2018年02月21日

羽生結弦と小平菜緒

羽生結弦と小平菜緒 羽生結弦と小平菜緒

 平昌五輪の収穫といえば、間違いなく「羽生結弦」と「小平奈緒」ではなかろうか。
 この二人にみる人柄と、内在するスポーツとの距離は実に素晴らしかった。自己顕示欲のかたまりのような選手が圧倒的に多いなかで、この二人の謙虚さには清々しさを覚えた。
 いままでの大会で、メタルをかじったり、テレビカメラに向かってヴイ・サインをしたり、スポーツ選手のふるまいにはうんざりしていたが、今回はちがった。ようやく大人のボンサンスを身につけた選手がでてきたという思いだ。

 決して表にでない両親、祖母、叔母たち皆が「頑張っているのは本人です。親がしゃしゃりでて話すことはなにもありません」かって当然のようにそうであった家族の考え方が何時の間にか、家族みんなでというファミリー主義に対して、羽生結弦の両親は見事にくつがえしてくれた。
 ネットではいかにも東北人気質などといっているが、第二次世界大戦にまけるまでは、東京下町の家庭でさえ、息子の合格やスポーツ記録に親が出てきてシタリ顔をさらすことはなかった。子供は子供、親は親という個の確立ができていた。中学校の入学や東大の入学式に親がチャラチャラと出てくるようなことはなかったのだ。
 「自分の敵は自分です。僕は羽生結弦以上でもなければ、それ以下でもありません」
 中学校の教員である父も母も東北大震災で家を失い、仮設住宅暮らしから家賃5万円のつましい借家にうつり、金メダル後はマスコミが殺到するので、ようやく市内のマンションに移ったという生活態度からも、人柄の謙虚さが伝わってくる。
 マスコミのインタビューに「スイマセン、この国旗を持っていてください」日本の国旗を下においてはならない、という彼の意識に一瞬意味の分からなかった女子アナがいたというから困ったことだ。

 小平菜緒も父から「人から簡単に教わるのではなく、大切なことは自分で発見しなさい」「見て、考えて、自分のものにする、それが基本だ」としばしば言われたといっているが、この親にしてこの子ありということだろう。
 三人姉妹の末っ子とあれば、イージーに流れそうだが、そうした教育環境のなかから鬼かわいい「怒った猫」が生まれた。
 銀しか取れなかった韓国のアスリートに声をかけ、二人で抱き合って喜んだ姿が忘れられない。
posted by Kazuhiko Hoshino at 15:29| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
子供の頃の日本選手は
国際舞台で緊張のあまり実力さえ出せずに参加することだけに意義があった感じで…
最近は自分との戦いに挑んでいく選手ばかりで感心するばかりです
そして結果が伴うところが素晴らしいです
生きているうちに日本選手が活躍するなんて
優勝を狙うなんて期待していなかったのにおどろきです
そしてどこに出しても恥ずかしくない人を目にする快感にウットリしますね。
巷にはそうでない存在が多すぎて
外に出るのが怖いですから
Posted by ふくだかよ at 2018年02月21日 22:46
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス: [必須入力]

コメント: