2017年08月18日

プリンス・ホテルの今むかし

プリンス・ホテルの今むかし

 プリンスホテルとの付き合いは長い。
 ホテルが赤坂と麻布の二つしかない時代からの付き合いだ。テレビ朝日(当時NETテレビ)と麻布プリンスホテルが近かったため、なにかと世話になった。森繫久彌さん初出演のとき、スタジオ入りが遅くれると困るので、朝寝坊防止役の美しき女性とともに泊まってもらったのも麻布プリンスだった。
 中庭のプールサイドでショウを演出したこともあった。ホテル寄席と銘打って、若き日の立川談志が高座を務めたこともあった。談志は生まれて初めてのホテル出演と異常なテンションで、芝浜を演じた。結婚式も麻布で挙げたし、東京プリンスのマグノリアのショウを演出していたこともあった。

 当時窓口のの大島榮壽さんは、その後のプリンス拡大路線とともに前線で腕をふるい、東京、高輪、日光、箱根、京都宝ヶ池、赤坂、ハワイと支配人を務められ、退職後は鎌倉で余生を送り、いまでも交友関係を保っている。決して大声をださない小声のジェントルマンである。

 軽井沢のプリンスも思い出深い。コテッジが初めてできたとき、ひと夏をプリンスのコテッジで過ごしたこともあった。隣りの晴山ホテルが西館となり、ゴルフ場はつぶされてアウトレッドになった。アウトレッドの初めての冬、20軒たらずの店が雪のなかで灯りをつけて客をまっていた。このアウトレットいつまで持つかと心配したのが、うそのようにいまでは軽井沢の顔になった。一日では回り切れない。今年の夏はここまで、また来年きましょうと、女性の所有欲に答えている。

 相方が71歳の誕生日を迎えた。たいして芽出度くもないが、何処かで食事をしようということになった。今度軽井沢の東館が全面改修され、あらたに鉄板焼きのサロンができたので一度ご来臨をと、社長が言われていたのを思い出し、「森」と名付けられたそこに予約をいれた。
 定刻に訪れ名乗ると丁寧に案内されたところまでは良かったが、鉄板焼サロンのドアのまえで、少し待ってくれいま確認してくる、というのだ。そのフロア担当の女性は予約した客のリストを持っていない、大衆食堂なら当たり前のことだが、何万と採る高級レストランは必ず「お待ちしてました。○○様、どうぞこちらへ…」が当たり前、いま確認してくるから待てというのは、珍しい。まだ新規開店して二か月では教育に手がまわらないのか、と同情した。
 帰宅後、相方のスカートのあちこちにシミが飛んでいた。となりの子供がジュースのコップを飛ばし派手にコップをわった。その場では大丈夫ですか、濡れてませんか、と対応してくれたが、大理石のテーブルのかげでよくわからなかった。帰宅後明るいところでチェックして初めてシルクのスカートに付いたシミに気が付いたのだ。
 ためらったが、やっぱりこれは☎すべきとの結論にいたった。そこでまた驚いた。お客様同志のことであるから、ホテルは関係できない、というのだ。僅かふたつのテーブルしかない高級鉄板焼きサロン、隣りの客との間をとるか、幼児の騒しさをきっちりとコントロールすれば、第三者に迷惑をかけることはない、そうしたマネージメントにかんする責任感は全くなく、この感覚では高級店になれなくて当たり前、やっぱりプリンスは三流ホテルに落ちたね、といわれるのだ。
 社長も支配人も苦労人でいい人だが、現場レベルがマニュアル頼みでは苦労するだろうな、の思いを強くした。

posted by Kazuhiko Hoshino at 15:13| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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