2017年11月13日

まもなく来る狂瀾のメリークリスマス

まもなく来る狂瀾のメリークリスマス

 講談社の現代新書から、愛と狂瀾のメリークリスマスなる本がでた。ここで論じられた日本のクリスマスは、キリスト教は排除しないが、教えは受け入れない「不可侵条約」みたいなものと、結論ずけられている。が、ちょっと待て。そんなキレイごとではない。

 戦後、占領軍とともに正面から上陸してきたのが、キリスト教だった。町のそこここに教会が建てられ、ホテルというホテルの部屋には、新約聖書と旧約聖書が置かれ、日本人の根本にある神道、仏教、武士道に支えられた精神の破壊を試みた。
 若いキリスト教牧師によるスチュワーデス殺人事件なども起きたが、その容疑者はさっさと国外へ逃亡などという事件も発生した。
 すでにあったキリスト教系学校の頂点として建設されたのが、国際基督教大学だった。都立のナンバー・スクールには、優秀な学生をこの国際基督教大学に入学させるよう占領軍から指示があった。が秀才たちはあまり乗り気せず、当初はそこそこの学生が入学した。今では皇族のトップが通うのだから、占領軍の目論見は大成功だったといえる。

 韓国においてはまんまと成功した、この宗教による愚民政策は日本ではいまいち成功とは言い難かった。街にキリスト教関係の施設はいろいろできたが、信者は一向に増えなかったのだ。

 そこに登場したのが、メリークリスマスと囃し立てる繁華街からの催事だった。町のケーキ屋は店頭にやまほどのクリスマス・ケーキをつみ、ホワイトカラーはみなケーキをぶら下げて楽しい我が家に帰っていった。宗教家と占領軍のコントロールにまして、繁華街の水商売やケーキ屋の宣伝力が成功したのだ。
 バブルの頃には、さらにホテル業界が悪乗りし、愛のお泊りホテルとクリスマス・イブをむすび、若い女性たちをクリスマス・ラブにひっぱりこんだ。宝石業界もまたクリスマス・ジュエリーと煽り、クリスマス・プレゼントはキリスト教と関係なく独り歩きをするようになった。クリスマスは完全に商業主義の装置と化したのだ。

 クリスマスについで登場したのが、バレンタイン・デーだった。さらに近頃ではハローウィンが登場し、渋谷スクランブルが聖地化している。信仰心とはまったく関係なくイベントだけをとりだして大騒ぎする、かっての日本人にはなかった現象である。
 利益まみれ、経済第一主義のさもしさが、宗教の摂理を無視したイベント主義に堕落させた。この国の宗教催事は資本主義の断末魔であり、下品きわまりない商業主義の末路でもある。

posted by Kazuhiko Hoshino at 10:12| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
キリスト教系のお祭りには参加しなくなって久しいです。
自身の信じる神様のクリスマスに当たる日は七五三のお祝い日と同じなので
明日がイブでケーキを食べたくなります。
日曜に若松町で三歳の着物を着てお母さんに手を引かれた女の子を見て萌えました。
商業的なお祭りをするなら全部の宗教の全部の行事を騒げばいいのにと思っています。
ラマダンとか
自身は空腹に耐えられない身体で日に3ℓ水分を摂取するので興味もありませんが…
Posted by ふくだ かよ at 2017年11月13日 11:12
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス: [必須入力]

コメント: