの電柱が倒れた
一本倒れた
二本倒れた
三本倒れた
四本倒れた
五本倒れた
六本倒れた
七本倒れた
八本倒れた
九本倒れた
十本倒れた
その後は数えきれない

沢山倒れたのでお風呂が沸かない
沢山倒れたのでテレビがつかない
沢山倒れたのでスマホの充電ができない
沢山倒れたのでゲームができない
沢山倒れたのでチンご飯が食べられない
沢山倒れたのでエアコンがうごかない
沢山倒れたのでトイレは流れない
沢山倒れたのでシャッターが動かない
クルマは車庫で死んでいる

電気会社と電信柱のメーカーは大噓ツキ
…… 電線を地中に埋めると儲からない

 
そこで昔ながらの扇子と団扇が有難い
そこで昔ながらの自転車が有難い
そこで昔ながらのマッチと薪が有難い


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2019年09月14日

牡蠣に始まり牡蠣に終わる

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 80年食べ続けて少しも飽きない定食メニューがある。
 「牡蠣フライ」である。冬になって「牡蠣フライ」始めました、の貼り紙をみると周りのメニューが眼にはいらなくなる。
 有楽町のガード下でも、三田の田町通りでも、六本木の俳優座裏でも、いろいろな「牡蠣フライ」をたべてきた。不思議なことに牡蠣フライには不味い牡蠣フライがない。スーパーの片隅に並べられている牡蠣フライも結構いける。あるレベルを維持しているのは牡蠣の力だろうか。
 大きな差がでるのは、添えられたタルタルソースである。丁寧に作られたタルタルと、工場で大量に作られたタルタルには大きな差がある。
 だから出された牡蠣フライの一皿は、タルタルソースのお試しに始まる。タルタルが美味いとその日いちにち幸せな気分になる。

 レストランの店頭に砕かれた氷のうえに丸く並べられた牡蠣をみた。60年前の冬のパリの街角だった。店の中ではなく、店の外にずらりと並んだ牡蠣の姿にパリジャン達の異常な牡蠣好きをみた。恋人同志レストランの店頭で牡蠣の立ち食いだ。見つめ合いながら、たまにベーゼを交わしながら、手にとられた牡蠣にレモンを絞りあったりして、冬牡蠣を楽しんでいた。

 数年後パリでは牡蠣が食べられなくなった。店頭の冬牡蠣が姿を消した。牡蠣が病気になって全滅した。その時、フランスに母牡蠣を送って助けたのが、宮城南三陸町だった。南三陸の牡蠣は世界でいちばん病気に強い牡蠣だった。
 3.11の東北大震災のあと、いち早く牡蠣の種をおくってくれて、三陸に牡蠣の復活をもたらしてくれたのはフランスの牡蠣業者だった。こうして日本とフランスの牡蠣好きはしっかりとした絆でつながっている。

 いま市川、江戸川の河口には牡蠣殻の貝塚が次々とできて困っている。中国の人々が連日押寄せて牡蠣をとり、その場で中味を取り出し殻を捨てて帰る。そのため牡蠣殻が山をなしているというのだ。
 江戸川の牡蠣には漁業権が設定されていない。日本人はこんなに美味いものを何故たべない。よもや汚れた川の牡蠣をとりに中国人が集まるということなど日本人は想像もしていなかった、ということなのだろう。
 江戸川は中国の人には宝の川に映っている。
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2019年09月13日

村山槐多とゴヤの衝撃

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 初めて「村山槐多」の奇作にであったのは、信濃デッサン館だった。
 作家水上勉さんの子息・窪島誠一郎さんが自費で建設した美術館で、夭折した作家の作品を集め、信州別所平の山懐にシックなたたずまいをみせていた。
 その美術館の目玉が「尿する裸僧」だった。僧侶が合掌しながらみずからの拓鉢にむかって放尿するという衝撃の作品だった。そのシチュエーションの大胆さにどうむきあったらいいか一瞬ためらいに襲われた。

 前年、イタリア美術探訪のついでに、スペインマドリッドを訪れた。プラドー美術館でゴヤの作品がみたかった。薄暗い一室にゴヤの作品だけが集められていた。
 息をのんだのは、「我が子を喰うサトゥルヌス」、自分の子に殺されるという予言に恐れたサトゥルヌスが、自分の5人の子供を次々と頭から食い殺す、その情景がリアルに描かれている。ぞっとしてその絵のまえにたちすくんだ。震えが止まらなくなった。
 あの時の慄然とした気分をおもいだしたのが、槐多の「尿する裸僧」だった。

 ミケランジェロだけを見て歩いたイタリアの旅、パリ、アンティーブ、バルセロナと回ったピカソの旅、ノルマンディを巡った印象派の旅、アートに惹かれた旅はいろいろとしたが、感動感激につつまれても、衝撃にやられる旅はそんなにない。その数少ない体験を味合わせてくれたのが、ゴヤと槐多だった。、

 ゴヤは壮絶だが美しかった。槐多は土臭く美しくない。民画のような骨太さは野暮ったく疲れるので、僕のなかでは余り評価しない。それより詩人としての村山槐多にひかれる。詩人として中原中也を超えている、とさえおもうことがある。

 槐多没後100年のことし、新たに発見された140点の作品の真贋騒動が美術界をにぎわしている。評論家と画商のあいだで如何にもの贋作騒動、話題が高値をよんで美術流通が活気ずくという日本独特の不思議である。
posted by Kazuhiko Hoshino at 19:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月12日

いろいろなお金の支払い

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 「お買い上げの衣類は篭にいれて、その台のうえにおいてください。左の画面にお買い上げ一覧がでますので、よろしければ次をタッチしてお支払い画面にお進みください。」買った方も売った方も商品には一切手をふれていない。すべて機械がやってくれる。ついこの間まで、一列にレジにならんでいたが、そのレジが無くなってしまった。レジの無人化である。客は機械の言うとおりに支払をすませ、画面上に「アリガトウゴザイマシタ」とでたら、自分で買い求めた衣類をレジ袋にいれて帰る。
 欲しいものを買い求めたという気分より、必要衣類を補充したといった気分である。

 紀伊国屋は買い求めた商品をレジでチェックして、支払いをすると、店員さんが、レジ袋に入れて手渡してくれた。親切が嬉しかった。
 最近のデリシアは階上げ商品の読みとりを店員さんがして、支払は次のカウンターで自分がする。レジ袋にいれるのは客自身の仕事である。

 アウトレットのファッション・ブティックでは、告げられた金額を直接レジのおねえさんに払うと、オネエサンはロゴ入りのショッピングバックにお買い上げ商品を丁寧に入れて、戸口までもってきてくれる。またのお出でをお待ちしますと言ったスタンスだ。

 ユニクロで、パンツとクツシタを買ったオジサンが、普通のキャッシャーは何処だ? と怒鳴っていた。若い店員さんが駆けつけて、お詫びしながら自動キャッシャーの代行をしていた。不思議な気分におそわれた。

 明日の社会を生きるには、いろいろなお金の支払い方を勉強しなければならない。 
 クワバラな世の中である。

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2019年09月10日

水に生きる

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 少女はいつも水を飲んでいた。
 仕事に入る前には必ず水をのんでいた。どこか遠くにでかける時も、必ずといっていいほど水をのんでいた。始めは喉がかわくものを食べたに違いないと、おもっていたが、その内にいやそうではない、少女にとって水はエネルギーのもと、水をのまないと少女は壊れてしまうのではないか、と思えるようになった。だから少女と仕事を共にするときは、水をあらかじめ用意するようになった。

 少年時代、「水を買う行為」など想像もしなかった。東京では水道の蛇口をひねれば、少し臭い水がいくらでもでてきた。
 どこの家にも井戸があり、夏休みの西瓜はいつも井戸に浮かんでいた。神棚にあげる水は、井戸水に限られていた。水道の水を神様や、仏様にあげては罰があたると教え込まれてきた。 だから井戸のかたわらには水神様が祀られていた。

 学校の廊下に一列に並んだ水道があった。そこで手をあらった。掃除のあとの雑巾もすすいだ。
 防空演習のときはバケツにいっぱいの水をそそいで、バケツリレーをした。それでアメリカに勝てると信じていた。 並んだ蛇口の前には鬼畜米英と書かれていた。
 その水道の水を飲んで育った。

 広島に原爆が落とされ、人々は「水を、水を……」と云いながら息絶えていったという記事をよみ、初めて「命の水」を認識した。
 美しかった水は、敗戦とともに泥水にかわっていた。

 いま、隣のデスクの女性は、コストコのカークランドというアメリカ製の水を飲んでいる。僕はヴォルビックというフランス製の水である。ネットでは伊豆半島沖の海洋深層水とやらを集団飲水している。
 齢とともに水の重さに耐えられなくなった。アマゾンなら戸口まで水を運んでくれる。
 やはりアメリカに生かされている毎日である。
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2019年09月08日

京都にチャイナタウンができる?

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 「うわぁ、この街は長安の都だ」「なんでここに長安があるんだ!」
 観光の来日中国人が例外なく感動するのは、「京都」の街並みや「寺社仏閣」のたたずまい、さらに「京都御所」などに歩を進めると、中国の古都長安が失ったものが、京都にあるというので感動するという。
 考えてみればあたりまえのこど、1000年のむかし京都は、長安を下敷きにして築かれた都そのものだからだ。大和の国にとって新しい文化は中国にあったのだから、先人たちが長安の都にならって平安京の設計図をひいたのは極あたりまえのことだったといえよう。

 神戸には古くからチャイナタウンがある。皇蘭の豚まんや、仙翁閣の焼売にお世話になった方も多いだろう。長崎にも横浜にもチャイナタウンがある。長崎なら江山楼の特上チャンポン、お土産には蘇州林の月餅、横浜のチャイナタウンは沢山ありすぎてかけないが、学生時代は重慶飯店、中年すぎたら謝伝記のおかゆ、金鳳酒家のふかひれなどと偏ってきた。

 中国人は世界中どこへいっても自分達だけの城をきずこうとする。名古屋では民族主義の河村市長にあっさりと蹴られて失敗に終わった。
 いま着々と企んでいるのが、長安にそっくりな京都にチャイナタウンを作ろうという計画だそうだ。既に川端康成の別荘であった下鴨泉川亭は、レオパレス21によって中国の大富豪に売られた。あちこちの町家も着々と中国人にかわれていると、伝えられる。

 この中国人のチャイナタウン計画に、中華思想にも似た京都モンロー主義の人々が、どういう反応を示すか、息をひそめて見守っている。
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2019年09月07日

売れない薬・売れる薬の政治事情

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 「ファイト一発! リポビタンA」「湧き上がる元気! ニンニクの力」「今、その疲れに速攻一本! ユンケル黄帝液」そうしたテレビCMがあふれていた時代があった。がいつのまにかそうしたガンバレCMは、テレビという舞台から姿を消した。
 売上げを減らしたベスト・1とベスト・4がドリンク剤、ミニドリンク剤だそうだ。胃腸薬も売上減のワースト2にはいっている。
そして売上減の第五位は、ビタミンE 剤だという。これだけで販売総額は約1800億円に達する。
 市場規模1兆円のうちの2000億だから馬鹿にならない。

 日本人は頑張らなくなった。働かなくなった、その結果がここにでている。安倍内閣の働き方改革がみごとに大衆薬の販売実績に反映されている。財布もだいぶ軽くなって暴飲暴食もしなくなったので、胃腸薬も売れなくなった。

 売上げを伸ばしてる大衆薬もある。第一位は漢方薬、メタボのための「ナイシトール」など、名前が西洋渡りのイメージなので漢方薬だということを見逃す。富山の製薬メーカーは、圧倒的に漢方薬なのだが、ちかごろは皆オシャレなカタカナ文字の名前にしているため一般人にはわからない。
 二位が目薬、三位が鼻炎治療薬というから、花粉症の被害が如何に多いかということだ。半世紀前農林省の役人の無知に始まった植林が今日の花粉症ブームをもたらした。
 ヨーロッパのように花粉の少ない杉を植えておけば、こんにちのような悲惨なことにはならなかった筈が、目先の簡便さにひっぱられて植林した結果が、こんにちの花粉症王国をつくりだした。

 薬の情報は日経新聞・塚越慎哉さんに伺ったのだが、スイッチOTCのこと、或いはセルフ・メディケーションのこと、この国の医療行政にはまだまだ深い闇があるような気がした。

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2019年09月06日

オルフに負けた熊川哲也

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 Kバレエによるカルミナ・ブラーナを観た。
 カール・オルフによる世俗的カンタータが異常に好きだ、という理由からでもある。バッハの昔からあるカンタータに対して、もっとも新しいこのオルフの作品は、怒涛の合唱と独唱と打楽器群を中心にしたオケの表現が、極端にダイナミックで魂を揺さぶられるからだ。、
 オルフのこの曲には、威狂った大自然やコンクリートに固められた都市文明を吹き飛ばす、哲学にみちた音の世界がある。
 心配した東フィルも、新国立劇場合唱団も見事な演奏で答えてくれた。称賛すべきは指揮のバッティストーニ、明確な棒で、この世俗カンタータの輪郭をえがいた。

 さて真ん中にきた熊川哲也の振付・演出だが、音楽に負けたというのが正直な感想である。
 始まりの女神と悪魔の交歓が、千手観音のごときモチーフに始まったが、形にとらわれたダンサーが、存在よりテクニックに左右されたとこからモダン・バレエのマテリアルを失い、ストーリー・バレエのクラシックを想起させた。
 群衆も貧弱な存在で悪魔に立ち向かう迫力もなく、着衣でも裸体にかわってもなんの変化もない存在だった。上半身むきだしになっても人間が剥き出しにならない不思議な群れのコールドでは、オルフに勝てない。
 ベジャール以来、多くの群舞表現に恵まれたバレエ界だが、振付師の不勉強なのかもしれない。ここ数年折に触れて観ているパリオペラ座バレエ団の人間表現には遠く及ばない現実をみせつけられた。
 たくましい肉体は勿論のこと、より世界観をもち、人生観をもったバレエ・ダンサーがでてこないとこうした作品は完成しない。Kバレエには、ないものねだりなのかもしれない。
 カルミナ・ブラーナはパリ・ガルニエ宮でこそのレパートリーと認識した。
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2019年09月03日

「火鍋」と「火病」

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 「火鍋」はじわじわと人気を広めている。
 京都にたどりついた火鍋がしゃぶしゃぶの起源だという説もあるが、中国わたりの強烈な刺激鍋が日本人には歓迎されず、姿をかえて「しゃぶしゃぶ」に変身したともいえる。
 近頃の若者は刺激不感症が増え、七味唐辛子をたえず持ち歩き、味噌汁にもハンバーグにもかまわず七味をこってりとかけて食する人をまま見かける。
 原因は味覚の単純化とか、情緒不安定とか、いまだ解明されていないが、こうした人たちを中心に超辛の火鍋が人気をひろめている。
 白濁したスープと、唐辛子、山椒などをベースにしたマーラー・スープのふたつが基本で、陰陽に見立てた丸い鍋が、中国料理らしさを演出している。
 長い間、四川の奥に閉じ込められていた中国共産党の幹部には火鍋愛好家が多く、本場ロシアで破綻した社会主義を頑なに守り、世界支配に野望をいだく頑固さは、まさに火鍋そのもののようでもある。

「火病」というのがある。
 朝鮮民族特有の精神疾患だといわれている。
 抑圧された感情が身体の一部に爆発し、動悸、発熱、興奮、悪寒、不眠などの症状が発生する。この病はアメリカ精神学会にも登録され、朝鮮民族だけがもっている文化結合症候群だという。
 通常は配偶者の浮気、嫁姑確執、子供の非行などの原因で発症するが、外に向かうと高学歴社会への反発や、大統領への不平不満などにも及ぶ。
 慰安婦像へのこだわり、国際条約の無視、歴代大統領の処刑など、異常な民族感情のたかぶりも、この「火病」が原因かもしれない。

 火鍋……火病……火のつくものから身を守れ。
posted by Kazuhiko Hoshino at 14:36| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月01日

危険が迫る 香港のジャンヌ・ダルク

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 1996年12月3日生まれ、「香港のジャンヌ・ダルク」と呼ばれている周庭さんが心配だ。
 「香港は私の家です。自分の家を守るのは当然です。」すでに3回も逮捕、拘束されている学民の女神はまったくひるむことなく中国政府のやり方に反対運動を展開している。
 中国共産党、中国政府、香港政庁にとってもっとも扱いにくい困った存在が、この22歳になった民主のカリスマ・周庭さんだろう。

 周庭さんの運動は9年前の教育カリキュラム導入にはじまっている。中国政府は中国共産党の思想を賛美し、西側の政治体勢を批判する新しい教育カリキュラムをいれようとした。これは洗脳だと叫んで政庁前に数千人のデモが集まった。この時から周庭さんの魂に灯がついたと伝えられる。
 2014年には雨傘運動のスポークスパーソンとなり、2016年のデモシスト結成のオーナーメンバーとなり、デモシストの牽引車となってきた。
 2018年には立法会選挙にたとうとしたが、行政府から拒否されるという困難に出会っている。

 周庭さんは一見優しげだが、若いエネルギーをひめた心の強さを感じさせる。英国と中国の間に結ばれた一国二制度の約束を少しずつ反故にしようという共産党政権のやり方に我慢ならなかったのだろう。
 中国政府は真綿で首をしめるように完全共産化をねらっているが、民主制度の良さをあじわってきた香港人がどこまで共産主義の窮屈さに我慢できるか、という問題でもある。
 頑張れ! 香港人! 頑張れ! 周庭さん!   が身に危険が迫ったら、万難を排して日本に亡命してほしい。





posted by Kazuhiko Hoshino at 13:21| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする