
コロナ・ホームステイ週間のおかげで、奇跡に近い旅ができた。
戦国時代の近江の国のありさまが手にとるように理解できたのだ。
まず近江の入口に建つ佐和山城、秀吉三奉行のひとり石田三成がここに居城を定めた理由がもっともとわかった。東国と京、畿内の要衝にあり、喉元の防備に欠かせない位置をしめていることがジオラマを見る如くに理解できた。
にほんの城郭建築の始まりといわれる安土桃山の城跡も琵琶湖を眼下に天下布武をとなえた織田信長にふさわしく、石墨にふれただけでも彼の人間のスケール観がよみとれる。幻の城が湖面に反射していた。
不運の将軍秀次の造った近江八幡も、八幡山を背景にした琵琶湖水運と楽市楽座を中心に組み立てた都市構造の優秀さに眼をみはった。
暗愚の将軍として秀吉に断罪された可哀そうな将軍ではなかった。琵琶湖の南の何もない葦の原に掘割を軸に南北に軍備と商業を並立させ、楽市楽座の法令をもちこんであきんど達に自由に交易をさせたあたり、なかなかの治世者だったことが伺える。
こうした町の気風が、日本一の商人を育て、ヴォーリズなどの近江兄弟社を生み、菓子のたねやを育て、西川のふとん本家やら、かっての敷島紡績などの紡績業を産んだ所以なのだろう。
料亭招福楼も官休庵やら表千家にちかく、禅と茶の趣味に傾倒したみごとな建物と料理に趣味人が集まっている。
近江八幡に散在するヴォーリズの建築群、居宅、洋館、郵便局、ヴォーリズ学園、ヴォーリズ病院、近江兄弟社など廻って、初めて軽井沢では判らなかったヴォーリズの全貌に近ずいたような気がした。時代劇のロケに度々登場する掘割の表情も豊かで、倉敷などとてもかなわない。
観光客が全くと言っていいほど居ず、町のたたずまいや歴史の時間が皮膚でかんじられた素晴らしいひとときであった。
こんな充実した時間を下さった石寺真澄様と図師育代様に感謝である。