2018年03月01日

いまでは信じられない「三越前駅」

いまでは信じられない「三越前駅」

 少年期「地下鉄」ときくとワクワクした。
 国鉄(いまのJR)は、どことなく事務的であったし、遠くに行かねばならないその為に乗るといった目的感が大きくて子供心に夢がなかった。路面電車はそこらじゅうを走っていて、生活感にあふれていた。本郷からは路面電車を乗り換えてあちこちへいった。
 当時路面電車というような科学的な呼称は使わなかった。すべてチンチン電車だった。停留所についたとき、出発するとき、車掌さんが紐を引っ張ると、運転席の後ろに取り付けられていた鐘がチン、またはチンチンとなって乗客をうながした。あの鐘のチンからチンチン電車は生まれたと信じている。

 地下鉄銀座線には「三越前駅」があった。デパートの名前がそのまま駅名になっている珍しい駅だ。そのうえ三越本店と直結していた。いまでは地下道が網の目のように走り、デパート直結など珍しくもないが、当時は画期的だった。地下鉄から三越へ入る入口には沿線随一のゴージャスなステンドガラスによる駅名板があった。今でもあるかもしれないが、子供心にこんなに贅沢な駅看板をみたことがなく、アールヌーボー風な三越前駅の看板のまえでしばし見とれていたことを覚えている。
 「今日は帝劇、明日は三越」とうたわれた時代だから、デパートはディズニーランドより、ユニバーサル・スタディオよりも夢のいっぱいつまったワンダーランドだった。

 地下鉄銀座線には、上野広小路駅(松坂屋前)や、日本橋駅(高島屋前)という駅もあったし、終点浅草は松屋前だった。銀座線はデパート全盛期に主なデパートをつないでできたレジャーラインだったともいえよう。
 三越前駅はそっくり三越がお金を出して作ったので、そのまま三越前駅になったと後年しらされた。それに引き換えカッコ松坂屋前や、カッコ高島屋前は、地下鉄の情報サービスだったのだ。

 デパートの屋上には飛行船やら、滑り台、動くお馬、小さな舞台では人形劇もやっていた。日曜日にデパートの屋上で遊ぶというのは、下町の子供たちにとって憧れの時間だったし、お腹がすいたら下の大食堂で小さな旗の立ったお子様ランチを食べるというのが、幸せの日曜日だった。
posted by Kazuhiko Hoshino at 07:38| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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