2020年02月29日

山本太郎に騙されるな!

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 山本太郎に騙されるな!
 彼の一丁目一番地は消費税廃止だが、国家の財政はそんなに簡単なものではない。税のなかでもっとも公平に課税できるのは消費税だからこそ、北欧三国のような生産性がそんなに高くない国でも消費税を国家財政の中軸にしている。「生活が苦しい」なら消費税をなくしたらいい、というのは短絡的で無責任な議論だ。

 山本太郎に騙されるな!
 消費税のかわりに「法人税の累進課税」の導入をとなえている。儲かっている大企業からとればいい、というのが彼の主張だが、法人税をあげれば企業は海外へ逃げていく。フランスの例をみればよくわかるが、法人所得の70パーセントを徴収したために、パリの儲かっていた企業はみな本社を国外へ移してしまった。日本でもいちじは台湾やシンガポールに本社を移転する動きがあったが、法人税を抑制したお蔭で辛うじて日本にとどまっている。

 山本太郎に騙されるな!
 尖閣、小笠原、東シナ海における中国の侵犯、国際法違反にたいしては、個別的自衛権と日米安保で対処します。と発言しているが、ここでいう抑止力は中国共産党の政策のまえではまったく形骸化している。日々繰り返される尖閣への領海侵犯は日常化しているし、すきあらば沖縄まで自国の領土と主張する中国の拡張主義への対案になっていない。 外交と軍事のバランスについての認識が皆無では国は守れない。

 山本太郎に騙されるな!
 令和新撰組と称し、いかにも権力にくみした新勢力をかかげているが、実質的には共産党と変わらないナンセンスな政策を掲げ、障碍者をさらし者にしている偽善者としかみえない。院内活動もままならない障碍者を送り込み、自身の活動の広告塔に利用しているとんでもないパフォーマーではないか。こうした虚構に成り立つ政治志望の芸能人に踏み荒らされることのなきよう有権者は心を致さなければならない。
 


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2020年02月28日

丸の内・銀座の屋台せんそう

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 丸の内・有楽町界隈の昼どきの風景が変わりつつある。
 そこここに屋台が…いや、いまどきはキッチンカーがでて、と表現しなければならないが、とにかくモダン屋台にオフィスガールやネクタイ族が群がっている。ニューヨークならば、7番街やウォール街によく見る風景が丸の内辺りにダブって現れる。
 新しく出来るビルが土地利用に余白をつくるようになり、お国で管理しない自由な空間がふえたということなのだろう。

 東京駅近くなら、都の施設国際フォーラム村に多くのキッチン・カーが登場する。
 8台も出現する国際フォーラムの屋台では、パエリア、マルゲリータ、キーマ・カレー丼、シラス丼、等ほとんどのメニューが、700円前後で食することが出来る。なかにはステーキのキッチンカーもあり、1500円だせばすこし贅沢なランチが楽しめる。
 銀座にお店をもちながら屋台営業をする店もある。なにより家賃がかからない、人件費も安い、簡単に看板も塗り替えられる、メニューが少なくて済む、景気不況のいまに上手くはまっているのだろう。

 キッチン・カービジネスのノウハウを教えてくれる塾もある。キッチンカーすなわち軽トラのレイアウト、メニュー別のカーカラー選択、看板の書き方、材料の仕入れ方、調理と盛付のこつ、から冷蔵庫、調理器具のあれこれ、ビル構内での営業許可のとり方、スタッフの衣裳、エプロンの選び方まで親切丁寧に教えてくれる。

 原宿あたりのスイーツ専門カーから、伝統的なラーメン屋台、東南アジア系のエスニック屋台、オムライスは絶対という玉子や屋台、さらに俺のステーキ風の洋食屋台、庶民の懐ろに反比例してキッチンカーの戦国時代が始まろうとしている。

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2020年02月27日

祇園の名妓竹葉さんが逝く

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 祇園の名妓竹葉さんが亡くなった。
 竹葉さんは古き良き時代の芸妓としての欣嗣と美しさを失わず、花街の内からも外からも慕われたふところの深い人だった。
 戦後まもなく初めて祇園に誘われ、都をどりの舞台に舞う竹葉さんに接したのだが、あの頃の竹葉さんの美しさには息をのむ思いだった。彼女はただ美しいにとどまらず、お座敷での教養の深さにおいても群をぬいていた。

 歌舞伎の名優たちも、南座の初日があくと、先ず竹葉さんの感想をききたがった。彼女の歯に衣着せぬ意見に素直にうなずいていたのは芸を知る者同士の共感があったからだろう。何代目のあの舞い方は間違っていると思う、何故ならあの主人公の生き方はこうだったから、あの解釈では一生が変わってしまいます。はんなりと厳しい批評をするのが竹葉さんだった。
 松竹の前社長永山さんなども、顔見世の二日目には必ず京都にきて竹葉さんを座敷に招き、彼女の言葉を聞いてひとときをすごしていた。

 お茶屋の女将さんたちも、舞妓をだすときはなるべくなら竹葉さんの妹分にしたい、と彼女に頼んでいた。厳しくしきたりやら、芸事を仕込んでくれるお姐さんとして竹葉さんは貴重な存在だった。人気の高い千鶴葉ちゃんも多満葉ちゃんも、みな竹葉さんの妹分として名妓に育っている。 お葬儀には藤十郎さんを始め東西の役者衆の送り花が揃った。

 切通し進々堂の藤谷攻さんも亡くなった。祇園を裏からささえてきた功労者だ。祇園甲部の芸妓舞妓ひとりひとり好みを知って助けてくれていた。朝食からお夜食まで電話ひとつで功さんはとどけてくれた。厚焼き玉子のサンドが名物、玉子焼きに胡瓜のスライスが加わった「上玉子トースト」も美味かった。踊りの楽屋にはいつも進々堂さんのコーヒーが三十、五十と差し入れられていた。
 正月に舞妓さんがご挨拶のお返しにいただく「毬」も攻さんの仕事だったが、毬をつくってくれる後継者もいなくなっては、祇園のお正月がさびしくなる。

 竹葉さんという祇園町の表の顔と、藤谷功さんという祇園町の裏の顔、このふたつが同時に亡くなるとは、祇園甲部の悲しさが膨らむ。 合掌
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2020年02月24日

春一番 恋をしてみませんか

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 「もうそろそろ、春一番が吹きそうだね」
 「嫌だわ、スカートが履けなくなる!」「女性にはそんな心配があるんだ」
 「そうよ、春だから去年のパンツ履きたくないし……」
 「春のスカートって、みんな薄くて軽いから……春一番にはダメなの」

   春一番 銀座通りを抜けにけり    市橋進
   春一番 四辻を走るダンボール    平松薫
   あいまいな をとこを捨てる春一番  田中風子

 〽 別れ話したのは 去年のことでしたね  ひとつ大人になって忘れませんか
 〽 もうすぐ春ですねぇ  恋をしてみませんか

 春一番はキャンディーズのごとく甘く幸せなものとおもっていたが、今年はその恩恵にあずかれそうもない。
 チャンネルは何処を回しても新型コロナのタシザンをしている。

   にんげんを 洗って干して 春一番  川島由紀子
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2020年02月22日

LGBT性善寺建設資金募集中

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 元読売新聞編集局次席記者の柴谷宗叔さんが寄進を募っている。
 大阪の寝屋川に「LGBTのためのお寺」性善寺(ショウゼンジ)を造くるための寄付、約1400万円である。マツコ・デラックスやら、ミッツ・マングローブやら、芸能界で活躍しているLGBTが協力したら、あっという間の金額ともおもえるが、柴谷さんはそれなりの考えで寄付集めをしているようだ。

 寄付金額の内訳は、ご本尊様の仏像  200万円     脇の仏像  50万円
          弘法大師像    50万円      護摩壇   150万円
          佛具       120万円     備品    70万円
 改築費用     600万円     駐車場    160万円

 「性の駆け込み寺」としたいこのお寺のメニューは
         ❶性的少数者の終活相談 ❷自分の望む性での戒名 
        ❸同じ悩みを持つ人との交流 ❹子孫がない方の永代供養
        ❺同棲カップルの仏前結婚式 ❻関西巡礼の拠点
        ❼皆の寺 ❽水子供養 ❾ペット供養

 長い間、男性記者として本当の自分を偽りつづけてきたが、いまは身体も戸籍も女になって自由を手にしました。「そして尼僧なんて、なんとシアワセなこと」ジャーナリスト50歳のカミングアウトは、見事に実をむすんだが、はたしてLGBTのお寺はいつ完成するのだろうか。
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2020年02月20日

伊勢おはらい町の恩讐

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 江戸時代のような大規模な伊勢参宮はなくなったが、「一生に一度はお伊勢参り」を志す日本人はまだまだ大勢いる。
内宮、外宮の神域には自然に抱かれた神道思想の環境が充分にととのえられていて、あらためて日本人の精神に内在する原風景がみえている。
そうした伊勢参宮のもうひとつの魅力は、内宮入口の左手にある「おはらい町」と「おかげ横丁」に尽きる。

 そこには伊勢門前町の歴史の横顔が見えるし、そこに集まった庶民の暮らしぶり、賑わいの楽しさがあからさまに体感できる。
580m、56件、140棟の街並再興には並々ならぬ汗と涙が費やされた。
 信州にも同じような村落再興はあったが、かっての修景に力を致すほうに力がそそがれ、今の暮らしにフィットさせる努力はすくなかったのが木曽路である。

 かって御師町であった街並みにとらわれず、伊勢らしい和風のまちなみにしようと、切妻や入母屋造りの妻入りを軸にして伊勢造という基本の建築様式をとりいれた。そのうえでそれぞれの家業に合うようにレイアウトした。伊勢の文化に残したいものは「おかげ横丁」にあつめた。
おかげで「すし久のてこね寿司」も「ふくすけの伊勢うどん」も豚捨も見事に繁栄した。

 こうした伊勢復活の先頭にたったのが「赤福」の浜田益嗣会長だった。みずから5億円の寄付をし、それを基金に100万から3000万の貸付、金利2パーセント20年という低利融資を実現し、おはらい町の人々におはらい町の繁栄を約束して町ずくりを進めたのだ。結果見事に伊勢門前町は賑わいを取り戻し、年度ないにすべてのお店は債務ゼロになった。
 この立役者の浜田さんがこのほどすべての役職をやめ、隠居に追い込まれた。グループ企業の造り酒屋がヤクザの代紋いりの焼酎をつくり、納品していたということが発覚したというのが理由である。10年前に暴力団から発注をうけ、納品したというのは事実だが、町衆のためにドンダケ尽くした優位の人材を排除することが正しいことだろうか。ペナルティを課し、これまで以上に伊勢おはらい町とおかげ横丁のために働いてもらったほうが、遥かにいいのではなかろうか。
 形式的な罰則に振り回されて、貴重な人材を失うのは余りにも残念である。
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2020年02月18日

お賽銭のキャッシュレス・是非?

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 お寺さんと神社にキャッシュレスの波が押し寄せている。
 インバウンドへの対応、防犯、お賽銭減少への対応がテーマになっている。それに近頃は小銭を持ち歩かない人が増えている。小銭いらずのスイカやらペイペイが世の中に繁殖して、賽銭箱のまえで小銭のないのに気がつく輩が増えたという現実もある。

 清純な巫女の手になる神楽鈴は氏子ならずとも神の降臨を知らせ、呼応するように賽銭箱になる小銭の音で神様への祈りを確認したような気になったものだ。
 こうした神や仏との対面の仲をとりもってきたのが、お賽銭というささやかな献金だったように思う。そうした長い間の習俗に楔をうちこんだのが、キャッシュレスという内閣の大方針であった。

 賽銭箱のよこにはQRコードの立て看板があり、傍らには中国語、韓国語、英語、そして日本語の説明書きが張り出されている。これらの表示は本社拝殿のほか、大国殿、ご神橋にも掲げられ、QRコードは中国のAli pay、We Chatに対応とある。日光二荒山神社の話だ。
 東京愛宕神社、四国霊場22番札所徳島平等寺、さらに京都下鴨神社、高山小金井神社、岡山熊野神社、木更津八剱神社、京都海眼時…次々とこのお賽銭キャッシュレス化はすすんでいる。

 これに対し京都仏教会は反対を表明した。宗教行為にそぐわしくない。傘下650の寺院にたいして、キャッシュレス導入をしないように、という声明である。
 はたしてこれに対し、信者とにわか信者はどのように反応するのだろうか。
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2020年02月15日

東京一のエロイ祭り

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 東京にはいろんな祭がある。
 太神楽はもちろんのこと、里神楽も獅子舞も神輿も山車も、餅つき唄、みずとめ舞、角乗り、囃子、式三番、びんざさら、車人形、万作芝居等々。山王神社、深川八幡、神田明神の江戸三大祭、そして浅草の三社祭、江戸っ子は本来まつり好きだったのだろう。がこうした大きな祭以外のちいさな祭にも捨てがたい面白い祭がある。

 建国の日の前後、板橋下赤塚・徳丸で行われる「田遊び」は東京のエロイ祭りとして最強のまつりである。田んぼと畑が見渡す限りの東京のころから、1000年は続いている五穀豊穣と子孫繁栄のためのまつりなのだ。
 科学がない時代、交わりのすえ子供ができる不思議、田圃の稲穂に米がはらむ不思議、こうした不思議は祈りで解決するしかなかった。暖かさと光が訪れるこの時期ゆえ、この辺りの農民たちによって秘祭として夜に行われてきた。
 稲作の初めから収穫までの予祝と、子孕みへの願いがひとつになって、この祭りはできている。

 女陰を象徴化した花籠に、男根をおもわせる花槍が繰り返し突進する判りやすいパフォーマンス、あるいは 翁の太郎次とおかめのやすめによる性行為に似たおこないなど、じつに明解な子孕み願望そのものだ。苗代つくりから収穫までの稲作行為とからんで、子供の登場でみごと願望成就となる。
 無形文化財の指定をうけるまえは実におおらかにダイナミックに演じられていたが、お役所のお墨付きとともにエロイ部分がうすまり、文化財にふさわしい行儀のいい芸能になってしまったのが残念至極である。

 田遊びに立ち会うと、江戸農民のリアルな願いが見えてくる。 
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2020年02月14日

将門公追善の日・2月14日

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 江戸っ子にとって2月14日というのは、「将門さま」の亡くなった日である。
 だからこの日、平将門を祭ってある神田明神に手を合わすのだ。正式の祭りは五月だが、2月14日という命日を忘れるわけにいかない。
 京都から首が飛んできたと伝わる千代田区丸の内一丁目のビルの谷間にある将門の首塚はは東京最恐のパワースポットといわれている。

 近代的なビルの谷間にきちんと祀られているのは、平将門の首塚、この首塚には数々の怖い話がつたわっている。
 都で晒された将門公の生首が腐らず、3ッ日目に白光とともに飛び去って生首が落ちたのが、ここ柴崎村の古墳跡、いまの丸の内一丁目と言われている。
 古くは歌舞伎先代萩で知られている伊達安芸と原田甲斐の殺害された場所も同じ場所。
 1923年の関東大震災の後、大蔵省が仮庁舎建設のため塚を動かしたところ、直後に大蔵大臣が死に、追いかけて工事部長も亡くなり、関係した官僚たちも怪我人続出という不幸に襲われ、慌てて鎮魂碑をたてたという、当時の新聞には「将門の霊よ、鎮まり給え……きのう大蔵省で」と大見出しが踊っている。
 それでも1940年には再建した大蔵省が全焼し、重軽症107人、21棟の関係建物すべてを失うという事件が起きた。将門の慙死940年の1000年後、1940年のできごとだった。
 第二次敗戦後、GHQの再開発プランで首塚を潰そうとしたブルトーザーの運転手も、車から転落して命をおとしている。
 次々と続く不幸な出来事に、将門公の首塚には絶対にさわってはいけない、という都市伝説ができた。いまでも神田明神の氏子には、将門公の首をおとしたナンテンの矢に因んで、ナンテンの箸は使わない、というジンクスがある。

 都から遣わされた俵藤太が将門追討の祈祷をした成田山には参詣しないというのも、江戸っ子の意地であり、歌舞伎の贔屓が成田屋の團十郎一門と、神田明神を守り神にする音羽屋菊五郎、菊之助一門にわかれるのも、実はみなこの平将門公への思い入れからきている。
 昨日今日ではない1000年にわたる江戸っ子の都市伝説である。
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2020年02月13日

夏目三久の大泣き

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 夏目三久が声をあげて泣いた。「あさちやん!」異常事態…番組のリアクションではない。
TBSあさちゃん関係者全員が集った大忘年会の席上であったと、漏れてきた。周りから「泣かないで」「頑張って!」と激励の声が上がったと記事にあるが、昔からTBSの家族主義にはこうした悪しき傾向がある。

 「あさちゃん!」はライバルたちの熾烈な視聴率戦争から脱落し、完全に機能不全におちいっている。8%から10%が競争帯のなかで、2%乃至3%に落ち込み一向に土俵に上がってこない。責任は夏目三久にあるというのは確かにそのとおりだが、TBSの制作スタッフにも充分責任がある。タレントを使いこなしていない。
 力足らずでこの程度のタレントを演出出来ないでいる。無駄に髪カタチを変え、ファッションをいじくりまわしても誰もよろこばない。

 シャレ込むことしか能のない夏目三久にたいして、政治情報、社会情報、生活情報のトーク・テクニックを変えることを要求すべきだし、この視聴帯では、へんなお洒落がもっとも嫌われるということを徹底的に彼女に教育すべきなのだ。ほっとけば夏目三久は芸能情報しか伝えられなくなる。司会者の立ち位置がはっきりと理解していないからだ。
 高島彩などもそうだが、司会者の肩書だけで、表情がまるでキャバクラ風では女性の視聴層が本能的についてこない。

 芸能情報は芸人に任せておけばいい。政治情報はニュートラルな専門家に。生活情報は普通のオバサンたちに。それぞれの分野でしっかりとした意見をもっている人たちを視聴者は望んでいる。
 床やのポスターのような男のアナウンサーによるニュースが見られなくなったのは何故か。少し考えれば判ることだ。
 夏目三久は人間を練り直し、勉強をし直し、有働由美子のような自分の表情、自分の顔をもてるようになったとき、もう一度テレビに登場すればいい。
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2020年02月11日

紀元節の橿原神宮

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 紋付袴姿の年老いた正しい日本人が列をなして行く。
 突然に国歌が聴こえ、振り返ると国旗の波がやってくる。後に続くのは民族主義者の一団である。足並みを揃えようとしているが上手くいかない、なんとも微笑ましい民族主義者たちだ。
 近ずいてきたスピーカーの君が代にかぶせるように、おぼつかない喇叭隊が紀元節のメロディを奏しながら行列をつくる。
 ……日の丸、旭日旗、皇居遥拝、天皇陛下万歳、等々、左翼反日主義者や韓国が嫌うすべてのもので境内は埋め尽くされている。
 奈良は明日香の里にある神武天皇即位の橿原神宮2月11日のリアルである。

 日教組が目くじら立てて「嘘だらけの日」と言っていた「建国の日」は確実に日本人の心に生きかえっているような気がする。
 初代天皇である神武天皇が即位されたこの日を明治政府は「紀元節」と定めた。辛酉年正月朔日と日本書紀に記された即位の日を、太陽暦に変え2月11日を紀元節ときめた。

 マッカーサーはこの紀元節を徹底的に嫌い、神道によりでっちあげられた虚説とし、日本と日本人のアイデンティティを消し去るためにこの日を祝うことを禁止した。
 何年か後、主権を回復したあとも、マッカーサーに洗脳された日教組や反日学者の反対でなかなかこの「建国の日」は実現しなかったが、昭和42年にようやく国民の祝日となった。虚だとか神話だとかと言って未だに拒否する人がいるが、欧米にも神話は存在し、それぞれの民族、国家の誕生を祝う記念日がある。民族のよって立つアイデンティテイはそれぞれであって当然なのだ。

 「私が望んだのは、「建国記念の日」などという「休日」ではなく、「紀元節」という「祝日」なのであった。」
 劇作家福田恒存はそう言って嘆いた。こんな名称では2月11日の由来も、建国の紀元を確立した古代日本人の気概も伝わってこない。紀元節として国の成り立ちのすべてを国民が共有して祝うことこそが、2月11日なのだ、と。
 たんなるホリデーと認識する多くの日本人が存在するのが悲しい。
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2020年02月10日

通貨から媚薬・愛になったチョコレート

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 新型コロナウィルス/武漢/ダイアモンド・プリンセス号/マスク品切れ/等など、立春大吉の話題としてこんなに不愉快なものはない。
 まもなくやって来るヴァレンタインのチヨコレートのことでも考えた方が少し救われるかもしれない。

 古代メキシコではチョコレートは「神様のたべもの」といわれていた。それほど高価で貴重なものだったということだろう。
紀元前1000年頃、カカオ豆はお金であったといわれ、通貨として流通していたそうだ。
 16世紀にはアステカの皇帝モンテスマが「恋の媚薬」と信じ、ハーレムに行く前には必ず浴びるほど飲んだと伝えられる。チョコレートは「通貨から媚薬へ」と変わった。日本でも長崎出島において、寄合町の遊女大和路がオランダ人から「しょくらとを」をプレゼントされたという記録がある。
 欧米では上流階級が集まるチョコレート・ハウスがロンドンに生まれ、ルイ14世がマリーテレーズを妃にしたことでパリの社交界を一気に席巻したのがチョコレートだったといわれる。
 このチョコレートをフランスで初めて味わったのが、岩倉具視欧米視察団だったと文献に登場している。

 大正期このチョコレートを愛し、毎朝クロアッサンとともに楽しんでいたのが、かの永井荷風だった。
 ふらんす物語のある荷風は目覚めると「床のうちにて一椀のショコラをすすり、一片のクロワサンを食す」と日記断腸亭日乗に記されている。そのショコラはフランス製のものを取り寄せ「その味何となく仏蘭西に在りし時のことをおもいださしめるなり」とあるから、多分ショコラ・ショーを愛飲していたのではなかろうか。

 「飲むチョコレート」はオランダのヴァンホーテン一族により、「食べるチョコレート」はスイスのロドルフ・リンツにより、「愛のチョコレート」は神戸のモロゾフにより始まったと言われている。
 パリには、ヴァレンタインの日は愛の告白文で紙上をいっぱいにする新聞がある。
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2020年02月09日

立春大吉のご挨拶

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 節分を過ぎていただく年賀状には特別な思いがある。
「立春大吉」と書かれた文字に、第一の節気を無事におえたお互いへの祝福と祈りが込められているような気がする。

 子供のころから可愛がられ、未だに初釜でお世話になっている吉兆さんからは、世界の名物・日本料理を創始された湯木貞一さんの筆になる「立春大吉」の賀状が届く。いちはやく「世界の名物」と墨書した湯木のおじいちゃんの心意気に敬意をささげる。

 もうひとり「立春大吉」の賀状が届くのは、毒蝮三太夫である。
 あれほどの毒舌ながら、人情の厚さ深さにおいて彼ほどの芸人はいない。そもそもは学生時代からの芝居仲間なのだが、舞台で疲れ切った仲間たちをいつも楽屋で笑わせ、癒してくれたのは彼だった。立川談志の独りよがり、わがままにたいし、痛烈な野次をかませ、いつもまわりを大事にしていたのは毒蝮三太夫だった。
 表から読んでも裏から読んでも同じ「立春大吉」は彼にとてもふさわしく映る。

 本郷西片町でのこどものころには、曹洞宗のお寺さんから立春大吉のお札が届いた。魔除け・厄除けと教えられ、背伸びをして玄関の横に貼ったことを覚えている。冬至も春分も判らなかったこどもだったので、どうして節分も終わった今なのか不思議だった。
 こどもの頃は、お札より立春大福餅だった。神田須田町庄之助の春の七草のはいった立春大福餅は嬉しかった。、
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2020年02月07日

梅園の春をあびて

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「人々はここに集まり、酒を酌み、詩を吟じ、全てを忘れ、心なごみ、楽しむことができる。
 草木を伐採し、穢れを流し、地形にならって梅三千株や松・杉・楓・柳を植栽した。すると、清流は益々清く、趣のある岩もたくさん出てきて、山水花木、四季の眺めも美しくなった。高みに四阿をつくり、流れには小橋を架け、遊園の設備も整った。」
 横浜の豪商茂木惣兵衛によって造られた熱海梅園の碑文からの転記である。

 この冬いちばんの寒さに襲われた軽井沢から、北陸、東海道の新幹線を乗り継いで熱海梅園にいってきた。
 来宮の山間にある梅園には、早すぎる春がきていた。老梅も紅梅は白梅もみごとに花をつけ、香りを放っていた。すぐそこに見える海からの恵みだろうか。
 漸佳橋を渡り西側の山道を登ると梅見の滝がある。流れ落ちる滝の裏側から園内の梅を鑑賞し、珍しい熱海芸者のマンホールから目線をあげるとそこに雨宮敬二郎翁の顕彰碑があった。熱海へ鉄道をひいた、その労苦に感謝する顕彰碑だ。
 荒涼たる火山灰地に700万本の落葉松を植え、軽井沢にこんにちの高原保養地をもたらしたのは雨宮敬二郎だが、軽井沢に雨宮顕彰碑はない。
軽井沢では10年後の外人牧師クロフト・ショーが軽井沢発見の父とされている。明治以来の外人崇拝の悪い歴史観の表れでもあろうか。

 数年前に下田のきんめ丸が熱海に支店をだしたときいた。きんめ丸は下田におけるきんめ料理の専門店で、下田では欠かせない魚料理の店だ。昼コースなので、いささか小ぶりの金目鯛だつたが、手慣れた煮付けのきんめを楽しんだ。
 帰途、改めて熱海の坂道の厳しさを知った。神戸より小豆島より、更にきびしい坂の町が熱海だと知らされた。
 その日、軽井沢の夜は釜鶴の干物のしあわせだった。
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2020年02月04日

「としまえん」が消える

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 小学校一年の遠足は井の頭公園、いきなり動物園にいき井の頭池の周りを歩き、松林の下で弁当をたべて帰ってきた。
 小学二年になると「としまえん」、いろいろな遊具で遊べる期待でちょっぴり大人になったような気がして嬉しかった。あの頃「としまえん」には、今のディズニーランドのようなイメージがあった。
 遊べる公園と言えば、当時の東京には浅草の花屋敷、のちに後楽園、遠ければ京成谷津遊園、そしてよみうりランド、遊べない大人の公園は、石神井公園、善福寺公園、大宮公園、小石川六義園、新宿御苑、桂離宮、隅田公園などがあった。

 「考える遊園地・としまえん」は都民に愛されて、いつまでもあって当然と思っていたら、突然の閉園発表に驚かされた。

 「としまえん」いつも考える、考えて考えて次々の遊びを提供してくれた先進的な遊園地だった。
 世界初の屋内スキー場、世界最古のメリーゴーランド、とりわけプールに至っては色々なアイディアを提供してくれた。波のプール、流れるプール、ナイアガラ・プール、競泳プールからウォーター・スライダーも日本初の設営だった。

  考える遊園地・としまえんは宣伝のためのキャッチ・コピーでも多くの勉強をさせてくれた。夏が近ずくと「としまえん」の広告が待ちどおしかった。
 なかでも強烈に残っているのは、「……プール冷えてます。」「クール・ミズ」 自社提供のラジオ番組で、30分間プールの水音だけの、世界初の「冷やしラジオ」も前衛的で面白かった。

 太田道灌に敗れた豊島の殿様がつくった練馬城は廃墟となったが、何百年ぶりに復活をとげた練馬城址「としまえん」は再びハリーポッターの手に堕ちてしまった。
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2020年02月03日

日本食に「ねぎ」は欠かせない。

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 「ねぎ」は食卓の香味野菜として、ベストワンではなかろうか。
  蕎麦の脇役から、ネギマ鍋のマグロの友に至るまで、「ねぎ」はこのうえなく働きものだ。「ねぎ」のない日本食はずいぶんと薄味になり、つまらないものになる。
 伝統野菜の名物としても「ねぎ」ほど全国各地に多くのブランドをもつものはすくない。

 山形の鶴岡には「雪中軟白ねぎ」と称する冬の庄内にぴったりの特産品がある。辛みガマイルドでサクッとした食感が特徴、ネギま鍋に合う。
同じ山形の酒田へいくと、「平田赤ねぎ」という白味がワインカラーのおしゃれなねぎに遭遇する。
 青森には「南部太ねぎ」がある。絶滅しかかったのを地元の農業高校の努力で復活した。甘味たっぷりでまるごと食べられる在来種だ。太くて立派のつながりでは、群馬の「下仁田ねぎ」、このねぎを入手すると肉を買いにはしり、今夜はすき焼きというのが我が家のルールである。このねぎ程、すき焼きに合うねぎはない。
 このほか関東にはブランドねぎが多い。「深谷ねぎ」「吉川ねぎ」「柏産ねぎ」「九十九里海っ子ねぎ」そして東京にも江戸川ぞいの「新宿ねぎ」。
 色っぽいのは新潟の「やわ肌ねぎ」湯気のたつ鍋にひかえるやわ肌ねぎはなんとも色っぽい。
 京野菜の「九条ねぎ」も個性的というべきだろう。青い部分がいくつにも分かれ、他のねぎにはない香りと甘味がある。京料理に九条ねぎは欠かせない。

 そもそもは中国、シベリアから大阪に渡ってきたのが、ネギ渡来のルーツといわれているが、この大坂の「難波ねぎ」が711年の伏見稲荷造営に際し、京都に運ばれ、ここから九条みぎが生まれ、全国にひろがったといわれている。
 「難波ねぎ」は、にほんのネギの総本家なのだ。
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2020年02月02日

地図にない小さな旅・城南五山

旧島津家本邸.jpg
御殿山庭園人工滝.jpg

 東京の山登りと言えば、多くの人は高尾山をさすが、そんな遠くにいかなくとも山手線のなかで山登りはできる。
 目黒から五反田、品川にかけての山手線内に、城南五山と呼ばれる江戸から明治にかけて文化の香りを遺している山がある。
 御殿山、八ッ山、島津山、池田山、花房山……城南五山と呼ばれている小さな山々だ。そこは田園調布、自由が丘、成城、松濤、見附などが憧れの住宅地として登場する以前の、東京の高級住宅地であった。武蔵野台地が東京湾に張り出したちいさな台地こそ、殿様や高級官僚ゃ財界人が眼をつけて贅を費やした山だった。

 「御殿山」とは徳川将軍家の御殿があったことに由来している。。目の前に東京湾を望み、桜の名所でもあった御殿山は三代将軍家光がことのほか気に入り、頻繁に訪れていたと伝えられる。
 嘉永6年のペリー来航で慌てた幕府はこの山を削り品川沖にお台場をつくった。広重名所江戸百景御殿やまの絵に削り取られた御殿山の悲しさがのこっている。 御殿山公園の煉瓦で組まれた人工滝は一見の価値がある。
 「八ッ山」には明治の元勲伊藤博文邸があった。江戸城の普請、とくにお濠の整備に使われたのが、八ッ山の土だったといわれる。
 「池田山」は岡山藩主池田公の下屋敷で、そこにある池田山公園の池はパワースポットとして都市伝説に登場する。
 「島津山」には鹿鳴館やニコライ堂を建てた英国人建築家コンドルによる旧島津家本邸ルネッサンス様式の素晴らしい建築がある。現在は清泉女子大学の施設となり、春秋二回見学ツアーが催されている。
 「花房山」はかの本能寺で散った森蘭丸の出自である播磨の国三日月藩森家の上屋敷があった。目黒川を見下ろしている。

 たまには忘れられた東京の城南五山を巡るのも一興かもしれない。地図にない東京の小さな山である。
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2020年02月01日

四っ眼からオカメの節分

オカメ節分.jpg

 中国武漢からの新型コロナ・ウィルス襲来は何としても止めなければならない。
中国由来の節分会がまもなくやって来る。新型コロナという邪鬼を追儺で追い払う工夫はないものだろうか。
 追儺の式はそもそも宮中でおこなわれていたものが、民間にはみ出してきたものだ。庶民は自分の家の厄災になぞらえ、次々と邪鬼を追い払う工夫を重ねた。
 
 旧暦大晦日の邪鬼祓い、つまり大晦日の夜にはあちこちで鬼を祓う豆まきが行われるようになった。

 鬼はまず都の北東、表鬼門にある岡崎の「吉田神社」に現れる。わがもの顔に暴れ回る鬼を迎え撃つのは「四ツ目の方相氏」、眼が四つもある四角い面の鬼やらいだ。四つの目玉で東西南北すべてに目配りをし、鬼を追い詰める。そして南に追い出す。
 追い出された鬼は東山の「八坂神社」に現れる。八坂さんでは舞妓の豆で追い出される。
 鬼は裏鬼門の「壬生寺」にあらわれるが、ここではガンデンデンと呼ばれている狂言で追い払われる。
 ついに鬼は西陣の「北野天満宮」に逃げる、ここでも圧倒的に強い菅原道真公の念のまえでは勝ち目がない。結局邪鬼は都のそとに追い払われる、という段取りになっている。
 京都の人々は四つの寺社に参拝して1000年の都を守ってきた。

 上七軒の千本釈迦堂では、「おかめ節分」がおこなわれる。おかめは貞淑・福徳円満・縁結び・お多福招来のいまどきには全く珍しい大工の女房で実際に存在していた京女の代表的な貞女であった。さすがの邪鬼もおかめのまえではヤンチャができなかったという実話節分なのだ。

 新型コロナウイルスから逃れるには、四つの寺社にお参りする「四方参り(ヨモマイリ)」など霊験あらたかであるかもしれない。
posted by Kazuhiko Hoshino at 14:15| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする