2017年12月20日

ドライブスルーのお葬式

ドライブスルーのお葬式

 上田の愛昇殿にドライブ・スルーの葬儀所ができた。
 テレビでは賛成、反対と姦しい。巣鴨の地蔵通りでは賛成が多かった。原宿では反対が多かった。ドラブスルーを利用してまで、葬儀に行きたいと願う老人の気持ちは置いてけぼりになって、葬儀の形式にこだわるワイドショウのコメンテーターもいた。
 歩けない老人にとっては、身内の運転するマイカーで葬儀の場にいくことが、心のやすらぎになる。
 ドライブスルーという言い方に問題がある。いかにも簡単に手間をはぶいたかの印象がするのだ。歩行困難の参列者がいると、その補助のため最低でも3人のスタッフがいる。葬儀所も経費を抑えるために人手は極力へらし、ひとつの葬儀にひとりのスタッフしかいないところもある。受付ご案内は、近親者でお願いします、という現実をまえに途方にくれる親族もあるそうだ。ましてや車椅子の介助者は到底用意できない。
 核家族時代には、人手がいちばん困難になる。身体不自由な人の心と、人手不足の現実にどう対応していくかという問題なのだ。

 数年前、ラスベガスのドライブスルーの結婚式場について書いたことがある。
 ドルが踊り、カジノが回り、アルコールと女達の都ラスベガスのドライブスルー結婚式は、どうしても安易な結婚ゴッコとも思えるが、立会人もなく親族もいないインターナショナルなプー太郎と、刹那に生きる女達には、有り難いドライブスルーの式場だった。
 二人だけの結婚式をドライブスルーで挙げ、車の後ろにカンカラを数個つけて走り去る、見送りはジャスト・マリッジのネオンの点滅というのも、もの悲しい砂漠の情景だった。
 日本の高名な歌手も、メディアにはベガスで挙式といっていたが、実はドラブスルーの簡単便利の挙式だった。

 今年も年末が近ずいて、不幸があったので欠礼という葉書がすでに50枚ちかく届いている。社友会から届くメールの訃報も、葬儀は近親者のみであげました、という文面が圧倒的に多い。死ぬほうはそれぞれの事情で死ぬので、突然の死亡通知で葬儀はいつといわれても、生きているほうが対応できない。それ故さいごの付き合いは、近親者のみで皆には迷惑はかけないというのが、90パーセント近い家族葬になる。
 家族に不見識な思い込みがいると、突然の葬式で皆に迷惑をかける。死んでまで皆に迷惑をかけるなというのが、メディアの仲間たちの意識だ。
 葬式をイベント化して売名に使うのは、石原プロやら芸能人という名の人々だけである。

posted by Kazuhiko Hoshino at 13:30| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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