

茅葺の小さな農家の窓があいて、おばあちゃんがじっと外をみつめていた。
北関東の静かな農村地帯に突如として都会の若者やら、スポーツカーのカップルが押寄せた。こんなに多くの人を見たのは、おばあちゃんの一生にとって恐らく初めての経験だったろう。
クリストさんという変な外人に頼まれたから、まあえぇやろと承諾したが、こんなことになるとは想像もつかなかった。
見渡す限りの田んぼにでっけえ傘がいっぱいたっちまって、まあ驚いた。傘の直径は8.7m、高さは6mの青い巨大な傘が見渡す限り1340本も立って、何のためだか知らねぇが、東京の方からぎょうさん人間がやってきた。聞くところによると、海をはさんだ対岸のカリフォルニアつぅところにも1760本の黄色い傘がたっているそうだ。
クリストとジャンヌ・クロードの太平洋をはさんだアンブレラ・プロジェクトは1991年だった。
それまで彼らは、1969年に海岸の梱包をしたし、1970年にはロッキー山脈の谷間に巨大なカーテンをつけ、1985年にはパリ、セーヌ川にかかる一番古い橋ポンヌフを梱包した。
「芸術は永遠であるという概念への挑戦」がクリスト夫妻の主題だった。
もしこの春に世界的なコロナの騒動がなければ、凱旋門が梱包される予定だった。先だった女房との思い出のパリ、ふたりで登った凱旋門を梱包して人生のターミナルにしたかった。
が未遂のまま5月末、クリストはニューヨークで84歳の生涯をおえた。さぞ残念なことだったろう。 合掌