2019年11月22日

カップ焼きそばは文化に違いない

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 多分日本中に「不幸」が蔓延していたのだろう。突如として「幸福駅」のブームがやってきた。北海道のどこやらに「幸福駅」という駅があって、「幸福駅行」という切符がもてはやされた。勿論「幸福駅発」でもよかった。1974年のとし。ツィギー来日に始まったミニスカート・ブームも飽きられ、銀座通りにはロングスカートのお嬢さんが埃を吸い上げて歩いていた。

 その年の暮れ、「幸福駅行」の一枚の切符と、折から発売された「カップ焼きそば」を鞄に忍ばせて京都へ向かった。いくら電話で話しても信用してもらえなかったからだ。「お湯だけで焼きそばができる筈がない。お兄さん、夢見てるのと違いますかー」よしそれならばと、集まった祇園の芸妓衆に、お茶屋の片隅でお湯を注いで5分待たせたのだった。
 「ヒャーほんまや! 焼きそばの味してる。焼きそばやんか。でもこれ身体に悪いとちゃいますか?」面目をほどこし、追討ちをかけるがごとく幸福駅行の切符を配って、祇園町を後にしたのだ。

 以来お湯で作る焼きそばはこの国に定着した。「もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら」という本が話題になっているとデスクから聞いた。だからどうした、というバカバカしい本です。と彼女は言うが、テレカクシと思い読んでみた。たしかにバカバカしいと言えなくもないが、比較文化の視点から読むと、興味の奥行きは深い。

 川端康成は……遠くからかすかに湯切りの音がきこえてくるような気がした。わけもなく涙がぽたぽたと落ちた。
 三島由紀夫は……美味い。そうだ。私は自分の食欲を恥じていた。しかし確かにこのとき、私は私の内部にある罪の意識と和解できたのだ。麺をかき込みながら、明日も食べようと私はおもった。
 宇能鴻一郎は……ソースをかけて、箸で、ズルズルって食べると麺がムッチリしていてあたしの柔かい唇が水気で濡れました。ゴクッて飲み込むと、体が火照って気持ちのいい震えが爪先から駆け上がってくるんです。クラクラッとして、なんだかパンティをかえたくなっちゃって。あたし、タイミングを見てトイレに行きました。

 文化とは、暮らしの役にたたないところがとてもいい。
posted by Kazuhiko Hoshino at 12:27| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする