2018年04月29日

「とんき」から「ぽん多」、そして駒ヶ根ソースかつ丼

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 帝国劇場文芸部にいた頃、ひるめしはいつも有楽町ガード下だった。
 店の名前はすっかり忘れてしまったが、イキのいい夫婦がやっているちいさなごはんやだった。手元不如意なときはメンチ・かつ定食、すこし潤沢なときはとんかつ定食だった。とんかつは若もの達のビタミン剤だった。後にサプリメントなどと称する活性剤が登場することなど知る由もなかった。

 テレビの創業とともに、メイングランドが六本木に移った。昼蕎麦は長寿庵、または永坂更科、昼イタは狸穴キャンティ、中華は中国飯店、スタジオでの徹夜らーめんは麻布十番の登龍、とんかつが食べたいときは、少し足をのばして目黒のとんきにいった。

 「とんき」はまだ戦災の焼跡が残る目黒で活気に充ちた大店だった。コの字型の大カウンターで二、三十人の客が一斉にとんかつをたべる情景は壮観そのもの、まったくの初体験だったし、キャベツのお代わりが自由だったのも嬉しかった。
 とんかつを食べにとんきに行ったというよりは、「とんき」を食べに行った感のほうが大きかった。目黒のさんまとインプットしていたのが、「目黒はさんまととんかつ」にかわったのが目黒とんかつ村落のパワーだった。

 ファッション・ショウやオペラに係るようになって通ったのが、上野、御徒町のとんかつ村落である。
 なかでも松坂屋の南にあるぽん多本家は、気分転換のエネルギー源だった。

 「ぽん多」のどっしりした店構えが頼もしく、こんな構えの店がいい加減なとんかつを出す筈がないという思いこみで通った。のちにこの国のカツレツ生みの親、島田信二郎直系の四代目が経営する店と知った。ぽん多の名物カツレツはたんシチューと共に、歴史の味がした。

 軽井沢に住むようになってから覚えたのが、駒ヶ根ソースかつ丼。駒ヶ根の音楽プロデューサー三沢照男さんに連れていかれたのが、駒ヶ根ふるさと食起こしのど真ん中にあった駅近くの食堂やまだだった。難しいことは言わず豚のロース肉120グラム以上、濃厚タレはそれぞれの店風に、キャベツ以外はひいてはダメのルールで、見事に駒ヶ根食起こしのシンボルになった。
 軽井沢では駅前アウトレットに、駒ヶ根明治亭が進出している。 
posted by Kazuhiko Hoshino at 17:16| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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