2019年09月13日

村山槐多とゴヤの衝撃

村山槐多.jpg

 初めて「村山槐多」の奇作にであったのは、信濃デッサン館だった。
 作家水上勉さんの子息・窪島誠一郎さんが自費で建設した美術館で、夭折した作家の作品を集め、信州別所平の山懐にシックなたたずまいをみせていた。
 その美術館の目玉が「尿する裸僧」だった。僧侶が合掌しながらみずからの拓鉢にむかって放尿するという衝撃の作品だった。そのシチュエーションの大胆さにどうむきあったらいいか一瞬ためらいに襲われた。

 前年、イタリア美術探訪のついでに、スペインマドリッドを訪れた。プラドー美術館でゴヤの作品がみたかった。薄暗い一室にゴヤの作品だけが集められていた。
 息をのんだのは、「我が子を喰うサトゥルヌス」、自分の子に殺されるという予言に恐れたサトゥルヌスが、自分の5人の子供を次々と頭から食い殺す、その情景がリアルに描かれている。ぞっとしてその絵のまえにたちすくんだ。震えが止まらなくなった。
 あの時の慄然とした気分をおもいだしたのが、槐多の「尿する裸僧」だった。

 ミケランジェロだけを見て歩いたイタリアの旅、パリ、アンティーブ、バルセロナと回ったピカソの旅、ノルマンディを巡った印象派の旅、アートに惹かれた旅はいろいろとしたが、感動感激につつまれても、衝撃にやられる旅はそんなにない。その数少ない体験を味合わせてくれたのが、ゴヤと槐多だった。、

 ゴヤは壮絶だが美しかった。槐多は土臭く美しくない。民画のような骨太さは野暮ったく疲れるので、僕のなかでは余り評価しない。それより詩人としての村山槐多にひかれる。詩人として中原中也を超えている、とさえおもうことがある。

 槐多没後100年のことし、新たに発見された140点の作品の真贋騒動が美術界をにぎわしている。評論家と画商のあいだで如何にもの贋作騒動、話題が高値をよんで美術流通が活気ずくという日本独特の不思議である。
posted by Kazuhiko Hoshino at 19:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする