
オリンピックの魅力も色褪せ、いまやオリンピックは開催しなくていいという人が、過半数をこえたといわれている。
どんなに優れたアスリートも、コロナの前ではひとたまりもなく、肉体の脆さをまざまざと見せつけられ、スポーツそのものの威信も地に堕ちたというべきか。
金メダルのメッキもはげかかっている。
メダルを土産に芸能人になりたかったスポーツマンにとっては、悪夢の一年、いやひょっとすると悪夢の二年になるかもしれない。
開閉会式の華やかな舞台に登場する予定だった狂言師の野村萬斎は早くも沈没してしまった。
三間四方の能舞台しかしらない狂言師に、八万人の国立競技場の演出をまかせた方に責任はあるが、案の定えんえんと続いたのは小田原評定で、僅か7人のメンバーすらまとまらなかったというのが現実のようだ。
あらゆるテクニックを動員して、人間賛歌をつくりだす構想力、哲学とスペクタクルの創造点に野村萬斎は立てなかった。
集められたスタッフも小粒なクリエーターが多く、テーマの縛りがワクワクドキドキ感ではなんとも恥ずかしい。
二の変わりのディレクターが電通の元局長さんとは、これでスポンサー対策だけは万全ですという事なのだろう。
今この国のスペクタル・シーンはあらかたデジタルなメカニックに支配されている。映像を始め照明も音響も花火もみな技術の足元にひざまずいている。
そのなかでジャニーズやら、サカミチの少女やら、手垢のついたタレントが踊っている。いくらそんなものをみせられても大衆は感動しない。、
コロナより強い肉体が集まって集団行動でもしてくれたら拍手喝采である。