2018年08月04日

阿波おどり商業化のむくい

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 阿波おどりがもめている。
 市長と観光協会と地元徳島新聞の利権争いのようにも見える。南内町の演舞場に人気が集中し、ほかの三つの演舞場の人気がいまいちなので、四つすべての演舞場に観客がいきわたる様に、今年から総踊りの連の配分をし直す。
 もはや阿波おどりは、夏の巨大な興行に成り下がってしまった。阿波おどり本来の目的は雲散霧消し、チケットが売れたか、売れないか、のみが話題になり、新聞社が取り仕切っても、ヤクザがとりしきっても、まったく変わりのない状態になってしまった。かえってヤクザが仕切ったほうが、赤字がどうの、黒字がどうの、がなくなって庶民の税金が狙われることもない。

 阿波おどりの始まりは徳島城のお城工事の完成祝いといわれるが、踊りの様式からいえば、それ以前の精霊おどり、御霊しずめの念仏踊りに原点があったことは明らかだ。盆踊りとして、帰ってきた新しい精霊を慰めるための踊りである。
 むかし徳島の郊外の田園風景のなかでみた阿波踊りは最高だった。観客のひとりもいない田圃の畔を、10人足らずの連がひたむきに踊っていく。祖霊を慰めるということは、こういうことなんだ。という魂の祈りが見えた。ライトもなく、マイクの喧騒もない阿波の念仏踊りとは、こういうことか、と感動した。
 おどりに観客はいらない。あの世の祖霊と、現世の子孫がいれば、それで充分成り立つまつりだ。
新聞社やら、観光業者やら、代理店やら、よってたかって商売にしようとする輩がいて、祭を堕落させている。

 信州にもいろいろな盆踊りがある。
 長野びんずる、飯田リンゴン、丸子ドドンコ、上田わっしょい、小諸ドカンショ、そして松本ぼんぼん等々……松本ぼんぼんにいたっては、それまでお城の周りの少女たちがささやかにやっていた盆の唄めぐりを横取りし、行政と財界が金のちからでイベント化してしまった。松本ぼんぼんという可愛らしい名前まで収奪し、盛大に市民祭松本ぼんぼんとしてやっている。

 軽井沢では宿場の盆行事としていろいろあったが、明治から大正にかけてのキリスト教牧師たちの来軽によって、弾圧されてしまった。キリスト教関係の神父や牧師たちの夏休みと、盆行事がぶつかったことで、日本人の伝統的習俗を失ってしまったのだ。
 あの頃の布教団はいまでは美化されているが、当時は決してそんなものではなく、日曜は安息日だから商店を開けるなとか、仏教催事はするなとか、暴力団のような一面をもっていた。

posted by Kazuhiko Hoshino at 14:31| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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