2019年09月10日

水に生きる

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 少女はいつも水を飲んでいた。
 仕事に入る前には必ず水をのんでいた。どこか遠くにでかける時も、必ずといっていいほど水をのんでいた。始めは喉がかわくものを食べたに違いないと、おもっていたが、その内にいやそうではない、少女にとって水はエネルギーのもと、水をのまないと少女は壊れてしまうのではないか、と思えるようになった。だから少女と仕事を共にするときは、水をあらかじめ用意するようになった。

 少年時代、「水を買う行為」など想像もしなかった。東京では水道の蛇口をひねれば、少し臭い水がいくらでもでてきた。
 どこの家にも井戸があり、夏休みの西瓜はいつも井戸に浮かんでいた。神棚にあげる水は、井戸水に限られていた。水道の水を神様や、仏様にあげては罰があたると教え込まれてきた。 だから井戸のかたわらには水神様が祀られていた。

 学校の廊下に一列に並んだ水道があった。そこで手をあらった。掃除のあとの雑巾もすすいだ。
 防空演習のときはバケツにいっぱいの水をそそいで、バケツリレーをした。それでアメリカに勝てると信じていた。 並んだ蛇口の前には鬼畜米英と書かれていた。
 その水道の水を飲んで育った。

 広島に原爆が落とされ、人々は「水を、水を……」と云いながら息絶えていったという記事をよみ、初めて「命の水」を認識した。
 美しかった水は、敗戦とともに泥水にかわっていた。

 いま、隣のデスクの女性は、コストコのカークランドというアメリカ製の水を飲んでいる。僕はヴォルビックというフランス製の水である。ネットでは伊豆半島沖の海洋深層水とやらを集団飲水している。
 齢とともに水の重さに耐えられなくなった。アマゾンなら戸口まで水を運んでくれる。
 やはりアメリカに生かされている毎日である。
posted by Kazuhiko Hoshino at 11:38| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする