
28日夕刻、安倍首相緊急記者会見が行われた。
首相の辞意決断にいたる健康事情とコロナ対策などに一定のメドが立ったことが伝えられ、記者質問に移った。
この記者会見を見ていて、多くの国民が感じたことは、国民を代表すると自称する記者たちのレベルの低さ、人間性の欠如ではなかったろうか。
まず潰瘍性大腸炎という持病をかかえながら7年8ケ月という長期にわたり頑張ってきた安倍首相に対するねぎらいが全くない。多くの記者のなかで、長いことご苦労様でした、と声をかけたのはただ一人しかいなかったことに驚いた。
死者に鞭打つ行為はしてはならないというのが、日本人の習性と信じてきたが、この人たちには全くそんな心情は見えなかった。あいかわらずのモリトモやら桜の会を持ち出して非難めいた質問をするなど、呆れた記者もいた。
辞める人にたいしては、その成果を顕彰し、残された課題にたいしての希望を聞き、さらに今日本の置かれている最大の危機的状況についての発言を促すのなら理解できるが、そうした日本人としての平衡をたもった質問はなかった。
かって「携帯をもった猿」という比喩が喧伝されたことがあったが、記者会見の模様は「パソコンをかかえた猿」一同。
「新聞の終り」という本が売れたり、「メディアの終焉」といわれ「テレビの終りの始まり」と地上波からネット族の離脱が当たり前になっている現実にいまもっとも勉強しなければならないのは、ここに並んだ記者たちではないか。
桜の会の宴会参加費が5000円では、と騒いでみたり、安保法制と聞いただけで戦争を始める気かと殺気だったり、憲法9条といっただけで、反対反対と叫んだり、中国の覇権主義や尖閣列島の危機を報じない不思議な記者たちが多い。
日本を愛し、日本国民とともにある人間としての最低条件すら欠落しているメディア人が多い。
多くの宿題を抱え、道半ばにして退陣せざるをえなかったことについて、誰よりも悔しい思いをしているのは安倍首相自身だったろう。
記者会見の最後には安倍さんの眼にうっすらと涙がにじんでいた。