
さくらの頃になると「お勢以さん」(オセイサン)を想い出す。
お勢以さんの田舎は秋田で、小学校の高等科をでてから上京した。叔母さんの縁をたどって本郷西片町の髪結いに入った。髪結いの修行は台所のお手伝いから、床のお掃除までなんでもしなければならなかったが、お勢以さんはいつも楽しそうに口数少なく働いていた。
花見にでかけるお客さんで春はてんてこ舞い、やうやく手があくと迎えにきてくれた。お花見に連れて行ってくれるのは、いつもお勢以さんだった。お勢以さんの手は、こども心に柔らかくてふっくらしていた。さくらの頃になるとお勢以さんの手の暖かさを想い出す。
大川を渡って隅田づつみにつくと、さくらの根元に風呂敷をひろげてくれた。風呂敷はどことなく田舎風で秋田の香りがした。並んで座ると、お勢以さんはかならず両手をひろげ深呼吸をした。
♪春のうららの隅田川 のぼりくだりの船人が 櫂のしずくも花と散る ながめを何にたとふべき
お勢以さんはいきなり「花」の一番を唄い出す。川風とともに桜のはなびらがお勢以さんの髪にまとって、幸せそうだった。カラオケもなくギターもなく、アカペラで歌うお勢以さんはいつも嬉しそうだつた。一番を繰り返し、くりかえし歌っていた。
子どもをつれてお花見のお勢以さんには恋人がいなかったのだろう。それでも上りくだりの隅田川の船に眼をやりながら、お勢以さんは東京を満喫していたような気がする。
帰りしなは必ず長命寺の桜もちだった。四角い木の升に桜もちがひとつ、煎茶がついてきて大人の気分だった。お勢以さんは餅を包んだ桜の葉を二枚残し、一枚の葉をともに美味そうに食べた。一枚のほうが桜の香りがするのよ、と言われ見習って一枚の葉とともに餅を楽しんだ。お土産は折にはいった6個の桜もち、ぶら下げるのは僕の役目だった。
いつの頃からか、鈴木京香さんにお勢以さんの表情がダブるようになった。
仙台と秋田、東北人に通じる暖かさに惹かれたのだろう。