2019年11月28日

スーパー・マリオ・パークに期待する

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 オリンピックを飛び越して、2020の話題が賑わっている。
 そのひとつ、ようやく舶来テーマパークに日本製のテーマが登場する。アメリカディズニー映画の世界や、西海岸ユニバーサル映画の世界で喜々として喜んでいる日本人の多さが悲しかった。
 日本にも沢山の物語があるし、伝承も、神話もあるのに何故これほどまでにアメリカの物語をありがたがるのか、戦いに負けるというのは、こういうことか、と突き付けられた現実に歴史の悲しさを見てきた。

 USJに世界初のリアルマリオ・パークが登場する。スーパー・ニンテンドウ・ワールド。ひところ冴えなかったUSJがこのところ集客力で急上昇、ひとえにハリーポッターの充実ぶりで、ここ3年日本のテーマパーク・ランキングでも首位を走っている。
 そこにリアルマリオ・パークの登場で名実ともにディズニーランド越えが現実のものになってきた。

 マリオ・ワールドは所々にハテナ・ブロックがあり、土管もある。山の頂にはゴールポールも見える。世界最先端の技術を駆使したマリオ・カートが眼玉といわれている。マリオが踊り、ルイージが走り、ピーチもキノピオもクッパもみなニンテンドウの開祖とばかりにがんばつていることだろう。大阪で成功させ、次はオーランド、ハリウッド、シンガポールの各ユニバーサルスタジオにも登場するという。

 いつか世界のテーマパークに、かぐや姫、桃太郎、花咲じじい、戦国バサラ、ポケモンなど日本由来の物語が登場した奇跡のニッポン・テーマ・パークが世界の人々から愛される日を夢見ている。
 アメリカ映画の作り話より、にほんの伝承や童話のほうがよほど面白いし、楽しくもある。

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2019年11月26日

オジサンがっかり女優ベスト5

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 憧れの芸能人が結婚したからと言って、○○ロスと称して飲んだくれる男性は意外に多いらしい。憧れの芸能人に託した見果てぬ夢が破れたと、本当に思っているフシアワセな人々が何時の時代にも多いということなのかもしれない。

 ことしも多くの芸能人が結婚した。かって芸能人は手の届かないところに住んでいるバーチャルな存在だった。情報化時代になって極端に距離が短くなった。となりのオネェチャンがオッパイだしてグラビアに登場している。日曜日に原宿を散歩してたら、オスカーとかいう会社の人にすれ違って、次の日曜日にはテレビにでていた。そんな事情のなかでもいい歳をしたオジサン達をガッカリさせた○○ロスな女優さんベスト・ファイブを上げてみた。

 第一位はダントツで「壇蜜」、マイナーなカルト漫画作家清野とおると結婚した。一日中マスクをした変な男だ。共に風呂に入っても、壇蜜がそこにハダカでいるのはリアルでない、といつて近寄ってこない、という変態野郎だ。壇蜜のそこはかとない色気になにかを期待していたオジサン達を裏切ってまで結婚するほどの意味が、何処にあったのかオジサン達にはリアルでない。

 第二位は「菊池桃子」だ。経済産業省経済産業政策局局長新原浩朗なる60歳の役人と再婚した。日曜日の夕方、西田敏行と掛合で放映してる「人生の楽園」での菊池桃子の優し気な声に癒されてきたオジサン達のなんと多かったことか、二人の子供をかかえ子育てをしながらのかってのアイドルシングルマザーに、ひそかに声援を送っていたオジサンたちを絶望の奈落に突き落とした。よりにも拠ってパワハラ体質の上級国民と再婚では、中級国民のオジサン達は世間の冷たさを感じている。

 第三位は「多部未華子」、写真家の熊田貴樹と結婚した。「これは経費でおちません」サラリーマンなら一度は経験している、これは経費でおちません、の歯切れのいいセリフに魅せられた筈だ。出張精算ゃ接待経費でいつも苦労していた若き日が、彼女のセリフとともによみがえってきた。経理部の彼女の計らいで暗黙に経費でおとしていた、社内恋愛の3年間の思い出がリアルに返ってきたオジサンもいるだろう。

第四位は「蒼井優」、魔性の女と言われ、共演した二枚目は必ず餌食になった大森南朋、鈴木浩介、三浦春馬、V6の岡田准一、最後の仕上げが漫才の山里亮太とは、麻薬ならぬ煙草の害にでもやられたのだろう。魔性というよりアバズレの末路に相応しい結果とオジサン達は喜んだに違いない。

そして第五位は「滝川クリステル」、サイボーグのような彼女がえらんだのが小泉進次郎、政策能力のない見た目だけの小泉に、これまた見た目だけのクリステルがよく似合う。イギリス人振付のお・も・て・な・し以外なんの実績もない彼女では、外人なら何でもいい中味に関係のないオジサん達がロスなのだ。
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2019年11月22日

カップ焼きそばは文化に違いない

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 多分日本中に「不幸」が蔓延していたのだろう。突如として「幸福駅」のブームがやってきた。北海道のどこやらに「幸福駅」という駅があって、「幸福駅行」という切符がもてはやされた。勿論「幸福駅発」でもよかった。1974年のとし。ツィギー来日に始まったミニスカート・ブームも飽きられ、銀座通りにはロングスカートのお嬢さんが埃を吸い上げて歩いていた。

 その年の暮れ、「幸福駅行」の一枚の切符と、折から発売された「カップ焼きそば」を鞄に忍ばせて京都へ向かった。いくら電話で話しても信用してもらえなかったからだ。「お湯だけで焼きそばができる筈がない。お兄さん、夢見てるのと違いますかー」よしそれならばと、集まった祇園の芸妓衆に、お茶屋の片隅でお湯を注いで5分待たせたのだった。
 「ヒャーほんまや! 焼きそばの味してる。焼きそばやんか。でもこれ身体に悪いとちゃいますか?」面目をほどこし、追討ちをかけるがごとく幸福駅行の切符を配って、祇園町を後にしたのだ。

 以来お湯で作る焼きそばはこの国に定着した。「もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら」という本が話題になっているとデスクから聞いた。だからどうした、というバカバカしい本です。と彼女は言うが、テレカクシと思い読んでみた。たしかにバカバカしいと言えなくもないが、比較文化の視点から読むと、興味の奥行きは深い。

 川端康成は……遠くからかすかに湯切りの音がきこえてくるような気がした。わけもなく涙がぽたぽたと落ちた。
 三島由紀夫は……美味い。そうだ。私は自分の食欲を恥じていた。しかし確かにこのとき、私は私の内部にある罪の意識と和解できたのだ。麺をかき込みながら、明日も食べようと私はおもった。
 宇能鴻一郎は……ソースをかけて、箸で、ズルズルって食べると麺がムッチリしていてあたしの柔かい唇が水気で濡れました。ゴクッて飲み込むと、体が火照って気持ちのいい震えが爪先から駆け上がってくるんです。クラクラッとして、なんだかパンティをかえたくなっちゃって。あたし、タイミングを見てトイレに行きました。

 文化とは、暮らしの役にたたないところがとてもいい。
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2019年11月21日

「悪魔のおにぎり」に戸惑う

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 不覚にもこうしたものが売り出されていることをしらなかった。
 今日のお昼のメニュー何かありますか? と問われ、何もないと答えたところ、差し出されたのがこれだった。
 やみつき注意!! 「悪魔のおにぎり」 天かすと青のり入りめんつゆ混ぜご飯 悪魔的なうまさ のひとつと、新発売! 焼肉のたれでやみつき注意!1 「悪魔のおにぎり」 牛そぼろ、卵そぼろ、刻みのり、白ごま、焼肉のたれ入り混ぜご飯であった。
 コンビニのお握りの進化についてはかねがね話題になっているので、さらに美食の罪の方向にむかっていると合点して口にしたところ、このお握りはまったく方向の違うお握りであった。

 コンビニというアメリカの業態から始まった店に、しっかりと「おにぎり」がいずわったのは奇跡かもしれない。コンビニ各社それぞれにこだわって宣伝にはげんだ。まず始まりは「米じまん」、負けてたまるかとばかり「海苔じまん」、ついに新フックラ包みなど「包み方自慢」にいたった。具の変化も鮭の定番から明太子になり、いまでは複合的具自慢になっている。 「手巻きつなマヨネーズ」「具たっぷり牛カルピ」「いぶり焼き肉巻き」「熟成仕立て紀州南高梅」などなど、母のにぎった梅にぎり、塩むすびしか知らない世代はうろたえるのだ。

 その上、お握りに悪魔が登場するとは、対応にとまどうばかり。
 我々の悪魔はドイツ伝承のあのファウストに登場する魂の狩人にほかならない。魂と引き換えに果てしない知識と現世の幸せをくれるあの悪魔である。芥川龍之介には「煙草と悪魔」という喫煙をもちこんだ悪魔のはなしがあるし、タロットカードにも欲望に忠実な悪魔がいる。悪魔の美しさはいつも淫らな存在にあった。

 お握りの悪魔はさほど文学的でもないし、美食の罪にとわれるほどのものでもない。単なるコピーの遊びにしては重すぎる。更によく見ると、HIKAKIN & SEIKINの文字とふたりのサングラス・スタイルが印刷されている。
 このふたりがそれほどの存在と、知らなかった自分に恥いったお握りであった。 
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2019年11月20日

牛肉から人工肉へ

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 代替肉、人工肉の世界が荒れている。
 動物由来の肉を食べることを止めて、植物由来の肉を食べることにしようと食の革命が起きている。
 BEYOND MEAT 人工肉を専門に製造しているカリフォルニアの会社が主役だ。商品名はビヨンド・バーガー、ビヨンド・ビーフ、ビヨンド・ソーセージ……いちばん先にとびついたのはケンタッキー・フライド・チキン、アトランタの店でビヨンド・フライドチキンを売り出した。

 米国内には宗教的な理由から動物の肉を食べない人たちがいる。
 総人口の5%が肉や魚を食べないベジタリアン、さらに肉魚に加え卵、乳製品、蜂蜜も食べない3%のビーガンがいる。こうした人たちのためニューヨーク辺りのレストランでも、ベジタリアンのためのメニュー、ビーガンのためのメニューが用意されている。
 ビヨンド・ミートは今年の5月、ナスダック市場に上場され話題をよんだ。上場初日に163%の値上がり、その後235%の高値をつけた。

 従来、ビヨンド・ミートとインポシブル・フーズの二社が苦労して開発してきた人工肉市場に大手メーカーが次々と参入してきた。
ネスレ、ケロッグ、クローガー、さらに食肉大手のタイソン・フーズなどが、市場参入してきたのだ。

 日本は世界に誇る松阪牛やら但馬牛、山形牛など手塩にかけた飼育で太平楽を決め込んでいるが、そのうちステーキチェーンやら俺のステーキあたりで、人工肉まつりなど始めたら、意外にいけるぜ、ハーブのかおりのステーキもなかなかいいもんだと、あっという間に人工肉市場ができるのではと、余計な心配をしている。
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2019年11月18日

クリスマスはヴッシュ・ド・ノエル

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 日本ではラーメン・コンテストとご当地B級グルメ争いが盛んに開かれる。
 フランスは食べ物のコンテストといえば、毎年決まったようにエリゼー宮に届けるバケットと、チョコレートのコンテストが開かれる。それにコンテストではないが、9月初めに一斉に発表されるクリスマスのためのヴッシュ・ド・ノエルがパリジェンヌ達の話題になる。

 12月の雑誌のグラビアや話題になるためには、9月に発表しないと、締切に間に合わないという都合もある。今年のクリスマスのために、といっても丸いカタチのホールケーキはパス、丸いクリスマスケーキは、お子様ようのケーキであって大人の味覚、感性に対応したケーキとはみなされていない。
 話題になるのは伝統的なヴッシュ・ド・ノエルのみで、高級ホテルやら有名ショコラティエ、パティスリーで発表会が開かれている。

 プラザ・アテネ、ムーリス、ジョルジュ・サンク、ホテル・リッツ、マンダリン・オリエンタル、などの五つ星ホテルからピェール・エルメ、クリストス・ミシャラク、セドリック・ゴレ、ピエール・マルコニーニなどの作家たち、あるいはラ・デュレやコレット、プーシキンなどのパティスリー、バリ市内だけでも数十ヶ所でヴッシュ・ド・ノエルのプレゼンテーションが開かれる。

 チョコレートplusワンだけのシンプルなケーキ、あるいは作家のモチーフにこだわったキツネ型、グレーカラーに星だけ、月のかたちの四重唱、アートアートの前衛派、ヴュシュにチョコレートのリボン等々、シンプルな伝統の造形にほんの少し大人のセンスを加えたものが圧倒的に多い。
 グルメ記者たちは見た目だけではなく、食べた印象まで記事にしなければならず、糖尿の危機にさらされなかせら、ヴッシュからヴッシュへと飛び回っている。
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2019年11月17日

麻薬がないと生きられないエリカ様

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 あのエリカ様が麻薬所持で逮捕された。
 テリー伊藤は、日本芸能界の宝だとか、明日の吉永小百合とか、女優として唯一無二の存在だとか、しきりに残念がっていたが、彼女の日頃の行動をみれば、薬物常用者のいかがわしい芸人としてしか存在はなかった。

 かの映画クローズド・ノートの完成記者会見に於ける「……別に、……別に、」の態度は、高慢無礼を絵にかいたような思い上り会見だった。
 高城剛との結婚でも明治神宮からハワイ、そしてスペインへと、まるで犯罪者の逃避行のごとき様相をていしていた。何年かの休養を挟んでひさしぶりの仕事復帰、映画ヘルタースケルターでの、精神を病み、心身ともに破滅に向かう役柄への傾斜ふりも異常者としかおもえない没入ぶりだったといわれている。

 彼女が持っていた「合成麻薬MDMA」は、俗にエクスタシー、バツ、タマと呼ばれ、あちらではゲートウェイ・ドラッグと認識されている入門薬だ。皮膚感覚が極端に鋭敏になるため、性行為時に用いられることが多く、乱用しつづけると精神錯乱、記憶障害を引き起こし、ときに死にいたるという薬物である。興奮作用と幻覚作用を併せ持った陶酔感をえられることから、クラブなどで若者の集団乱用が密かに広がっていると言われ、パーティドラッグの地位を確立していると伝えられる。

 いずれにしても薬物使用は精神の軟弱な芸能人に多々みられる病根なのだ。仕事のストレスは誰にでもある。
 芸人だけが異常なストレスにまみれて薬物に走るという言訳は、性格破綻者の甘ったれた理屈である。
 この薬が伝説になるかもしれない、そう発言するテリーもまた共に刑務所にはいったらいいだろう。
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2019年11月16日

16歳の少女を動かしている裏社会

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 「……私たちは大量絶滅の始まりに直面しています。……裏切るなら絶対許さない! 」
 16歳の少女涙と怒りの訴え! 北欧スェーデンのグレタ・トゥーンベリ嬢は英国プリムスの港からヨットに乗ってニューヨークに乗り込んだ。ヨットはソーラー・パネルと水中タービンを供えたCO2の排出をしないレーシング・ヨットだといわれている。

 少女は国連気候行動サミットに登場して、華々しく演説を行った。
 オーストラリアのスコットモリソン首相は出席しなくてよかった。ヒスを起こして地球の終りを絶叫する子供のレクチュアは要らない、と言い捨てている。
 気候のための学校ストライキとか、二酸化炭素排出量の少ないライフスタイルを実践している間は良かったが、行動が世界規模になるとともに彼女の後ろにいる人物・団体が話題にのぼるようになった。

 ひとつは反政府系極左組織アンティファを疑うもの、そしてもうひとつは中国系アメリカ人の工作にのっているというものである。
 グレタ・トゥーンベリが口を極めて責めるのがアメリカで、現在世界一の温室効果ガス生産国の中国についてはひとことも触れない。これはとても不自然なことで背後に控えているのは中国とみずから告白しているようなものだという説がある。
 ヨットに乗った三人の乗員は飛行機で往復しているし、メンテナンスを含めれば莫大な経費が掛かっている。今後のグレタ・トゥーンベリの行動計画をみてもとても16歳の少女の計画とは思えないというのが、その筋の推測である。
 アメリカ大統領選への思惑が、CO2を武器に蠢いて国際政治の暗部が透けて見えるという話なのだ。ヒステリックな少女の演説に素直に反応している日本人はまんまとピエロになっているかもしれない。
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2019年11月15日

花見の嫌いな野党のオバサン

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 日本人も随分ギスギスしてきたものだと思う。
 花見の会にケチをつけて追及するという野党のおばさんには、「花を愛でる」日本人の心がないのだろう。この際、内閣が新宿御苑なら、野党は飛鳥山で花見をする、ぐらいの風流心をもてば、すこしは左翼にも賛同する日本人がふえることだろう。
 花見は四季に恵まれた日本人にとって、春を祝う貴重な通過儀礼だし、国家に殉じた人を供養したいひとは靖国神社で、天皇とともにのひとはお堀端で、色恋沙汰なら目黒川、単純に桜にかこつけて飲みたい人々は隅田堤でというふうに、それぞれ楽しく花見をしたらいい。
 ひねくれた孤独のマスコミ人にはガード下の飲み屋が似合う。

 税金を使うのが許せないのなら、内閣府の金だけでなく、政党助成金の用途にも厳しい眼をむけるべきだ。離合集散を繰り返すたびごとに何億もの金が行方不明になり、勝手に足が生えてどこかにいっている。

 どうしても金を使わせたくないのなら、それこそ電通、博報堂に依頼して、同じ場所、同じ時刻に「全国おでん市」やら「日本酒大顔見世市」でも立ちあげて競わせたらいい。そこで総理盃でも立憲杯でも出して景気付けをしたらいいだろう。
 日本中が花見に浮かれている間に、尖閣に国籍不明の上陸があったりして、初めて国防の重要性に気がつくのだろう。
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2019年11月14日

武蔵小杉タワマン糞尿譚

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 あの武蔵小杉が汚水にまみれてしまった。おりから水の都ヴェネチアでも異常な高潮におそわれたが、ふたつの浸水を比べてみるとあきらかに印象がことなる。
 武蔵小杉は多摩川の満水で、下水が逆流し武蔵小杉自慢のタワマンが機能不全におちいった。ヴェネチアも下水処理は目の前の海なのだから、条件はおなじようなものだが、サンマルコの広場は臭くない。武蔵小杉は臭かったのだ。
 その上、地下にあった送電施設もやられ、エレベーターは止まり、超高層の住人たちは途方にくれた。いま住みたい街のベストテンに入り、意気軒高だった武蔵小杉は思いもかけぬ災難にまみれた。

 多摩川の河川敷にあったこの街が、急速にタワーマンション街になったのは、鉄道のおかげだつたともいえよう。東急東横線とJR南武線しかなかったところへ、各社の思惑から東横線と目黒線が接続され、さらにJR横須賀線の新駅ができ、湘南新宿ラインもとまるようになり、実に13路線が利用できるところから、急速に郊外都市として伸びてきた。
 中原街道の宿場だった武蔵小杉が、もとは河川敷という地相を忘れてつぎつぎとタワマンを建て、天井川といわれていた多摩川との高低差を甘くみたツケがまわってきた。

 開発業者の群がった証明はタワマンの名前を見ただけでもよく判る。
 パークシティ武蔵小杉ザ・ガーデンタワーズ イースト&ウェスト(53階建て)
 プラウド・タワー武蔵小杉(45階建て)
 エクラス・タワー武蔵小杉(39階建て)
 パークシティ武蔵小杉ザ・グランドウィングタワー(38階建て)
 シティ・タワー武蔵小杉
 リェトコート武蔵小杉ザ・クラッシータワー&イーストタワー(45階建て)
 ザ・コスギタワー(49階建て)
 パークシティ武蔵小杉ミッドスカイタワー(59階建て)
 パークシティ武蔵小杉ステーション・フォレストタワー(49階建て) さらに建築予定5棟
 駅前に突如現れた人口3万人のタワマン街だが、年寄りはまず迷子になる。願わくば下水が多摩川に放流できる設計をお願いしたいし、多摩川の越水があっても停電にならない、エレベーターの動くタワマン街であってほしい。 
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2019年11月12日

「独身の日」のナンセンス

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 11月11日 この日中国では「独身の日」、正式には「光棍節」の日、もともとは独身を揶揄するところから始まったようだが、いまではパーティをひらいたり、結婚相手をさがしたり、転じて贈り物を盛大にするという商業的な祭事になってしまった。

 生涯環境について考える日が、商売振興にすり替わったあたり、中国共産党はどう理屈をつけるのか興味がもたれる。

 独身の日は、中国ネット・ショッピング最大のイヴェントになった。
 この日ネット通販最大手の「アリババ集団」は、開始一時間で、売上1000億元、日本円に直すと 1兆6000億円に達したと発表した。
 つまり独身の日は、爆買いの日となった訳である。

 この中国の狂騒曲を横目でみていたソフトバンクは、「いい買い物の日」と銘打った輸入祭事を始めた。物の溢れた日本で、いくらソフトバンクが煽っても、消費増大にはつながらないだろうというのが、市場筋の見方でもある。
 車はイラナイ。テレビもいらない。結婚式もしたくない。贅沢はしたくない。マンションも買いたくない。日々健康に暮らせればそれが一番。
という醒めた日本の若者に火をつけるのは、社会構造そのものに手をつけるしか方法はないのかもしれない。

 注意しなければいけないのは、人民元の金額がいくら大きくとも、国際的にはまったく通用しないお金であるということだ。
 中国はいまやドルが枯渇して、国際的な流通市場では最大の不良資産国になっている。共産党政府はうしろに15億の人口市場をひかえた最大のマーケットだと宣伝して外資誘致を展開しているが、その罠に引っかかったら最後、中国市場でかせいだ金はすべて抑えられて持ち出し禁止になる、恐ろしい国である。
 日本の財界人のなかには、体制の違う中国への理解が乏しく、正常なビジネスができる大きな市場だとカン違いしているオバカが存在している。
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2019年11月11日

中国人花嫁に占領された雲場池

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 ひさしぶりに晩秋の紅葉をもとめて、軽井沢町内をうろうろした。
 観光案内の紅葉はまず「雲場の池」なので、日の出後30分ぐらいの木漏れ日を期待して訪れた。すでに3組の花嫁さんが中国からお出ましになり、それぞれカメラマン、スタイリスト、美容師をつけてポーズをなさっているのに驚いた。
 中国の花嫁達の結婚式前の写真に対する情熱には感服のほかない。
 パリ・エッフェル塔のまえでも、モンマルトル・サクレキュールの丘でも、ルーブル宮の中庭でも、とにかく中国の花嫁姿に出会う。
 一様に伝統的中国衣裳ではなく世界標準の貸衣裳風なところが面白い。日本も中国もそれぞれに素晴らしい民族衣装をもちながら、自己のアイデンティティーを失い、白い貸衣裳風を選択しているのが、グローバルとやらの戦略なのだろう。
 若い世代が自国文化への執着を失い、一律に安手のグローバルに向かっているのは、不思議な風景である。

 ところで今年の紅葉は著しく美しくない。いつもならヤマウルシやナナカマドの深紅から始まるのに、そこがとても曖昧なのだ。
 軽井沢ならではのドウダンツツジも赤に鮮やかさがない。すすきの穂もそろって風を受ける風情にかけている。イロハモミジの紅葉もあっという間のできごとで、いつもながらの秋の景色にならずぼろぼろと落葉している。
 枯れ始めた黄葉と中途半端な紅葉と晩秋の落葉松の黄葉が無秩序にみだれている。こんなに美しくない晩秋は初体験だ。

 テレビでは、ついこの間まで適応障害ででてこれなかった雅子皇后が奉祝行事に涙していると、評判をよんでいる。嵐のファンと令和天皇ファンが合体して祝賀御列の儀に感動しているが、これで日本の明日は本当に大丈夫なのか、少しばかり不安である。

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2019年11月10日

即位礼祝典曲のポピュリズム

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 …君が笑えば 世界は輝く
  誰かの幸せが 今を照らす
 
 ジャニーズのコンサートのフィナーレ曲かと思った。即位の礼祝典曲ときいて驚いた。

 …大丈夫 鳥は歌っている 大丈夫 空は輝いている
  大丈夫 水は流れている 大丈夫 海はひかっている
  大丈夫 君と笑っている 大丈夫 君と歩いていこう

 パラリンピックの応援歌としてはいいかもしれない。令和の新しい御代に捧げる祝典曲に…大丈夫と歌いかける目線はなんだろう。
 不安があまりにもおおきいので、大丈夫、大丈夫と歌いかけているのか。それとも自信過剰なのか。
 即位礼祝典曲のレベルの低さに呆れた。

 作詞が岡田恵和と聞けば致し方なしともおもうが、令和時代への祝典曲としてあまりにも世界観がない。安っぽく耳障りのいい言葉をならべただけの低次元の祝典曲だった。音楽史のうえには数々の祝典曲があるが、これほど志の低い祝典曲はない。
 1999年の即位10年のX JAPAN、2009年 即位20年のEXILE 2019年三浦太知と続いた祝典演奏もそろそろこの辺で、世界レベルの祝典演奏に切り替えたらいいだろう。
 いつまでもポピュリズムに迎合した祝典曲はうんざりである。
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2019年11月06日

天然コンブ絶滅の危機

天然昆布.jpg天然昆布.jpg

 北海道の海に危機が迫っている。天然コンブが絶滅状態で、とってもとっても十二分にあったコンブの姿がみえなくなったのだ。
 ついこの間まで漁場は自宅のまえの海といっていたのに、目の前の海からコンブが姿を消したというのだ。コンブが林をなしていた海の底は真っ白になった岩肌がつづき、小型船で遠く知床半島の付け根までいってようやくコンブをみつけるといった悲惨な状態になっている。

 目の前の海はコンブの宝庫、獲りに行く人手がないのでホッてあるといっていたのは、つい十二、三年前のことだったが、いまやコンブ漁師は漁協への借金も返せない、どうしたらいいかと茫然自失している。

 海水温の上昇、集中豪雨、大型台風、地震、津波、そして猛暑と漠然としたこころあたりはあるものの、ちゃんとした説明はつかず、この状態がつづくと北海道のコンブは消失の運命にあると、北大の研究室はいっている。ホタテ、サケに続く北海道の特産品が姿を消す。

 北海道のコンブがなくなるということは、日本料理の崩壊につながる。出汁の食文化でいま世界中のグルメから注目をあびている日本料理の土台を失うことを意味している。カツオとコンブがなくなったら日本料理の職人たちは手足をもがれたも同然といえよう。
 ダシ用の最高級コンブ羅臼昆布も、海底湧水にそだてられてきた利尻昆布も、みな突然に姿をかくしてしまった。

 日本人は結婚、正月、誕生などお目出度い時には、必ずと言っていいほど縁起物として昆布を飾ってきた。命の長からんことを願い、共にヨロコブという民間信仰のシンボルを務めてきたのが、昆布だった。
 その昆布が北の海からきえるのは、日本人の暮らしの明日を予感させて、なんとも暗い気分になる。
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2019年11月05日

祇園切通しの進々堂さん

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 祇園町北側切通しの進々堂さん……といえば祇園のお女将さんから芸妓、舞妓さんにいたるまで足を向けて寝られない。進々堂さんが無かったら、祇園町は機能麻痺におちいるかもしれない。

 朝食はティファニーならぬ、進々堂さんというのが祇園町の当然である。朝起きたらまず進々堂さんに電話をかける。「コーヒーにトースト」あるいは「コーヒーにサラダにサンドウィッチ」トーストはバターなのか、ジャムなのか、サンドウィッチは玉子なのかハムなのか、サラダはコロッケサラダか、ハムサラダか、それぞれの好みを全部のみこんで、洗顔が終わった頃には「おはようさん」とポットに入ったコーヒーと暖かいサンドウィッチが届けられる。
 祇園町では朝食は電話でというやかたが多い。筆者も祇園に泊まった朝はたいてい進々堂さんの世話になっている。

 一年の締めくくりと歳のはじめの「まり」と呼ばれる舞妓さんへの配りものも、この進々堂さんでつくられている。ご主人の藤谷攻さんによって祇園町で配られるすべての「まり」がつくられている。
 ご挨拶まわりを済ました舞妓さんがいくつもの「まり」を下げておこぼの音とともにやかたに帰ってくる風情はなんとも可愛らしい。「まり」のなかには紅、簪、アクセサリーから干支人形、あるいは茶道具、貯金箱までいろいろと入っているが、若い舞妓さんにとってお茶屋のおかあさんからいただく、この贈り物は楽しみいっぱいの幸せなのだ。

 作家の先生方の新作展覧、舞のおさらい会の楽屋見舞い、あるいは南座の歌舞伎公演など、楽屋見舞いのアイス・コーヒー100人前とか、裏方衆へのサンドイッチ150人前、即座に対応してくれる祇園ならではのカフェである。今日の観世さんの演能にサンドイッチと飲み物とどけて、といえばなにもきかずに能楽堂の楽屋にとどいている、という「おもてなしの匠」ともいうべきカフェなのだ。

 筆者もパリ展の折、いち早くパリのフジネットワークのボスに連絡をとってくださり、大変世話になった。切り通しの小さな喫茶店とおもったらとんでもない間違い、祇園町の裏のネットワークを司る進々堂さんなのだ。
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2019年11月04日

軽井沢が騙されたマーラーの指揮者

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 ……疫病コレラによって死の都となったヴェニス、炎と消毒液にまみれたヴェニスの裏道をアッシェンバッハが彷徨う。
 彼は過ぎし時、ヴェニスの浜で出会った少年タッジォのまばゆいほどの美しさに、惹かれていた。少年の肉体をかりた美の極致に惚れた宿命の恋だった。 ……背景にはいつもマーラーの交響曲5番第4楽章アダージエットがなっている。
 ルキノ・ビスコンティによる映画「ヴェニスに死す」は僕の人生にとってもっとも衝撃をうけた映画だった。

 テレビからたまたまマーラーがきこえてきた。ハープと弦楽器群による4楽章のアダージエットからハープが抜け落ちている。画面にはときにハープがフラッシュして入ってくるから、音量を上げてみた、それでもハープは聴こえず弦楽群だけが聴こえてくる。音声スタッフのミスはあきらかだった。
 パーヴォ・ヤルヴィの指揮は繊細にして哲学的だったが、N響は重く3楽章のスケルツォにいたっては、棒についていくのがやっとのありさまだった。軽妙にカルカチュアされた粋な部分がN響にはなかった。

 マーラーと聞くともうひとりの指揮者を思い出す。イギリス人のダニエル・ハーディングだ。マーラー・チェンバー・オーケストラの指揮者を13年つとめた彼は、マーラーの名声とともに軽井沢に乗り込んできた。
 すっかり舞い上がった町は彼を大賀ホールの芸術監督に迎えた。さあ、世界一流のマーラーが聞けると期待したが、ついに彼はいちどもマーラーを聞かせてくれなかった。指揮したのはタンホイザーの序曲だつたり、ベートーベンの7番、あるいは新世界、軽井沢は完全に馬鹿にされ、なめられたのだ。 日本の田舎町にはこの程度の曲で充分と考えたのはたしかだった。
 町は恥をかかされ、捻出した何百万円かの契約金はドブに棄てた。騙された軽井沢がわるいのか、騙したハーディングが悪いのか。
 イギリス人の芸術家にはこんなひどい奴もいる、という見本だった。
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2019年11月03日

ベートーベン生誕250年のカツラ

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 2020のオリンピックはすでに耳たこだが、2020はベートーベン生誕250年の記念年でもある。
 すでにクラシック業界では、ベートーベンにかこつけた企画が目白押しだ。
ベートーベン三大交響曲の夕べ、 ピアノとヴァイオリンによる2大協奏曲、あるいはベートーベンによるピアノソナタ全曲シリーズ等々、楽聖ベートーベンの尻馬にのって金儲けを企む文化商人が張り切っている。

 ところが思わぬところでベートーベン生誕をチャンスに、商売の大拡張をねらっている業界があった。カツラ業界である。
 教科書で慣れ親しんできた、モーツアルトも、バッハも、ベートーベンもみんなカツラだった。このさい、ハゲのおじさんも、薄毛のおばさんも、みんなカツラをつけたらいい。
 カツラを恥ずかしいものとせず、お洒落の一部として堂々と流行らすには絶好のチャンスではないか。メーカーと代理店がひそかに企んでいる。

 17世紀から18世紀にかけてのカツラ・ブームは毛じらみが原因だったといわれているが、そうしたリアルを超えて、フランスでは成人したら自毛で外出してはいけないという行儀作法の領域までカツラがはいりこんだ。
 平安期のお姫様が優雅に顔をかくす檜扇も、じつは口臭を相手にかけないための作法だったが、口臭予防の垣根をこえてアートなアクセサリーに昇格した。
 森山良子と清水ミチコがはしゃぐ列車旅よりは、ベートーベンのカツラ・スタイルを宣伝したほうがよほどカツラのステージもあがるという訳だ。 嵐やら台風がカツラをかぶって馬鹿さわぎしたら、ひょっとして流行の表舞台に登城してくるかもしれない。
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2019年11月02日

諏訪内晶子のいま

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 学生時代、女神といえば映画スターでもなければ、新劇女優でもなかった。
 ミューズはクラシックのヴァイオリン奏者と決まっていた。それ故、第二次世界大戦の戦乱を潜り抜け、ドイツの英雄ゲッペルスから名器ストラドバリウスを贈られた伝説の美少女「諏訪根自子」は絶対的ミューズだった。凛とした美貌に溢れる清冽な空気は、演奏まえのステージに充ち、ヴァイオリンをかまえたとき、その佇まいの美しさに胸をしめつけられた。
 そしてもうひとり、男眉のキリッとした「巌本真理」がいた。戦後の廃墟に立ち向かうかのような巌本メリーエステルもまたミューズにふさわしい知性と美貌を供え、犯しがたい雰囲気があった。

 その後数多くのヴァイオリニストが輩出したが、どれもこれも中途半端で心を揺さぶられなかった。器用に弾きこなすだけで心ゆさぶられる世界が聴こえてこない。いみじくもフランスの大統領が評したソニーのトランジスターのような演奏ばかりなのだ。

 久しぶりに感動したのが「諏訪内晶子」だった。チャイコフスキー記念音楽コンクールに最年少で優勝したにもかかわらず、コロンビア大学で政治思想史を学び、音楽の言語化という課題に挑戦した。
 名指揮者シャルル・デュトアとの不倫騒動も彼女の人生観あってこそのアバンチュールであった。桐朋女子高、ジュリアード音楽院で学び、世界のコンクールで栄冠をかちとってきた彼女は、いまいろいろなことに煩わされることなく音楽と向かい合っているといっているが、果たしてそうだろうか。
 「国際音楽祭NIPPON」の芸術監督は、彼女の演奏にとってプラスなのかどうか疑問が残る。優れた演奏家である彼女がプロデューサーやマスタークラスの教育者になってしまっては、エネルギーを吸い取られてしまうのではないか。
 「ある程度、ストイックな生活をしなければ、いい演奏はできない」と断言する彼女の演奏に曇りが生じたら悲しい。東日本大震災のチャリティは後輩にまかせ、戦後日本最大の孤高のヴァイオリニストとしての完成を期待したい。
posted by Kazuhiko Hoshino at 17:38| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月01日

AIの家来になった若者たち

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 人間は間もなくAIの下邊になるだろう。AIというご主人様の思うように生きていかねばならないのが、10年後20年後の人間のすがたである。と、訳知りに解説しているご仁もいられるが、若い人たちはいまや雪崩を打ってAIの支配下にはいっている。

 人間と話すのがうっとうしく、AIの言うとおりに恋をしたり、結婚をしたりするほうが、ずっと安全だし安心と信じている。
 いわゆる「マッチング・アプリ」と呼ばれるシステムだが、「恋活」「婚活」「再婚」「出会い」という人間の一生にとってもっとも重大なチャンスをすべてAIの指示に従うという人が、40パーセントの多きにのぼっている。
 今すぐかんたん無料登録! 1000万人突破! 国内最大 利用率No.1 誰にもばれずに婚活したいなら! 無料で相手をシュミレーション! スマホとパソコンしか友人のいない若者にとって、こんな魅力的なキャッチ・フレーズはない。そしてそうしたマッチング・アプリがネット上に溢れている。

 男性は有料だが、女性は無料がたてまえ、登録時の面談、独身証明書、年収証明書、学歴証明書つき、そのほかもろもろの条件が登録され、そのうえ両親の職業、資産状況、趣味、趣向まであらかじめ判るとすれば、女性にとってこんな便利なアプリはない。
 1対1での落ち着いた「ラウンド・トーク」、月6名まで紹介してくれる「データ・マッチング」、そのうえ写真による寸法と雰囲気の「写真検索」、渋谷道玄坂や代官山の出逢いを超えた出逢いが待っている。
 職場でうっかり女性を口説いてセクハラで大恥をかくより安全、と考えたら、マッチングアプリの言うとおりに「イイネ」をつけておくほうが、当世の若者にとっては楽なのかもしれない。

 街コンに行ったけど軽い人ばかり、婚活パーティでもいい人見付らない、控えめの性格だから自己アピールできない、そんな女性たちにとっても秘密厳守のマッチング・アプリ、「検索」し、「イイネ」を押して、マッチングしたら「メッセージ」、かくしてAIの思い通りの人生が待っているのだ。
posted by Kazuhiko Hoshino at 21:39| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする