2020年02月07日

梅園の春をあびて

熱海梅園.jpg 

「人々はここに集まり、酒を酌み、詩を吟じ、全てを忘れ、心なごみ、楽しむことができる。
 草木を伐採し、穢れを流し、地形にならって梅三千株や松・杉・楓・柳を植栽した。すると、清流は益々清く、趣のある岩もたくさん出てきて、山水花木、四季の眺めも美しくなった。高みに四阿をつくり、流れには小橋を架け、遊園の設備も整った。」
 横浜の豪商茂木惣兵衛によって造られた熱海梅園の碑文からの転記である。

 この冬いちばんの寒さに襲われた軽井沢から、北陸、東海道の新幹線を乗り継いで熱海梅園にいってきた。
 来宮の山間にある梅園には、早すぎる春がきていた。老梅も紅梅は白梅もみごとに花をつけ、香りを放っていた。すぐそこに見える海からの恵みだろうか。
 漸佳橋を渡り西側の山道を登ると梅見の滝がある。流れ落ちる滝の裏側から園内の梅を鑑賞し、珍しい熱海芸者のマンホールから目線をあげるとそこに雨宮敬二郎翁の顕彰碑があった。熱海へ鉄道をひいた、その労苦に感謝する顕彰碑だ。
 荒涼たる火山灰地に700万本の落葉松を植え、軽井沢にこんにちの高原保養地をもたらしたのは雨宮敬二郎だが、軽井沢に雨宮顕彰碑はない。
軽井沢では10年後の外人牧師クロフト・ショーが軽井沢発見の父とされている。明治以来の外人崇拝の悪い歴史観の表れでもあろうか。

 数年前に下田のきんめ丸が熱海に支店をだしたときいた。きんめ丸は下田におけるきんめ料理の専門店で、下田では欠かせない魚料理の店だ。昼コースなので、いささか小ぶりの金目鯛だつたが、手慣れた煮付けのきんめを楽しんだ。
 帰途、改めて熱海の坂道の厳しさを知った。神戸より小豆島より、更にきびしい坂の町が熱海だと知らされた。
 その日、軽井沢の夜は釜鶴の干物のしあわせだった。
posted by Kazuhiko Hoshino at 12:51| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする