2018年03月05日

「長命寺の桜もち」が恋しい

「長命寺の桜もち」が恋しい

 春一番が吹くと恋しくなる。
 向島「長命寺のさくらもち」桜餅である。
 浅草から吾妻橋を渡り、桜の木のしたを左へたどると、やがて土手沿いに桜餅やがある。
 長命寺の門番・山本新六によって始められた元祖長命寺のさくら餅だ。
 六本木にいた頃は、仲間とクルマを連らね、山本やの赤毛氈の縁台で、さくらもちのティタイムを
楽しみに隅田堤をめざした。

 いまでは有名になりすぎて花見客であふれるが、もとをたどれば八代将軍吉宗の命によって植えられた隅田の桜堤だ。そのさくらの葉から生まれたのが桜餅だから、将軍吉宗の功績は大きい。
 芝居小屋では、先月襲名披露で評判を呼んだ松本幸四郎一世が江戸町衆の人気を集め、助六でお馴染みの河東節が流行っていた。いなせな江戸町火消が生まれたのも、桜もち誕生と前後している。
 享保年間というのは、江戸の都市機能が完成し、ようやく爛熟期に入ろうとしていたそんな時代だったのだろう。

 明治21年には、正岡子規がこの山本やの二階に下宿し、残したうたがある。
 "花の香を若葉にこめて かぐわしき  桜の餅や つとにせよ"

 桜もちを包んでいる塩ずけの葉は食べるべきか、残すべきか、とときに言い争いになるが、その香りとともに食べるべきという人が多い。遠く奈良時代歯磨き粉のない時代には、塩ずけの桜の葉は口臭予防につかわれていたという。

 帰途、素朴な竹かごにはいった「長命寺のさくらもち」をもとめ、近所に届けると、なによりの春がきたと喜ばれた。
posted by Kazuhiko Hoshino at 22:21| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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