2018年09月07日

看板の数は味に反比例する

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 食べ物やの看板は、メニューのそれぞれによって微妙に異なる。
 上等な懐石料理やには、看板さえ出していない所がある。うちでたべたければちゃんと調べてこい、看板たよりにくるような客はいらない。
 微妙に上から目線なのだ。そうしたところが自称食通たちの琴線をくすぐる。

 近頃やたらふえた看板は、英語の看板だ。読めない奴は斬り捨てられる。パンやからケーキ屋、レストランまで横文字がならぶ。教養を誇示したいのか、それとも外人相手なのか、意外にも女子会めあてだったりする。
 軽井沢ではフランス国旗とともにフランス料理やの看板が並ぶ。イタリア国旗とともにイタメシヤが営業中である。店の名前の意味はわからないが、横文字ならばカッコいいとか、ステキといったまことに味覚オンチな若い客が次々とはいっていく。
 焼き肉やに太極旗はなびかない。中華料理にも五星紅旗はみかけない。従軍慰安婦像なら際限なく立てたがる人々だが、自国の旗には愛情がない。

 上等な店ほど看板の数は少ないし、文字も小さい。ロンポアンからセーヌに向かったアベニュー・モンテーヌあたりを歩くと、ミュグレー、ロエベ、ウンガロ、ニナ・リッチ、等々看板はみんな小さい。玄関の片方に小さく表示されているだけで、これみよがしの看板はひとつもない。そうした欧米の看板文化になじむと、日本に戻ったときびっくりする。

 軽井沢駅の改札を出て左に曲がる。
 いきなり飛び込んでくるのは、「元祖 峠の釜めし・おぎのや」である。右に「信州そば・おぎのや」左に「峠の釜めし・おぎのや」狭い一間半ほどの間口に三つもノレンの下がる立ち蕎麦やである。のれんのしたには「駅そば発祥の地・軽井沢」おぎのやが団体でおしかけてくる。よこのちいさな受渡口にもしっかりと「峠の釜めし・おぎのや」とあり、創業明治18年と仰々しい。京都にいったら、創業は応仁の乱の後とか、文化文政の頃とか、歴史認識がまるで違う。そのうえ、たいして美味くもない駅そばとあれば、看板だすのも気恥しい。駅そばで働くおばちゃんもじつに機械的で愛情がない。うちの蕎麦は美味いという心意気を感じない。しかも狭い空間に「おぎのや、おぎのや」の連呼だ。年々蕎麦の味でも改善しているのならまだしも全然変わらず、ゆるい茹で上がりの蕎麦と平均的な出汁のあじ、これが信州そばの代表とおもわれては恥ずかしい。
 看板の数は味に反比例する。
posted by Kazuhiko Hoshino at 08:05| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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