2017年10月04日

プレイボーイ・ヘフナーの終焉に想う

プレイボーイ・ヘフナーの終焉に想う

 占領軍の強制により、初めて日本映画にキスシーンが登場したり、新宿帝都座においてストリップ・ショウが始まったり、武士道教育に育った日本人にとって女性のヌード解禁というのは、驚天動地の出来事だった。
 アメリカ文化は右手にハリウッド映画、左手に女性ヌードへの賛美を掲げてこの国にに上陸した。

 女性賛美のアイコンは、なんといっても美女のヌードグラビアに飾られた「プレイボーイ」の日本発売だった。創刊号を飾ったマリリン・モンローは名実ともにハリウッドの頂点にのぼりつめ、毎号巻頭を飾ったプレイメートは女性美の憧れだった。

 ある日突然に、TACの社長室からお呼びがかかった。TACはあの頃、VAN、JUN とともに男のカジュアル・ファッションの先頭を走っていた。
 日本でPLAYBOYブランドの全面展開をすることになった。ついてはPLAYBOYブランドの展開オペレーションの演出を頼むという依頼だった。社長室はすでに、プレイボーイ・カラーのゴールドとブラックに装われ、六本木のペントハウスにオープンしたプレイボーイ・クラブとともに巷の話題になっていた。アプレゲール達はみなプレイボーイの影響をうけ、ウサギちゃんのいるクラブに夜な夜な押し掛けた。

 ベルエアの友人に連絡すると、ならば直ぐロスへ来い、ヒュー・ヘフナーに会わせる、という託宣、ビバリーヒルズの麓にあるプレイボーイ・マンションに連れていかれた。緑に囲まれた数千坪の庭園に600坪の屋敷は、外目にはさほど華やかではなかったが、招き入れられてびっくりした。文字通りヒュー・ヘフナーの金黒趣味と美女たちの天国だった。そこに泳いでいたプレイメート達は、絵にかいたような美しき女たちで、現実のものとは到底信じられなかった。……あのヘフナーに人並みの死が訪れたとは。

 マリリン・モンローが疑惑の死をとげたとき、無一文の彼女の遺体は、ポストと呼ばれるダウンタウンの公共墓地の一隅の安置された。モンローをこよなく愛したヘフナーは、その隣のポストを数億で押え、いつか自分に死がやってきたら、モンローとともに永遠の眠りにつく、といっていたが、果たして31歳の若き愛人は、ヘフナーの思いのままに埋葬したかどうか、すこしばかり気になっている。
 20世紀の女性にたいして、ヘフナーの残したプレイボーイ文化の影響は余りにも大きかった。
posted by Kazuhiko Hoshino at 21:46| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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