2020年05月22日

苔が語る白拍子の悲しさ

西芳寺苔庭.jpg

 まもなく梅雨時になる。
 梅雨が待たれるのは、霧の美しい風景と、苔がいちだんと深い魅力につつまれることだ。

 自身のなかのモス(苔)ツーリズムの聖地はというと、
 奥入瀬渓流、京都西芳寺、祇王寺、そして旧軽井沢の奥の別荘の庭にとどめをさす。
 信州の山から吹き下ろす湿り気の多い風と関東平野から吹き上げる風が軽井沢の森に美しい苔を作り出す。ままイノシシなどが苔のしたに隠れているミミズなど引っ張り出し、苔庭を荒らした景色にでくわすが、実にがっかりする。イノシシに苔庭の美しさなど判る筈もなく、致し方なしとするほかないが彼らの所業の下品さに悲しい思いが膨らむ。

 苔の花が咲いたころ、西芳寺のご本堂で雨宿りをさせていただいたことがある。初めての京都旅行だった。
 雨が上がったあと、木漏れ日に明るさをました苔庭の美しさをいまでもはっきりと覚えている。まるで阿弥陀様が降り立ったような不思議な感興にとらわれた。足利義満からスティーブジョブスまでみなこの寺の苔に魅せられて通ったといわれ、この空気から金閣寺が生まれた理由もなんとなく体感できたのだ。

 遠くから訪れる人は苔の寺といえば西芳寺というが、都のひとは祇王寺とこたえる。
 平清盛と祇王妓女のものがたりが、身近に思われるからなのか。
 祇王寺の苔に白拍子の悲しさ、仏御前の孤独を感じさせられるのか、苔むすさまに女性の無常観が浮かぶのかもしれない。
posted by Kazuhiko Hoshino at 14:54| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする