2018年04月14日

戦没画学生に敗れた「夭折の天才たち」

戦没画学生に敗れた「夭折の天才たち」

 「あぁ〜、デッサンちゅ人の美術館なら、この畔いってお寺さんの入り口だや」
 信濃デッサン館ができた頃、上田市塩田平を訪ね、道に迷って土地の人に尋ねた頃のエピソードである。この地では、デッサン=素描などという知識はなく、土地の農家の人々はしばらくの間、デッサンという絵描きさんの美術館だと信じていたという話だ。

 作家水上勉さんの極貧時代、最初の妻との間に生まれた息子窪島誠一郎によって造られたのが、信濃デッサン館だった。当時1979年の頃、デッサンで美術館が出来ることなど誰も想像していなかった。窪島誠一郎さんは若くして死を迎えた無念の画家たちの作品を集めた。いわゆる夭折の天才たちに眼を向けたのだ。
 22歳で命を終えた森鴎外に名を受けた村山槐多、やはり20歳で天に召された関根正二、野田英夫、靉 光など。数奇な人生を歩んだみずからにダブらせた、作家へのこだわりだったような気がする。

 筆者も槐多の「尿する裸僧」の強烈なメッセージに心を奪われ、なんどかデッサン館に足をはこんだ。別館には槐多庵もあり、窪島のコレクターとしてのこだわりが読み取れた。

 が窪島誠一郎は1997年に、戦没画学生慰霊美術館「無言館」を近くの山王山にオープンした。 第二次世界大戦で戦争に駆りだされ命を落とした画学生の作品を全国から集めて展覧したのだ。
 夢見た家族の群像、永遠の別れになった恋人の横顔、新婚早々の妻、…… そこにあるドラマは絵の巧拙を超えて心に迫ってくる。無言館はそのコンセプトによって、全国から注目され、信州一の集客を誇る存在になった。
 軽井沢の来客にも、美術館は何処へ行ったら、と尋ねられれば、迷うことなく上田の「無言館」に行くべきですと答えてきた。戦地での死を覚悟して、旅立つまえの画学生たちの筆には、理屈抜きの生命観が溢れて慄然とするのだ。

 3月15日、「信濃デッサン館」は閉館される。
 夭折の天才たちとはいえ、戦没画学生の無念に勝つことはできなかった。



posted by Kazuhiko Hoshino at 23:08| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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