2019年09月14日

牡蠣に始まり牡蠣に終わる

牡蠣.jpg

 80年食べ続けて少しも飽きない定食メニューがある。
 「牡蠣フライ」である。冬になって「牡蠣フライ」始めました、の貼り紙をみると周りのメニューが眼にはいらなくなる。
 有楽町のガード下でも、三田の田町通りでも、六本木の俳優座裏でも、いろいろな「牡蠣フライ」をたべてきた。不思議なことに牡蠣フライには不味い牡蠣フライがない。スーパーの片隅に並べられている牡蠣フライも結構いける。あるレベルを維持しているのは牡蠣の力だろうか。
 大きな差がでるのは、添えられたタルタルソースである。丁寧に作られたタルタルと、工場で大量に作られたタルタルには大きな差がある。
 だから出された牡蠣フライの一皿は、タルタルソースのお試しに始まる。タルタルが美味いとその日いちにち幸せな気分になる。

 レストランの店頭に砕かれた氷のうえに丸く並べられた牡蠣をみた。60年前の冬のパリの街角だった。店の中ではなく、店の外にずらりと並んだ牡蠣の姿にパリジャン達の異常な牡蠣好きをみた。恋人同志レストランの店頭で牡蠣の立ち食いだ。見つめ合いながら、たまにベーゼを交わしながら、手にとられた牡蠣にレモンを絞りあったりして、冬牡蠣を楽しんでいた。

 数年後パリでは牡蠣が食べられなくなった。店頭の冬牡蠣が姿を消した。牡蠣が病気になって全滅した。その時、フランスに母牡蠣を送って助けたのが、宮城南三陸町だった。南三陸の牡蠣は世界でいちばん病気に強い牡蠣だった。
 3.11の東北大震災のあと、いち早く牡蠣の種をおくってくれて、三陸に牡蠣の復活をもたらしてくれたのはフランスの牡蠣業者だった。こうして日本とフランスの牡蠣好きはしっかりとした絆でつながっている。

 いま市川、江戸川の河口には牡蠣殻の貝塚が次々とできて困っている。中国の人々が連日押寄せて牡蠣をとり、その場で中味を取り出し殻を捨てて帰る。そのため牡蠣殻が山をなしているというのだ。
 江戸川の牡蠣には漁業権が設定されていない。日本人はこんなに美味いものを何故たべない。よもや汚れた川の牡蠣をとりに中国人が集まるということなど日本人は想像もしていなかった、ということなのだろう。
 江戸川は中国の人には宝の川に映っている。
posted by Kazuhiko Hoshino at 19:42| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする