2020年08月21日

喫茶店に文化のあった時代

名曲喫茶ライオン.jpg

 西荻窪の駅前に「こけし屋」という喫茶店があった。
 中央沿線の作家や文化人が集まる二階座敷があり、沿線文化の発信地だった。学生時代のコーヒー・デビューはこの店だったが、その時の味はまったく記憶にない。
 山本安英さんが朗読の勉強会を開き、そこで夕鶴を読んだり、スタニスラフスキー演技術について知識を深めた。のちに立教女学院の友達とモーツアルトや、ショパンのレコード・コンサートを開いたりした。こけし屋の二階は文化のカオスだった。

 「名曲喫茶」が登場したのは、新宿や銀座だった。名曲喫茶の主役は正面に鎮座した左右のスピーカー……、特大のALTECやTANNOYが置かれ、圧倒的な音量でクラシックの名曲が流れていた。清楚なおねぇさんがニコリと微笑んでリクエスト・カードをおいていく。
  ワーグナーにしようか、それともマーラーでいこうか、指揮はトスカニーニ いやフルトベェングラー、キザな若者のなかにはスコアーを手に指揮の真似事に酔っている奴もいた。

 「美人喫茶」という名の怪しげな喫茶店も流行った。キレイなおねぇさんが何人もいた。憧れのステュワーデスの服装をまねて店内のあちこちでポーズしていた。15分位で位置移動する。つまり一時間もねばっていれば、一通りのおねぇさんを近くで拝めるという有難い喫茶店だった。

 「シャンソン喫茶」は松坂屋の南側にあった銀巴里にとどめを刺す。美輪明宏を始めて聞いたのも銀巴里だった。薄暗がりのなかに化粧した美少年は信じられないほどの妖気を発散していた。この時の体験がのちの「ヨイトマケの唄」誕生を呼んだように思う。

 いまスタバやドトールでお茶する若者たちに、かって喫茶店にあった文化を説明しても軽蔑されるだけだろう。熱っぽく論じあったサルトルやボーボワールは、何処かへ消えてしまった。
posted by Kazuhiko Hoshino at 16:23| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする