2020年02月14日

将門公追善の日・2月14日

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 江戸っ子にとって2月14日というのは、「将門さま」の亡くなった日である。
 だからこの日、平将門を祭ってある神田明神に手を合わすのだ。正式の祭りは五月だが、2月14日という命日を忘れるわけにいかない。
 京都から首が飛んできたと伝わる千代田区丸の内一丁目のビルの谷間にある将門の首塚はは東京最恐のパワースポットといわれている。

 近代的なビルの谷間にきちんと祀られているのは、平将門の首塚、この首塚には数々の怖い話がつたわっている。
 都で晒された将門公の生首が腐らず、3ッ日目に白光とともに飛び去って生首が落ちたのが、ここ柴崎村の古墳跡、いまの丸の内一丁目と言われている。
 古くは歌舞伎先代萩で知られている伊達安芸と原田甲斐の殺害された場所も同じ場所。
 1923年の関東大震災の後、大蔵省が仮庁舎建設のため塚を動かしたところ、直後に大蔵大臣が死に、追いかけて工事部長も亡くなり、関係した官僚たちも怪我人続出という不幸に襲われ、慌てて鎮魂碑をたてたという、当時の新聞には「将門の霊よ、鎮まり給え……きのう大蔵省で」と大見出しが踊っている。
 それでも1940年には再建した大蔵省が全焼し、重軽症107人、21棟の関係建物すべてを失うという事件が起きた。将門の慙死940年の1000年後、1940年のできごとだった。
 第二次敗戦後、GHQの再開発プランで首塚を潰そうとしたブルトーザーの運転手も、車から転落して命をおとしている。
 次々と続く不幸な出来事に、将門公の首塚には絶対にさわってはいけない、という都市伝説ができた。いまでも神田明神の氏子には、将門公の首をおとしたナンテンの矢に因んで、ナンテンの箸は使わない、というジンクスがある。

 都から遣わされた俵藤太が将門追討の祈祷をした成田山には参詣しないというのも、江戸っ子の意地であり、歌舞伎の贔屓が成田屋の團十郎一門と、神田明神を守り神にする音羽屋菊五郎、菊之助一門にわかれるのも、実はみなこの平将門公への思い入れからきている。
 昨日今日ではない1000年にわたる江戸っ子の都市伝説である。
posted by Kazuhiko Hoshino at 12:37| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする