2018年08月05日

浅利慶太を検証する

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 浅利慶太は同世代の演劇人だった。
 彼が慶応演劇部にいた当時、予科の講師となった加藤道夫は、三島由紀夫や岸田國士らとともに「文学立体化運動の担い手」として世間から注目されていた。慶応の演劇大好き学生たちは、加藤道夫のアイコンのもとに集まっていた。浅利慶太もまたそのひとりだつた。

 加藤道夫はジロウドウとアヌイの世界に入り込み、「加藤道夫の神話」とも言われる演劇観を残している。
 「描写」を偏重してはならない。描写は実証的な客観的知性だけで出来るつまらないものだ。
 「表現」せよ。表現には強烈な主観的知性が働かなければならない。
 俳優が芸術家なら、詩人が内面に詩的世界をもっているように、役者もまた己の言葉と、ヴィジョンをもっていなければならない。

 浅利はこの加藤道夫の神話に強烈な示唆をうけ、劇団結成当時はかなり忠実にジロウドウ、アヌイの芝居を実践していた。が加藤が木下順二などの民族演劇論にインスパイアーし、日本の創作劇に舵をきったあたりから、全く違う方向に走り始めた。

 彼は「芝居で食べる」という商業演劇の魅力にはまってしまったのだ。
バラエティ誌上興行収入の上位にある作品に次々と手をだし、ミュージカル上演の先輩たる東宝をけちらし、商売一辺倒のミュージカルに手を染めた。電通と組み、仮設劇場をつぎつぎとつくり、ロングラン興行を打って利益をあげるというブロードウェイの下請けになった。その為、ミュージカルの後発国ながら確実に上演権を獲得するため、世界で一番高いローヤリティを払い、一時は四季って一体何者?あんなに高いローヤリティを払ってペイするか、とブロードウェイの裏話題になっていた。
 浅利慶太はまったく脚本、オリジナリティに関心はなく、いかに上演して観客動員をはかるか、という興行師として一流になった。

 浅利は国立劇場をミュージカル専門劇場にするべく、中曽根、石原慎太郎などに近かずき霞が関に日参していた時期もあったが、黛敏郎らの猛反対にあい失敗したこともあった。
 数班のチームを作り、同時多発的な興行システムも結局、俳優の三分の一ちかくが中国人となるに及んで、内部からも劇団のアイデンティティーを疑う超えがあがり、ブーメランのごとく彼に批判が集中した。
 彼を失った今、劇団四季のレパートリーはすべてディズニー・プロダクションの下請けとなっているが、この状態でいつまで興行をつづけるのか、残されたスタッフのエネルギーと知性にかかっている。
posted by Kazuhiko Hoshino at 23:20| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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