2020年10月17日

筒美京平の生きた時代

太田裕美.jpg

 作曲家の筒美京平さんが亡くなった。
 1960年代から1990年代にかけて、膨大な作曲をしたヒット・メーカーだった。
 船村徹さんやら、宮川泰さんなど同世代の作曲家は何人もいるが、筒美さんほど底辺の広い作曲家を知らない。
 尾崎紀世彦の「また逢う日まで」、太田裕美の「木綿のハンカチーフ」、庄野真代の「飛んでイスタンブール」など、音痴の筆者でも好きな曲は多い。
 ベタな演歌だけでなく、ちょっとお洒落な半歩歌謡曲を抜けでた楽曲が多かったような気がする。

 「詞先」シセン「曲先」キョクセン という言い方が業界にある。
 詞先はまず歌詞ありきで言葉が優先される。しっかりした詞があって、しかるのち曲をつける。 曲先はリズムなり、メロディが先にできている。きまった音符に言葉を付けていく。
 むかしは歌のほとんどが「詞先」だった。作曲家はとことん言葉と向かい合い、そこに表れた言葉、隠された心情をメロディにつむいでいく。
 コンピューターのソフトで作曲する今は、圧倒的に曲先が多くなった。歌いやすい歌が減ったのは、ひとえに曲先という情報化時代のせいである。。

 古賀政男も、船村徹も、筒美京平さんもみな「詞先」の時代の名作曲家だった。彼らにとってはまず良い言葉があって、すぐれた詩があってこその作曲家だった。
 ジャンルは違うが、中田喜直さんの名曲「ちいさい秋みつけた」「夏の思い出」「雪の降るまちを」などもすべて詞先の名曲である。
 パソコンの時代になって失ったものはものは多い。歌がじっくりと味わうものでなくなって、即物的に踊れれば、それでよしとする悪い習慣が身についてしまったのだ。
 サカミチの女の子をいくら追いかけても、CDをしこたま買っても、しみじみと歌いたくなるような歌は「曲先」からは決して生まれない。

 コンピューターによって殺された芸術家、それが筒美京平さんだった。
posted by Kazuhiko Hoshino at 17:43| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする