2017年08月19日

暮らしのものさしをたどる

暮らしのものさしをたどる

 初めての結婚の頃、武蔵野の小さな家を民芸風なインテリアでいっぱいにしていた。
椅子やテーブルは当然のごとく、松本中央民芸にオーダーし半年近くまって破屋に運び入れた。ベットも棚もすべて松本民芸だった。ランプはイサム・ノグチの障子紙をデザイン化したシェードを使っていた。
 梁に貼られているお札は、京都阿多古の火之要慎がぜひもの、そこに金閣寺の破魔矢、祇園さんの蘇民将来などが雑多に並べられ、隙間は東北の伝統こけしで埋められていた。こけしは会津福島から白河、蔵王、鳴子、秋田木地山まで数十人の工人を訪ね、直接工人から分けてもらったり、尺前後の製作を依頼して忘れた頃、送られてきた。自慢のコレクシヨンだつたが、結婚の破局と共にすべて牛込の備後屋でオークションしてしまった。

 広尾のマンションでは、えせロココな室内装飾とベネチヤ絨毯で、パリ生活の残渣を楽しんだ。
宝塚の花組やら月組の東京公演に際して、紀尾井町の松緑さん宅のパーティが終わると、次は広尾の星野さんちのパーティがお決まりだった。松竹少女歌劇の生徒達ともしばしばパーティをもった。
 肉は銀座ローマイアから、寿司は六本木の福寿司、サンドウィッチは赤とんぼ、オードブルはプリンス、蕎麦は永坂更科、そしてアルコールといったメニューが定番だった。梓みちよからジャニーズ、野際陽子さんまで現れて、バブリーな空気が流れていた。
 広尾のマンションにはお茶の小間と広間もあった。茶道具が溢れ、反比例して結婚も破局した。

 再婚、軽井沢に住むようになって、生活はだいぶシンプルになった。家具類も北欧風なものに変わり、白壁にはシャガールやピカソのデツサンがある。ガントナーの白い橋、ミロとプレヴェールの合作、池田満寿夫の版画、そして平松礼二の赤い不二がちいさく控えている。
 なによりの御馳走は、妙義連山から八ヶ岳、蓼科高原、北アルプスまでの眺望を伴ったピクチャー・ウインドーだ。空気と涼しさに恵まれた軽井沢だが、近年の異常気象ではいつまでもつことやら、高原のリゾートはいま危機に瀕している。 リスも野鳥もだいぶ逃げてしまった。
posted by Kazuhiko Hoshino at 08:12| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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