2020年10月31日

名門ウォルドーフ・アストリアの内実

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 N・Yのウォルドーフ・アストリア・ホテルは筆者と生まれた年が同じ。1931年にエンパイア・ステート・ビルのあるダウンタウンから引っ越してきた。 パーク・アベニューの49丁目と50丁目の間に威容を誇っている。アールデコ・デザインの典型モデルとしてアメリカの歴史的建築物に指定されている。
 マリリン・モンローのケネディ大統領との恋は、このホテルが舞台だった。
 エリザベス・テーラーも、フランク・シナトラも、マフィアの大親分ラッキー・ルチアーノもみなこのホテルと共に暮らしている。

 ミューカルが脚光をあびた60年代から70年代、筆者のブロードウェイ通いもこのホテルからだつた。毎年12月中旬から年末大晦日までブロードウェイの劇場を見歩いた。その年のヒット作品、切符は2年先までソールド・アウトといわれていても、ウォルドーフ・アストリアのコンシェルジュは必ず取ってくれた。
 昭和天皇から各国元首、アメリカ歴代大統領まで宿舎としていたホテルのコンシェルジュには、ブロードウェイへの絶対的チケット確保のルートがあったのだろう。 いつもホテルの金枠の封筒に入ったチケットを軽いウインクとともに渡してくれた。チップは50ドルのこともあったし、100ドルのこともあった。
 コールポーターの弾いていたピアノのあるピーコック・アレーで、前夜の舞台を思い出しながらとる朝飯が楽しかった。新しい年とともにラスベガスにとび、ニューヨークで冷え切った身体を温め、ショーを見て東京へ帰るのが、年中行事だった。

 あのウォルドーフ・アストリアが東京日本橋に出来ることになった。三井不動産の高級化路線として、マンダリン、リッツカールトン、フォーシーズン、ブルガリに次ぐ計画というが、心配もある。
 2014年にウォルドーフ・アストリアは安邦保険集団という中国の国営企業に買い取られた。
 三菱地所のロックフェラー・センター買収に比べられ、当時のアメリカメディアの話題となったが、以来機密漏洩を心配してアメリカ政府は、アストリアから国連大使公邸をひきあげ、大統領も使用しなくなった。いまアストリアを利用しているのはアフリカの中国系小国ばかりになっている。
 日本にウォルドーフ・アストリアが出来るのは結構だが、中国の情報採取ホテルであっては困るのだ。

 

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2020年10月29日

中国千人計画の罠

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 日本学術会議の任命拒否問題にライトが当たって、逆にあぶりだされたのは学者達の日本の国防には協力しないが、中国の軍事産業には協力するというなんとも不思議な構図であった。
 日本学術会議は「日本の軍事研究にはいっさい協力しない」と宣言し、安保反対やら何やら反政府的立場をとってきた。今回の学術会議会員の任命についても6人が政府によって外されたと第一報を報じたのは、共産党の機関紙「赤旗」だった、という判りやすいオマケがついている。
 国民の税金が使われて運営されている以上、国家に弓をひくことは許されない。6人の任命拒否の理由を言え、大騒ぎする野党のオツムもおかしい。

 学者たちの無知にも呆れる。
 東大名誉教授・長澤寛道氏は「私の教え子だった中国人から「千人計画」に誘われ、浙江大学生命科学院教授になりました。
 同じく東大名誉教授二木昭人氏は北京大学と並ぶ精華大学丘成桐数学科学センター教授を務めている。
 「千人計画」で長春理工大学特聘教授になった富江敏尚氏と中国の千人計画にのった日本の学者は数限りない。
 いずれも中国の軍民融合といった原則を知らないはずはない。金と名誉の千人計画によって中国は世界の知性をかき集め、共産党の領土的野心に利用しようという企てなのだ。

 アメリカでは最先端の知財が中国によって秘密裡に盗まれたとして、参加した学者40名以上を逮捕している。

 中国科学院、中国科学技術協会とは全面的に協力をし、日本の防衛軍事研究は拒否する日本学術会議とは呆れた団体である。
 この際、菅内閣によってこうした反日団体の永年の膿みを徹底的に洗い出してほしい。
 学問の自由が中国にあって日本にないなどと、ナンセンスな発言をするメディアも共同正犯である。



 
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2020年10月27日

天下の悪法・レジ袋有料化

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 スーパーであれこれ買物をする。レジに進むと、おばさんが何やら問いかける。袋はどうするのかときいている。こんなに沢山の商品を手でもって帰るのか。そのくらい客の佇まいをみて判断しろといいたくなる。
 若いレジの女の子になるともっとひどい、カウンターに売った品物を積み上げて合計金額を宣言する。袋もください。5円ですよ。無駄な会話で時間をとるし、なんとも不愉快な時間だ。
 企業も3円、5円の有料化で利益を追求するなら、さっさとバイオマスのレジ袋に転換すべきだ。バイオ素材なら公害は発生しないし、コストもそんなに変わらない。
 小泉進次郎とかいうタレント政治家の思い付きに振り回され、コンビニは売上を落とし、スーパーは回転率が悪くなっている。 レジ袋の有料化を強制するまえに、バイオマス・レジ袋の生産育成に補助金を出したらいいだろう。
 レジ袋有料化は天下の悪法である。

 徳川五代将軍綱吉による「生類憐みの令」以来の悪法という声すらある。
 将軍綱吉は二十年間に100回に及ぶ「生類憐みの令」を発した。江戸の西、中野の原16万坪から村民を追い出し、10万匹の野犬を保護したと伝えられる。一日犬一匹当たり、米3合、味噌、干しイワシを与えて江戸っ子の怒りをかった犬公方であった。
 おかげで江戸中に犬がはびこり、江戸っ子は小さくなって過ごしたという教訓である。
 思い付きで目先のことにこだわる政治家ほど始末の悪いものはない。
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2020年10月25日

ライダイハン・韓国の犯罪

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 朝日も毎日もNHKも報道しなかったが、英国BBCの報道によって初めて注目されたのが、このニュースだ。
「ライダイハンのための正義」の会によって、ロンドン中心部のウェストミンスター公園に建てられたライダンハン像のことである。
 ベトナム戦争当時、現地に派遣された韓国軍兵士の性的暴行によって被害をうけたベトナム人女性とその結果生まれた悲劇の赤子の像のことである。被害者は30万人以上、性的暴行を受け生まれた子供(ライダイハン)は、3万人に上るとされているが、韓国政府はいままでホホカブリをし、日本相手のありもしない慰安婦問題の宣伝につとめてきた。

 ベトナム派遣の韓国軍は、売春管理制度をつくり、兵士の性欲のためベトナム女性を強制的に徴用してきた。つまりライダイハンは、韓国という国家による犯罪であったことが明白なのだ。ベトナムに於ける韓国軍の虐殺と暴行にたいして損害賠償要求が初めてソール地裁に提出された。
 日本にたいしてはありもしない慰安婦問題を笠に、謝罪と賠償を永遠につづけろと、主張している文政権はなんとこたえるのか。国家賠償はすんでいても個人の人権としての賠償請求は生きている、と主張してきた韓国人と韓国政府は何と答えるのか、彼らはインチキな主張をどこまで押し通すのか、民族の品位が問われている。

 当時の韓国軍にはベトナム人が成りすまして所属し、彼らが性的暴行を行っていたと、とんでもない嘘をでっちあげているという報道もあるが、韓国政府の根性の腐り方はお見事というしかない。訴状にたいしてソール中央地裁が如何なる反応を示すか、イギリスの世論とベトナム弁護士会にたいして文政権はなんと答えるのか。

 ロンドンに建てられた「ライダイハン像」はベトナムの人々への鎮魂をいだかせる神仏芸術の域にたっする傑作と讃えられている。韓国人が世界中にばらまいている下品な少女像とは、まったくレベルの違う石像である。
 国家賠償はすんでも個人賠償は済んでいない、と主張してきた文政権にとって、このライダンハン問題は、ブーメランのごとくに己に戻ってきた痛恨の出来事である。
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2020年10月22日

朝のヘビロテ

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紅茶に始まる朝が、もう80年近くつづいている。
 学生時代からコーヒーは苦手だった。戦後まもなく紅茶はリプトンか、日東しかなかった。数年のちトワイニングが上陸した。トワイニングではじめて朝の紅茶と午後の紅茶があることを知った。海外へいくようになったとき、ロンドンのフォトナムメゾンで英国王室御用の紅茶の存在を覚えた。
 朝は何杯飲んでももたれない伝統的なブレイクファースト・ティに限る。午後は少しクセのあるアールグレーがいい。追いかけるようにフルーツティの時代がきたが、どれをのんでも感心しない。伝統的なクラシック・ティにまさるものはない。
 今では、フランスのCHA YUAN チャ・ユアンのモーニング・ティか、アールグレイ・インペリアルにおちついている。たまさかミセス・トミーが送ってくれるザ・プリンス・オブ・ウェルズ殿下の農場で作っているWaitrose DUCHY のイングリッシュ・ブレイクファーストが素晴らしい。

 牛乳をいただくとお腹が不調をきたす。しいて朝の果汁といえばトマト・ジユースぐらいのもの。これは信州産で充分である。

 軽井沢に美味いパン屋はない。佐久に素晴らしいパン屋がある。 Te Te ててという名のちいさなパン屋のクロアッサンやバケットが素晴らしい。トロカデロのカレットに匹敵する旨さ。そのままエリゼー宮にとどけても通用するレベルなのだ。

 バターはBEURRE DISIGNY イズニーの発酵バターが好きだ。フランス料理の旨さはひとえにバターの旨さだと信じている。真面目に作ったバケットとイズニーのバターがあれば、全てオーケーだ。雪印などにはない奥の深い味わいは、潮風にあたったノルマンディの草に育った牛だからこそ出来るのだと、教えられた。

 朝のヘビロテ最後はイギリス王室御用のジャム TIPTREE・ESSEX のオレンジ・ママレード、WITH MALT WHISKY か WITH CHAMPAGNE が大好きだが、日本では明治屋にオレンジ・ウィズ・ウィスキーがはいるのみで、ウィズ・シャンパンの姿はみえない。パリのボン・マルシェにいくと約6メートルの棚に6、7段ぎっしりとティップトゥリーの逸品が並んでいる。パリ着到の2日目は必ずボン・マルシェに駆け込んで、朝のヘビロテをしこんでくる。

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2020年10月20日

ナント歴史博物館の迷惑・中国

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 フランスが中国の文化干渉に当惑している。
 ことの起こりは、フランス西部ナントの歴史博物館が「チンギスハンとモンゴル帝国の歴史文化」についての展覧を企画したところ、中国から猛烈な干渉が入り、「チンギスハン」「モンゴル帝国」「モンゴル文字」という文言の削除を要求してきた。
 理不尽な政治的クレームであるのはあきらかだが、実現することを優先した博物館は催事のタイトルを変更、「天空と草原の子ーチンギスハンとモンゴル帝国の誕生」と変更したが、中国はさらに大幅な変更を要求してきた。
 結局博物館側は、「人類や科学、倫理的価値観を守るため、計画の見直しと延期を決定した。

 いま中国はモンゴルの文化的弾圧に奔走している。
 モンゴル語を禁止し、義務教育からすべて中国語にし、モンゴルの歴史そのものを抹殺しようとしている。モンゴル人を同化して中国人として再生しようという恐るべき計画である。この夏世界中で爆発したモンゴル人による抗議活動の爆発がよほどこたえたのか、モンゴル人のナショナリズムをもっとも鼓舞するモンゴル語とチンギスハンには異常な神経をとがらし、なりふり構わず世界中で禁止にはしつている。
 これだけ無分別な事件か起こっても日本の有識者は、話しあえば判るといった曖昧な態度に終始しているが、いくら中国に譲歩しても、友好どころか、先端技術は窃取され続け、我が国固有の領土まで狙われるようになっている現実を正面からみるべきだ。

 「モンゴル帝国もわが中国古代の地方政権に過ぎない」と詭弁をろうして周辺国に次々と文化的ジェノサイトを拡大する中国のことだから、尖閣どころか沖縄さらに「日本も古代中国の一部族に過ぎなかった」と言い出しかねない。中華思想と中国共産党は本当に始末に負えない。
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2020年10月17日

筒美京平の生きた時代

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 作曲家の筒美京平さんが亡くなった。
 1960年代から1990年代にかけて、膨大な作曲をしたヒット・メーカーだった。
 船村徹さんやら、宮川泰さんなど同世代の作曲家は何人もいるが、筒美さんほど底辺の広い作曲家を知らない。
 尾崎紀世彦の「また逢う日まで」、太田裕美の「木綿のハンカチーフ」、庄野真代の「飛んでイスタンブール」など、音痴の筆者でも好きな曲は多い。
 ベタな演歌だけでなく、ちょっとお洒落な半歩歌謡曲を抜けでた楽曲が多かったような気がする。

 「詞先」シセン「曲先」キョクセン という言い方が業界にある。
 詞先はまず歌詞ありきで言葉が優先される。しっかりした詞があって、しかるのち曲をつける。 曲先はリズムなり、メロディが先にできている。きまった音符に言葉を付けていく。
 むかしは歌のほとんどが「詞先」だった。作曲家はとことん言葉と向かい合い、そこに表れた言葉、隠された心情をメロディにつむいでいく。
 コンピューターのソフトで作曲する今は、圧倒的に曲先が多くなった。歌いやすい歌が減ったのは、ひとえに曲先という情報化時代のせいである。。

 古賀政男も、船村徹も、筒美京平さんもみな「詞先」の時代の名作曲家だった。彼らにとってはまず良い言葉があって、すぐれた詩があってこその作曲家だった。
 ジャンルは違うが、中田喜直さんの名曲「ちいさい秋みつけた」「夏の思い出」「雪の降るまちを」などもすべて詞先の名曲である。
 パソコンの時代になって失ったものはものは多い。歌がじっくりと味わうものでなくなって、即物的に踊れれば、それでよしとする悪い習慣が身についてしまったのだ。
 サカミチの女の子をいくら追いかけても、CDをしこたま買っても、しみじみと歌いたくなるような歌は「曲先」からは決して生まれない。

 コンピューターによって殺された芸術家、それが筒美京平さんだった。
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2020年10月16日

キムタクと日産の時代錯誤

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 「時代錯誤」という言葉がこれほど似合うTV-CMはほかに見当たらない。
 木村拓哉を起用したニッサンの車のコマーシャルである。コマーシャルであるから、車のイメージをアップするために、莫大な金を使って製作する筈だが、このコマーシャルはどうみても販売促進のプラスにはならない。ニッサンの足をひっぱるために制作されたのではないか、とさえ思える。
 大手の代理店がついて、広告ディレクターやらデザイナー、カメラマン、さらにコピーライターまでついて作られたにちがいないが、今時のスタッフがこの設定に満足して制作したコマーシャルとは到底信じられない。時代を知らないスポンサーのお偉さんのゴリ押しで作ったとしか思えない。

 そもそもキムタクという選択が不思議だ。いまのキムタクに新車をイメージさせるのは、まつたく不可能である。われわれ世代ですらそう思うのだから、若い電気自動車世代には違和感しか残らないだろう。短い脚でのムーン・ウォークは30年前に引き戻される。指パッチンでハンドルを握るなど半世紀まえの湘南族でも恥ずかしかった。キムタクの演技ひとつひとつが、こんなクルマは買いたくないし、乗りたくないと思わせるに充分なのだ。
 ニッサンの広報はヤキがまわってしまったのか。
 最後の仕上げが「やっちゃえ、ニッサン」一人称なのか三人称なのか意味不明。キムタクの自己満足とニッサンの時代錯誤が入り乱れたカオスのTVコマーシャルである。
 こんなコマーシャルをつくっていては、日産の再建は絶望的ではないか、とさえ思われる。

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2020年10月15日

自殺する若者たち

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 コロナの下で女性の自殺率が急速にあがっているという。
 芸能界でも竹内結子を始め、芦名星、木村花、と若い女性が自殺している。
 普段、仲間に恵まれず、孤独な日々を送っていると、コロナのように社会と遮断され、直面した「ひとりぼっち」に耐えられなくなるのかもしれない。
 芸能という偶然や運にめぐまれて著名になった自分の存在のあやふさに、初めて気がつくのだろう。
 舞台もなくなる。撮影も延期される。当然収入も皆無になる。
 勤め人のごとく、こつこつと働いて暮らしている普通と違い、収入の多さが逆に皆無になったときの恐怖に結び付く。
 仕事がなくなって始めて、芸能という虚業に気がつく。女性に限らず男性でも同じだ。80才の藤木孝も30才の三浦春馬もみな共通の因子をもっていた。
 冷静に考えれば、芸能の道をえらぶということは、常に自殺の谷がまっているという現実をしっかりとみつめていれば、コロナの孤独など吹き飛ぶ筈だ。

 いま日本人の死因の多くは、自殺か癌ときいて少しばかり驚いている。
 厚生省の統計によれば、15才から39才の男女の死因第一位は自殺であるという。二人に1人は癌になるという時代に、癌と拮抗して自殺が多いというのは社会のどこかにひずみがあるからだろう。先進国のなかで異常に日本の自殺率が高い。
 社会全体が優しくなり、生きることの厳しさを教えてこなかったことに原因はあるのだろう。
 給料のすくないのは会社が悪い、非正規の労働者にもボーナスを払え、学校はタダにしろ、なんでもかんでもアベが悪い、政治が悪い、といって自分自身で努力することを忘れた過剰保護社会をつくってしまった。生きる力が極端に弱くなってしまったのだ。
 なにかに依存するまえに、自分自身の生きる力を検証し、努力することが必要ではないか。
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2020年10月10日

リスの根性・マンハッタンと軽井沢

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 30年程前、ニューヨーク・マンハッタン島の北端にある公園、フォート・トライオン・パークを訪れたことがあった。
 観光客はほとんど行かない静かなハドソン川を見下ろす丘にあったその公園には、メトロポリタン美術館の別館が、中世ヨーロッパの大修道院を模したクロイスターズのなかにあった。その教会では度々コンサートが催されていた。
 現在ワシントン・チャンバー・オーケストラの指揮をしている三本雅俊さんに誘われ、ブロードウェイ観劇をやすんでの半日行だった。そこはニューヨークとは思えないほど静悉な自然にかこまれていた。
 クロイスターが開く前の早朝、広い庭のあちこちにリスが遊んでいた。フォート・トライオンのリス達は驚くほど人間に慣れていて近かずいても逃げない。僕らの歩みに合わせて横を走っていくといった風情だつた。
 本来リスという動物はとても警戒心が強く、人間には馴染まない動物ときいていたので、あのマンハッタンに住み着きながら人間を警戒しないリスの存在に驚いた。

 その頃、軽井沢の我が家にも毎朝リスがやつてきた。いつしかリスのくる雑木の棚にクルミをおいておくのが日課になった。軽井沢のリス達はこちらの姿を見るや否やクルミを抱えて姿を消す。彼らの好物たるクルミを毎日おいてくれるご主人様への敬意がまったくない。
 マンハッタンのリスに比べ、なんと根性の腐っていることか。
 向かいの森に何軒かの別荘が建つにおよび、いつしか薄情なリス達の姿も見なくなってしまった。何処かの森に住まいを移し、人間に愛情を持つことなく人のくれるクルミだけを信じ、人間を疑って暮らしているのだろう。
 リスは身に危険が迫った時、自ら尻尾を切り落として逃げるときいた。そしてその尻尾は二度と生まれ変わらない、そんな自虐的な一生を送っている。 尻尾を失ったリスは、カワイイという魅力も永遠に失うのだ。
posted by Kazuhiko Hoshino at 12:25| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年10月08日

ぶんか組10月/結婚儀礼2000年

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軽井沢ぶんか組10月のテーマは
「結婚儀礼2000年」です。
縄文・弥生期から現代のBRIDALまでを主題に、結婚という形式の変化とその実相について考えます。
皆さまの参加をお待ちします。 
会場は軽井沢駅から旧軽に向かって中ほど、
東雲(しののめ)の交差点を右に曲がって間もなくの Cafe来美(くるみ)です。

10月18日 14時から、映像とトークで開催します。会費1000円
申込は ☎0267-31-5110  隅防つるえ様宛。 
posted by Kazuhiko Hoshino at 15:33| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

低脳化した日本学術会議

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 「学問の自由を失う。政府は理由を説明せよ!!」
 またまた反政府運動が始まった。例により反日左翼と反日メディアによる国家国民を愛さない不思議な闘争である。
 菅内閣による前例踏襲打破の政策がカチンときたのだろう。
 210人の推薦会員から6人が拒否されたという事実に、学問の自由をふりかざしている。国家国民に愛情をもたず、国家の存立にたいして不安をもたらすような学者は採用しないのは至極当然のことだろう。日本の文化、人文、科学を代表する学者たちに、その程度のことも理解できないような組織なら解散して作り直した方がいいのではないか。政府の機関である日本学術会議は、日本国の組織であり、外国の代表機関ではない。菅首相の決定は一般国民にとってごく当たり前のことで、新聞の大見出しになるようなことではない。

 日本学術会議は「日本の軍事研究はいっさいしない」ということを標榜しているが、世界のどこをみわたしてもそんな大学はない。
 国家を弱体化するためのスローガンであることに気がつかないオバカな学者の集まりである。
 世界一のノーベル賞受賞者を誇るマサチューセッツ工科大学から、いま世界を支配しているコンピューターは生まれ、あの原子爆弾計画も誕生した。 その業績からヴァネバー・ブッシュは、アメリカ国家科学賞をえている。
 ドイツでも、フランスでも、イギリスでも、国家の安全にかかわる軍事研究は大学の第一義的研究になっている。
 マッカーサー司令部の陰謀により、日本を弱体化するための学術会議政策をいまだに信奉している学者がいることが噴飯ものだ。

 日本学術会議は政府の下部組織であることを認識し、国家国民のために働くことを再認識すべきだ。
 学問の自由などというトンチンカンな議論はそうそうに願い下げにしてほしい。
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2020年10月06日

Go To 東京駅グランスタ

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 東京駅グランスタがとんでもないことになった。コロナの間の苦戦が夢のよう。キャッチコピー風にいえば「東京駅がまるごと美味しくなった」ここまで揃うと、周辺のグルメ街は太刀打ちできない。とかくエキナカにも出店しました、のレベルを越えて、さあ、東京の美味いもんは東京駅にこい、といった真剣勝負に出た印象である。

 まず食事処は完璧と言いたいほど揃っている。
 洋食の王道・東洋軒に始まり、近畿大学水産研究所・はなれのマグロや、肉卸小島のステーキ、和食なら田中田式海鮮食堂、中村屋のカレー、おにぎり、ラーメンまでほとんどの食が腕をならして待ち構えている。
 土産物も本場パリ・ラデュレのフィナンシェ、メタルボックス入りの四種のサブレ、からマルコニーニのチョコレート、ガトーフェスタハラダのグーテ・デ・ロア、帝国ホテルのプティ・ガルガンチュワではミニサイズのアップル・パイ、鎌倉発祥のメゾン・カカオからアロマ生チョコ、雑貨は奈良の中川政七商店を始め全国の個性が集合している。

 エキナカ・マーケットについてはここ拾年いろいろに話題をひろげてきたが、東京駅のグランスタにおいてひとつの頂点をむかえたともいえよう。店舗構成にしてもインテリアにしても商品にしても手をぬいたところがない。デパートの食品街もひけをとるほどなのだ。
 数年前、子供をつれて東京駅に遊びにいってきました、という軽井沢の若いお母さんに驚いたことがあったが、いまやそれがリアルになったのかもしれない。
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2020年10月04日

大坂なおみの常識を問う

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「大坂なおみ選手は素晴らしい。彼女の想いは私にも理解できるし、同じ日本人として誇りに思います。」
 東京テレビキー局の某女性司会者の発言である。ついこの間、スポーツに政治を持ち込まない、プロパカンダを許さない、だからスポーツは素晴らしいといっていたのは、何処のどなたでしたっけ。
 大坂なおみだから、黒マスクに亡くなった黒人の名前を書いたプロパカンダをしてもOKだ、というのは二律背反もはなはだしい。
 そもそも人種差別の問題は、世界中に存在する。アメリカだけに人種差別があるわけではない。日本人ですら有色人種として差別されていることを知らない司会者のアナタがオカシイ。白人のエリート層が支配するオリンピック貴族のひとにぎりの人々にコントロールされているのが、オリンピックだという事実をご存知ない。

 今回のBLMの黒人差別運動も、アメリカでは単純に人種差別運動であるとは受け止められていない。BLMは極左暴力集団であり、中国共産党の資金援助をうけて活動しているテロリストであり、大統領選挙にむけての反トランプのためのプロパカンダだというのだ。
 何年か前、韓国の選手団が反日プラカードを掲げて入場したことがあった。こうしたことを許すとスポーツ大会は収拾つかなくなる。世界中には数限りなく紛争や国家間の問題がある。日本人としては、中国の尖閣侵略や韓国のドクト占領など、怒らなければならない問題はいくらもある。韓国によるウソの慰安婦像の問題などいちいちスポーツ大会にもちだしていたら、オリンピックも各種競技のワールド選手権もメチャメチャになる。

 大阪なおみとて、テニスコートでのプロパカンダ黒マスクはすべきでない。人種差別運動はどこか異なる場でやるべきなのだ。スポーツをする人間の最低の常識ではないか。
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2020年10月03日

花束を喜ばない娘たち

バラの花束.jpg

 バラの花束は我々世代にとって青春のシンボルだった。
 いつか大きなバラの花束を抱え、彼女のもとを訪れる時を夢見て日々をおくったものだ。だから映画のなかでも、舞台でも一本のバラに出会った時、その一本のバラに託した主人公の秘めた心も苦悩も類推して、ともに悩み、ともに喜ぶことができた。

 近頃の若い女性はナマの花束を喜ばないと聞いた。
 毎日、花の世話をし水を取り替えるのなど面倒だし、なによりも花瓶がない。花をくれるのなら、その後の面倒まですべてしてくれ、と言うのだ。
 花を届けてくれた相手への心ずかいなどまったく存在しない。そこにあるのはわがままな自己都合と殺伐とした人生の風景だけだ。

 かって「百万本のバラ」というロシア歌謡が流行ったことがあった。
 グルジアの画家ニコ・ピロスマニが女優マルガリータに恋をし、家財すべてを売り払って百万本のバラを捧げたという実話にもとずく恋歌だ。

 〽 百万本のバラの花を  あなたにあなたにあげる  窓から窓から見える広場を 真っ赤なバラでうめつくして……

 こんな風景は、花束を喜ばない女性たちにとってなんの感興ももたらさないのだろう。面倒くさい歌だな位にしか思わない、そんな娘たちをつくった犯人は文部省?、日教組?、両親?、もしくは新しい生活様式? いずれにしても悲しい現実である。
posted by Kazuhiko Hoshino at 13:34| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする